北条時宗 座右の銘「莫煩悩」

 

 

 

 

 

 

 座右の銘『莫煩悩』

 

 

 

 

北条 時宗(ほうじょう ときむね)

 

 

鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権。

 

鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国(大元朝)の圧力が高まるなかで執権に就任。内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、モンゴル帝国(大元朝)の2度にわたる侵攻を退け(元寇)、戦前までは日本の国難を救った英雄と評された

 

座右の銘『莫煩悩』

意:あれこれ考えず正しいことをする

 

鎌倉幕府執権:北条時宗が二度の元冦の襲来を受けた時の年齢は初めが23歳、二回目が30歳。その三年後、僅か33歳で此の世を去り、正に国難の時を駆け抜けていきました。「相模太郎」と呼ばれ力強い意志と明確な決断力を持った若き指導者でしたが、彼も思い悩む時があったのです。

 

「私は臆病で気が小さくて困る」と自分の努力不足の反省から師である禅僧・無学祖元に指導を求めました。師の言葉は「的確に自分を小心で臆病だと自覚したら、その人は既に臆病でも小心でもない。」さらに師は『莫煩悩』の三文字が書かれた物を与え、

「全ての思い煩いの煩悩を断て、胸中のくよくよを捨てよ、これから起こるであろう事に思い煩うことなかれ、仁知を尽くして天命を待て!」と教示した

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今も問われる日本人のお花畑理論

 

根拠のない怖すぎる「お花畑理論」

タレントで評論家もつとめる吉木誉絵さんは、選挙後の特番で、有権者の声として以下のような意見を紹介しています。

「東大生に『なぜ自民党支持なのか?』と聞いたら、国が好きっていう事に右も左もないのに好きと言った瞬間、右翼だ!と言われる風潮がバカらしいと。安全保障はリアリズムに基づいてやらなきゃいけないのに、非現実的な議論が国会で多すぎると」

 

安全保障とは、国と国の喧嘩を防ぐ考え方です。A国には、A国の理屈があり、またB国にはB国の正義があります。日本には法治国家です。戦後つくられた憲法では、戦力放棄を掲げ、ただし自衛のための戦力として自衛隊を保有し70年にわたって平和を保ってきました。これをして、左翼と言われる人たちは、「憲法9条」が日本を守ってきたと声たかだかに叫んできた現状があります。

 

学生さんがいうように、安全保障は、思想でなくリアリズムです。しかし日本では、「憲法9条」と叫んでおけば敵さんがシッポをまいて逃げていく!? そんな脳みそがお花畑で出来ているようなロジックがまかりとっています。そして根拠のないお花畑理論は、日本の悪しき風習でもあったのです。

 

元寇の際に露見した「お花畑」

画像は、福岡県の筥崎宮に掲げられた額縁です。「敵国降伏」と記されています。これは元寇に際し、日本を守るため亀山天皇さまが直々に下賜されたもので、実際の戦も奇跡的な勝利を収めることとなりました。

 

元寇とは、文永の役、弘安の役の二回にわたって襲来したモンゴル軍との戦いで、文永の役は文永一一(一二七四)年十月に発生。約二万六〇〇〇の元軍が博多湾に攻め寄せて日本軍と激戦。日本軍は元の集団戦法や火薬兵器の苦戦。元軍が船に引き上げた際、いわゆる『神風』と呼ばれる暴風雨で、元の船団は壊滅的打撃を受ける。つづいて.弘安の役は弘安四(一二八一)年に発生。七月三〇日夜からの暴風雨で元軍の船団はまたも壊滅。

 

教科書では、苦戦がつづく戦況のなか、突如嵐がおこり、モンゴル軍が壊滅したと記されています。つまり神風のお蔭で勝ったということです。亀山天皇さまの祈りが神風を招いたっと・・・

 

しかし、リアリズムの立場でいえば、日本は神風のおかげでモンゴル軍に勝ったのではありません、突然の暴風雨に恵まれたこともあるが、基本的には鎌倉武士団の奮闘ことが、第一の勝因なのは言うまでもない事実です。 

 

もし戦に負けていれば・・・

中国大陸は「宋」「金」を経てチンギス・ハーンの孫、フビライ・ハーンが「南宋」を破り広大な中国大陸を征服しました。これが「元」の国です。その際フビライは中国全土の都市を完全に廃墟ならしめ、人民は皆殺しにします。なんせ蒙古軍の通った後は、都市は廃墟と化し、無人の荒野と累々と並ぶ屍の山々だけが残されます。

 

記録によると、わずか4つの都市を陥落するごとに5百万人の人間が殺されたと言われています。この13世紀の文明世界の大部分を征服した凶暴なモンゴルが、海を隔てた極東の国、日本を支配せんものと2度にわたり攻めてきました。

 

鎌倉幕府の北条時宗は強大な蒙古軍を迎え撃ちます。時宗も多くの日本人も凶暴で強大な蒙古軍の強さを知る由もありませんが、折しもそのときモンゴル軍ははるか西方、ポーランドにまで侵入して、勇猛で知られたヨーロッパ騎士団の連合軍4万を一瞬にして打ち負かし、一人残らず皆殺しにしていました。

