「家訓」の世界へようこそ!

書評『遺伝子の不都合な真実』から考える、なぜご先祖さんを大事にすると幸福にめぐまれるのか

 人間力大学校にて

 

令和2年2月、人間力大学校をしかける天明先生、佐藤先生の講演会に出席させていただきました。 先生たちは、家系図分析を通じ、生き方や、会社の経営の問題点を洗い出す活動を続けています。不肖幡谷も学校の卒業生の一人です

 

家訓づくりのセミナーでも家系図をかくワークショップを取り入れています。ひいじいちゃん、ばあちゃんのお名前を記載いただくシンプルな内容ですが、ほとんどの方が書けません。 ご先祖さんは、自分自身をはぐくんだ尊い存在のはずですが、名前も生き様も分からないっというのが現代を暮らす我々の課題になっています。

 

神社や、不思議な石?などパワースポット巡りが人気を博すなか、本当にパワーをくれるのは【ご先祖さん】だと幡谷は考えます

 

ちくま新書『遺伝子の不都合な真実』では、背の高さや顔の形だけでなく、運動能力はもちろん、自分が選んでいる(と思い込んでいる)趣味や趣向までも、遺伝子によって決められていると紹介しています。 だれもがうすうす感じていながら、ことさらには認めづらい不都合な真実ですが、逆をいえば、ご先祖さんを研究することで、遺伝子の癖や、罠を見抜き、人生を好転させることができるのではないでしょうか?

 

この日のセミナーでは、佐藤先生から、人間の能力の99%は眠っている(潜在意識)とのお話を頂戴しました。幡谷はこの99%が遺伝子であり、そしてそれを活かすのが、家系図分析であり、家訓づくりであると確信しています まずは騙されたと思ってお墓まいりにいきましょう 幡谷に騙されたと感じるかもしれませんが、ご先祖さんはそんなあなたの急な訪問を喜んでいるとおもいます^^

 

遺伝子とは?

 

 

遺伝子とは人間の体をつくる設計図に相当するものです。

 

ヒトには約3万個の遺伝子があると考えられています。人間の身体は、「細胞」という基本単位からなっています。この細胞の「核」と呼ばれる部分に「染色体」があり、この中の「DNA」が「遺伝子」として働いています。人間の身体は、この遺伝子の指令に基づいて維持されています。

 

地球上に暮らす全ての動植物は、遺伝子によって構成されています。逆をいえば、人類をはじめすべての生き物は、遺伝子の運び屋なのです。たとえば、1000年以上の寿命をもつケヤキや、杉といった大木は、根をはり大きな幹をつくることで、他の植物との生存競争に打ち勝つ選択をしました。しかし、根をはることは、移動できないというデメリットを持ち合わせます。反対に、ネズミや人間などの動物は、移動することで、餌を手に入れること、また繁殖によって遺伝子をコピーし子孫を増やすことを可能しました。しかし、移動できるということは、怪我をするなどのリスクを内在することを意味します。遺伝子は、1000年の寿命をあきらめ、短い寿命をバトンのようにつなぐことで、遺伝子をコピーさせる手法を選択しました。

 

遺伝子は人間の身体をつくる設計図です。認めたくはないですが、人生の歩みもまた設計図に従って生きているのかもしれません(*_*)

 

 

 

 

御先祖さんを大事にすると、なぜ幸せに恵まれるのか?を考える

 

 

 

 

 

 

 

        

 

 

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書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税

 

URL  : http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063 

 

 

 

 

大沼百貨店 320年目の倒産

 家訓なき迷走?

老舗百貨店の倒産劇 

 

 

 日本で三番目の老舗百貨店

 株式会社大沼(おおぬま)は、山形県山形市に本社を置き、百貨店を営んでいた企業。日本百貨店協会に加盟していた。ルーツとなる企業は、江戸時代の1700年(元禄13年)に創業した。

 

2020年1月に経営破綻して閉店し、山形県は日本で唯一の百貨店がない県となった 創業から百貨店の開業まで 1700年(元禄13年)に初代大沼八右衛門が山形の七日町(なぬかまち)で荒物屋を創業したのが始まりである。 百貨店を経営する企業のルーツとしては1611年(慶長16年)創業の松坂屋、1673年(延宝元年)創業の三越に次いで3番目に古い老舗企業(※百貨店の経営に乗り出したのは第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、1956年(昭和31年)11月20日に地下1階地上4階建て5,500m2の店舗を開いたのが、本格的な百貨店としての始まり)

 

歴史だけでは飯は食えない

家訓ニスト調べでは、大沼百貨店の家訓、社訓、理念等は調査できませんでした。よくよく調べれば、あるのかもしれませんが、HP等で公表はしていないのは事実です。創業200年以上の老舗企業の8割はなんらかしらの「家訓・社訓」があります。ただし2割の法人には家訓はないとも言い換えられます。大沼百貨店は残りの2割の会社だったのかもしれません。

 

歴史だけで飯を食えるほど、マーケットは優しいものではない。もし仮に歴史に価値があるとしたら、「信用」とそれを守る「教訓」なのではないでしょうか?はからずも長い歴史に終止符をうった大沼百貨店。地方創生っと名ばかりのキャッチコピーが流布されるなか、地方の厳しさ、そして、百貨店というビジネスモデルの厳しさを知らしめる倒産劇となりました。

 

319年正しかったことも、320年目に正しいとは限らない

 ピーク時の1993年2月期の売上高は196億6,219万円をあげる有力企業だった大沼百貨店。地元で絶対的な地盤を築いた「大沼」だったが、人口減少や建物老朽化への対策に遅れをとった形になりました。また、インターネット通販の浸透に加え、交通アクセスの向上で地元顧客が東北の中心地・仙台に流出。さらに、郊外型大型店舗との競争で劣勢となり、業績は悪化をたどることとなりました。

 

また人員削減などのリストラに着手しても抜本的な改善策を打てず、2014年2月期の売上高はついに100億円を下回り、経営は危機的状況に陥ります。地域一番店を守るため、地元財界は金融機関主導で「大沼」救済に動くものの、ここでも抜本的な改革には着手できず令和二年1月倒産することとなりました。

 

200名ちかくの従業員や、お取引先にとっては寝耳の水の倒産劇。地域を守るはずの大沼救済のスキームが最悪形で崩壊することとなりました。地域で愛された百貨店だっただけに、自主廃業を選び、閉店セール等を打つことで、ソフトランディングも可能だったのではないでしょうか?

