「家訓」の世界へようこそ!

テロより怖いアメリカの医療制度

 

 

アメリカの医療制度から考える日本の豊かさ

 

 

 

 2020年4月4日、年明けから猛威をふるってきた新型コロナウィルスの感染者が100万人を超えました。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめによりますと、死亡した人も世界全体で5万人を超え、感染の拡大に歯止めがかからない状況が続いています。 国や地域別の感染者数は、アメリカが23万6339人と、最も多く、次いでイタリアが11万5242人、スペインが11万238人となっています。

 

そんな中、ウィルスの発信源である中国は感染者の抑え込みに成功し、また韓国や台湾、そして日本など東南アジアの国々も、増加傾向ではあるものの、一定の成果をあげています。

 

こうした傾向に対し、人種的な耐性の違いや、またBCGのワクチンの接種の有無など、さまざまな仮説が唱えらるなか、忘れちゃいけない視点があります。その視点とは、あまりに幸せな日本の医療制度と、残酷すぎるアメリカの医療事情です。

 

日本人にとっては当たり前すぎて、その幸せに気付かない素晴らしい日本の医療システムをアメリカと比較し商会します。 

 

 

 幸せの定義は毎日を何の心配もなく過ごせること

コロナウィルスの渦のなか、何事もおきない普通の生活のありがたさを感じている方もおおいのではないでしょうか?家訓ニストの考える幸せの定義は、毎日を何の心配もなく過ごせること。いま、「幸せ」を手に入れる闘いが、世界中で始まっています。

 

 

とにかく高いアメリカの医療費

日本では、病院や診療所の窓口で健康保険証を見せると、年齢や所得に応じてかかった医療費の1~3割を支払えば医療を受けられ、残りの9~7割は健康保険組合が医療機関に支払ってくれます。また、高額療養費制度によって自己負担額にも上限が設けられているので、医療費が高額になっても家計が破綻するような心配はありません。

 

しかし、これはあくまでも日本国内の制度です。イギリスなど一部の国を除いて、外国人旅行者の医療費はどこでも有料で、かかった医療費の全額を自己負担しなければならない。とくに、民間の医療保険によって医療費がコントロールされているアメリカ圏では、目玉が飛び出るほど高額な医療費を請求されることもあるので要注意です。

 

旅行会社大手のJTBの「2014年度海外旅行保険事故データ」によると、アメリカで呼吸困難を訴え、肺塞栓症・肺炎・肺結核と診断されて49日間入院した人が、9335万円の医療費を請求されている。 ほかにも、ハワイで肺炎・敗血症と診断された人が6080万円、アメリカで交通事故にあい脳挫傷・くも膜下出血と診断された人が5664万円などの高額請求の例もあるほどです。

 

アメリカ人が逃げ出す医療制度

テレビ東京の「YOUは何にしに日本へ」という番組で、来日したアメリカン人女性のインタビューの来日の目的に仰天しました。その女性の目的は 「ケンコウホケン」でした。アメリカ人は逃げ出すほどの医療制度。第二世界大戦をへて、世界の超大国に躍り出たアメリカでしたが、本当の幸せとはいったい何なのか?あらためて考えさせられます。

 

アメリカの医療はすべて民間にゆだねられ、費用も高額です。保険加入者であっても盲腸の手術だけで200万円の支払いをくらったケース。あるいは、年収1000万の家庭が医療費のせいで自己破産にいったケースなど、医療制度のほころびが人々の生活を苦しめています。

 

1961年に導入された日本の国民皆保険は、達成から50年がたっています。国民皆保険があるおかげで、国民はさまざまな医療機関を自由に受診でき、日本の医療費は他の先進国と比べても比較的低い水準に抑えられています。日本でも医療費は増加しているが、他の先進国や途上国では、医療費が国民総生産(GDP)に占める割合はもっと高いようです。2008年の日本の医療費はGDPの8.5%で、OECD諸国では20位という低位置です。

 

また、他の国と比べると、50万人以上が入院待機しているイギリス、手術まで1ヵ月待ちが当たり前のスウェーデン、無保険者が15%以上いるアメリカ、GDPに対する総保険医療支出割合がOECD加盟国でそれぞれ2番目と4番目に高いフランスとドイツなどと比べると、患者の負担は小さなものです。 日本では救急車の到着が遅れ、死亡した!なんてことがニュースになっている一方、アメリカでは保険に入れない人が5000万人。医療費が原因の自己破産は全体の60%っと飛んでもない数字になっています

 

アメリカの敵はアルカイダにあらず

このアメリカの医療問題をするどくえぐったマイケルムーア監督の「シッコ」では、さらにえぐい実例を紹介しています。この映画のサブタイトルは、「テロより怖い医療制度」です(>_<)

 

作品では、マイケル・ムーアがアメリカの医療制度の問題をWEBサイトで募り、実際に寄せられた話をもとにシュールコメディー調のドキュメンタリー展開されています。医療保険未加入者が約5,000万人に達し、また保険加入者に対しても、あらゆる手段を講じて保険金の支払拒否をおこない、利益を上げる営利主義一辺倒の医療保険会社や製薬会社。それに癒着、取り込まれた政治家など、これまで公然と触れられることの少なかった米国医療の暗部を赤裸々に描き出しています。

 

作品中で示されているアメリカ医療制度の問題の実例です ・アメリカはユニバーサルヘルスケア制度がない唯一の先進国である。民間の医療保険に入れない人がおよそ5000万人いる。貧困層でなくても、過去のわずかな疾患を緻密に探査され保険への加入を拒否されたり、保険金の支払いを拒否される人は多い。

 

・医療費が払えず病院にかかれないので、自分で傷口を縫う人。

・仕事中に誤って指を二本切断。指をくっつける手術費用が薬指は12,000USドル、中指なら60,000USドルと言われ、中指は諦めざるを得なかった人。

・医療費があまりに高額で家を売りに出し、こどもたちの家に世話になり静かな諍いが起こる老婦人。 ・高齢であってもなお、自分の医療費を払うために働かざるを得ない老人。

・交通事故により病院に運ばれ一命を取り留め、保険会社に保険金を支払ってもらおうと連絡したら、当時は意識不明の重態であったにもかかわらず「救急車が使用される場合には、事前に連絡が無ければ保険は適用されない」と言われたケース

 

幸福の定義の1つは、安心して暮らせること テロが怖いのは、何の罪もない市民を無差別に殺す不条理です。同じように、まじめに暮らすアメリカ国民にとって、医療制度は、アルカイダよりも怖いモンスターなのかもしれません。 

 

「吾唯足知」(われただ、足るを知る)

