「わろてんか」と吉本興業の家訓

 

 

 

 

平成29年10月2日よりスタートした、NHK朝の連続テレビ小説『わろてんか』。葵わかな演じるヒロイン・藤岡てんのモデルが、吉本興業の創業者である吉本せいです。

 

 

 

 

 

 

 

笑うからこそ幸せになれる

 

(参照:東洋経済オンライン) 

http://toyokeizai.net/articles/-/213989

 

 現在放送中のNHKの朝の連続テレビ小説「わろてんか」の放送もいよいよ3月31日までとなり、物語は佳境に向かっている。「人生には笑いが必要だ」という哲学のもと、ヒロインのてん(葵わかな)が日本で初めて”笑い”をビジネスにした女性と言われるまでを描き出している。

 

吉本興業の礎を作り上げた吉本せいがモデルとなったと言われている本ドラマ。関係者は次のように語っています。

 

戦争が終わった直後、昭和21年までが舞台です。このドラマにおける一番のテーマは「人間にとって笑いとは何か」ということ。戦争ですべてを失った後に、人間はどのようにして立ち上がっていくのか。そこがクライマックスになると思っていました。「人間と笑い」を描くならそこだろうと。

 

それこそが、最初に構成を考えた時から描きたかったことでした。震災などもそうですが、どんなに厳しい事態に直面しても、「笑う」ことで人は前を向いていけると信じて。だから(主人公の)てんはどんな時でも笑って、すべてを失っても大丈夫だと言ってくれる。私自身、「幸せだから人間は笑う」のではなく、「笑うからこそ人間は幸せになれる」と信じています。このドラマが、皆さんの背中を押す力になってくれたらいいなと思います。

 

 

 

ドラマの中で度々登場するのが、家訓です。

始末 才覚 算用」です。

 

 

  

 

「わろてんか」家訓とは?

 

(参照:松下政経塾レポート) 

https://www.mskj.or.jp/report/3175.html

  

 経営の神様と呼ばれた松下幸之助塾主は、社員一人ひとりが経営者たれと言った。そして松下電器の社員には販売店での実習をさせ、我々塾生も販売実習と製造工場実習を経験する。実家が自営をしていたことや、金融機関での勤務経験などから、「経営」には少なからず触れてきたものの、様々な研修を通して改めて経営について考えを巡らすに至った。そして、実習先の地で触れた近江商人のあり方こそ、日本的経営の根本であると確信した。それは必ずや行き詰る日本の経済とグローバル社会で闘う企業の経営を救うものであるだろう。

 

1.商人の本務

 経営の三大要素として「始末」「才覚」「算用」がよく挙げられる。「始末」とは、商売の帳尻が合うようコストを削減し、無駄を省いて節約をすることであり、「才覚」とは、創意工夫の努力をし、経営革新をしていくこと、「算用」はしっかりと採算を確保する経営計画や経営管理をしていくことであると捉えられている。これらは、確かに経営の要諦として欠かせない要素であると言ってよい。

 

 しかし一方で、近江商人は、巧妙な計算や企てといったものを良しとはせず、世の過不足を補って需給を調整するのが本務であると言った。本当の経営とは、この三大要素からではなく、この商人の本務を掘り下げることで見出すことができるのではないだろうか。

 

2.三方よしの経営

 社会的に正当な商いや行商先での経済的貢献を求める近江商人は、さらに社会的責任を強く意識する。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。この三方がよくなって初めて本当の経営といえるのである。

 

 そして、三方よしの経営をするために、財に見合うだけの人格や教養、礼儀作法といった人間形成を強く求めており、驕ることは即ち身を滅ぼすとして、質素倹約を旨としたのである。また、「武士は敬して遠ざけよ」と、権力に依存して利益を得ることを良しとせず、薄利多売を主とした。そして、地場産業の育成や地域活性化あってこその商いであるとして、「お互い様の心」や「地域貢献の心」を大切にすることこそ経営であると伝え続けてきたのである。こうして、三方よしの経営を行うために、日々の「始末」や「才覚」や「算用」は欠かせなかったと言ってよい。