 

長い歴史を刻んできた大沼百貨店。320年の歴史の中には、戦争や政局の変化で幾たびの危機があったことでしょう。老舗企業の家訓を調べると、「伝統は守るものではなく、日々新たに作り上げるもの」とする家訓が多く登場します。老舗企業として、プライド(信用)は守りながらも、マーケット(お客様)の変化にあわせて、商いを変えるという柔軟さも必要です。残念ながら倒産することとなった大沼百貨店、319年間正しかったことも、320年目に正しいとは限らないのが商いの世界。また1つ老舗の灯が消えることが残念で仕方ありません。

 

名を捨て実をとった

水戸の老舗百貨店のお話

 

 

(参照:MATI NOTE) 

http://matinote.me/2017/10/09/bonbelta_isejin/

 

  

舵をきっていた水戸の老舗 

伊勢甚の歴史は現在の水戸市泉町に、初代伊勢屋甚介が1724(享保9)年に、呉服商「伊勢屋」を開いたことにはじまります。その後二代目、三代目と代替わりしていくうちに、次第に商売は成功を収め、三代目伊勢屋甚介は水戸藩の御用商人を務めたと言われています。

 

文明開化ののち、明治・大正期も水戸の有力な呉服商として発展を続け、昭和初期には洋館式店舗への改装や女性店員やマネキンの導入を行うなど、呉服店としての形にこだわらない施策を打ち出していきました。しかしそんな伊勢甚を太平洋戦争の戦禍が襲い掛かります。空襲によって、蔵を残して建物が全焼してしまったのです。その後も1950年に再び火災に見舞われるなど、終戦後は厳しい時期が続きました。

  

1963年には、スーパーマーケット事業に進出します。「ジンマート」の名前で茨城県下への出店を開始し、最終的に福島、栃木、埼玉、東京にも店舗を持つチェーンにまで成長しています。翌年1964年にはブライダル・文化事業にも進出し1970年代には、百貨店2店舗、スーパーマーケット38店舗、食品専門店5店舗を運営し、売上総額は520億円という、茨城の小売業を牽引する企業グループとして県内では知られるようになります。そんな順風満帆に思える状況の中で、突如として持ち上がったのが、ジャスコ(現:イオン)との合併構想だったのです。

 

名を捨て実をとった大英断

そもそものジャスコと伊勢甚のつながりは、合併構想前から存在していました。ジャスコは、1970年にオカダヤ(三重県四日市市)、フタギ(兵庫県姫路市)、シロ(大阪府吹田市)の3スーパーチェーンが共同出資で設立した共同仕入れ会社に端を発するグループですが、実はこのジャスコが設立される時、千葉市に拠点を置くスーパーチェーン「扇屋」と共に、伊勢甚はその提携計画に参加したいという申し入れをオカダヤ側にしていたようです。この時は不調に終わったものの、その後も互いに提携のチャンスをうかがっていたようです。

 

その中で、1976年に、伊勢甚は合併の前段階として、ゆるやかな形での業務提携をジャスコと結びます。当時ジャスコは、関西生まれの、新進気鋭で勢いあるスーパーチェーンではありましたが、当時関東への出店はほとんどなく、社内でもなぜ業績が右肩上がりの時にあえて、関西の新興スーパーチェーンに身を売り渡さないといけないのかと、当時の会長をはじめ、社内では大反対の嵐が吹き荒れたといいます。しかし合併を主導した会長の弟でもある当時の社長の「経営状態がいい今のうちに、企業連合に入っておき、チェーンの存続を図りたい」という考えもあり、社内の反対も徐々に少なくなっていったようです。

 

本来の伊勢屋の系譜を継ぐ株式会社伊勢甚本社は不動産管理に専念することとなり、実質的に小売業からの撤退ということになりました。その後は、不動産を柱にホテル事業、ブライダル事業に注力し、ブライダル事業では現在県内6か所の結婚式場を運営しています。

 

なお、ジャスコ(現・イオングループ)は、その後も地方の有力百貨店を吸収していき、1970年代、1千億だった売上が、2019年には8兆円をこえる日本一の小売業へと成長しています。ジャスコの前身は、呉服店の岡田屋であり、岡田屋自身も創業200年をこえる老舗企業です。そんな岡田屋には「大国柱に車をつけよ」との家訓が伝わっています。呉服店から百貨店へ、そして企業の成長をあわせ、身をすて、名をも変えていく貪欲さが岡田屋の真骨頂なのかもしれません。苦戦がつづく小売業にあって、50年で50倍もの成長をみせたイオングループの存在は、多くの示唆を与えています。

 

改めて考える経営者の決断

小売業としての「伊勢甚」は、現存する一部のイオン店舗を除けば基本的に残存していません。しかし不動産事業を引き受けた「伊勢甚本社」は現在でも存続しており、さらにブライダル事業などに手を広げ、堅実に業績をあげています。これがもし仮に、小売業を抱えたままであったらどうなっていたでしょうか。歴史にもしもは禁物ですが、小売業が伊勢甚ジャスコやボンベルタ伊勢甚がたどったような末路をたどったなら、伊勢甚本社は存続していなかったかもしれません。

 

1977年に小売事業をジャスコへと受け渡した、その経営判断は非常に賢明で、かつ未来を的確にとらえたものであったように思います。「企業の一番いい時に結婚(合併)させるのは、かわいい盛りの娘を嫁に出すのと同じです。そこまで読んでやるのが経営者の務めだと思う。今現在、経営上の不安はない。しかし3年先、5年先を考えたとき同族経営の地方スーパーには必ず限界が来る」というのは当時の社長の言葉ですが、企業を人として見立てる温かさと同時に、冷静に状況を見極める力を兼ね備えた、経営者としての一つのあるべき姿がここにあるように思います。

 

この大英断をくだした経営陣のなかに、唯一同族でない形で参画していた男がいます。当時副社長として辣腕をふるっていた幡谷哲郎。家訓ニストの祖父、その人です。祖父をふくめ当時の経営陣の決断が正しかったことが、山形大沼百貨店の倒産で証明されました。経営譲渡の契約を見届ける形で、祖父・哲郎は早逝することとなりましたが、草場の影でよろこんでいるのではないでしょうか?

 

【決断】のそもそもの意味は、「川が氾濫した際、堤防をきって、多くの命を救うこと」に由来しています。多くの命を救うために、下す決断の先には、命を救うために犠牲になる名もなき多く庶民の悲観が存在しています。リーダーの【決断】は、万人に納得してもらえるものではない。むしろ多くの批判をうける類のものでしょう。当時の伊勢甚経営陣の【決断】は英断であったと確信しています。

 

こうした判断を可能にしたのは、「情や未練にとらわれない柔軟さ」であったように思います。普通であれば、祖業ですらあった小売業を手放すなんて、並の経営者では決断できないはずです。そうした決断を下すことができる、それが「伊勢甚」のイズムであり、強さなのかもしれません。中々に真似のできることではありませんが、企業の存続を第一に考えたとき、「拘らない」「歴史にとらわれない」「どんなことでも決断する」ということが重要になっていくのかもしれません 

 

 

 

 

 

        

 

 

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書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税

 

URL  : http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063 

 

 

【ファクトフルネス】と『家訓づくり』

あなたの常識は、チンパンジーに劣る!?

話題の本『ファクトフルネス』を家訓ニストが斬る!!

 

 

テレビをつけると物騒なニュースばかり…昔にくらべ、暗い世の中になったとあなたは感じていませんか?

