真田幸村 子孫 仙台真田家「家訓」

 

 

 

 

 「一身を潔せんとして、世恩に背く能(あた)能(あた)わず」

 真田幸村子孫 仙台真田家の家訓

 意:義理をかくな 

 

 

真田 信繁(さなだ のぶしげ)

生誕:永禄10年(1567年)一説に永禄13年2月2日(1570年3月8日)

死没:慶長20年5月7日(1615年6月3日)一説に寛永18年(1641年)とも

 

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男。「真田幸村(さなだ ゆきむら)」の名で広く知られている。  勇猛果敢なイメージが先行するが、その生涯のほとんどを人質として過ごす不運の武将でもありました。

 

幼少の頃より、武田家、上杉家、豊臣家とわたりあるき、秀吉に取り立てられ大名となるものの、34歳で関ケ原の戦いで敗戦後は、高野山で14年にもわたる軟禁生活を余技なくされます。

 

人質時代にくわえ、14年間の軟禁生活。実はほとんど自由な時間はなかった人生です(*_*)

戦場で花ばなしく散った幸村の命でしたが、こうした不遇の生活と比べられば、まさに本望だったのかもしれません。

 

豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本一の兵(つわもの)

   

大坂夏の陣では、3500の兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込んだ幸村。 相手の先陣をギリギリまで引きつけてから奇襲を仕掛けて敵陣を突破し、家康本陣は大混乱。真田隊は家康本陣にいる旗本勢をついに切り崩し、馬印や軍旗を倒してさらにそれを乗り越え、逃げ惑うさらに、さらに家康を追い詰めます。

 

この時、家康は何度も「切腹」と口走るほどに狼狽したほどで、如何に幸村の奇襲が家康を追い詰めたがわかります。

恐怖と予期せぬ事態に逃げ惑い腰を抜かす旗本らとともに、家康はなんとか幸村の奇襲から逃げ切りました。

 

こうして敗戦濃厚な豊臣方の陣営の中で、孤軍奮闘し漢(おとこ)として生きた幸村は、日本一の兵(つわもの)として名を遺しました。幸村の最期は、体制立て直しと休息のため近くの安居神社にいたところを敵兵に見つかり、槍で突かれて戦死しました。享年49です。

  

幸村の最期にはこんな逸話もあります。幸村は西尾に「手柄にせよ」と自ら首を差し出したというものです。 死に際のいさぎよさも、日本一といわれる兵(つわもの)の由縁。

「わが人生に一片の悔いなし!」っと叫ぶラオウの姿も、オーバーラップする生き様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 幸村直系子孫が語る真田家の「教え」

 

https://news.goo.ne.jp/article/senkei/bizskills/senkei-20160826140404741.html

 

 

「真田丸」を築き、大坂夏の陣で生涯を閉じた真田信繁(幸村)。幸村には4男、9女がいた。幸村の子孫が仙台真田家として今日まで命脈を保っていることはあまり知られていない。仙台といえば伊達家のお膝元。幸村と政宗。今も根強い人気を誇る両雄には浅からぬ縁があった。13代当主の真田徹氏がひもとく。

 

──仙台真田家のプロフィールをお聞かせください。

 大坂夏の陣で幸村が討ち死にし、長男の大助も自害して果てました。次男・大八(だいはち)大八(だいはち)が幸村の血を引く唯一の男子として生き残り、仙台を治めていた伊達家にかくまわれたのです。当時伊達家の重臣だった片(かた)片(かた)倉(くら)倉(くら)重長(しげなが)重長(しげなが)の庇護(ひご)庇護(ひご)を受け、子孫は仙台藩士として幕末まで生きぬきました。江戸幕府には「真田憎し」の感情があり、大八は片倉姓を名乗らざるをえませんでした。真田姓を名乗れるようになったのは、大坂夏の陣終結からおよそ100年後のことです。

 私は幸村から数えて14代、仙台真田家としては13代の当主にあたります。大学を卒業後、東京の建設会社に就職し定年までサラリーマン人生を送ってきました。仙台真田家の家督を継いだのを機に、真田家の来歴についていろいろ調べるようになりました。

 

──史料を調査して仙台真田家に伝わる言い伝えを発見できましたか。

 真田家の方針を言い表すとすれば「独立心」ですね。

 幸隆にしろ昌幸にしろ、武田家などの大きな勢力の配下につかざるを得ませんでしたが、根底には独立心がありました。独立心をどこまで押し通せるのか見極めることが肝心で、残念ながら昌幸は関ヶ原の戦いでそれができなかった。昌幸は三男で幸村は次男。大事な局面で「賭け」の精神が頭をもたげてきてしまう。この2人は似た気質の持ち主だったように思いますね。