 

その恐ろしい蒙古軍を迎え撃つのです。それは、歴史始まって以来の未曾有の外国からの侵略であり、国家存亡の一大危機です。

 

時宗の安全保障

再度の襲来を予期していた鎌倉幕府は高さ三メートル、長さ二十キロにも及ぶ石のバリケードを博多湾沿いに作ります。まさに日本版「万里の長城」です。5年後再び蒙古と高麗の兵士が、実に4千5百隻余の軍船と15万人の巨大な兵力で博多湾に入ってきました。しかし海岸に迫った蒙古軍は石のバリケードに阻まれて、上陸することが出来ません。日本人の学習能力の高さです。

 

蒙古軍は唯一、バリケードが築かれていなかった志賀島に上陸しましたが、七日間に及び激戦の末、ついに蒙古軍を撃退。さらに幸運なことにまたまた台風がやってきて蒙古軍船を壊滅させます。もしこのとき蒙古軍の侵略を許していれば、ほとんどの日本人は惨殺され、今日の日本の姿はどんな国になっていたのでしょうか?

 

世界一の超大国を打ち破り日本の英雄となった北条時宗。しかし、朝廷の扱いは存外に悪く、官位が1つ上がっただけ、恩賞にあたる金も、領地も、時宗たち鎌倉武士団の持ち出しというありさまでした。その間、朝廷では筥崎宮をはじめ全国の神社仏閣に加持祈祷を依頼。神風を吹かせたのは神仏の力だとして、時宗たちを無視し厚遇するありさまでした。

 

結局、時宗は23歳、30歳と2回の元寇に襲われその生涯をモンゴル兵の打倒のために費やします。結局、心労がたたり33歳の時に逝去することとなりました。また北条家が支えた鎌倉執権政治も、元寇の負担のため徐々に求心力を失い50年後には、時代は足利氏に引き継がれることとなったのです。 

 

「敵国降伏」と叫んでみても、当時のモンゴル兵には1mmも響かないことは明白です。同じように「憲法9条」と叫んでみても、北朝鮮や中国にはに響かないのではないでしょうか?

安全保障は徹底的なリアリズムが必要です。そういった面では、平成の御世となった日本は、まだ時宗のような英雄を評価できないお花畑のなかで暮らしているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本を救った英雄 北条時宗

 

弘安の役にみせた時宗のリーダーシップ

軍勢は、文永の役をはるかに上回るものでした。朝鮮半島から4万、大陸から10万・・・合わせて14万の大軍でした。

6月5日・・・先鋒隊が博多湾へと迫ります。

 

ここで5年をかけ新調した防塁が役に立ちます。前線は防塁によって侵入を阻み、元軍は、海上に釘づけにされてしまいました。夜になると御家人たちは奇襲をかけ・・・2か月の攻防が繰り返されます。

 

ここで・・・7月30日の夜半・・・台風が通過・・・これが神風です。

元軍の船は壊滅的となりました。長崎県松浦市の鷹島では・・・今も多くの元軍の船の調査が行われています。

 

弘安の役の三年後・・・時宗は、34歳という若さで病死します。そのほとんどを・・・モンゴルとの戦いに捧げた生涯でした。

その後も日本は、元の脅威にさらされます。

 

福岡市では水路跡が発見されています。元寇防塁を突破された時の第二防衛戦として作られた堀でした。

幅3m、長さ800m・・・鎮西探題を守る重要な役割を果たしていました。このほかにも、防塁の修理・整備や九州北部の警備が行われました。当時世界最強と恐れられたモンゴル軍を撃退したのがタマタマではない、入念な準備と、武士団の強さが、2か月もの間戦線を膠着させ、結果、台風が来ることとなったのです。

 

中国では、漢民族が、中東ではアラブの人々が、そしてヨーロッパでは騎士団がそれぞれ殲滅されたモンゴル軍を破った鎌倉武士団の奇跡は、日本史だけでなく、世界史的にみても誇るべき英雄であることは間違いありません 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超ド級の大帝国モンゴル帝国

 

モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家。大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。

 

モンゴル帝国の創始者チンギス・カンとその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。三大洋全てに面していた。

 

モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、大ハーン)を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。

 

中国とモンゴル高原を中心とする、現在の区分でいう東アジア部分を統治した第5代皇帝のクビライは1271年に、緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。

 

 

 

 

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=151x1024:format=png/path/s8fd5e74b72495120/image/i1b06056c366cd801/version/1458779739/image.png      

 

大人気・家訓ブログが本になりました!

 

 

 

<新刊>口コミだけで7,000人以上が共感!家訓のスペシャリストの幡谷哲太郎氏が初めての書籍『世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方』を発売~叱らない、見守る子育ての極意を教えます~ 

 

 

 

書籍概要

 

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

 

著者 : 幡谷哲太郎

 

発売日: 201561

 

  出版社: セルバ出版 価格 : 1,600円+税  

 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063