樹木希林の遺したメッセージ

樹木 希林(きき きりん)

生誕:1943年1月15日

死没:2018年9月15日 」

 

日本の女優。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。夫はロック歌手の内田裕也。間に娘・内田也哉子(エッセイスト、本木雅弘夫人)がいる。夫の内田とは長く別居を続けていた 若い頃から個性派女優として数多くの作品で張りだこ状態でした。

 

数年前に全身ガンを告白しつつも現在も精力的な活動で活躍する樹木希林さんの若い頃が想定外に破天荒です。

 

旦那よりもロックンローラーな半生

夫の内田裕也との別居婚も有名ですが若かりし頃から別居婚というスタイルを選びつつ壮絶なDVにも合うも離婚を選択しなかった樹木希林さんの内田裕也さんへの思いや関係を改めて追ってみようと思います

 

生前出演した「ファミリーヒストリー」では、家系をたどると徳川幕府最後の将軍に従えた武家の出身にさかのぼる家であることが紹介されました。本人の証言によれば、実業家としての顔も持つ母親清子さんは当時の戦前戦後を通じてカフェ、アパート経営、仕立て屋、料理店などを経営する女性事業家として活躍する女性だったという。

 

誰かに似てる?ヒモ状態の父親

ただ、肝心の実父は元警察官であったが清子さんとの結婚後はその職を辞して一切働く事がなかったそうです。今風に言えば完全にヒモ状態の父親、働かずに趣味で始めた琵琶の演奏に没頭していたというでもそれを許してバリバリ働く母親清子さんと温厚で優しく人柄の良い父親は樹木さん姉妹ら曰く『母親がとことん惚れこんだ亭主』だったとのこと。

 

働きはしないけど、人として夫として心から惚れてい母親と働かないが温厚で琵琶に没頭する父親を見て育った樹木希林ら姉妹。この実の両親像が樹木希林さんに与えた影響は恐らくかなり大きかったのではないでしょうか?

 

女優の道へ

樹木希林さんは市ヶ谷にある千代田女学院に入学後演劇部に在籍しそれがきっかけで、当時薬剤師を目指し勉学に励むも大学受験直前にスキーで足を怪我した事が元で大学進学を諦める。その後女優への道を選ぶも1964年同期だった俳優の岸田森(きしだ しん)と結婚。4年後の1968年に離婚。 その後1973年10月内田裕也と結婚。わずか結婚から1年半で別居。原因は内田裕也の家庭内暴力がかなり酷かったといわれています。

 

 

それでも別れない夫婦の関係

別居生活50年来の夫婦関係にはどんな秘密があるのでしょう。その間もかなりな女性関係で浮世も流した夫内田裕也との離婚をそこまでして避けた理由は? 「好きだから別れたくない」 凄いインパクトある言葉です。また別のインタビューでは生まれ変わったら一緒になりたいか?との質問に、「お互い顔をふせて歩くと思います。顔をあげたら好きになってしまうから・・・」 っと

 

度重なる不祥事の度にマスコミの前に登場した生前の樹木希林さん。籍を入れた責任上、どうするかを考えながらいきたい。」と、謝罪を繰り返してきました。そして「夫1人だけ奈落の底に落として、自分だけ保身ということはしません。」と、どうしてそこまでっと思えるぐらいの関係です。

 

夫婦のことは夫婦しかわからない。変わった関係にも思えた二人の関係こそ、二人にとって一番いい距離感だったのかもしれません。近年、「文春砲」に代表される芸能人の不倫関係や家族の関係を面白おかしく報道されることが多くなりました。でも、本来夫婦のことは夫婦でしかわからないもの、あーだこーだと形を決めつける世間こそが間違っていたのでしょう。

 

樹木希林さんの遺言、そして家訓

樹木は8月15日の手術直前、「ワイドショーで知ったら嫌でしょう」と相手のことを思い、内田に自ら電話をしたという。樹木は『いままでいろいろ悪かったね』と伝えたそうです。内田も『こっちこそ悪かったな』って。

 

痛快なまでにかっこいい女、樹木希林さん。数々の名言を遺した希林さんですが、いわゆる「家訓」というものは発見できませんでした。しかし、彼女の生きざまこそが家訓であり遺言だったと確信しています。

