平成から令和へ~平成天皇さまのお言葉より~

 「平和に成る」 天皇様の願いが叶った御代

  

 平成31年4月30日、天皇様は譲位をされ上皇に、あけて令和元年5月1日、新天皇さまのもと、御代は、「平成」から「令和」となります。

 

平成の天皇さまの想いは、元号にあるとおり「平和に成る」という願いでした。その想いのとおり、31年の御代にあって、国内国外で日本は戦争がない時代となりました。一見、当たり前にも思える「平和」。そして当たり前のように国民に寄り添ってくださる「天皇」さまがいるという幸せ。譲位を期に、そんな当たり前に享受してきた「当たり前じゃない当たり前」に陽があたっています。

 

ネットでは、コンビニの前でたむろする高校生たちによる何気ない会話に注目が集まっています

 

swenbay @michaelsenbay   

コンビニ前で男子高校生たちが「天皇さまさ、5月からマジでゆっくりしてほしい」「俺のじいちゃんは毎日クレープ買いに行ってるから、そんな感じで好きなモン食ってほしい」「天皇さま、何食べんのかな」「からあげクンとか食うのかな」「からあげクン美味しいから食べてほしいよな」と雑談している

 

言葉づかいに宿題?はのこるものの、平成の時代になっても、国民による素朴な尊崇の想いはきちんと受け継がれていることに安心しました。またタレントで知的な一面をもつカズレーサーさんは、「令和に変わった瞬間、われわれも実感がなかったんですけど、その実感がないってことが、現上皇と陛下の努力、そして多くの方の賜物だと思うんですよね」と語り、「こういう平和な時代が続くことが、本当心より望むばかりですね」と締めくくりました。

  

左翼さんが居座る現代の教育行政のなかでは、「天皇」を学ぶ授業はなく、歴代の天皇さまも、何の説明もなく、無機質にお名前がだけが、唐突に登場するそうです。それでも、国民は天皇さまを愛している!平成から令和へ、新しい天皇さま、そして上皇さまともに、日本の繁栄が千代に八千代につづくことを確信しています。

 

天皇としての旅をおえようとする時・・・

 

85歳の誕生日を前の記者会見のお言葉(全文)

この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。 

 

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。 第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。 しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。 

 

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

 

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

 

 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。 

 

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。 

 

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。 

 

今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

 

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。 

 

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。 今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。

 ビートたけしによる天皇さまへの感謝の想い

 

天皇陛下の即位30年を祝う式典「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」が4月10日、東京・国立劇場で開催された。天皇皇后両陛下のご結婚60年の記念日に、映画監督の北野武さんが両陛下への祝辞を述べた。

 

祝辞では、「両陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです」などと北野さんらしいブラックジョークを交えつつ、被災地に寄り添う両陛下への感謝の思いを吐露。ユーモアあふれる祝辞が反響を呼んでいる。 

祝辞全文は以下の通り。

 

 ◇ 

お祝いの言葉。天皇皇后両陛下におかれましては、御即位から30年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします。

 

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりました。

 

母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ!決して上げるんじゃない」と、ポコポコ殴りながら「バチが当たるぞ」と言いました。私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと、バチが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。

 

そういうわけで、お姿を拝見することは叶いませんでしたが、おふたりが目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。

 

私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。

 

なぜか呼ばれた私に、両陛下は「交通事故の体の具合はどうですか。あなたの監督した映画を観ています。どうかお体を気をつけてください。頑張ってください」と声を掛けていただきました。この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました。

 

ただ、今考えてみれば、両陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです。

 

また、おみやげでいただいた銀のケースに入っている金平糖は、今や我が家の家宝になっており、訪ねてきた友人に1粒800円で売っております。

 

5月からは、元号が「令和」に変わります。私がかつていたオフィス北野も、新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて『オフィス冷遇』にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました。

 

私は、自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下が、1月1日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知ってました。

 

皇后陛下におかれましては、「皇室は祈りでありたい」とおっしゃいました。

 

お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、今、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

平成は平和の時代であった一方、災害が次々と日本を襲った時代でもあります。

 

その度に、ニュースでは、天皇、皇后の両陛下が被災地をご訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。平成28年8月、陛下は次のように述べておられます。

 

「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」

 

国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちは救われ、勇気と感動をいただきました。

 

改めて、平成という時代に感謝いたします。また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に生を受けたことを幸せに思います。ありがとうございました。

 

 

 

 

              