 

3.老舗企業の多い日本

 それでは、なぜ日本には「三方よし」の経営が生まれたのであろうか。

 

 帝国データバンクの調べでは、日本には創業百年超の老舗企業が約二万社、創業二百年超では約千社あるという。これは世界的に見ても圧倒的に多く、創業二百年超企業の世界の4割を日本で占めると言われている。

 

 このように、日本人が企業を永続的に繁栄させてきたのは、日本の先祖を敬う精神文化が影響しているのではないかと考える。特に近江商人は、今日の繁栄があるのはご先祖様の苦労の賜物であり、当代である自分は、主人としてその長い歴史の一部分の間を預かる奉公の身として考えていた。だからこそ、家業を守り繁栄させていくことが絶対命題であり、その強い信念が「経営」を形づくる基礎となっていたのである。

 

4.永続的な繁栄のために

 メディアでは、この厳しい経済環境の中でも高収益をあげ、拡大を図る企業の特集に余念がない。いつの間にか「ビジネス」という言葉で企業の全てを語られる世の中になってしまった。経営の手法は「ビジネス」の手法であり、利益をあげた企業のやり方が良い経営として扱われている。しかし、大切なのは、一時の利益をどれだけあげられるかではなく、いかにして永続的に繁栄することができるかということではないだろうか。

 

 松下幸之助塾主は、赤字に対して非常に厳しかったという。しかし、それは赤字を出すことが自分の懐が痛むことだからではなく、企業の赤字は、国家や社会にとって大きなマイナスだと考えたからである。企業は社会の公器であり、適正な利潤の追求こそ経営である捉えていた。常に三方よしの経営をしてきたのである。実際に企業を経営している方からすれば、「弱肉強食の世界の中で、お人好しでは経営はできない。三方よしなどは、余裕ある企業の自己満足だ。」と思われるかもしれない。

 

 しかし、お客様のことを考えずに商売ができないのと同様に、社会のことを考えずには商売はできないのではないだろうか。だからこそ、三方よしの経営が、結果として企業の永続的な繁栄をもたらすと考えるのである。人間関係然り、政治然り、どんどん近く狭くなる自分の目線をより広く、より透明にしていくことが永続的な発展や繁栄に欠かせないものである。

 

経営観レポート

杉島理一郎/卒塾生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わろてんか」のモデル 吉本せいさんの生涯

 

大日本帝国憲法が公布された1889年(明治22年)に、せいは兵庫県明石市で林家の三女として生まれる。綿や麻などを扱う太物商だった両親は、彼女が生まれてすぐに大阪の天神橋筋に引っ越し、米穀商を始めた。

 

10歳になったせいは、行儀見習いで米穀仲介業の名門商家に奉公に上がる。ここは倹約家で知られ、食事をあまり進ませないよう、奉公人に悪臭の漂うところでご飯を食べさせたというほど。のちにせいが“倹約第一”という考えを持つのは、このころの体験が影響しているのだろう。

 

17歳になると、大阪市内の本町橋詰にある荒物問屋『箸吉』の跡取り息子・吉本吉兵衛へ嫁ぐ。ちなみに荒物とは、マッチやろうそく、たわしなど日用品を扱う店のことだ。

 

「吉本家に嫁入りした3年後に晴れて入籍。それと同時に吉兵衛は家督を継ぐのですが、商売に精を出すことなく道楽ざんまいだったのです。当時、大阪では“ぼんち”と呼ばれる、旦那衆が落語家などを連れて歩いたり、自らも舞台に上がったりする芸人道楽が流行しており、彼もそのひとりでした」(文芸評論家)

 

 店は日露戦争の影響を受け台所事情は悪化するも、夫の道楽は直らず、相変わらず芸人たちに祝儀を渡す日々。ついには、剣舞にのめりこみ商売そっちのけで地方巡業に出てしまうほどだった。

 

