大友家 家訓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平安時代から続く名門の武家。先祖は百済から亡命した王族と称している。周防国府の介を世襲した在庁官人から守護大名、そして戦国大名へと成長し、周防・長門、石見、豊前、筑前各国の守護職に補任されたほか、最盛期の大内義隆の代には山陽・山陰と北九州の6か国を実効支配した。家紋は「大内菱」。

 

戦国時代では落ちぶれてしまう家ですが名門中の名門の一族です。

転落のきっかけは、部下の反乱です。結局、謀反の結果、国をのっとった陶晴賢も、毛利氏にやぶれたことで、毛利氏が、棚ぼた式に、中国地方のほぼ全域を支配下に置きますが、元々は安芸の一国人領主にすぎませんでした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は山口にある国宝・浄瑠光寺です。

西の京といわれた大内家の隆盛をいまに伝える遺物となっています。この五重塔は応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死した義弘を弔うために建てられたものです。

 

戦国時代に没落することになった大内家ですが、平安時代から続く名門の一族は、実に400年にわたって権勢をふるいました。家康がきづいた江戸時代が260年あまり。長い長い歴史があったことが分かります。そんな大内家が国政に一番影響を与えたのが室町時代に勃発した「応仁の乱」でした。

 

当時の当主・大内政弘は、応仁元年(1467年)から始まる応仁の乱で西軍の山名宗全に属して勇名 を馳せ、宗全の没後に山名氏が戦線を離脱すると、西軍における事実上の総大将になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地味すぎる大乱・・・応仁の乱とは?

 

とにかくグダグダ応仁の乱 

応仁の乱には、通説にあるような“単純な対立構図”はありません。むしろ『わかりづらいこと』が最大の特徴で、そこに面白さがある。実は、なぜ戦乱が広がったのかもはっきりしないし、最終的に誰が勝ったのかもよくわからない。

 

誰も望んでいないのに行きがかり上、広がってしまった大乱 

日本の歴史上、最も有名な戦乱のひとつのはずなのに、大河ドラマになれば低視聴率。誰が登場したのかも、どんな理由で争ったのかもよく知らない──そんな「応仁の乱」をテーマにした新書が、異例のベストセラーになっている。

 

 昨年10月に出版された、国際日本文化研究センター助教の呉座勇一氏の著書『応仁の乱』(中公新書)。増刷を重ね、累計18万部を記録している。応仁の乱といわれても、「人の世むなし……(1467)」という語呂合わせが出てくるくらいで、印象が薄いと感じる人も多いだろう。実際、応仁の乱を取り上げた大河『花の乱』(1994年放送、主演・三田佳子=日野富子役)は、当時の歴代最低視聴率を記録した。 そもそもどんな戦乱だったのか。通説をおさらいすると次のような内容となる。

 

〈息子がいなかった室町幕府の八代将軍・足利義政は弟の義視を後継者と定める。しかしその後、義政の妻・日野富子が男児(のちの義尚)を出産。富子は我が子を将軍にしようと画策する。この諍いに有力守護大名の細川勝元(義政側=東軍)と山名宗全(義尚側=西軍)が介入し、11年に及ぶ天下を二分した大乱に発展した〉──。

 

この乱の戦場は最初は京都を中心に戦っていましたが、11年にも渡り戦をしていたので、次第に地方へと広まって全国的内乱へ発展していきました。

 

この戦いの主力は、雇われ農民や浪人などの質のよくない足軽が主流でした。そのため、かれらは自分の得する方へ寝返ったり、強奪・焼き討ちなどやり放題の限りを尽くして、屋敷や重要な寺社仏閣なども焼けてしまい、京の街は焼け野原になりました。 

 

戦況も将軍義政と弟義視の仲がおかしくなり将軍家での東軍西軍が入れ替わってしまい、誰が誰のために戦っているか分からなくなってきます。そんなこともあり、幕府の権威がほぼ皆無に等しい状態になっていきます。

 

また、ほとんどの守護大名が京都へ遠征にきていたため、国人衆や配下の武将たちが自分たちの勢力を伸ばそうと、下剋上が各地で起きます。

 

誰のための戦いなのか分からない状態が10年ほど過ぎ、両軍の大将が相次いでこの世を去ります。最後まで畠山義就の小競り合いはあったが、細川・山名両氏の息子により和睦が成立して11年にも及ぶ大乱が幕を下ろす流れとなります。