上をみれば、きりがなく、下をみても何も始まらない。今おかれた現状を楽しむことが人生を豊かに過ごすことが人生の秘訣だと、家訓二ストは考えます 少なくと、医療制度においては世界で一番優秀な制度です。もしそこに不安を感じるなら、あなたの心配を和らげる国はこの世界中に存在しません。だったら、この国を幸せの国だと信じ、毎日を安心して過ごしていきましょう^^

 

Gallup社が2005年~2009年に調査した世界幸福度ランキングでは、日本は155か国中81位と、半分より下の順位でした。これは42位のホンジュラス、53位のコソボ、63位のマラウイの順位を下回っています。しかし、戦争が起こらず、犯罪率が低く、世界第3位のGDPを誇る日本がそれらの国より不幸な社会に住んでいるとは考えにくいのではないでしょうか? 日本人は恵まれている環境にいながらも、幸せであると肯定しない国民性があるようです。そして、そんな国民性のために、優秀な医療制度に浴していながらも、日本人が医療に満足していません。それは、医療だけでなく生活全般のなかで、幸せを不幸せに変換してしまう負のバイアスに捉われてしまっていることを教えています

 

笑う門には福きたる 不安を胸に不満をかたる人生を笑い飛ばしていきませんか?

焼き場にたつ少年と無言の家訓

日本人が忘れてきたもの・・・

 

「焼き場にたつ少年」は、先日の「山口秀範先生を囲む会」の講話のなかで、ご享受いただいた1枚の写真です。

 

当時、長崎・広島で撮られた写真はGHQの管理下にありました。しかしこの写真はオダネルさんが、軍規で禁止されていた私用のカメラで撮影し、公開をとまどい秘匿していたものを近年、発見され、はじめて公開された写真です。

 

「焼き場にたつ少年」は、凛々しく、そして毅然した姿に圧倒されます。

 

この写真をみて、感じる想いはそれぞれだと思います

ある人は、戦争の残酷さを想い、またある人は、平和の尊さを感じることでしょう。

 

幡谷はこの写真から、少年の毅然とした態度。そして日本人として忘れてはいけない高い精神性を感じます。

カメラを向けたアメリカ兵は、敵国の人間です。そして戦争は完膚なきまでに日本を痛めつけました。しかし、少年の態度は、負けてもなお毅然とし、肉親を亡くしたくやしさを隠すため、唇をじっとかみしめています。なにより印象的なのは、姿勢を正しまっすぐ前を見ている姿そのものです。

 

日本が焼野原となった大地から復活し、世界から賞賛される国となるのは、この少年が大人になる頃のお話しです。衣食住に困ることなく、現代をのほほ~んと生きる我々のなかに、少年がもつ気概や、まっすぐな視線は、果たして持ち合わせているでしょうか?

 

「焼き場の少年」の写真は、日本人が忘れてきたものを教えてくれる写真です。

 

 

生きながら死んでいる時代に

 

今回、勉強会の講師としてご登壇いただいた山口秀範先生は、大手ゼネコンに勤められ、海外での赴任も多いエリートサラリーマンでした。

 

しかし、数十年ぶりに日本に帰ると、貧しいはずのアフリカの子どもたちの目がキラキラしているのに、日本の子どもたちの目が死んでいる・・・と感じたそうです。

 

子ども達をとりまく環境が激変し、いじめや、貧困など多く問題が蓄積するなか、本当に恐ろしいのは、子供たちが「生きながら死んでいる」ことです。

子供の頃から、日本人として綿々と引き継いできた高い精神性を忘れ、目的もなく勉強をさせられ
理由も考えることなく学校に通わされる子どもたち。

しかしもっと罪深いのは、歴史と伝統をつたえず、自己主張に終始する大人達こそ、「生きながら死んでいる」と確信しています。

歴史を学べば、戦後復興を果たした日本は、歴史上、多くの民族や英雄が手に入れられなかった繁栄と平和の時代の真っただ中にいるはずなのに、なぜ子ども達、そして我々親世代は、「生きながら死んでいる」のでしょうか?

 

幡谷が考える「生きながら死んでいる」問題の解決策は、「感謝の心」。とくに「ご飯粒を残すな」というたとえで説明します。

 

子どもの頃、「ご飯つぶを残してはいけない!」と経験をお持ちでしょうか?

他にも「御飯つぶには7人の神様がいる」とか、「米粒を残すと目がつぶれる」とか、たくさんのたとえもあるようです。

 

お米が食卓に並ぶためには、御飯を炊いてくれるお母さん、働いてお金を稼いでくれるお父さん、稲をつくるお百姓さんに、太陽や水など、たくさんの手をへる必要があります。これに感謝し、美味しく食べるとき、「いただきます」「ありがとう」。そして、「ご飯粒を残さない」という明確なフィロソフィー(哲学)があることに気づかされます。

 

西欧では、聖書が、中東ではコーランがあるように、日本には、「ご飯粒をのこさない」という報恩感謝の哲学が存在しているのです。

 

お米を大事にするメッセージは、親から子へ、そしてはるか前のご先祖さんから口伝えにされてきたものです。
1粒のごはんに感謝することは、自分自身が数えきれない多くの人達に支えられ生かされているという大切なことに気付く事が出来るはずです。

 

「目が死んでいる」と言われる現代の日本人にとって、 感謝もなく見過ごしてきた日常の小さな幸せに気付けるようになることは、とっても大事なことです。そして、「感謝」の心が芽生えた後は、報恩感謝、恩に報いるために、自分自身が何をすべきか?という実践が求められます

 

人間の幸福は、「人から必要とされて、自分の存在意義を感じる瞬間」です

また別の言い方では、自分が幸せになりたければ、他人を幸せにしろ」との格言もあります

 

報恩感謝、恩に報いる生き方とは、ヒトのために生きること。

人のために生きるとは、自分自身の置かれた場所で、精一杯の「誠」を尽くし、世のため人のため、誰かのために、その日その日を懸命に生き抜くことに他なりません。

 

この世に生を与えられた意味や果たすべき役割を見つけた時、「死んでいる魚の目」に魂がこもり、大人も子どもも日本中が輝くことを予言します!