 


しかし、統計をみれば平成30年度の殺人の認知件数は、690人。この数は、戦後一貫して減り続けており、幡谷の生まれた昭和49年と比較すると3000件も減っています。
常識はいかに怪しいものか?『ファクトフルネス』はこうした常識をデータで洗い直す本です

もしチンパンジーに三択問題を出せば、答えは33%になります。

しかし、現代人。とくに意識が高い?ひとは、環境問題や貧困の問題などの設問で、猿以下の確率で、回答してしまうことをファクトフルネスは指摘します

常識は本当に常識なのか?
我々は、データをみれば分かることを、考えることを放棄して、騙されつづけているのかもしれません

本当に大事なことは、
『世界一簡単に幸福を招く簡単のつくり方』で、その前に『ファクトフルネス』をご覧ください

しかし、警視庁の統計を調べると平成30年度の殺人事件は、690件。この数は戦後一貫して下がり続け、統計開始以来最も少ない数字だという事が分かります。たとえば家訓ニストが生まれた昭和49年と比べても3000件も認知件数が減っているのです。

 

一貫して減り続ける凶悪事件。しかし印象では、世の中は悪い方に向かっている気がします。このアベコベな結果はどうして生まれてしまうのでしょう?その答えは、「バイアス」にあります。バイアスとは、思い込みや思想などから意見が偏っていることをさす用語です。

 

ビジネス書でありながら異例のヒットとなった【ファクトフルネス】は、こうしたバイアスを丁寧に説明し、フラットな状態で事実を見つめることの大切さを紹介しています。書籍では、環境問題や貧困問題を問う3択問題が用意されています。世界中の識者。とくに、知識や経験が多い人ほど、問題をこたえられない傾向がみられ、ほとんどの回答率が、3割をきる結果となりました。

 

仮にチンパンジーに同じ問題をだせば、ランダムに答えても3分の1の確率で正解をだすことでしょう。しかし、バイアスにかかった人間は、チンパンジー以下の知恵しか持ち合わせないのです。インターネットが世界中を席巻し、情報が溢れる世界にあって、チンパンジーでいることは、とても危険なことではないでしょうか?

 

真実の眼を磨け

日本には「生兵法は怪我のもと」なる諺があります。十分身についていない知識や技術に頼ると、とんでもない失敗をするとの意味です。【ファクトフルネス】は、生兵法をばっさり切る内容です^^

 

世の中は、案外いい方向に進んでいる・・・。でも、マスコミやどこかの偉い人のせいで、それを認めにくい世の中になっています。本当に大切なもの、そして真贋を見極める眼を鍛える唯一無二のツールが【家訓】だと断言できます。

 

新聞を埋め尽くす多くのニュース。でもそのニュースの価値は本当に重いものなのでしょうか?10年、100年という単位でみたとき、政局や、スキャンダルにさして大きな意味などありません。逆に、家族のなかでおこる毎日のニュースが一番の宝だと家訓ニストは提案します。学校であったこと、近所のスーパーの特売情報。そして、とおちゃんかあちゃん、おじいちゃんおばあちゃんから伝わる生活の知恵、人生の知恵。それが【家訓】なのです。

 

 

本当に大切なものは、「世界一簡単に幸福を招く家訓のつくり方」でみつけてください。

そして、お金と暇がある方は、「ファクトフルネス」をご覧いただくといいでしょう^^し、統計をみれば平成30年度の殺人の認知件数は、690人。この数は、戦後一貫して減り続けており、幡谷の生まれた昭和49年と比較すると3000件も減っています。
常識はいかに怪しいものか?『ファクトフルネス』はこうした常識をデータで洗い直す本です

もしチンパンジーに三択問題を出せば、答えは33%になります。

しかし、現代人。とくに意識が高い?ひとは、環境問題や貧困の問題などの設問で、猿以下の確率で、回答してしまうことをファクトフルネスは指摘します

常識は本当に常識なのか?
我々は、データをみれば分かることを、考えることを放棄して、騙されつづけているのかもしれません

本当に大事なことは、
『世界一簡単に幸福を招く簡単のつくり方』で、その前に『ファクトフルネス』をご覧ください

しかし、統計をみれば平成30年度の殺人の認知件数は、690人。この数は、戦後一貫して減り続けており、幡谷の生まれた昭和49年と比較すると3000件も減っています。
常識はいかに怪しいものか?『ファクトフルネス』はこうした常識をデータで洗い直す本です

もしチンパンジーに三択問題を出せば、答えは33%になります。

しかし、現代人。とくに意識が高い?ひとは、環境問題や貧困の問題などの設問で、猿以下の確率で、回答してしまうことをファクトフルネスは指摘します

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統計をみれば平成30年度の殺人の認知件数は、690人。この数は、戦後一貫して減り続けており、幡谷の生まれた昭和49年と比較すると3000件も減っています。
常識はいかに怪しいものか?『ファクトフルネス』はこうした常識をデータで洗い直す本です

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『世界一簡単に幸福を招く簡単のつくり方』で、その前に『ファクトフルネス』をご覧ください
しかし、統計をみれば平成30年度の殺人の認知件数は、690人。この数は、戦後一貫して減り続けており、幡谷の生まれた昭和49年と比較すると3000件も減っています。
常識はいかに怪しいものか?『ファクトフルネス』はこうした常識をデータで洗い直す本です

もしチンパンジーに三択問題を出せば、答えは33%になります。

しかし、現代人。とくに意識が高い?ひとは、環境問題や貧困の問題などの設問で、猿以下の確率で、回答してしまうことをファクトフルネスは指摘します

常識は本当に常識なのか?
我々は、データをみれば分かることを、考えることを放棄して、騙されつづけているのかもしれません

本当に大事なことは、
『世界一簡単に幸福を招く簡単のつくり方』で、その前に『ファクトフルネス』をご覧ください

 

 

 

(参照:JbPRESS) 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56635

 データを基に世界を正しく見る方法について、豊富な実例を引きながら分かりやすく解説した『FACTFULNESS(以下、ファクトフルネス)』(日経BP、2019年1月)。世界中で反響を呼んだ本書は、日本でもSNSで大きな話題を呼んだ結果、発売日を待たずして重版がかかり、発売から1週間で10万部、20日で20万部を超えるなど、ビジネス書としては異例のベストセラーとなっている。

 

ビル・ゲイツやオバマ元大統領も絶賛する『ファクトフルネス』について、ポイントを押さえておこう。

 

世界のリーダーたちが絶賛する『FACTFULNESS』とは

『ファクトフルネス』が反響を呼んだ要因の一つが、冒頭で読者に出題されるクイズだ。例えば次のような、世界の事実に関するシンプルなクイズが13問紹介されている。

 

質問1 現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?