みなさまは、「皇居勤労奉仕団」の活動を耳にしたことがあるでしょうか?平成29年、皇居、赤坂御用地での清掃活動をおこなう「勤労奉仕団」に参加する機会に恵まれました。

 

この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができるものです(詳しくは宮内庁のHP参照)。

 

奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会があります。お言葉自体は、団長が賜り、幡谷哲太郎は列のなかで、天皇さまと皇后さまを拝見することとなりました。

 

その感想は。。。ただただ涙するのみ

そして、日本人として生まれて良かったという思いと共に、天皇さまのお気遣いや、常人ではたえがたいハードすぎるスケジュールを知ることで、天皇様ご自身がゆっくりお休みいただける環境は出来ないものかと心配することでした。

 

清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担です。それでも北海道から沖縄まで、約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けています。一般にはほとんど知られていないことかもしれません。 今回、家訓づくりの師である山口秀範先生に誘っていただき、福岡からの奉仕団の一員に合流させていただく形で、念願の奉仕団に加わることができました。画像は、奉仕の記念品として、陛下からの授かり物として賜った下賜品のお菓子です。幡谷家の家宝として仏壇に供えさせていただきました。

 

これまで累計 約120万人が奉仕

 占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。 戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように、敗戦国にあって、そのリーダーは歴史の中から滅びるのが通例です。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行れました。GHQが不審に思うのも当然のなか、そこには何の背後関係もなく、多くの人々のひたむきな皇室への思いだけがありました。 

 

そしてその想いは、敗戦後の昭和から、平成。そして令和に引き継がれることでしょう。

   

      

世界中から尊敬される日本の皇室

 

画像は、先に来日され、公式実務訪問賓客として御所に招かれたサウジアラビアのムハンマド副皇太子殿下との会見のご様子です。副皇太子殿下が天皇陛下にサウジアラビアご訪問をお求めになるなど、会見は終始穏やかな雰囲気で行われたそうです。

 

このご会見についてはアラブ諸国でも報道されているのですが現地の人々に衝撃を与えているのは、ご会見の様子を撮影した一枚の写真。陛下と殿下、そして通訳の方の椅子と、花瓶の置かれたテーブルのみという、空間の究極的なシンプルさに、多くの方が感銘を受けています。

 

権威をあらわすために、金蘭豪華な諸外国の王宮にくらべ、あまりにシンプルで、それでいて気品のある空間に、海外では、「欧州の王宮と全然違う」 皇居を特集した番組がつくられたとのこと日本人には当たり前にみえる光景でも、世界に人々には驚きをもってむかえられているようです。この一枚の写真が示唆することは数え切れないほどあるのかもしれません。 日本の皇室の歴史は大変古いものです。西洋の政治がはじまるずっとずっと前から、天皇さまは日本国を率いていらっしゃいました。

 

親日家として知られ、来日経験もある科学者のアインシュタイン博士は次のような言葉をのこしています

(参照:あまりにも有名な、心に響く言葉より)

 

近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。

  

私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、

 

最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。

  

『Wikipedia』より

 

日本は世界で一番古い国

 

あまり知られていない事実ですが、日本はギネスにも認定される世界で一番古い国です。あなたはその事実をご存知でしたか?

日本の建国は、神話上は紀元前660年2月11日(旧暦:神武天皇元年1月1日)、初代天皇である神武天皇が即位された日までさかのぼります。歴史学者の中には、4世紀頃の建国だと指摘する声もあるものの、日本の次に古いのがデンマークで建国は10世紀ごろであることを考えると、「世界一古い国」という事実は動かしようのない事実です。

 

これは、ギネスや、アメリカ合衆国のCIA公式サイトでも掲載されています。また、日本の天皇家は、世界では現存する最古の王朝であり、現存する唯一のエンペラーであり、現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統です。

 

世界の王室が集まった時、天皇陛下が最も上座に座る

日本の天皇陛下の権威はローマ法王と並び、世界最強クラスです。しかし、天皇陛下の権威を日本人は知らず、誤解されている部分も多くあります。海外でもその権威は健在で、エリザベス女王も、アメリカ大統領よりも上の存在です。世界で唯一「エンペラー」と呼­ばれる存在で、日本人がその権威を知らないのは、おかしなことです。

 

その理由は、この2つです。

・天皇家は世界で最も歴史のある王室である事。

・「King」よりも格上とされる「Emperor」であるから。

 

