大沼百貨店 320年目の倒産

 家訓なき迷走?

老舗百貨店の倒産劇 

 

 

 日本で三番目の老舗百貨店

 株式会社大沼(おおぬま)は、山形県山形市に本社を置き、百貨店を営んでいた企業。日本百貨店協会に加盟していた。ルーツとなる企業は、江戸時代の1700年(元禄13年)に創業した。

 

2020年1月に経営破綻して閉店し、山形県は日本で唯一の百貨店がない県となった 創業から百貨店の開業まで 1700年(元禄13年)に初代大沼八右衛門が山形の七日町(なぬかまち)で荒物屋を創業したのが始まりである。 百貨店を経営する企業のルーツとしては1611年(慶長16年)創業の松坂屋、1673年(延宝元年)創業の三越に次いで3番目に古い老舗企業(※百貨店の経営に乗り出したのは第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、1956年(昭和31年)11月20日に地下1階地上4階建て5,500m2の店舗を開いたのが、本格的な百貨店としての始まり)

 

歴史だけでは飯は食えない

家訓ニスト調べでは、大沼百貨店の家訓、社訓、理念等は調査できませんでした。よくよく調べれば、あるのかもしれませんが、HP等で公表はしていないのは事実です。創業200年以上の老舗企業の8割はなんらかしらの「家訓・社訓」があります。ただし2割の法人には家訓はないとも言い換えられます。大沼百貨店は残りの2割の会社だったのかもしれません。

 

歴史だけで飯を食えるほど、マーケットは優しいものではない。もし仮に歴史に価値があるとしたら、「信用」とそれを守る「教訓」なのではないでしょうか?はからずも長い歴史に終止符をうった大沼百貨店。地方創生っと名ばかりのキャッチコピーが流布されるなか、地方の厳しさ、そして、百貨店というビジネスモデルの厳しさを知らしめる倒産劇となりました。

 

319年正しかったことも、320年目に正しいとは限らない

 ピーク時の1993年2月期の売上高は196億6,219万円をあげる有力企業だった大沼百貨店。地元で絶対的な地盤を築いた「大沼」だったが、人口減少や建物老朽化への対策に遅れをとった形になりました。また、インターネット通販の浸透に加え、交通アクセスの向上で地元顧客が東北の中心地・仙台に流出。さらに、郊外型大型店舗との競争で劣勢となり、業績は悪化をたどることとなりました。

 

また人員削減などのリストラに着手しても抜本的な改善策を打てず、2014年2月期の売上高はついに100億円を下回り、経営は危機的状況に陥ります。地域一番店を守るため、地元財界は金融機関主導で「大沼」救済に動くものの、ここでも抜本的な改革には着手できず令和二年1月倒産することとなりました。

 

200名ちかくの従業員や、お取引先にとっては寝耳の水の倒産劇。地域を守るはずの大沼救済のスキームが最悪形で崩壊することとなりました。地域で愛された百貨店だっただけに、自主廃業を選び、閉店セール等を打つことで、ソフトランディングも可能だったのではないでしょうか?

 

長い歴史を刻んできた大沼百貨店。320年の歴史の中には、戦争や政局の変化で幾たびの危機があったことでしょう。老舗企業の家訓を調べると、「伝統は守るものではなく、日々新たに作り上げるもの」とする家訓が多く登場します。老舗企業として、プライド(信用)は守りながらも、マーケット(お客様)の変化にあわせて、商いを変えるという柔軟さも必要です。残念ながら倒産することとなった大沼百貨店、319年間正しかったことも、320年目に正しいとは限らないのが商いの世界。また1つ老舗の灯が消えることが残念で仕方ありません。

 

名を捨て実をとった

水戸の老舗百貨店のお話

 

 

(参照:MATI NOTE) 

http://matinote.me/2017/10/09/bonbelta_isejin/

 

  

舵をきっていた水戸の老舗 

伊勢甚の歴史は現在の水戸市泉町に、初代伊勢屋甚介が1724(享保9)年に、呉服商「伊勢屋」を開いたことにはじまります。その後二代目、三代目と代替わりしていくうちに、次第に商売は成功を収め、三代目伊勢屋甚介は水戸藩の御用商人を務めたと言われています。

 

文明開化ののち、明治・大正期も水戸の有力な呉服商として発展を続け、昭和初期には洋館式店舗への改装や女性店員やマネキンの導入を行うなど、呉服店としての形にこだわらない施策を打ち出していきました。しかしそんな伊勢甚を太平洋戦争の戦禍が襲い掛かります。空襲によって、蔵を残して建物が全焼してしまったのです。その後も1950年に再び火災に見舞われるなど、終戦後は厳しい時期が続きました。

  

1963年には、スーパーマーケット事業に進出します。「ジンマート」の名前で茨城県下への出店を開始し、最終的に福島、栃木、埼玉、東京にも店舗を持つチェーンにまで成長しています。翌年1964年にはブライダル・文化事業にも進出し1970年代には、百貨店2店舗、スーパーマーケット38店舗、食品専門店5店舗を運営し、売上総額は520億円という、茨城の小売業を牽引する企業グループとして県内では知られるようになります。そんな順風満帆に思える状況の中で、突如として持ち上がったのが、ジャスコ(現:イオン)との合併構想だったのです。