A 20%

B 40%

C 60%

 

2017年、日本を含む14カ国に住む1万2000人を対象にこのクイズについての調査を実施したところ、唯一正答率が高かった13問目の質問を除けば、平均正解数は12問中たったの2問。全問正解者は0人で、12問中11問正解した参加者も1人のみ。全問不正解者は全体の15%に上ったという。ちなみに、先の質問1の正解はC「60%」で、日本人の正答率は7%だ。

共訳者の1人である上杉周作氏が作成したオンライン版12のクイズで、実際に挑戦してみてもらえれば分かるが、どれも複雑な問題やひっかけ問題というわけではない。

 

すべて三択式なので、仮にチンパンジーへ同じクイズを出題したとしたら、正解率はおよそ3分の1になるだろうと本書では記載されている。つまり、当てずっぽうに選べば12問中4問程度は正解できるはずだ。しかし、実際の平均正解率が3分の1を下回っている結果をみると、世界について間違った認識をしている人が多いことがわかる。

 

間違いの傾向などを分析していくと、学歴や社会的地位の違いにかかわらず、多くの人が「世界はどんどん悪くなっている」という事実とは異なる勘違いをしていることが明らかになった。実際に多くの人が勘違いしている事実をひも解きながら、人々が無意識に行なっている偏ったものの見方や思い込みを廃し、事実やデータに基づいた正しい世界の見方について解説しているのが『ファクトフルネス』なのだ。

 

 

世界の見方を歪める「10の思い込み」

一般市民から高学歴の専門家まで、多くの人々が世界に関する基本的な「事実」に関するクイズで正答できないのは、知識のアップデート不足だけが問題ではない。本書では、人々の脳が無意識に「ドラマチックすぎる世界の見方」をしてしまうことが原因だと警鐘を鳴らしている。

 

たとえ、知識のアップデートを怠らず、いつでも最新の情報にアクセスできる環境にある人であっても、ありのままの世界の姿を見ることは難しいのだという。本書によると、進化の過程において人間の脳に組み込まれてきた「瞬時に何かを判断する本能」や「ドラマチックな物語を求める本能」が原因だとしている。世界を正しく認識するには、そういった本能の存在を認め、抑制する術を学ぶ必要があるというのが、ファクトフルネスの肝となる。本書では、誰もが持っている10の「ドラマチックな本能」について、筆者の経験や人々の「勘違い」事例を用いて、それぞれの概要や抑える術を解説している。以下、10の本能についての要旨をまとめた。

 

1.分断本能

さまざまな物事や人々は2つのグループに分かれていて、両者の間には決して埋まることのない溝があるはずだ、と思い込んでしまうこと。 目を引く極端な事例や数字、「平均の比較」による見せかけの分断に惑わされずに、「大半の人がどこにいるのか」を探すことで、分断本能を抑えることができる。本書では、「途上国」や「先進国」という分断された見方の代わりに、世界中の人々を所得レベルに応じて4つのグループに分けるという考え方を提案している。

 

2.ネガティブ本能

人が誰しも持ち得る、物事のポジティブな面よりネガティブな面に注目しやすいという本能。世界は、「悪い」状態と、「良くなっている」状態を両立していると理解すること。そして、悪いニュースはドラマチックに報じられることが多いため、良いニュースよりも広まりやすいと考えること。ネガティブ本能を抑え、世界の現状を正しく理解するには、以上の2点が必要であるとされる。

 

3.直線本能

グラフが直線を描くと思い込んでしまう本能。多くの人が「世界の人口は“ひたすら”増え続ける」と勘違いする原因にもなっている。 実際には人口以外のデータにおいても、直線のグラフが当てはまるケースは珍しい。「S字カーブ」「すべり台の形」「コブの形」、もしくは「倍増」する線が当てはまることの方が多い。直線本能を抑えて何らかの現象を正しく理解するには、グラフには直線以外にもさまざまな形があると知り、グラフに示されていない箇所を不用意に憶測しないよう努める必要がある。

 

4.恐怖本能

人の目は自然と「恐ろしいもの」に吸い寄せられてしまうため、世界は実際の姿よりも恐ろしく見えてしまうという本能。

恐怖に囚われると、事実を見る余裕も無くなってしまう。しかし、確実にリスクがある「危険」なことと違い、「恐怖」はリスクがあるように「見える」だけである。リスクは「危険度×頻度」で決まるため、恐ろしさは無関係であることを知った上で、リスクを正しく計算することが恐怖本能の制御につながる。

 

5.過大視本能

ある1つの数字だけを見て「なんて大きい(小さい)んだ」と勘違いするような、1つの実例を重視し過ぎてしまう考え方。目の前にある確かなもの」に気を取られると本質を見失い、限られた時間や労力を無駄遣いしてしまう可能性がある。世界で起こる事柄の本質を見失わないためには、提示された数字を他の数字と比較したり割合を見たりすることで、過大視本能を抑える必要がある。

 

6.パターン化本能

人は無意識に物事や状況をパターン化し、それをすべてに当てはめてしまうもの。パターン化は生きていく上で必要な思考の枠組みだが、誰しも分類の仕方を間違えたり、少数の例や一部の例外的な事柄を基に、グループ全体の特徴を決めつけてしまいがちだ。「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込みは思考停止につながり、物事への理解を妨げるだけでなく、重大な機会損失にもつながる。

 

これを防ぐには、常に「自分の分類の仕方は間違っているかもしれない」と疑い、強烈な印象の「例外」にとらわれ過ぎていないか等、よく使ってしまう分類を見直し続ける必要がある。

 

7.宿命本能

 持って生まれた宿命によって、人や国、宗教や文化の行方は決まるという思い込み。物事が昔から今の姿であるのはどうにもならない理由があるからで、これからも永遠に変わらないし、変われない、という考え方だ。実際には、「インターネットやスマートフォンの普及」のような急激な変化でないため実感できていないだけで、社会や文化は昔から常に変化し続けている。

 宿命本能を抑えるには、小さな進歩を追い続け、自分の中の知識を常に新鮮に保つよう心掛けること。そして、自分の価値観を親や祖父母、子や孫世代のものと比べてみるなど、実際にどのくらいの変化が起こっているのか確かめることが有効とされる。

 

8.単純化本能

世の中のさまざまな問題に対し、1つの原因と1つの解答を当てはめてしまう傾向のこと。1つの視点だけでは世界を正しく理解し、問題に対して現実的な解を見つけることはできないとされる。

 

自分の考え方が正しいことを示す例ばかりを集めたり、問題解決の一部に役立ちそうな専門知識を強引に振りかざすのではなく、専門や立場が異なる人々の意見にも謙虚に耳を傾ける。このようにケースバイケースで問題に取り組むことで、単純化本能を抑えることができる。

 

9.犯人捜し本能

何か悪いことが起きたとき、単純明快な理由を見つけたくなる傾向のこと。誰かを責めたいという本能に囚われると、複雑な真実に目を向けることができなくなってしまい、将来同じ間違いをしてしまう可能性が高まる。物事がうまくいかないときには犯人捜しをするのではなく、複数の原因やシステムを見直す。反対にうまくいったときにはヒーローではなく、社会基盤とテクノロジーに目を向けるよう努めることで、この本能を抑え込むことができる。