 

いま、あなたの暮らす街にたっても、戦後の焼の原となった日本とは、違う惑星のようでいて、隔世の感はいなめません。

しかしぼくや、あなたのおじいちゃん、ひいおばあちゃんの見てきた光景は、まさに「焼き場にたつ少年」の目線に他なりません。

   

ぼくはこの少年のようにまっすぐ前をみて生きているでしょうか?
たくさんのことを教えてくれる一枚の写真から感じたことをブログでまとめました
ディスカバリー日本
感じたことない古くて新しい日本は、心の中にあるようです。

 

 

焼き場に立つ少年を撮った男

 

報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて) 

 

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

 

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。

弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。

しかも裸足です。

少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。

背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

 

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。

白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。

男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。

それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。

その時です。

炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。

少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

 

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

 

(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

 

 

比べてわかる「君が代」の尊さ

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

いわおとなりて

苔のむすまで

 

10世紀初頭における最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌を初出としている。作詞者が世界で最も古いといわれている。当初は「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものだが、転じて「天皇の治世」を奉祝する歌となった。1869年(明治2年)に薩摩琵琶の『蓬莱山』にある「君が代」を歌詞として選んだ歌が原型となっている。その後1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、それをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが、1893年(明治26年)の文部省文部大臣井上毅の告示以降儀式に使用され、1930年には国歌とされ、定着した。1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化された。世界で最も短い国歌である

世界で最も古く

最も短い国歌

 

  

「君が代」の歌詞は、今から約1000年前、醍醐天皇が紀貫之に命じて編集させた日本最古の歌集「古今和歌集」巻第七、賀歌の部の第343番、読み人知らずとしてあります。

 

「我が君は、千世にやちよに、さざれいしの いはほとなりて、こけのむすまで」がルーツとなります。長寿を祈り願う祝い歌として人々に広く愛唱されていったもののようです。

 

万葉集は、貴族だけでなく、多くの国民から寄せられてつくられた歌集です。「君が代」は、国民から募集をつのり定められた国歌ともいえそうです。 お上から強制して歌われたものでなく、かつ、無名の民の歌が国歌となったことは、日本のお国柄を現すエピソードではないでしょうか?

  

歌(短歌)をつうじたご皇室と国民との交流は、1000年をへた現代でも続けられ、現在も皇居では毎年「歌会はじめ」がもようされ、老若男女、地位名誉に無関係に歌を募集し、入選者は皇室に呼ばれています。こんな素敵な皇室は世界にないのではないでしょうか

 

「君が代」を忌み嫌う人たち

歴史と伝統にあふれる国歌「君が代」。しかし、一部の教職員のなかには、「君が代」を軍国主義の象徴などと考える思想の方がいます。日本は民主主義国歌であり、思想の自由が認められた国です。自らの信じる思想や自由は、だれの手にも置かされていけません。ただし、その思想を強要することはルール違反です。

 

君が代を軍国主義だという人々、しかし、その思想を他人、とくに子どもたちに強要することは許してはいけない行為です。そもそも、平和で牧歌的な国歌「君が代」は、軍国主義とは正反対のものではないでしょうか?

 

世界で一番長い国、日本。その建国は、神話時代にも重なります。魔法をかけられたかのように、争いらしい争いもなく、国家が誕生した日本にくらべ、他の諸外国は、血で血をあらう壮絶な戦いをへて国の独立をはたしています。それぞれの国の歴史を色濃く、いまに伝えるのが国歌です。

 

たとえば、フランスの国歌の歌詞(和訳)「ラ・マルセイユ」はつぎのようなものです

「ゆけ祖国の国民 時こそ至れり正義のわれらに。旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり。立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん」

 

現在、共和制をひくフランスは、国王と国民との間の凄惨な戦いをへて国家を樹立させました。歌でいう敵というのは、王制側のこと、同じフランス語をはなすフランス人同士が、敵だの悪魔だのと罵り合っていたことがわかります。事実、革命軍に拘束された王族たちは民衆の前で絞首刑にされています。

仮にフランスにあって、学校の先生が、「ラ・マルセイユが軍国主義だ、子どもたちに悪影響がある」と主張したらどういうことがおこるでしょう!?

 

日本も、将来をになうこども達に、「君が代」を誇りを以って堂々と声高らかに歌ってほしいものです。

欧米かぶれという言葉があるのに、肝心なとこは、見てみないふりをする。真の国際化とは、英語を話すことでなく、自らのアイデンティティを深めることです。教育のガラパゴス化から、はやく卒業する必要があります。 

 

 

 参照:徳永日本学研究所 代表 徳永圀典 

http://www.ncn-t.net/kunistok/5-4-gaikokukokka-.htm

 

  “血生臭い「外国・国歌の歌詞」”

 

次は六ヶ国の国歌の歌詞を翻訳したものです。日本国の国歌以外は「血生臭い」ものばかりです。歌詞には品格も格調も無い戦闘を鼓舞するものばかりです。

 

1.ロシア

「鍛えられし わがつわもの 攻めくる敵 討ち破り 断乎と守る 尊き国わが祖国に栄あれ。栄光の民よ 自由の祖国 結ばれしその誉れ 旗のかげで 導けよ勝利の為 進めよや」

 

2.中国

「立て、奴隷となるな、血と肉もて、築かんよき国。立て!立て!立て!心あわせ、敵にあたらん、進め、敵にあたらん。進め、進め、進めよや」

 

3.フランス

「ゆけ祖国の国民 時こそ至れり正義のわれらに。旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり。立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん」

 

4.イギリス

「おお神よ 我らが神よ 敵をけ散らし降伏させ給え 悪らつな政策と奸計を破らせ給え 神こそ我らが望み 国民を守らせ給え」

 

5.アメリカ

「おお激戦の後に 暁の光に照らし出された星条旗が見えるか 夜どおし砲弾が飛びかった後に、われらの星条旗が翻っている。自由な祖国、勇敢な家庭 星条旗をふれ 星条旗をふれ 戦闘がやんで微風が吹く中に 濃い朝霧の中 見え隠れしているものは何か これこそわれらが星条旗 神よ!星条旗をふり続け給え 自由の祖国勇敢な家庭の上に」

 

6. 日本

「君が代は 千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて、苔のむすまで」。

  

私は外国・国歌の歌詞に興味があり長い間求め続けていました。みんな、血なま臭く勇ましい軍歌調だと痛感されるでしょう。血とか肉とか敵と戦えとか、血に飢えた敵とか、実に品位も無く戦闘的なものばかりの烈しいものです。日本の国歌の歌詞の、なんと平和でおおらかで悠久で格調が高く素晴らしいか、歴然と違うではありませんか。

 

 

 

 

参照:ロケットニュース

https://rocketnews24.com/2011/05/19/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%80%81%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E4%B8%8D%E8%B5%B7%E7%AB%8B%E6%95%99%E5%93%A1%E3%81%AB%E6%BF%80%E6%80%92%E3%80%8C%E3%83%90%E3%82%AB%E6%95%99%E5%93%A1%E3%81%AE/

 

卒業式などの行事において、国歌「君が代」斉唱時に起立をしない教員への処分などを定めた条例を、大阪府議会に堤出する方針の「大阪維新の会」。代表をつとめる橋下徹大阪府知事は、19日、同条例の必要性と不起立教員の問題点を自身のTwitterにて次々と書き込んでいる。

 

