ジャニ―さんの言葉

ジャニーさん:「ぼくはタッキーに10の事をあげるから、タッキーは1でいいので、かえしなさい。その1は、挨拶でいいんだよ」

 

 

 

 

ジャニー 喜多川(ジャニー きたがわ、Johnny H.Kitagawa、本名: ジョン・ヒロム・キタガワ (JohnHiromu Kitagawa)、漢字表記: 喜多川 擴〈きたがわ ひろむ)

 

生誕:1931年〈昭和6年〉10月23日

死没:2019年〈令和元年〉7月9日

 

日本の実業家・芸能プロモーター・音楽プロデューサーで、ジャニーズ事務所、ジェイ・ドリーム、ジャニーズ出版、ヤング・コミュニケーション、つづきスタジオの代表取締役である。愛称は「ジャニーさん」。血液型はAB型。

 

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。3人姉弟でメリー喜多川は姉。その娘で、ジャニーズ事務所の代表取締役になった藤島ジュリー景子は姪にあたる。

 

たのきんトリオ、SMAP、嵐ら人気男性アイドルを数多く輩出したジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川(本名・喜多川拡=ひろむ)さんが9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で死去した。87歳だった。

 

 87歳で亡くなったジャニー喜多川さんは、ジャニーズ帝国を一代で築き上げた。学生時代に生まれ故郷の米ロサンゼルスでエンターテインメントの世界に憧れ、日本の芸能界黎明期から歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。スターを発掘する“相馬眼”を持ち、SMAPや嵐ら国民的グループを育成。舞台演出家としても活躍し、日本で生涯現役を貫いてアメリカンドリームを結実させた。

 

 ジャニーズアイドルという唯一無二のブランドを築いたジャニーさんは生涯現役を貫き、日本のエンターテインメント界に大きな足跡を残した。

時に愛情は、肉親との絆も超える・・・

多くのタレントを生み出したジャニ―さんとタッキーの物語

 

 

 

参照:https://japassie.com/kinsuma-takizawaintai/

 

ちょっと引くレベル・・・タッキーの悲惨な幼少期

 滝沢さんによると、お父さんとの思い出はあまりなく、一度だけお父さんに荷物を車に運ぶのを手伝って欲しいといわれ、喜んで運んだのだが・・・それを最後にお父さんは帰ってこなかった。離婚して家を出て行く手伝いをしたのだった。。。その後悔が少し残っているそうです。

 

そしてその離婚をきっかけに滝沢さんの生活は一転してしまい、想像を超える貧困生活が始まったそうです。母は3人の子供を育てるために朝から晩まで働きづめの毎日で、お金がないので水と小麦粉を溶いてホットプレートでホットケーキみたいなものを作ってケ、それにチャップをぬって食べていたそうです。

 

当時、服を買う余裕もなかったので、冬でもタンクトップに短パン生活。。。友達からは「ただの貧乏じゃん!」と言われていた。鉛筆や消しゴムすら買えなかったので、学校の落し物を拾って使っていたそうです。

  

滝沢さんによると、最も辛かった時期はクリスマス・・・みんながクリスマスプレゼントの話をしているのに、彼の家ではクリスマスを過ごす余裕がなかったため、彼の書くクリスマスの作文は嘘を書いていたそうです。唯一の贅沢は餃子を食べることですが、お金がなく豚肉が買えなかったので、餃子の中身はシーチキンでした。

 

お母さんを助けたい!滝沢少年のくだした決断 

そんな生活に嫌気がさし、「お母さんを助けなくては」「早くこんな生活を抜け出したい」と強く思うようになり、家族を支えるために自立を考え始めました。滝沢さんが最初に考えた自立への道は、彼の大好きなプロレスでした。しかし、身長も体重も小さかったため、プロレスラーは断念しなければいけませんでした。そんな時、たまたま目にしたのが当時姉が夢中になっていたKinKi Kidsだったようです。そしてジャニーズ事務所にたどり着き、応募したのが始まりでした。

 

理由が理由なので、アイドルになりたいわけでもなく、ただ貧乏生活から抜け出すための手段として家族の生活を背負ってオーディションに参加しました。彼の人生でジャニー喜多川さんとの出会いは、大きな大きな転機となりました

 

13歳でジャニーズ事務所に入ってからの滝沢さんの人生は驚異的にのぼりつめていきました。

 

実の親子以上の関係に 

総勢200人以上いた’ジャニーズJr.の中、滝沢さんは入った当初からジャニー氏から自宅や食事に招かれていた。常に特別な存在でした。ジャニー氏は滝沢さんだけをオーディションの場に面接官として同席させることもありました。滝沢さんによると・・・礼儀やマナー、人との接し方など様々なことをジャニーさんから学んだそうです。 ジャニー氏は滝沢さんが初めて知る父親という的存在だったと言っても過言ではないようです。 

 

しかし、特別な反面、16歳の時にジャニー氏からジャニーズジュニアのリーダーに抜擢された滝沢さんに対する周りからの僻みや嫉妬はそれはそれはすごかったそうです。いいことばかりではなく、他のメンバーが問題を起こせば、リーダーである滝沢さんの責任として、頭を下げることも多々あったそうで、そんな生活に嫌気がさしてやめようと思ったこともあったそうです。

 

そんな時怒りの矛先をジャニー氏にぶつけていましたが、それを大きな心で受け止めてくれていたジャニーさんに対して、父親像を重ねていたそうです。

 

そんな時にジャニーさんから言われた言葉・・・

僕はタッキーに10のことをあげるから、タッキーは1でいいから僕に返しなさい。。。その1は挨拶でもいい」

 

そんなジャニーさんに対して、滝沢さんは恩返しは後輩の面倒を見ることだと思っていました。

ジュニアの間では、滝沢さんのニックネームは『小さなジャニーさん』と言われていました。そして滝沢少年は、スターへの階段をのぼることとなりました。

 

突然の裏方への転身。ジャニ―さんの後継ぎに

滝沢さんは、ジャニーズの中では、後輩の育成や裏方作業まで任される特別な存在でした。ジャニー喜多川さんからのコメントは・・・

滝沢秀明が、ジャニーズJr.たちの育成でジャニーさんを手伝いたい」と言ってくれた時、私は驚きとともに嬉しくて涙がこぼれそうだった。 このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝をしています。

 

 「10あげるから、1を返せばいい・・・その1は挨拶でいいんだよ」というジャニ―さん。タッキーこと、滝沢秀明さんは、華々しい芸能界でのキャリアを捨ててまで、ジャニ―さんの意思をつぎ、裏方として、ジャニーズ事務所をけん引することを選択しました。タッキーからすれば、ジャニ―さんから10のうち、2~3を返したにすぎない選択だったのかもしれません。しかしジャニ―さんからみれば、10どころか、100も200も恩返しをしてもらった面持ちでなはいでしょうか?

 

時に、愛情は、肉親との絆をこえる・・・

多くのスターを生み出したタレントを見抜く力はもちろん。彼をしたう多くの証言を聞くとその人柄が偲ばれます。ジャニ―喜多川さんの逝去にともない心よりご冥福をお祈りもうしあげます。

 

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