 

10.焦り本能

目の前に危機が迫っていると感じると、すぐに動きたくなる本能。しばしば「今すぐ手を打たなければ、取り返しのつかないことになる」といった言葉で引き出される。焦り本能が顔を出すと、他の本能も引き出されてしまうので、冷静な判断力は奪われ、批判的に考える力も失われる。

 

これを防ぐには、まず一呼吸おいて自分の焦りに気が付くこと。そして「今すぐに決めなければならない」ことは滅多にない、と知ること。むしろ極端な予測に惑わされず、時間をかけて正確な情報やデータを収集し、冷静な分析に努める必要がある。

 

「事実」を冷静に認識するために

 膨大なデータや経験に基づき、多くの人々が誤解している世界の真実の姿を紹介するだけでなく「なぜ誤解が生じてしまうのか」を分析して解決策を提示した『ファクトフルネス』。 著者の1人であるハンス・ロスリング氏の巧みな語り口は「魔法の洗濯機」等の有名なTEDカンファレンス動画でも知られている。本書も、人口や教育、貧困や環境といった社会問題や統計の読み解き方について、難解な専門用語を使わずに分かりやすく説明していることが、ヒットにつながったのだろう。

 

先入観や思い込みに囚われず、冷静な目で事実を見つめ直す。言葉にするとあっけなく、また誰もがその重要性については認識している。しかし、実際には物事を考える上で最低限知っておくべき、ともいえる簡単な事実すら共有できていない。本書でも触れられているが、世界に関する思い込みや、思考の癖をそのまま放置していると、ビジネスを展開する上でも大きな痛手となる。

 

データのオープン化が進む今、最新の事実に基づく正しい世界や物事の見方、本能の抑え方を学ぶことの重要性はますます高まっていくだろう。日本では、新たな学習指導要綱で重視する項目に「理数教育の充実」が掲げられ、文部科学省によって「観察・実験などによる科学的に探究する学習活動や、データを分析して課題を解決するための統計教育を充実」する方針が発表されている。

 

『ファクトフルネス』でも教育の必要性について言及されており、世界の人々の暮らしを収入別に写真で見ることができる「Dollar Street(ドル・ストリート)」を子どもたちに見せるといった、具体的な提案も盛り込まれている。

 

「課題先進国」の一員としての教育を受けてきた日本人は、特に国や世界に対して悲観的な見方をしてしまう傾向があるのではないだろうか。まずは12のクイズに挑戦し、自分の中にある「世界についての常識」が正しいかどうか確認してみて欲しい。もしチンパンジーの成績を超えられなかったとしたら、「10の本能」の存在に気が付いていない可能性が高い。

 

 センセーショナルなニュースや思わず目を奪われてしまう文言に惑わされず、膨大なデータの中から数字や統計の読み解き方を身に付けたい。そんな思いを持つ方は、ぜひ一読をお勧めする。

 

 

 

 

 

伊藤忠の理念『三方よし』

初代 伊藤 忠兵衛 (しょだい いとう ちゅうべえ)

生誕:天保13年(1842年) 

死没:明治36年(1903年)

 

日本の商人、実業家。伊藤忠商事・丸紅という2つの大手総合商社を創業し、多角的経営によって伊藤忠財閥を形成した

 

初代忠兵衛は、五代目伊藤長兵衛の次男として生まれた。生家は紅長(べんちょう)の屋号で耳付物という繊維品の小売をし、また1、2町の田地を自作する手作りの地主でもあった。伊藤家は、この初代伊藤忠兵衛と兄の六代目伊藤長兵衛が、近江湖東の犬上郡甲良郷八目村(犬上郡豊郷町八目)で安政5年(1858年)5月に近江麻布類の持下り商を開業し、堺や紀州に行商したのにはじまる。伊藤忠も丸紅も、この年を創業年としている。

 

兄の長兵衛は国元で仕入れに当たり、のちに博多新川端で伊藤長兵衛商店を開業した。弟の忠兵衛は、明治5年(1872年)1月に大阪本町二丁目に呉服・太物店をはじめ紅忠(べんちゅう)と称して、麻布類・尾濃織物・関東織物を取り扱った。この2つが合併・分割を繰り返して現在の伊藤忠・丸紅につながっている。

 

商売は菩薩の業

紅忠は開店と同時に店法を定め、利益三分主義をとった。これは、店の純利益は本家納め・本店積立金・店員配当に分かち、これを 5:3:2 の配分率にして「三つ割銀」といった。店員への配当を割くことによって勤労意欲を喚起したもので、これは伝統的な近江商法に拠ったものである。また忠兵衛は真宗の信仰に厚く、津村別院へ熱心に通い、「商売は菩薩の業」と説いて多数の人材を育て、財産を分かつことを商売繁盛の本道としていた。

 

明治18年(1885年)には、甥の外海鉄治郎と組合組織で伊藤外海組を設立し、神戸に事務所をおいて直貿易を始めた。明治26年(1893年)には安土町二丁目で綿糸卸商の伊藤糸店ができて綿糸も取り扱う。明治29年には日東合資会社をつくり、中国綿の輸入と日本綿糸の輸出にあたる。

 

晩年には郷土の豊郷村の村長も務めた。明治27年(1894年)に兄の長兵衛が死去(61歳)。そして明治36年(1903年)7月8日に忠兵衛は須磨の別邸で死去した。家督は17歳の次男の精一が相続、二代目伊藤忠兵衛を襲名した。

  

 

 

日本を動かす巨大総合商社・伊藤忠商事

 

伊藤忠商事

売上高:連結:11兆6004億85百万円 単独:4兆4703億29百万円

従業員:連結:102,086人単独:4,285

 

丸紅

売上高 連結:13兆9,253億39百万円 単独:7兆3,285億53百万円 

 

1858年、初代伊藤忠兵衛が麻布(あさぬの)の「持下り」行商を開始したことをもって創業としている。同業の丸紅とは同じ起源となっている。その後、いったん丸紅と分割されたものの、戦時中に再度合併(大建産業)、戦後の財閥解体措置により再度両社は分割され、1949年に現在と直接つながる伊藤忠商事株式会社が設立された

 

社名は、創業者の伊藤忠兵衛が、「紅は高貴な色である」として実家の屋号「紅長」から1文字をとった「紅忠」という商号を使用して、○の中に紅という文字を入れた印を暖簾や半纏に使ったことに由来する。

 

1960年代から1970年代前半には三井物産・三菱商事と並んでスリーエムと称される総合商社トップ3の一角であったが、その後伊藤忠が安宅産業を合併して力を付けたことや、住友商事の台頭、さらにはロッキード事件の影響などもあった。

 