 

最終的に、将軍職は義政が推していた義視ではなく、息子である義尚が9代目将軍となりました。この応仁の乱で、幕府の権威は失墜して全国で守護大名の不在時の混乱や下剋上が起きて幕府の手におえない状態になりました。これにより、戦国時代の幕が上がっていくのです。

 

勝者も敗者もいないグダグダの応仁の乱のなかで、大内家は、本領安堵に成功し、一応の成果をあげています。しかし、長すぎる戦いの結果、時代は、下剋上の戦国時代に突入していくことになります。中国地方をおさめた名門大内家も、時代のながれにあがらえず、家臣に謀反をおこされ自決する運命をたどることになります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)

 

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。キリシタン大名。大友氏21代当主。宗麟の法号で知られている。 大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて少弐氏・島津氏と共に幕府御家人衆の束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の進出に対し少弐氏と結び抗争している。

 

海外貿易による経済力と優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏を初めとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。 当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。

 

最盛期には九州六ヶ国を支配して版図を拡げた。しかし「キリシタン王国」建設間近で島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名に甘んじて豊後一国までに衰退した

 

大友 義統(おおとも よしむね)

戦国時代から安土桃山時代にかけての豊後の戦国大名。大友氏の第22代当主。大友宗麟の嫡男

 

関ヶ原の後、東軍配下の細川家領の豊後杵築城を攻めたという咎で、吉統は出羽の秋田実季預かりとなり、実季転封にともない常陸国宍戸に流罪に処された。流刑地では再びキリシタンとなったという話も伝わるが、同時代史料が無く未詳である。この流刑地で大友氏に伝わる文書を「大友家文書録」にまとめたが、このおかげで大友氏は零落した守護大名家としては珍しくその詳細を知ることができ、大変貴重な史料となっている。

 

吉統は慶長15年(1610年)に死去する。享年53。戒名は中庵宗厳。大友家は義乗が旗本として徳川家に召抱えられ、鎌倉以来の名家として高家として続いた

 

大内家と家訓

宗麟までの大友氏の分国法としては①「大友義長条々」、②「新大友義長条々」、③「大友家政道条々(政道十九条)」があります。 このうち、①は大友義長、②は大友義鑑が制定したもので、③が大友宗麟の制定したものといわれています。

 

大友氏の内部を安定させるため、『義長条々』という分国法を定めたとされるが、分国法としての整備は子の義鑑の時代において為されたもので、義長の存命時の『義長条々』は家族への姿勢や思いやりなどにつき延々と述べるなど、家訓的な性格が強い。子・重治の菊池氏への入嗣問題など政治面での訓戒も見られ、警戒すべき一族の名前を指摘するものです。

 

大友家政道条々(政道十九条)

 

一、国中の神社・仏閣、小破、其の所の代官或いは領主、かねて訟(うつたえ)、修理並びに祭礼等を加え、古法を濫(みだる)るべからざる事。

一、文武の道相嗜む(たしなむ)べき事。治世に於ては文を以て先と為し、乱世に於ては武を以て先と為す。而して治に乱を忘れず。甲冑・弓馬・戈矛等常に貯わえ置くべきものなり。(中略)

一、清廉(せいれん)を専らにすべき事。土民百姓に至りては、憐愍(れんびん)を加えて撫育せしむべきのなり。古(いにしえ)にいわく、衆を得れば則ち邦(くに)を失う、誠なり。

一、諸侍倹約を用いらるべき事。富(と)める者弥(いよいよ)誇り、貧なる者恥るに及ばざれば、是より国家の凋弊(ちょうへい)甚だしきはなし。ここに於て厳制せしむるところなり。

一、群飲佚遊(いつゆう)を制すべき事。厳制に載する所殊に重し。好色に耽り(ふけり)、博奕(ばくえき)を業とするは、これ亡国の基なり。

一、府内に於て眤近(じつこん)の侍の外、長草履・木履停止の事。附たり、諸出家は制の外なり。並びに医師、六十已上の者、女性はこれを聴す(ゆるす)。雑人は足半(あしなか)を用うべきものなり。

 

天文十一年三月朔日                   義鎮

 

 

 

 

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