橋下知事は「君が代を起立して歌うのは当然の儀礼の話」とし、「大阪府教育委員会は2002年から、入学式、卒業式での君が代起立斉唱を教育現場に指導してきた。それでも現場は言うことを聞かない。そこで教育委員会は職務命令まで出した。それでも言うことを聞かない教員がいる。情けない。これは組織マネジメントの話。」と述べている。

 

以下は19日深夜から夕方までにかけての書き込みの中で、特にポイントとなる発言を引用、抜粋したものである。

 

「公立の教員は、公務員組織の一員。組織の一員だ。職務命令に従うのは当たり前。」

「職務命令を繰り返して無視する公務員は、公務員を去ってもらう。なぜこんなことが許されるのか。それは絶対的な身分保障に甘えているからだ。組織の一員でありながら、組織決定に嫌だから従わない。ふざけんじゃない。民主的方法で決定を変えよ。」

 

「自分の考えを教育行政に反映させたいなら頑張ってそのポジションに就けば良い。自分の考えを実現しようと思えば血を吐く努力が必要。それを何もしないで、命令無視。」

「そんな教員を税金で食わせるほど、納税者は甘くはない。」

 

「このような教員は一部です。しかし一部でも存在するのです。」

 

「大阪府教育委員会で、起立斉唱を決めたのだから、その下で働くのであれば、決定に従う。嫌なら辞めれば良い。決定できるポジションまで出世して着席斉唱を決定すれば良い。選挙で闘って、そのような大阪府のルールを作れば良い。」

「決定するポジションというのは責任も負い、批判も受ける。当然自分の行動は全て公にさらされる。何をするにしても実名でもって報じられる。そのような責任も負わず、出世の努力もせず、選挙で闘うこともせず、身分保障の下で組織決定を無視する公務員は、公務員を辞めるべき。それが納税者の意思。」

 

ここまでが深夜における発言である。また、夕方にかけては、過去に橋下知事が不起立教員のいる学校の式典に参加した時の状況が綴られている。

 

「入学式や卒業式という子どもたちの晴れ舞台。特に卒業式なんて、子どもたちの成長を振り返り、新たなステージを祝う重要な式典ですよ。ここで、個人の思想良心を盾に教員が不起立。周囲は起立を促すが、頑なに立たない。仕方がないので式進行。」

「保護者もざわめく。子どもたちは起立して立派に君が代を歌いあげる。これが不起立教員のいる入学式、卒業式の実態です。」

 

「バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!だいたい、公立学校の教員は、日本国の公務員。税金で飯を食べさせてもらっている。国旗、国歌が嫌なら、日本の公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ。」

 

「ほとんどの公務員は国旗国歌を大切にしている。公の使命を認識している。自衛隊、警察官、消防員、行政職員、教員もほとんどはね。でもね、一部トンチンカン職員がいることで、組織全体の信用が失墜する。一生懸命頑張っている公務員にとって迷惑なんだよ。分かってるのかね、不起立教員!」

「日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え。敬意とは起立して歌うこと。これが社会の常識であり、国民大多数の普通の感覚。せめて、子どもたちの晴れ舞台は、厳粛なムードで祝福してあげろ。それが嫌なら、日本国の公務員を辞めて、自分の主張を通せる仕事をしろ!身分保障に甘えるな!」

 

と、橋下知事の怒りは収まらない。いずれにせよこの問題、不起立教員ならびに、それを支持する団体からの抵抗は必至。

 

一方、東京都でも、君が代斉唱と起立、そして式典での国旗掲揚に反対する教員・組織が多数存在し、数年前から東京都庁前をはじめとする都内各地でさまざまな抗議活動を行っている。彼らは2003年10月23日に、石原都知事ならびに東京都教育委委員会が「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」定めた通達に激しく抗議。ちなみにこの通達のことを、「10.23通達(じゅってんにいさんつうたつ)」と彼らは呼んでいる

 

スナフキン 家訓

「そのうち」なんて当てにならないな。

いまがその時さ

(スナフキンの名言より) 

 

 

ムーミンは、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの「ムーミン・シリーズ」と呼ばれる一連の小説と絵本、および末弟ラルス・ヤンソンと共に描いた「ムーミン漫画」作品。

 

北欧の絵本を原作に、日本でアニメ化され、現在のファンの多くはこのアニメがきっかけにムーミンの世界を知ることとなりました。家訓ニストも幼少期に、食いつくようにテレビをみていた記憶があります。

 

牧歌的なムーミン谷にあって、スナフキンの存在感は突出したものがありました。当時(こども)にはわかりにくかったスナフキンの魅力は、自分が大人になるにしたがってその名言とともに、魅力を増すばかりです。

 

今回のブログは、1つ1つが家訓にもなりえるスナフキンの名言50を紹介します。

自由と孤独を愛するスナフキンは、「家訓」とされることに不服でしょうが、ちょっと我慢してください((+_+))

 

 

参照:ムーミンファンのための情報サイト

https://moomin-love.com/snufkin-meigenshu-297?fbclid=IwAR3qFvA3tVb-8-ryIv0l40FeogP4XKPN1tWcrzXkG0yWKmZjYAVIhpeAaDM

 

 

フィンランドの作家トーベ・ヤンソンさんの作品「ムーミンシリーズ」で、唯一のイケメンキャラクターのスナフキン。実はトーベ・ヤンソンさんの昔の恋人が、スナフキンのモデルだと言われています。

 

自由と孤独と音楽を愛し、世界中を旅している放浪者、スナフキン。必要最低限の物しか持たず、リュックサック一つで世界中を旅する姿は、クールでステキ!物があふれた今の世の中、こんな生き方にあこがれる人も多いのでは?

 

見た目だけでなく、生き方そのものも魅力的なスナフキンは、発する言葉もイケメンです!

グサッと心に刺さる、スナフキンの名言をご紹介します。

  

スナフキン名言の中でも、特に心にひびいた名言を紹介します。

大人になったからこそわかる、奥が深いスナフキンの言葉。じっくり味わってください。

 

 

■あんまり誰かを崇拝したら、ホントの自由は、得られないんだぜ 

 

■いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ 

 

■大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ 

 

■一度決めたら最後までやりぬく、それが俺の人生さ  

 

■長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ 

 

■自由が幸せだとは限らない 

 

■本当の勇気とは自分の弱い心に打ち勝つことだよ。包み隠さず本当のことを正々堂々と言える者こそ本当の勇気のある強い者なんだ

  

■もっと意気地のない弱虫は、自分のした悪いことを隠して人を騙すことだよ

  

■だめだよ。僕は孤独になりたいんだ。来年の春、また会おう。

  

■僕は物心がついたときからたった一人で旅を続けてきた。多分、これからもそうするだろう。それが、僕にとっては自然なことなんだ

  

■自然を感じるだろ…?強い風の前に立って自分達に向かって進んでくる雨を感じるのはなんて素晴らしいんだ。

  