1997年のアジア通貨危機によって各商社は甚大な負債や不良債権を抱え、それによって丸紅も一時倒産の危機に直面したものの、中期再建計画であるAction21 A Planに沿って業績のV字回復を達成する。その後は、他商社とともに「商社夏の時代」を謳歌している。特に丸紅は、伝統的に紙・パルプ部門、食料部門、電力部門に強みを持っている他、空前の資源高の恩恵、またはリスク・マネジメントの強化などもあって、2013年3月期は2期連続で過去最高益を更新し、売上高は七大商社中第3位となった

 

伊藤忠商事は2020年1月、同社グループの企業理念を4月1日から近江商人の経営哲学「三方よし」に改めると発表した。

改訂は28年ぶり。創業者の初代伊藤忠兵衛が「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の起源となる言葉を最初に提唱したことにちなんだものだ

 

   近江商人の家訓

 『売り手よし 買い手よし 世間よし』

  

解説:

売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならないとしたものです。三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされています。(※ただし、「三方良し」は戦後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、昭和以前に「三方良し」という用語は存在しなかったといわれています)

 

商人の「道徳」(世間よし)

近江商人の家訓、三方よしで有名な「売り手よし 買い手よし 世間よし」をご存知でしょうか?現代のビジネスシーンでは「自分よし自分よし自分よし」という一方通行が多いようです。 自分が儲けるために、お客さんを喜ばせ、なおかつ社会(世間に恥じない商いをすることを昔の商人たちは戒めとして家訓に記しています

 

村上ファンドやライブドアの事件以後、お金儲け(ビジネス)が程度の差こそあれ、現代においても倫理や道徳を大事にすべきではないか?と議論がおこります。テクノロジーの進化は、1秒の間に、何回も売り買いを繰り返し利ざやを稼ぐマーケットまで登場させていたます。プログラミングされたコンピューターがする「商い」に道徳はありません。そして、道徳のない商いに、未来がないことを日本の商人たちは、伝統的に知ってきました。

 

世界では、商人。とくに金貸しを忌み嫌う風習がのこり、それは、キリスト教文化圏、そして中国などの儒教の文化圏、いずれも商人への差別はひどいものがありました。とくに、土地をもてなかったユダヤ人たちは積極的に「金貸し」の世界をひろげ、他の民族との確執をうみました。実は、旧約聖書では、ユダヤ人同士の金の貸し借りを禁じています。そのかわり、他宗教、つまりキリスト教の信者には金を貸せたことで、逆恨みをかい根深い差別意識を醸成してしまいました。

金利をのせてお金をかす金融は経済の基本です。しかも、ボランティアではない以上、儲からないわけがない。しかしそれが、差別をまた生む。という悪循環です。 

 

商人という言葉はどこから来たのでしょうか。商い(あきない)をする人・・・。実は違うのです。その語源は中国の大昔に発します。中国の王朝を順に追っていくと、殷・周・秦・漢・・・と学校でも学びます。その「殷」という名で知られている王朝は、実は殷という呼び名は後世の呼び方で、その時代は「商」と呼ばれていました。

  

商の人々はものを遠くに運んで売ることで利益をあげる、ということを盛んに行っていました。時には国境を越えて周辺地域にまで足を運んだりしたので、その地域の人々からは商から来た人、という意味で「商人(しょうひと)」と呼ばれました。また、商が滅亡して周の時代になってからも、ものを運んで売り買いする人の代名詞として、「しょうひと」という言葉が使われ続け、これが商人の語源となったと言われています。

 

近江商人とは

 日本においても、当時の中心地であった、京都を中心に、美濃国・伊勢国・若狭国などの近隣地域を中心に行商を行う商人が誕生していきます。そして徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には朱印船貿易を行う者も現れました。鎖国成立後は、京都・大坂・江戸の三都へ進出して大名貸や醸造業を営む者や、蝦夷地(現在の北海道)で場所請負人となる者もありました。幕末から明治維新にかけての混乱で没落する商人もあったが、西川産業のように社会の近代化に適応して存続・発展したものも少なくない。今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く会社はたくさんあります。

 

その商才を江戸っ子から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれたが、実際の近江商人は神仏への信仰が篤く、規律道徳や陰徳善事を重んずる者が多かった。様々な規律道徳や行動哲学が生み出され、各商家ごとに家訓として代々伝えられています。

 

当時世界最高水準の複式簿記の考案(中井源左衛門・日野商人)や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店の積極的な開設など、近江商人の商法は徹底した合理化による流通革命だったと評価されています。

 

「三方よし」は「買い手よし、売り手よし、世間よし」といわれ、近江商人の活動の理念を表わすものです。その原典は江戸時代中期の近江商人である中村治兵衛が孫に残した書置にあるとされ、そこには、「たとへ他国へ商内に参り候ても、この商内物、この国の人一切の人々、心よく着申され候ようにと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い」とあり、自分の事よりもお客の事を考え、みんなの事を大切にして商売をすべき、という風に書かれています。

 

また報徳思想で有名な二宮尊徳の言葉(意訳)として 

「道徳なき経済は犯罪であり 経済なき道徳は寝言である」との言葉も伝わっています。

 

企業の社会的責任(CSR)が強く叫ばれるようになった昨今、企業の間でも、近江商人の大切にしていたこの三方よしの考えが注目されています。ビジネス言葉に「win-win」というものがありますが、売り手よし、買い手よし、ここまでは上手くいっても、世間よしには中々繋がらないものです。そこで、CSRを実践するため自社の経営理念に三方よしの考えを取り入れる企業が増えてきています。

  

 

近江商人の流れを汲むとされる主な企業

 

・百貨店など流通業

大丸

高島屋(高島郡出身の商人飯田儀兵衛の婿養子である飯田新七が創業。社名は高島郡に由来)

白木屋(長浜出身の大村彦太郎が創業。1967年に東急百貨店に吸収)

三中井百貨店(神崎郡出身の中江勝次郎が創業。1945年の終戦とともに消滅)

藤崎(創業者藤﨑治右衛門は日野出身との説がある)

山形屋(近江商人の血を引く羽前庄内出身の源衛門が創業)

西武グループ、セゾングループ (愛知郡出身の堤康次郎が創業)

 

・商社

伊藤忠商事・丸紅(犬上郡出身の伊藤忠兵衛が創業)

住友財閥(初代総理事広瀬宰平は野洲郡出身、2代目伊庭貞剛は蒲生郡出身)

双日 母体となる 日商岩井、ニチメンとも、近江商人の流れを汲む。

トーメン(彦根出身の児玉一造が中心となって創業)

兼松(前身の一つである江商は、犬上郡出身の北川与一が創業)

ヤンマー(伊香郡出身の山岡孫吉が創業)

 

・繊維関係

日清紡

東洋紡(前身の一つである金巾製織は、滋賀県知事の勧奨から複数の近江商人が創業)

東レ

ワコール(仙台出身神崎郡育ちの塚本幸一が創業。社名は「江州に和す」に由来)

西川産業(八幡出身の西川仁右衛門が創業)

 

 

商社(問屋)は社会の癌なのか?