 その意味で長男の信之はたいしたもので、情勢を冷静に見ていた。昌幸は早い段階で信之を沼田城主として独立させました。ここが昌幸のうまいところで、真田家はお家騒動に巻き込まれたことが一度もありません。昌幸は自身が健在だったうちに真田家の行く末を考えていたのです。

 伊達政宗公をはじめ、片倉家、配流された紀州・九度山から仙台までの道のりを共にしてくれた従者の人々など、大勢の人たちに助けられたからこそ幸村の血を受け継ぐことができたと思っています。当家には「一身を潔せんとして、世恩に背く能(あた)能(あた)わず」という家訓がありますが、その意味するところは受けた恩を忘れるなということです。

 

──伊達家が危険を顧みず幸村の子をかくまったのはなぜでしょう。

 幸村が大坂夏の陣で戦っていた伊達家の騎馬鉄砲隊を率いていたのが片倉重長です。激闘を交わした武将に幼いわが子を突然託したとは思えません。幸村と伊達家の間に何らかの密約があったと私は見ています。片倉家はもともと信濃国諏訪郡出身の豪族で、諏訪下社の神主を代々務めた家柄です。真田家のルーツをさかのぼると諏訪神を信仰する修験者と関わりが深かった。また、京都の真田屋敷が片倉家と隣り合わせだったという言い伝えが当家に残っています。密約ですから当然証拠は残っていません。伊達家の子孫の方に尋ねてもきっと認めないでしょう(笑)。

 

──歴史のロマンを感じます

 伊達家は真田だけでなく、長宗(ちようそ)長宗(ちようそ)我部(かべ)我部(かべ)盛親(もりちか)盛親(もりちか)の重臣佐竹親義(ちかよし)親義(ちかよし)の妻子、明石(あかし)明石(あかし)全登(たけのり)全登(たけのり)の子・明石内(ない)内(ない)記(き)記(き)など大坂方についた諸将の子息を多くかくまっています。きっと政宗公には武士としての意地というか反骨心のようなものがあったのではないでしょうか。

 

──江戸藩士としての暮らし向きはどうだったのでしょうか。

 当家の祖となる真田大八は片倉家親類衆として片倉守信(もりのぶ)守信(もりのぶ)を名乗りました。「江戸御番組馬上役 永代二番座呼懸」という役職に就き、いわゆる門閥として出仕しました。ちょうどそのころ大八は本姓の真田姓を名乗ろうとしましたが、江戸幕府に目をつけられます。当時勃発(ぼつぱつ)勃発(ぼつぱつ)した島原の乱では大坂の陣で敗戦した浪人が紛れ込んでいたため、「真田」の名前を看過できなかったのでしょう。

 身元調査を命じられましたが、幸村のおじにあたる信尹(のぶただ)信尹(のぶただ)の次男・政信の子と偽った系図を幕府に提出し、片倉姓に戻して難を逃れます。以後、幕府から調査を命じられることはありませんでした。真田姓に復姓できたのは幕府の顔ぶれが大幅に変わり、大坂の陣の記憶も薄れた1712年、大八の子、辰信の時代になってからです。

 

──仙台真田家の祖である幸村はどんな人物だったと思いますか。

 大坂の陣での活躍から「日本一(ひのもといち)日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)兵(つわもの)」とうたわれ、勇猛果敢なイメージが流布しています。江戸幕府に対する不満のはけ口が見つからないなか、人々は幸村を反・徳川の象徴に祭り上げ、幕府を倒すという架空の物語をつくることで留飲を下げていました。今の世の中でいえば、居酒屋で政治や上司に対する不満を口にするのと同じです。その意味で幸村の活躍に尾ひれがつき、肥大化した幸村像が後世に伝わってしまいました。

 兄・信之によると幸村は柔和で辛抱強く、物静かであったといいます。身長もそれほど高くなく、別段体力に優れているわけでもなかった。温厚で人当たりのいい人物だったのではないでしょうか。子孫としてはそうあってほしいと思います。

 

プロフィール

さなだ・とおる

真田幸村14代・仙台真田家13代当主。宮城県仙台市生まれ。福島大学卒業後、大手建設会社に勤務。真田幸村ゆかりの地をはじめ全国での講演活動、観光イベント出演などをこなす。信州上田観光大使。著書に『真田幸村の系譜

直系子孫が語る400年』(河出書房新社)、『直系子孫が明かす!真田幸村の真実』(宝島社)がある。

  

 

 

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