■人の好みは千差万別だと思います。もし全部の人間が同じものを食べ、同じものに感動し、同じ本だけしか読まなくなったとしたら、僕はそんな世界は味気ないつまらないもんだと思います

  

■故郷は別にないさ、強いて言えば地球かな

 

 ■自然の力はすばらしいもんだよ

  

■だから涙はもっと大事にしたいもんだね。

  

■自分の入りたくないところへ無理やりに入れられたら、君はどうする?自分のやりたいことを押さえつけられたら、君はどうする

 

 ■心の繋がった仲間こそ、ルビーにも勝る美しいルビーさ。

  

■みんなと同じことをするのはたやすいことだ

  

■僕のものではないよ、だけど僕が見ている間は 僕のものなのかもね

  

■世の中にはね、自分の思い通りになってくれない相手のほうが多いんだよ。おべっかばっかり使って友達になろうとするやつも同じくらい多い。だけどムーミン、僕はそんなやつが大嫌いさ

  

■僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ

  

■怖いかどうかはやはりムーミン自身が経験しなけりゃならないんじゃないかな

  

■何でも自分のものにして持って帰ろうとすると難しいものなんだよ。ぼくは見るだけにしてるんだ。そして立ち去るときにはそれを頭の中へしまっておくのさ。そのほうがかばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからね。

  

■ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものを増やすということは、ほんとに恐ろしいことですね

  

■自分できれいだと思うものは、 なんでも僕のものさ。その気になれば、 世界中でもね

  

■物の持ち過ぎで苦しむのは、自分だぞ

  

■僕は自分の目で見たものしか信じない。

けど、この目で見たものはどんなに馬鹿げたものでも信じるよ

  

■「そのうち」なんて当てにならないな。いまがその時さ

  

■人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ

 

■明日もきのうも遠く離れている

  

■人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね

  

■ぼくたちは本能にしたがって歩くのがいいんだ。ぼくは磁石なんか信用したことがないね。磁石は方角にたいする人間の自然な感覚を、くるわせるだけさ

  

■つまらん意地を張って、優しい仲間を失うことは、美しい宝石をなくすよりも悲しいことだよ

  

■君は今日一日ムーミン谷に笑いを与えたんだ。ムーミン谷は今日一日何となく楽しい。それは君のおかげだ。

 

■どこにもなかったら自分で作ったらどうだい?できるかどうかはやってみなければわからないんじゃないかな。

 

■飢えを知っていればこそ、ぼくは二度とそうなりたくないと努力するだけだよ

  

■おだやかな人生なんてあるわけがない

  

■人間もみんなにこわがられるようになると、あんなにひとりぼっちになってしまうのさ。有名になるなんてつまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でもだんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーランドにのるようなものじゃないか

  

■いざ泣こうとすると、泣けないことってあるだろ?

  

■生き物にとって自然に振る舞うというのはとっても大事なことなんだ

  

■眠っているときは、休んでいるときだ。春、また元気を取り戻すために

  

■何か試してみようって時には どうしたって危険が伴うんだ

  

■僕は、あっちで暮らしたり、こっちで暮らしたりさ。今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。テントでくらすって、いいものだぜ。君たちは、どこかへ行く途中かい?

  

■この世にはいくら考えてもわからない、でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う

君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。

 

 ■いきるってことは、平和なものじゃないんですよ

  

■あんまり大袈裟に考えすぎない様にしろよ。何でも大きくしすぎちゃ駄目だぜ。

  

■その奥さん、親戚は多いし知り合いも沢山いたんだ。

でもね、言うまでもなく”知り合いが沢山居たって友達が一人も居ない”って事は有り得るんだよ

  

■ムーミン「義務って何のこと?」

スナフキン「したくないことを、することさ」

  

■人の涙をもてあそんだり、人の悲しみをかえりみない者が涙を流すなんておかしいじゃないか

  

■孤独になるには、旅に出るのがいちばんさ

 

古事記と日本の神話

日本は、世界で一番古い国として知られています。

しかし建国の歴史について詳しく説明できる人はすくないのでないでしょうか?

 

画像は、初代天皇として即位された神武天皇さまの東征の様子を描いた絵です。日本の誕生の様子は、古事記や日本書紀に記されています。文字をもたなかった古代の日本にあって、口伝えに継承された史実は、一見すると荒唐無稽にも思える数々の伝説をまじえ、えがかれました。

 

現在の歴史学会では、神話をフィクションとして扱い、まともな議論さえ行いません。しかし家訓ニストは、神話のもとになった史実があったことをうたがいません。また諸外国の神話に比べ、女に弱く、戦も勝ったり負けたりといった神様の様子は、ひどく人間的に思えます。

 

ここでは、神話にあったことを100%事実だと考えません。また、日本の神話は、うらぎりや残虐な一面もあり、そうじて非道徳なお話しばかりで、これを無理やり信じろとも強制しません。

 

しかしそれに近い事実があったこと、そしてそれはわたしたちが暮らす現代の日本に繋がっていることを確信しています。今回のブログは、家訓ニストの特別版として、日本の神話についてかんがえてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳育の源流へ・・・

「日本の神話 教育について」

その①

 

 

あなたは、日本の神話を語ることができますか?

  

古事記、日本書紀に記された神話の世界、現代語に訳されていても読み解くのに結構忍耐?がいるのも事実です。神話は読んでみたいけど、難しい漢字は苦手*_*)・・・ そんなあなたに紹介するのは、「神話の絵本」です。かくいう家訓二ストもこの絵本で神話アレルギー?を克服することができました。
  

この絵本は、2007年 日本青年会議所 教育の拠り所策定委員会の有志が自費出版で制作したものです。

オールカラーで、値段は500円(><) 

 

完全に赤字・・・っというか、最初から儲けるつもりもなく、多くの方に手を取っていただきたいとつくりあげた奇跡の絵本なのです。

 

家訓づくりプログラムは、親学の素材として開発させていただきました。

そして、同じく親世代の学びのため、絵本をツールとして、読み聞かせの大切さを訴求されたものが、「幸せの国の幸せのこどもの話」にあたります。

 

幼い頃に、絵本の読み聞かせを受けている児童は、その後の成長や発達に素晴らしい効果をもたらすことが知られています。そして、読み聞かせの素材として、日本に古くから伝わる神話をチョイスしたもの秀逸です^^

絵本というツールをつかって、シャワーのように我が国のアイデンティティーに触れることは大事なことなのではないでしょうか?