 

名を捨て実をとった大英断

そもそものジャスコと伊勢甚のつながりは、合併構想前から存在していました。ジャスコは、1970年にオカダヤ(三重県四日市市)、フタギ(兵庫県姫路市)、シロ(大阪府吹田市)の3スーパーチェーンが共同出資で設立した共同仕入れ会社に端を発するグループですが、実はこのジャスコが設立される時、千葉市に拠点を置くスーパーチェーン「扇屋」と共に、伊勢甚はその提携計画に参加したいという申し入れをオカダヤ側にしていたようです。この時は不調に終わったものの、その後も互いに提携のチャンスをうかがっていたようです。

 

その中で、1976年に、伊勢甚は合併の前段階として、ゆるやかな形での業務提携をジャスコと結びます。当時ジャスコは、関西生まれの、新進気鋭で勢いあるスーパーチェーンではありましたが、当時関東への出店はほとんどなく、社内でもなぜ業績が右肩上がりの時にあえて、関西の新興スーパーチェーンに身を売り渡さないといけないのかと、当時の会長をはじめ、社内では大反対の嵐が吹き荒れたといいます。しかし合併を主導した会長の弟でもある当時の社長の「経営状態がいい今のうちに、企業連合に入っておき、チェーンの存続を図りたい」という考えもあり、社内の反対も徐々に少なくなっていったようです。

 

本来の伊勢屋の系譜を継ぐ株式会社伊勢甚本社は不動産管理に専念することとなり、実質的に小売業からの撤退ということになりました。その後は、不動産を柱にホテル事業、ブライダル事業に注力し、ブライダル事業では現在県内6か所の結婚式場を運営しています。

 

なお、ジャスコ(現・イオングループ)は、その後も地方の有力百貨店を吸収していき、1970年代、1千億だった売上が、2019年には8兆円をこえる日本一の小売業へと成長しています。ジャスコの前身は、呉服店の岡田屋であり、岡田屋自身も創業200年をこえる老舗企業です。そんな岡田屋には「大国柱に車をつけよ」との家訓が伝わっています。呉服店から百貨店へ、そして企業の成長をあわせ、身をすて、名をも変えていく貪欲さが岡田屋の真骨頂なのかもしれません。苦戦がつづく小売業にあって、50年で50倍もの成長をみせたイオングループの存在は、多くの示唆を与えています。

 

改めて考える経営者の決断

小売業としての「伊勢甚」は、現存する一部のイオン店舗を除けば基本的に残存していません。しかし不動産事業を引き受けた「伊勢甚本社」は現在でも存続しており、さらにブライダル事業などに手を広げ、堅実に業績をあげています。これがもし仮に、小売業を抱えたままであったらどうなっていたでしょうか。歴史にもしもは禁物ですが、小売業が伊勢甚ジャスコやボンベルタ伊勢甚がたどったような末路をたどったなら、伊勢甚本社は存続していなかったかもしれません。

 

1977年に小売事業をジャスコへと受け渡した、その経営判断は非常に賢明で、かつ未来を的確にとらえたものであったように思います。「企業の一番いい時に結婚(合併)させるのは、かわいい盛りの娘を嫁に出すのと同じです。そこまで読んでやるのが経営者の務めだと思う。今現在、経営上の不安はない。しかし3年先、5年先を考えたとき同族経営の地方スーパーには必ず限界が来る」というのは当時の社長の言葉ですが、企業を人として見立てる温かさと同時に、冷静に状況を見極める力を兼ね備えた、経営者としての一つのあるべき姿がここにあるように思います。

 

この大英断をくだした経営陣のなかに、唯一同族でない形で参画していた男がいます。当時副社長として辣腕をふるっていた幡谷哲郎。家訓ニストの祖父、その人です。祖父をふくめ当時の経営陣の決断が正しかったことが、山形大沼百貨店の倒産で証明されました。経営譲渡の契約を見届ける形で、祖父・哲郎は早逝することとなりましたが、草場の影でよろこんでいるのではないでしょうか?

 

【決断】のそもそもの意味は、「川が氾濫した際、堤防をきって、多くの命を救うこと」に由来しています。多くの命を救うために、下す決断の先には、命を救うために犠牲になる名もなき多く庶民の悲観が存在しています。リーダーの【決断】は、万人に納得してもらえるものではない。むしろ多くの批判をうける類のものでしょう。当時の伊勢甚経営陣の【決断】は英断であったと確信しています。

 

こうした判断を可能にしたのは、「情や未練にとらわれない柔軟さ」であったように思います。普通であれば、祖業ですらあった小売業を手放すなんて、並の経営者では決断できないはずです。そうした決断を下すことができる、それが「伊勢甚」のイズムであり、強さなのかもしれません。中々に真似のできることではありませんが、企業の存続を第一に考えたとき、「拘らない」「歴史にとらわれない」「どんなことでも決断する」ということが重要になっていくのかもしれません 

 

 

 

 

 

        

 

 

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