 

 

 

Yahoo知恵袋に、学生さんからの質問で、「商社を通すのは無駄なのに、なんで日本には遅れた商環境がのこっているのか?との質問がありました。

 

伊藤忠をはじめとした総合商社や、そのほか、専門商社。輸出入だけでなく、街の雑貨さんから、居酒屋にビールをとどける酒問屋さんまで、そのいずれの商社は、ものづくりをせず、他人の商品を買って、利益をのせて転売する【ピンハネ】商売です。

 

一見無駄にも思える商社の機能。実際、90年代の経済紙には、問屋不要論が声高に叫ばれ、10年後にはなくなる商いの筆頭にあげられていました。専門家から、学生さんまでみんなが無くなると思っていた商社の【ピンハネ】機能。しかしそれから30年。なくなったのは、ダイエーやそごうといった大手小売りチェーンであり、無駄なはずの商社は、むしろ売り上げをのばしたのでした。

 

明治維新の英雄、坂本龍馬は、その短い半生を世直しのために捧げました。そんな竜馬の本当の夢は、世界を相手に貿易をし、日本を豊かにすることだったといわれています。日本の三大商社の1つ三菱商事は竜馬の遺志をつぎ同郷の岩崎弥太郎が起業した会社です。鉄も石油もとれない日本は、右から左、左から右と、商品を【ピンハネ】することで豊かな社会をきずきあげてきました。

 

商社は社会の癌にあらず。社会を豊かにする潤滑油である。世の中のためにがんばっている問屋さんのために、その意義や可能性を歴史から紐解き解説します。

 

 

 

江戸時代からの伝統 日本スタンダード「問屋」という商い

浮世絵に描かれる江戸時代の風景は、当時の賑わいを今に伝えてくれます。画像は、お江戸日本橋。橋の向かいには、多くの蔵が立ち並んでいることが分かるでしょうか?

 

トラックや電車のない江戸時代、物流は、川や運河が担っていました。とくに100万もの人口を抱えていた江戸には、衣食住、すべての物品を運び込む必要があります。日本橋は、当時の物流基地であり、全国から集められた産品を集積し販売する「問屋」が存在していました。

 

問屋という呼称が一般的になったのは江戸時代に入ってからのことです。油・木綿・木材・生魚・干鱈などの問屋が発生していました。大都市に安定した需要が生まれ、それぞれの商品の流通量が増加し、収拾過程と分散過程が長く多岐に渡るようになると,自然に商品毎の卸売業が発達することとなります。

 

問屋とはプラットフォームビジネスを行う存在だったのです。

 

 

問屋とは?

「問屋は、社会の血液」と言われています。社会をそっとささえる裏方のような仕事ともいえます。

 

あなたの経営するお店が100メーカーの製品を売っているとしたら100社分の口座を開き(100社からの請求書を照合し、100社に入金しなくてはいけませんので経理部員がそれだけ必要になります)

 

しかし2社か3社の問屋とお付き合いすればそれらすべての商品が一度の商談で入ってくるわけです。問屋はあらゆるメーカーのあらゆる商品を一台のトラックに乗せて納品させます。50アイテムを入庫してもらっても、支払い口座は1本で請求書は1社分だけ管理すればいいわけです。

 

たとえばそれが大手小売店など大規模な店の場合には5000社、1万社からのメールを毎日チェックして毎日見積もりをチェックする仕事をすることになります。経理部員は1万社からの電話を何十人かで帳簿管理を行い、相殺打ち合わせや計上ミスの確認に追われます・・・ 考えるだけで憂鬱です(*_*)

 

ハサミと問屋は使いよう

一見、いらないような問屋の商いには、江戸時代から続く、商いの「知恵」が詰まっています。一部に根強い問屋の不要論も、メーカーの直販の優位性もある意味、その背景は同一であると認識しています。アメリカでは、日本における「問屋」の商いは存在していません。これをもって、「遅れている」とされた時代がありました。アメリカでは日本でいうところの卸問屋は求め難く、メーカーの直販が常識です。

 

しかしアメリカ最大のスーパー、ウォルマートの本部には、売り上げ規模で換算すれば日本のほぼ20倍以上の人員をおいているそうです。日本では問屋が、長い歴史の積み重ねもあってそれこそ網の目のように配送網を張り巡らせていますが、アメリカにはそれがありません。

 

また日本の文化に根付いたコンビニエンストアーも、問屋があってこそ、成立する商いです。もはや生活にかかせなくなったコンビニ。たえずお客様のニーズにこたえるために、店舗には1日4回以上の配送便が現れ、お弁当や、飲料、タイムリーに商品を供給していきます。この奇跡の物流を支えるものの、「問屋」の機能です

 

ただし真の問屋機能を持たない問屋はもはや生き残れない時代で、実際、地方の問屋さんは次々に廃業をしていきます。また、一部のメーカーや大手小売は問屋機能の内製化を始めています。江戸時代から続く「問屋」の歴史は、アメリカにはない日本スタンダードの歴史です。そしてその歴史は、人々の生活をがっつり支える裏方の歴史でもあるのです。

 

問屋は社会の癌にあらず。ひっそり支える菩薩の生業なり^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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海苔御三家 日本橋「山本海苔店」の家訓

山本海苔店が創業以来大切にしている2つの心

「それは、お客様に喜んで頂く心」と

「働いている人を大切にする心」。

 

 

株式会社山本海苔店(やまもとのりてん)は、海苔を製造している食品メーカー。本社所在地は東京都中央区日本橋室町一丁目。1849年(嘉永2年)の創業と長い歴史を誇る。「味附海苔」は1869年(明治2年)にこの山本海苔店が生み出したもの。

年商:70億円(2013年5月期)

 

 

 

 

 

 

参照:まち日本橋 東京 日本橋の観光・グルメ・文化・街めぐり情報サイト


https://www.nihonbashi-tokyo.jp/enjoy/people/201404/


株式会社 山本海苔店 取締役社長 山本 德治郎 氏

 

自分は歴史を繋ぐ鎖の一つ よい形で次の世代へ渡していきたい

 

 

代目が考案した日本初の『味附海苔』  160年あまり前、初代の山本德治郎氏が日本橋室町に創業した山本海苔店。以来、海苔専門店として日本の食文化に大きく貢献してきた。創業当時から使われてきた“丸梅マーク”は、山本海苔店の品質の証でもある。梅が咲く寒中に美味しい海苔が採れることと、梅も海苔もともに香りがよいことを重ね合わせた印だ。二代目德治郎氏の時代には、日本で初めて『味附海苔』を世に送り出した。神田お玉が池の千葉周作道場に 通っていた二代目は、同門だった山岡鉄舟から明治天皇が京都に行幸する際の土産を頼まれ、これを考案したという。 「実は僕、くじ運がいいんですよ」と山本氏。かつては結婚式の二次会でハワイ旅行券が当たり、昨年は慶應義塾大学の大同窓会で車が当たったのだとか。 

 