 

世界的な歴史学者として知られるアーノルド・トレンビー博士は、「民族の神話を学ばない国は間違いなく滅びる」と述べています。

 

国際化!と言われて久しいなか、真の国際化とは、自分の国を、自分の言葉で伝えることです。幼少期からの英語教育・・・というのも何だか滑稽で、まずは、しっかりとしたアイデンティティをもつこと。そしてそれをつくるものが、神話であるべきだと家訓二ストは考えます。

 

神話の絵本「幸せの国の幸せの子供」。家訓二ストは、勝手に応援団を自称し、行く先々でこの絵本の重要性を紹介してきました。

家訓で知り合った神道青年会の皆様や、旅の先々で出会う多くの仲間に、運動の輪をひろげてこれたのも、神さまの導き?があったのかもしれません。

 

皆様のご家庭にぜひこの神話の絵本をおき、そして子供たちと楽しく学んでみてください。

ディーエスだの、スマホだの、電子の中だけのコミュニケーションだけでなく、肌のぬくもりを感じながら、自分を育んだ日本という国の「成り立ち」を子どもたちと一緒にたどっていただくことを祈念します^^

 

家訓づくりプログラムで問うものは、あなたの価値観。それは、アイデンティティです。そして、日本のアイデンティティーをみつめるもの。それが神話であると確信しています

 

 

最後に、神話クイズです。

 

Q:今年は、2013年です。では、西暦の始まりの由来はなんでしょう?

A:キリストの生誕をゼロ年としてカウントしたもの

 

Q:クリスマスは誰の誕生日?

A:イエス・キリスト・・・ではありません。ローマ時代に後付で冬至のお祭りを組みあわせたものに由来しているそうです。

 

Q:日本の建国したのは、いつでしょう?

A:2672年前の2月11日 奈良県橿原で建国されました。

 

Q:では、建国したのは誰でしょう?

A:初代天皇に即位することになる神武天皇です。

 

 

キリスト教徒でもないのに、聖書のことって知識として知っている人も多い気がします。ドラマであったり、クリスマス会であったり、外人さんは上手にアイデンティティを紹介する術をもっているようです^^;

外国のカルチャーを否定するつもりはありませんが、どうせなら、日本のことを知っておくべき、そして子どもたちに「日本」を伝える必要ってないでしょうか?

 

「伝える」前に、子育て世代である我々が知らない日本の建国歴史を、子どもたちに伝えることなどできません。では、なぜ知らないのか? 答えは簡単、「習ってない」から。それは戦後のGHQ主導の教育改革の中で、日本を緩やかに弱体化させるべく、「神話」を否定したことに由来します。

 

 初代神武天皇より、10代にわたり100歳をこえる歴代天皇が登場することから、神話に由来する建国の歴史を、「科学的でない」っと否定する意見も多いようです。

しかし、クイズでも紹介したように、西暦の始まりや、あるいは聖書、新約聖書の中では500歳をこえる方、方舟で有名なノアなどは、300歳で、子どもを、500歳で洪水。そして950歳で死去っと、現実的ではない記述がみられます。

 

「ノア」は、いませんでした!っというのは、簡単。でも、ノアから連なる西洋の歴史すべてが否定できるのでしょうか? 神話の整合性でなく、伝えれてきたっという事実と向き合う姿勢。そして、この伝承を次の時代に引き継ぐ責任がぼくらにはあります。

 

神代から現代へ。

神話はおとぎばなしでもなく、地域地域に神話に由来を根ざすご祭神があり、秋祭りあるいは、初詣と、暮らしの中で共に息づくものです。

平成の世のたばねる天皇陛下ご自身も、神代より系譜を連ねる奇跡の存在でもあります。

 

創業200年をこえる会社が3000社。これは2位のドイツ800社を大きく上回る老舗大国であることは、プログラムでも取り上げさせていただきました。「古い」ということは、「長く続く」ということ。長く続くということは、不断の努力はもちろん、価値観の継承がしっかりされ、なおかつお客様、地域に愛され「徳」を育んできた証拠に他なりません。

 

これは、企業だけでなく「国」でも同じことがいえるのではないでしょうか?戦乱の絶えない人類の歴史の中で、建国が、2672年前。これは世界中で日本が一番古く尊い国ということを表しています。

 

最近の考古学の調査では、建国の地とされる奈良県橿原から多くの出土物がでてきており、3世紀に登場する古墳群の存在、4世紀の朝鮮に残る好太王碑文の記述、お堅い歴史学者が、実在を認める天皇までさかのぼっても、実に1500年の歴史を誇っているのです。日本の次に古い王族は、英国王家の1000年です。桁違いに古い歴史をもつことは自覚と、自慢をしなければなりません!

 

日本ってすごいっ! て思いませんか?

そんなすごい日本に生まれ育つってことは、幸せではないでしょうか ?

 

そんな幸せを手に入れる、神話の絵本「幸せの国の幸せのこどもの話」 

ご注文は、こちら↓↓↓ WEBでお待ちしています^^

 

http://www.ninigi.jp/

 

 

  

徳育の源流へ・・・

その②

建国の日を知らない子どもたち

 

どこのご家庭でも、子ども達の誕生日には、お祝いをすることでしょう。

そこに理由なんていりません。

 

またキリストさんが生まれた(とされる)クリスマスにも盛り上がります。

古今東西、自分が生まれた日、そして国が生まれた誕生日は、盛大なお祝いをするものです。しかし、今の日本では、建国記念の日の意味さえ分かっていないそんな寂しい現状があります。

 

少なくとも、キリストさんの誕生日よりも注目してもバチは当たらないのではないでしょうか?

 

 

建国記念の日にあわせ、産経新聞をの一面に日本JCの取組が紹介されました。

そして、この記事はヤフーのトップページに紹介されています。1つの会議体が起こしたさざ波が、波となりうねりとなる。そんな予感がする快挙です

 

今回、日本の建国について、国史会議が1万人以上の皆様からアンケートを集めて調査したそうです。

 

「今日が建国記念の日とは知っている」。

でも8割の方が、いつ、どこで誰が建国かしたかはわからない(*_*)

 

建国記念の日は、紀元前660年2月11日 初代天皇である神武天皇が橿原(奈良)の地で即位されたことを祈念する祝日です。

 

水戸JCでも14年の8月例会のキャンプ事業の際、50人の子供たちに、建国の歴史を問う問題を出したことがあります。正解者は、50人中2名(-_-;)

わずか5%という結果でした。

 

子ども達にとって、神話までさかのぼる世界で一番古い国に住んでいるという事実は、様々なプライドをもらたしてくれるはずです。

 

意地悪な識者が、初代天皇なんていなかった!っと言われたとしても、実在が確認できる継体天皇までさかのぼっても建国は1500年前で世界一。

 

紫式部が、世界最古の長編小説を「源氏物語」かきあげたのが1000年前。ここでようやく、日本につづく二番目に古い国、デンマーク王室が誕生します。さらに、鎌倉幕府ができた1192年頃、イギリス王室がようやくできたとのこと

 

どこを切り取っても、世界一!