 そのため、店は破産宣告を受け、手放すことに……。

 

倒産後はせいの内職などで家計を支えていたが、そんなときに吉兵衛が天満宮裏にある寄席『第二文藝館』を買うことになる。

 

 権利金など500円(現在で200万円ほど)かかったが、これを彼女の実家などから借金し、用立てた。

 

 だが、文藝館は端席と呼ばれる格下の小屋で、客の入りは悪かった。そのため、人件費を抑えるためにせいが自ら入り口に座って客の対応をし芸人の世話などもした。有名な落語家は出演料が高くて呼べないので、曲芸や剣舞などの色物を中心に興行し、徐々に客足は増えていったという。

 

「彼女が先頭に立ち、のどが渇いてラムネが売れるよう塩辛いものの物販に力を入れたり、暑い日は冷やし飴を店頭で売り、客を呼び込んだりしたそうです。文句も言わず、24時間全身全霊を込めて働いたのはなかなかできることではないですよ」(増田氏)

 

吉本拡大と吉兵衛の死 

せいの営業努力により、文藝館は大繁盛。そして1913年に『吉本興行部』を設立し、次々と寄席を手に入れていく。1915年には、伝統のある一流寄席『金沢亭』を買収し、『南地花月』と名づけた。現在も続く吉本の寄席『花月』の1号店である。

 

 1921年には東京へ進出。翌年、『神田花月』をオープンさせるなど順調に成長した吉本だが、1924年に37歳の若さで夫の吉兵衛が他界してしまう。夫の道楽からスタートし拡大を続けてきたところで、伴侶を失ったのだ。

 

「吉兵衛が若死にしたときに、泣き寝入りせずに、次々と策を打っていったというのは、当時の女性としては偉いですね。立ち止まらずに前を向いていった。ちょうどそのころ『大正デモクラシー』があったことも大きいと思います。“自分たちは月ではなくて、もともと太陽なんだ”なんていう女性の意見が出てきた。そんな時代が彼女を後押ししたんでしょうね」(増田氏)

 

 

夫の死後、せいのビジネスを支えたのが10歳年下の弟・林正之助だ。せいと二頭体制で会社を支えていく。

 

「正之助は芸人の給料を月給制にするなど待遇を改善した反面、厳しく管理した。そんな中で、せいがお母さんのような役をしていたのでしょう。芸人たちは“正之助に言ってもなにもしてくれないけれど、このおばはんに言ったら解決してくれる”みたいな。この役は彼女だからこそできた、女将さんみたいな包容力ですね」(増田氏)

 

1938年には、大阪のシンボルである、通天閣を買収。事業は拡大し、“女今太閤”と呼ばれるまでに。だが、彼女に最大の不幸が訪れる。

 

「8人の子宝に恵まれたせいですが、長男を含む4人が成人する前に亡くなっているんです。跡取り息子として残った唯一の男子である次男・穎右を溺愛するのですが、1947年に肺結核のため24歳の若さでこの世を去ってしまうのです」(スポーツ紙記者)

 

 穎右は『東京ブギウギ』で知られる9歳年上の笠置シヅ子と交際。だが、せいは最後まで結婚を認めず、彼の死後すぐに、シヅ子は女の子を出産している。跡取り息子を失ったせいは、表舞台に姿を見せなくなったという。そして、息子の死から3年後の1950年、後を追うようにこの世を去った。 “笑い”の陰に多くの涙を流した女傑の生涯。そこには、ドラマでは描かれることはないかもしれない、壮絶な女の一生があったのだ─。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わろてんか」のモデル 吉本興業とは?