老舗の長男として生まれた山本氏には、小学校の頃から「いつかは自分が継ぐ」という心構えがあった。「それでも恥ずかしくて、卒業文集には野球選手や宇宙飛行士になりたいなんて書いていましたけれどね」と振り返る。店にもよく訪れ、三越の食堂でお子さまランチを食べたり、社員に遊んでもらったりした。高校時代は繁忙期に百貨店売り場でアルバイトも経験したという。大学卒業後、外の空気を吸うべく他企業への就職を考えていたが、お父さまの勧めですぐに入社することになる。

 

一社員として掃除から始めた歴史ある家業の仕事

入社して最初に学んだのは海苔の買いつけと仕分け。続いて工場で加工の仕事を学び、デリバリー部門と外商部門を経て、経理担当に。「パートタイマーの女性など、みんな可愛がってくれました。一新入社員としてフランクに接してくれたんです」。26歳で結婚、同じ頃に取締役に就任する。役職が就いてからも、社員と一緒によくスキーやスケートに出かけたという。

 

 山本家には、二代目が和綴本に墨で記した『諸事書留帳』という門外不出の家訓がある。「30歳になった頃に父から見せられました。質素倹約に努めて華美にするな、一族みな仲良くしろ、善根陰徳を施せ、投資をするな、など当たり前のことが書かれています。100年以上前に書かれたものがいまもこの場にあるという重みを感じ、襟を正さねばという意識が高まったのを覚えています」。

 

 

日本橋の街とともに 200年、300年と続く店へ

山本氏が社長に就任した1992年は、バブル景気がはじけて経済が厳しくなり始めた頃。より一層、風通しのよい会社にしようと、若い社員に自由に発言してもらう『社長と語る会』を設け、毎朝の開店時に社員とともに店頭に立つようにした。「商人の心を忘れてはいけないと思っているんです」。一方で、海苔の新しい可能性を引き出すべく『一藻百味』や『おつまみ海苔』といった新商品を開発、近年では他社とのコラボレーション商品にも力を入れている。

 

代々受け継がれてきた精神は「革新の連続が伝統である」ということ。「松尾芭蕉の言葉“不易流行”のように、商売も時代の変化とともに変わらなければいけない部分がある。その時、“お客さまを大切にして美味しい海苔をお届けする”という店の核がぶれないことが大切なんです」。

 

日本橋への想いも人一倍強い。“本業第一”を基本としながらも、東京中央ネット理事長や日本橋室町一丁目地区市街地再開発準備組合理事長など数多くの要職を担い、街の活性化に尽力する。「日本橋の人はみんなこの街が大好き。もっと街の魅力を高め、来訪してくださるお客さまを増やしていきたいと思っています」。

 

 

慣が、素晴らしい人生をつくる

家族の無事をねがい、子供の健やかな成長をたくす「育児」。しかし、様々な情報が錯そうし、何が大事か、何を優先すべきか、迷子になっていませんか?

わたしは、そんなお父さん、お母さんの悲鳴をききつけ、解決を図るために、様々な機会に登場し、「家訓づくり」のセミナーを開催してきました。

 

この5年間で、PTAや、各種研修、青年会議所などを中心に、全150回、7000名を超える方々に対し研修をおこなっています

 

「家訓」とは、言い伝えや教訓を子孫に残す文化で、古来より日本に根付いてきました。古臭いもの、あるいは、名家や、老舗にあるもので、自分の家とは関係ないと感じたのではないでしょうか?しかし、「家訓」は特別なものではありません。誰にでもできるシンプルな習慣です。守ってほしい家族のルールや、人生のなかで大事にするべき「伝えたい」言葉、それが家訓です

 

家訓は、おじいちゃん、おばあちゃんの知恵であり、人生で本当に大事にしなければならい金言がそこには溢れています。たとえば、セミナーを受講された狭山市の石川さんは、「靴をそろえる」という家訓をつくりました。たったそれだけのことでも、家族全員が、1つのルールを守る事で、たくさんの素敵な変化が家族のなかに起こったと教えていただきました。家訓づくりでつくる習慣が、ご家族の素晴らしい人生を約束します。学校の勉強も大事ですが、もっと大事なもの、それが正しい習慣です。

 

この度、セルバ出版さまより

世界一簡単な幸せをまねく家訓の作り方

 

が、発刊されます。

これまでのセミナーで学んだこと、体験してきたことを1冊の本にまとめました。これにあわせ、家訓ニスト協会(仮)と、協会の専用のホームページを立ち上げます。

 

この機会に、著作を多くの皆様に手に取っていただき、素晴らしい家訓の世界と、幸せを招くちょっとしたヒントを全国の皆様にお届けできれば幸いです

 

2015年5月

家訓二スト協会(仮) 会長 幡谷哲太郎

 


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・・・工事中

kakun

 訓は、家族を幸せにする魔法の杖

 

家訓と出会って、本当に今の自分が幸せなんだなと感じるようなりました。

(埼玉県 主婦Aさんより)

 

家訓づくりに挑戦した主婦の方から、嬉しいお便りを頂戴したことがあります。子育てのなかでは、忙しい毎日をこなすばかりで、イライラがつのり、主人や子どもにあたり、「私だけ辛い。誰も理解してくれない」と壁を作ってはマイナス思考の日々だったそうです。それでも心のどこかで「このままではいけない」と感じたなかで、出会ったのが、「家訓」によるシンプルな子育てです。

 

 をそろえる

家訓づくりのセミナーでは、シンプルな家訓を選ぶようにおすすめしています。埼玉県狭山市の石川さんは、「靴をそろえる」、そんな家訓を制作されました。

 

最初は、半信半疑で始めた習慣でしたが、家族で決めた、1つのルールをみんなで守るようになると、家の中がピシッとするようになったと石川さんは教えてくれました。

 

下のお姉ちゃんは、幼稚園で、この習慣を守り、他の園児の靴を毎日そろえているそうです。

お母さんも、子供の変化に驚いており、それまで、怒ってもいう事を聞かなかった子供たちが、「靴をそろえる」家訓をきっかけに、自分のことを自分でやるように変わってきたとの嬉しい報告をくださりました。

 

家訓は、家族を救う魔法の杖です。ぜひそんな魔法をあなたの家族にかけてください。

 

 訓づくりはエンターテイメント

 

育児は、育児本でなく、手本。そして輝く父ちゃんと母ちゃんこそが、一番の教科書です。

わたしは、単純に、いい母ちゃん、いい父ちゃんのもとでは、いい子どもが育まれると考えています。

 

家訓づくりのセミナーは、楽しく笑顔がたえない内容です。そして、家訓は家族の歩みに寄り添い、もっとたくさんの笑顔をご家族にもたらします

 

人生をハッピーに過ごしてもらうために!家訓ニスト協会(仮)では家訓づくりを推進していきます

 

 

 

 

 

 

Gallery

セミナーの実施風景①(尾道)


 セミナーの実施風景②(幸手市) 

 

セミナーの実施風景③(安来市)

ガイダンスにしたがって、誰でも楽しく家訓づくりに挑戦できます