古い歴史があることは、子ども達に誇りをもってもらえることに繋がります。国を愛することは、家族、周りの人を愛し、笑顔を育み、広げることにつながります。

 

そもそも、日本を誇りにおもう。そのことが悪いことでしょうか?


右、左、まんなか? それぞれの主張があってこその民主主義ですが、国史教育を施されたのち、子ども達自身が、判断すればいいだけのこと、大人たちの勝手なバイアスで、歴史を伝えなことは、無知でなく、犯罪です。

 

家訓づくりは、大人むけのプログラムですが、その内容は、先祖から渡されれ来た日本人の誇りや価値観を思い出す内容です。家族に伝わる「歴史」を紐解くもの。これが家訓づくりの神髄です。

そして、子ども達に、日本の国史を伝えるために、「偉人伝」や「徳パック」の開発、立ち上げについてもお手伝いしてきました。これも国史の一部であり、ここ数年手掛けてきた運動が、ようやく昇華されはじめたものと、勝手に盛り上がっています。

 

JCのOBとして、そして日本人として、柴田会頭のもと、あらたに立ち上げられた「国史会議」の活躍を祈念しています。

 

新聞の一面になるように家訓づくりもがんばれねば(ー_ー)!!   

画像:「神話の絵本」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳育の源流へ・・・

 日本の神話教育について

その③「ひとに迷惑をかけない」

 

   

   

家訓づくりプログラムでつくられる創作家訓に、かなり確率で登場する家訓があります。 それが、「ひとに迷惑をかけない」という家訓です。この背景を幡谷の独断と偏見で探ります。

 

日本には主に神道と仏教の2つの宗教があります。日本ではこれらの宗教は大きな意味を持っており、日本人の考え方や精神性、仕事や神に対する姿勢から自然や美意識までに影響を及ぼしており、普遍的に存在する要素なのではないでしょうか?

特に神道は、一神教であるキリスト教やイスラム教とは異なり、多神教であり特に開祖者の存在もなく、聖書やコーランのような聖典もない。また、階級といった区分けももたらさず、教訓や生き方の教えも特にないと、西洋社会における宗教と大きく異なっています。

 

戒律がないことで、生まれる道徳というのが「日本人の尊さ」の源泉になっています

 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、啓示宗教ともいわれ、神様の教えを書物として整理し、宗教的儀式にくわえ、日常生活の「豚をたべちゃいけない」「日曜に働いてはいけない」とかとか、結構親切に、戒律を設けています。

 

しかし、戒律があり、信徒はこれを守る。という考え方が、戒律さえ守っておけば、それでいい・・・

っという短略的な不道徳さを誘発する怖さも含んでいます。

 

この時、日本の道徳、とくに神道を底流とした「哲学」のすごさは、決まりがない!という最強の矛盾です。この言葉なき哲学をむりやり言葉にあてはめれば、「お天道さまがみている」という自分への戒めになります

 

不肖幡谷も、ばれなきゃいいっとイタズラを働き、「お天道さまがみている」っと今はなき祖母から怒られていた事を思い出があります。

 

例えば、万引きをしたとして、その善悪をどう解釈するのか?

一義的には、盗難は犯罪ですから、法にのっとり処罰されます。

 

また「見つからなければいい」という考えも、現行犯逮捕が前提となれば

嘘ではありません。法治国家では、法の想定していない悪事は、原則無罪になります。これは善悪で統治するのでなく、法で統治するがゆえの矛盾です。例えば、原発事故がおこっても法律で想定していなければ、それは「無罪」っとなってしまうのです。

 

これが、法、そして戒律でおこりうる最大の自己矛盾です。

 

「お天道さまがみている」っという戒律なき哲学のすごさは、内在する尊さの豊富さでもあります。

震災の時、配られる食料を奪い合うこともなく分け合う姿に、世界各国は驚きをもって報道を繰り返しました。

この奇跡は、日本に脈々と流れる 「お天道さまがみている」⇒「ひとに迷惑をかけない」という哲学の結晶に他なりません。

 

【ひとに迷惑をかけない】、という考え方に、正解はなく、また報酬もありません

【ひとに迷惑をかけない】という考え方は人々に戒めと、気遣い、そして社会に秩序をもたらします。

 

あ~日本人にうまれてよかった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳育の源流へ・・・

「日本の神話 教育について」

その③ 感じる宗教と信じる宗教

 

 

あなたは、「いただきます?」の本当の意味をいえるでしょうか?

 

 

お百姓さんに、いただきます。

つくってくれたお母さんにいただきます。

太陽や、風にいただきます。

米粒にやどる神様にいただきます。

命をいただきます・・・

 

共通しているのは、「もったいない」という感覚より崇高な、別の次元の感覚です。

家訓二ストは、これを「感謝」と捉え、さらに「ご飯を残さない」→「感謝を行動であらわす」ことと定義し、家訓づくり。さらに姉妹プログラムの徳育ゼミナールで紹介させていただいています。

 

「ごはんつぶを残すと目がつぶれる!」

おとんや、おかんに言われた迷言?も、日本に受け継がれた崇高な精神の結晶なのです

このように、科学的にいえば、カロリーを摂取するだけの食事において、「米粒を残さない」ことは、合理的でない違うニュアンスが含まれることがわかります。これは、「理念」の問題と仕訳でき、またこれを二ストは、「宗教」と考えます。

 

一般に、西欧では、「信じる」宗教。そして日本には「感じる」宗教と言われています。

 

現代の日本に暮らす多くの人にとって、宗教とはどこか遠い世界の事柄のようにとらえがちです。また、特定の宗教を信じない無神論者が多いことでも知られています。

 

しかし、本当にそうなのでしょうか?