明治末期の創業以来100年以上にわたり、古くは初代桂春団治、横山エンタツ・花菱アチャコ、柳家金語楼から、現在の明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号らに至るまで、東西の多くの人気芸人を輩出してきたお笑い界・演芸界の名門。テレビ番組制作、劇場、芸人養成スクールを手がけ、お笑い芸人のマネジメントでは圧倒的強さを誇る。

 

また戦前は、巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え、戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにし、近年はスポーツ選手のマネジメントを数多く手がけるなど、スポーツ界とのつながりも深い。元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり、戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称された。

 

創業者の姓を採り「吉本」と名乗っているが、現在はオーナー経営ではない。大株主にはフジ・メディア・ホールディングス、電通、BM総研(ソフトバンクの完全子会社)、大成土地(創業家の資産管理会社で、吉本、林両家が40%ずつ、吉本興業が20%の株を持っている)

 

芸能事務所としては初めて証券取引所に株式を上場も、株式上場を廃止する方針を発表。事実上のマネジメント・バイアウトを実施した

 

吉本興業は07年度で売り上げ465億円、経常利益が64億円

 

吉本興業には総勢6000人以上の才能豊かなタレントが所属しており、テレビ、映画、舞台など幅広いメディアに送り出しています

 

吉本の独特すぎるマネージメント術

そもそも吉本芸人のほとんどは専属マネージャーがいません。専属マネージャーがいるのは、明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン、雨上がり決死隊くらいのもので、そのほかの芸人は番組のメインを張るようなランクであっても、マネージャーは他の芸人との掛け持ちです。そのため、マネージャーにはとんでもない激務が待っているわけです」(プロダクション関係者)

 

とんでもない激務とは、どのようなレベルなのか。

 

「具体的に言えば、ひとりのマネージャーが若手芸人200組を担当するようなケースもあります。この200組はほとんど仕事がないレベルの芸人ですが、それぞれ月に1回の仕事があるだけでも200件ですから、マネージャーはとんでもなく多忙になりますよね

 

僕らが若い頃は、先輩たちから『付き人とマネージャーは違う。芸人の鞄を持ってはいけないし、“師匠”と呼ぶのもいけない。尊敬するのはいいけれど、マネージメントする立場なのを忘れてはいけない』と言われてきました。でも、僕なら加えて『もっと接近戦をしなさい』と指導しますね。一線を引きつつも、悩みを聞いて、自分の悩みを話して、さっきもいった『情の交わし合い』です。気心の知れたところでいいものを一緒に作っていくような、“いい間合い”の関係になってほしいと思っています」(吉野氏)

 

芸人の世界は一般のビジネスとは環境が異なるが、吉野氏のいうマネージャーと芸人との微妙な距離感や間合いは、ある意味、理想的な「上司と部下」のそれといえるかもしれない。

 

 

 

吉本のドケチ伝説

 

「マー君(田中将大)のメジャーリーグでの契約金も、吉本(興業)が間に入ったら、彼の口座には50万円くらいしか振り込まれない」

 これは、とある吉本のお笑い芸人が自身たちのギャラの低さを自虐的に言った台詞である。だが、本当に吉本は芸人のギャラを搾取しているのだろうか?

 

 昨年、放送された『コレを言わずに年が越せるか!ぶっちゃけ告白TV! カミングアウト祭! 2013』(フジテレビ系)内で、その真相が語られている。 千秋は元夫であるココリコの遠藤章造の給料明細を見て、「吉本って本当にギャラを9割取るんだなと思った」という。これに、品川庄司の庄司智春を夫に持つ藤本美貴も「本当にそう」と同調していた。曰く、共演した時のギャラが、自身のギャラより9割近く少ないというのだ。

 

ギャラより安い交通費~♪

多くの芸人から語られる吉本伝説。若し頃の明石さんまさんは、「ギャラより高い交通費」っと、なかば自虐的な替え歌を披露していました。ダウンタウンの松ちゃんによれば、吉本と芸人の間では、専属契約の契約書は結んでいないと暴露しています。ブラック企業?とも思える吉本興業。しかし芸人はそれでも吉本を選びます。そこには、ギャラは安くても、仕事をまわしてくれる?安心感や、一発屋としてもあきられたとしても、舞台や営業でそれなりに稼がしてくれる信頼感があるのではないでしょうか?