 

たえず問題を引き起こす夫・内田裕也。そして晩年は全身癌を告白し苦しいはずの闘病生活も笑いと飄々としたコメントで周囲を常に明るく照らす樹木希林さん、生前、「ありがたいという字は、有り難い→難有りと書く。病気も旦那もありがたいっと」

 

2018年9月15日享年75歳没心からのご冥福をお祈りします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樹木希林さん死去

「死をどう思うって? 死んだことないからわからないのよ」

生前、死生観を語る【前編】

  

参照:AERA dot. 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180916-00000017-sasahi-ent

 

 

 

アエラの取材依頼に当初は丁重な断りの電話があった。だが「こういう取材は今回きり」の条件で、樹木さんは「なんでも聞いていい」と重い扉を開いてくれた。

 

「老い」とか「死」とか、そういうテーマの取材依頼がたくさんきて、困っちゃうのよ。何も話すことなんてないんだから。「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。ひとつ(取材を)受けるとキリがなくなるでしょ。だから全部お断りしているんです。映画の宣伝のときは仕方ないけど。  

 

私がこういう取材を受けるメリットはどこにあるの? あなた方のメリットはわかるの。えっ、私の話で救われる人がいるって? それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ。  死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの、私の場合。全身がんですから。だから仕事も先の約束はしない。せいぜい1年以内。仕事の交渉は留守電とファクスで全部自分でしている。この間も「2年契約で」なんて話が来たんだけれど「とんでもない。よしてください」って言ったの。「そのほうがおカネ的にもいいでしょう?」って先方は言うんだけれど、「2年先(の命)なんて保証できない。持たせようと思うほうが苦しいから勘弁してください」って言ったわ。

 

手土産、謝礼は不要  

ところがさ、以前聞いてびっくりした。聖路加(国際病院)の日野原さんは10年先まで計画が入ってるっていうじゃない。いま100歳過ぎていらっしゃるでしょ。あなた、そういう方を取材したほうが絶対いいわよ。私なんかより。

 

「(取材にくるとき)手土産は絶対に持ってこないで」って言ったけれど、それも毎回必死よ。「くれないで」って。だってお菓子を持ってこられたら、包装紙を開いて、箱を開けて、それをまた畳んで資源ごみに出してって。すごく手間じゃない。私は自分が食べたいケーキがあったら買いに行って、「箱はいりません」ってティッシュに包んで帰るの。映画会社が「ポスター、送ります」なんて言ってくることもあるけど、それも「送らないでください」って。切ってメモ帳にするの大変でしょう。  

 

あ、それから今回の取材の謝礼もいらないから。こう言っちゃ申し訳ないけれど、大した金額でないでしょう。私は大家の収入があるから。ファクスがもったいないのよ。A4の用紙にたった1行で、余白ばかりの通知が2枚送られてくる。お宅の会社と銀行の2カ所から。「振り込みました」「振り込まれました」って。紙とインクリボンを消耗するじゃない。ときどきファクスを7枚も8枚も送ってくる人もいるけど、「すみません。今度送るときは表紙はいりませんから。A4、1枚にまとめてください」って言うの。インクリボンをむだに使って、取り換えるのは億劫じゃない。

 

いつ逝ってもいい準備  

病気をしてから、いつ逝ってもいいように、自分の周りを身軽にしておきたいという思いが強くなったのはあるわね。朝はひとしきり掃除することから始まる。ぐちゃぐちゃしているのを見るのが好きでないの。でも、ものがなければ簡単よ。  

 

女優だけれど、靴は5足しか持っていない。雨用の長靴と山登り用のスニーカー。それに黒と茶と赤の革靴。化粧品もリップクリームだけ。顔には何もつけない。シャンプーもしないわね。仕事で色々つけられてベタベタになったときは床屋さんに行く。手早いから好きなのね。  いま着ている上着の背中が縦に切れているのは太っちゃったから。切ったの。端をまつろうと思ったけど、さっき人が来てできなかったのね。服もボロボロになるまで着てお終いにする。

(構成/編集部・石田かおる) 【後編】へ続く ※AERA 2018年5月15日号より抜粋

 

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