最近、ネットでみつけたこんな記事を紹介させていただきます。

 

(東工大教授 上田先生のインタビューより)

 

私も東工大で必ず年に1回、学生にいやがらせの質問をするのです。

「この中で宗教を信じている人、手を挙げてください」と言うと、200人の教室で2、3人の手が挙がる。クリスチャンとして洗礼を受けている子や創価学会の子は手を挙げる。でも、みんなにヘンなヤツだと思われるから、挙げない子もいると思うんですね。「じゃあ、何も信じてない人、手を挙げてください」と言うと、みんなバーッと挙げるんですよ。「その中で初詣に行ったことのある人」と言うと、手を挙げる。「その中でお守りを持っている人、持ったことのある人」と言うと、手が挙がって、カバンの中に持っている子がいるんです。「じゃあ、あなたたち、宗教を信じていないのなら、ここにハサミがあるから、そのお守りをズタズタに切って」と言うのです(笑)。

 

「宗教なんか信じてなくて、神様も信じてないなら切れるだろう?」と言うと、「ダメです。そんなことできるわけないじゃないですか」とうろたえる。「何でできないんだ?」と聞くと、「バチが当たる」と。「誰がバチを当てるんだ?」「神様のバチが当たる」って。「おまえ、神様を信じてるのか?」「いや、神様なんて信じてません」と。「じゃあ、切れよ」って、そこで押し問答になるわけです(笑)。

 

 

http://toyokeizai.net/articles/-/22709?page=2

(↑ 全文はこちら)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

お守り・・・切れない(><)

あと、お守りの中も、見れない・・・

そして、お米、粗末にできない^^;

 

いずれも、多くの日本人に共通する「感じる」宗教観の象徴的な事例です。

 

唯一の神を信仰する「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」

その他にも、仏教、ヒンズー教・・・っと、世界にはたくさんの民族、そしてたくさんの宗教があります。

 

しかし、日本に横たわる「感じる宗教」には、特殊な特徴があります。

①教祖がいない

②教義もない

 

ねっこれが宗教なの?っというぐらい象徴的でもあり、なおかつ自由すぎる印象はないでしょうか?

教義がないから、罰則もない。決まりもないから、仏教もキリスト教も、自然に受け入れることができる寛容さも持ち

なおかつ、漠然とした正義感のもと、社会の秩序をなんとなく保っている!

 

日本人が世界に賞賛される理由も、日本人が、世界からちょっと理解されない理由も、この感じる宗教と、信じる宗教のギャップが由来していると家訓二ストは考えます。

 

「感じる宗教」にあえて、教義を付け加えるなら【お天道さまは見ている】という素朴な哲学です。

 

前述の上田教授のことばを借りると、エッチな本を読むときに、仏壇を閉じるのが日本人^^;ということらしいです。

つまり、どこかで見られている感。そしてご先祖さんに、見守られている感を象徴する事例です。

 

徳育の源流には、日本に古くから伝わる伝統の力が必要です。

そして、今の教育現場では、不自然にそんな力を切り離してきました。

しかし、難しい問題ほど、答えは、案外足元にあります。おじいちゃん、おばあちゃんが大事にしてきたものをもう一度思い出し、次の世代に渡すことができれば、荒れた子どもも、ちょっと自信がない子も、元気に成長できると考えます。

 

徳育の推進のため、日本神話の復活を提言していきます

 

 

慣が、素晴らしい人生をつくる

家族の無事をねがい、子供の健やかな成長をたくす「育児」。しかし、様々な情報が錯そうし、何が大事か、何を優先すべきか、迷子になっていませんか?

わたしは、そんなお父さん、お母さんの悲鳴をききつけ、解決を図るために、様々な機会に登場し、「家訓づくり」のセミナーを開催してきました。

 

この5年間で、PTAや、各種研修、青年会議所などを中心に、全150回、7000名を超える方々に対し研修をおこなっています

 

「家訓」とは、言い伝えや教訓を子孫に残す文化で、古来より日本に根付いてきました。古臭いもの、あるいは、名家や、老舗にあるもので、自分の家とは関係ないと感じたのではないでしょうか?しかし、「家訓」は特別なものではありません。誰にでもできるシンプルな習慣です。守ってほしい家族のルールや、人生のなかで大事にするべき「伝えたい」言葉、それが家訓です

 

家訓は、おじいちゃん、おばあちゃんの知恵であり、人生で本当に大事にしなければならい金言がそこには溢れています。たとえば、セミナーを受講された狭山市の石川さんは、「靴をそろえる」という家訓をつくりました。たったそれだけのことでも、家族全員が、1つのルールを守る事で、たくさんの素敵な変化が家族のなかに起こったと教えていただきました。家訓づくりでつくる習慣が、ご家族の素晴らしい人生を約束します。学校の勉強も大事ですが、もっと大事なもの、それが正しい習慣です。

 

この度、セルバ出版さまより

世界一簡単な幸せをまねく家訓の作り方

 

が、発刊されます。

これまでのセミナーで学んだこと、体験してきたことを1冊の本にまとめました。これにあわせ、家訓ニスト協会(仮)と、協会の専用のホームページを立ち上げます。

 

この機会に、著作を多くの皆様に手に取っていただき、素晴らしい家訓の世界と、幸せを招くちょっとしたヒントを全国の皆様にお届けできれば幸いです

 

2015年5月

家訓二スト協会(仮) 会長 幡谷哲太郎

 


Videos / Music

・・・工事中

kakun

 訓は、家族を幸せにする魔法の杖

 

家訓と出会って、本当に今の自分が幸せなんだなと感じるようなりました。

(埼玉県 主婦Aさんより)

 

家訓づくりに挑戦した主婦の方から、嬉しいお便りを頂戴したことがあります。子育てのなかでは、忙しい毎日をこなすばかりで、イライラがつのり、主人や子どもにあたり、「私だけ辛い。誰も理解してくれない」と壁を作ってはマイナス思考の日々だったそうです。それでも心のどこかで「このままではいけない」と感じたなかで、出会ったのが、「家訓」によるシンプルな子育てです。

 

 をそろえる

家訓づくりのセミナーでは、シンプルな家訓を選ぶようにおすすめしています。埼玉県狭山市の石川さんは、「靴をそろえる」、そんな家訓を制作されました。

 

最初は、半信半疑で始めた習慣でしたが、家族で決めた、1つのルールをみんなで守るようになると、家の中がピシッとするようになったと石川さんは教えてくれました。

 

下のお姉ちゃんは、幼稚園で、この習慣を守り、他の園児の靴を毎日そろえているそうです。

お母さんも、子供の変化に驚いており、それまで、怒ってもいう事を聞かなかった子供たちが、「靴をそろえる」家訓をきっかけに、自分のことを自分でやるように変わってきたとの嬉しい報告をくださりました。

 

家訓は、家族を救う魔法の杖です。ぜひそんな魔法をあなたの家族にかけてください。

 

 訓づくりはエンターテイメント

 

育児は、育児本でなく、手本。そして輝く父ちゃんと母ちゃんこそが、一番の教科書です。

わたしは、単純に、いい母ちゃん、いい父ちゃんのもとでは、いい子どもが育まれると考えています。

 

家訓づくりのセミナーは、楽しく笑顔がたえない内容です。そして、家訓は家族の歩みに寄り添い、もっとたくさんの笑顔をご家族にもたらします

 

人生をハッピーに過ごしてもらうために!家訓ニスト協会(仮)では家訓づくりを推進していきます

 

 

 

 

 

 

Gallery

セミナーの実施風景①(尾道)


 セミナーの実施風景②(幸手市) 

 

セミナーの実施風景③(安来市)

ガイダンスにしたがって、誰でも楽しく家訓づくりに挑戦できます