もし、ローマ法王と天皇陛下、そしてエリザベス女王と、アメリカ大統領が同じタクシーに乗ったとして、天皇陛下(emperor)≧ローマ法王(Pope)>英国女王(Queen)> アメリカ大統領etc(president)っと、上座は天皇陛下が座ることになるのです。私達日本人として、天皇さまの正しい知識と情報とふさわしい見解を持ちましょう。

 

天皇の基礎知識

古くから日本人にとって、「天皇=皇室」は空気のような存在だったのかもしれません。皆様は、京都御所を見たことがありますか? 御所には外敵を防ぐための堀などはなく高さ6尺程度の土塀があるだけです。皇室は、誰も攻めてこない・・・との共通認識があった証拠です。いつの時代の国民も御所を攻めて天皇にかわろうという発想はしませんでした。王様の警備がスカスカなんて、世界広し日本だけの現象です。

ここに日本の皇室のすごさが隠されています

 

古くは「スメラミコト」「スメロキ」「スベラギ」等と呼ばれ、語源としては7世紀中頃以降で、中国語の天皇・地皇・人皇の一つに由来しており、スメラミコトの漢語表現といわれています。古代日本では権力の頂点をオオキミ(大王)といったが、天武天皇(672年 - 686年)ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになりました。初代・神武天皇から、現上天皇の明仁(あきひと)様まで、125代の天皇が即位してきました。

 

戦前、天皇陛下が君臨する政治体制を「国体」と表現していました。この「国体」は神話の世界から2600年間。史学的に証明できる一番古い天皇からさかのぼっても1500年間、たえず守られてきたものです。馬上の天下は馬上で終わるとの言葉があります。「馬上」つまり武力で奪った天下は、いつか武力で奪われるもの、しかし日本の御皇室は、奪ったのでもなく、もらったのでもなく「ある」もの。そして、長い間、国民に愛されてきた事実は、「必要とされてきた」証でもあります。

 

 

令和のご皇室のありかた

 

昭和天皇さまは、戦後の巡幸で国民に勇気を与えてくださいました。そして平成の天皇さまは、日本列島に自然災害が襲う度に、被災地にお姿をおみせになられるようになりました。東日本大震災の際には、いち早く国民にむけてのビデオメッセージをお出しになっただけでなく、痛みを共に感じるために、計画停電にあわせて、電気をつかわない生活を実践されていたそうです。

 

巡幸も、宮城、岩手、福島の3県だけでなく、埼玉、千葉、茨城の被災地もめぐられています。忘れられた被災地といわれる茨城には首相も大臣もくることはありませんでした。しかし、陛下がいらっしゃることになり、その後の復興のスピードが加速的に進んだと住民の方が教えてくれました。戦後の混乱期、そして被災地にあって、国民が傷つき打ちのめされた時、弥勒菩薩のように現れる陛下は、本当の意味で現人神なのかもしれません。世界的な権威であり、政治家であり、無私のひとであり、どれだけ賛美の言葉を並べても、ご皇室の皆様をあらわす言葉がみつかりません

 

中国では易姓革命という考えがあって、「徳」のある君主が徳の無い君主に代わって天下を治めるとされています。実際に有史以来、何度も王朝が変わっていますが、日本では王朝の交代は起りませんでした。

 

19世紀 イギリスの思想家「スマイルズ」は、

国としての品格は、その国民が自分が偉大なる民族に属するのだという感情によって支えられ、そこから力を得るものである。」

と述べています。

 

世界には190国あまりの国があるそうです。1度しかない人生、自分が生まれた国を愛せない人がいるとしたら、それは寂しいことです。

 

「皇居勤労奉仕団」として4日間の活動に従事した幡谷。奉仕団ができる草ぬきや落ち葉ひろいは、広い皇居においては、お手伝いできる最小限のことに限られます。悠久の歴史をつむいでいらっしゃった天皇家の皆様の御偉功に感謝し、恩に報うためには、草抜きをする奉仕団に加わるよりも、日常を頑張ることこそ、「報恩」にあたいします。

 

経営者は立派な経営をすること、お父さんお母さんは家庭をまもり子育てをすること、国民それぞれが、一所懸命に、それぞれの場所で、懸命に働き、喜びを分かち合う日々を送られることこそ、上皇さま、新天皇皇后さまが望んでいらしゃることだと、確信しています。

 

日本万歳! そして上皇様に、やすらかな日々が末永く続くことを祈念するばかりです。