 

ギャラが安いということは、吉本が儲かるということ、そして芸人さんにとっては、「ネタ」になるということ、そして世間にとっては、「笑い」が提供されるということ、吉本興業は新時代の「三方よし」を実践しているのかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吉本興業社訓 

修羅場で君は光っているか?君の価値はここで決まる

 

吉本興業グループ行動憲章 

吉本興業グループは、「笑い」を中心としたエンタテインメントによる社会貢献と、「誰もが、いつでも笑顔や笑い声をもてる社会」の実現を目指しています。吉本興業グループのすべての役員・社員は、このような理念を実現し、文化・芸能の担い手として求められる社会的責任を果たすために、ここに、本行動憲章の制定と遵守を宣言します。 当社は、1912年の創業以来、常に当社所属のタレントたち(以下、「タレント」といいます)と共に歩み、共に発展してまいりました。本行動憲章の理念についても、全てタレントと共有し、私たちとタレントが一丸となって実現を目指すものであります

 

最良のエンタテインメントの提供 

私たちは、「誰もが、いつでも笑顔や笑い声をもてる社会」の実現を目指します。

私たちは、この大きな目標を実現するため、タレントと協同一致し、持てる能力を最大限に発揮して、子供からお年寄りまで男女を問わず安心して楽しんでいただける最良のエンタテインメントを創造し、これを社会に広く提供して、人々の心に残る「笑い」や「幸せ」をつくりだしていきます。

 

 

「笑い」による地方創生、そしてノーベル平和賞へ!?

 

吉本興業では、11年より47都道府県に芸人が移住し、それぞれの地域を盛り上げる取り組みを続けている。東京に一極集中する若手芸人の活躍の場を確保するのが狙いで、お笑いを通じた地域活性の旗頭として、現在では121人の芸人が各地で活躍している。

 

これまで約800の地域活性化事業に取り組んだり、地域の魅力を発信する83本の映画製作に携わったりしてきた。16年からはタイや台湾など、アジア6カ国の国と地域にも広げ、クールジャパンの伝道師として活躍中だ。こうした各地の「住みます芸人」が直面してきた地域の課題を集め、約30のベンチャー系企業や個人と協働しながら、解決を図る。アジア諸国においては、クールジャパン機構と7社が参画する「株式会社MCIPホールディングス」と連携し、貧困問題など社会的事業の拡大を目指す。

 

 芸人たちの地域に寄せる思いも強い。ゆりやんレトリィバァは会見に登場するなり、外国人記者らに流暢な英語で挨拶。会見で、「自分は奈良県出身で、奈良県の『住みます芸人』を3年前にやらせていただいていた。その時に農家の方とお会いして後継者不足を実感し、会見前のイベントでも農村の人手不足のネタを披露させていただいた。元『住みます芸人』として、何かできることがあれば手伝いたい」と話した。

 

 福島県の「住みます芸人」を務める現役のぺんぎんナッツも登場。ぺんぎんナッツは、「売れてない状態で福島県に移住させてもらって、東京ではできなかったテレビやラジオの仕事もいただけるようになった。福島では自分たちのギャグがおじいちゃんおばあちゃんみんなやるぐらい有名」と語った。

 

 ゆりやんのように、地域から名前を売って全国区に羽ばたいたり、東京から離れたことによって、自分の才能を発揮できる場に出会えたりなど、「住みます芸人」として地方に移住することは一つのチャンスと言えるようだ

 

今後、吉本興業では、従来の「すみます芸人」の取組に加えノーベル平和賞受賞者と連携した世界の貧困の撲滅のための取組を開始するとのこと。どこまで本気なのかネタなのか? いずれにせよ吉本の挑戦には「笑い」が絶えないものになりそうです。 

 

     

  ■大人気・家訓ブログが本になりました!

 

<新刊>口コミだけで7,000人以上が共感!“家訓のスペシャリスト”の幡谷哲太郎氏が、初めての書籍『世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方』を発売~叱らない、見守る子育ての極意を教えます~

 

 ■書籍概要

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版 価格 : 1,600円+税

 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063