今川了俊 今川状(今川了俊愚息仲秋制詞条々)

 

 

 

 

 

 

 

 

 今川状 今川家家訓

「幼少之時、道正しき輩相伴い 仮初にも悪友に順随之有べからず。水は方園之器人は善悪友に依って実哉。是以国治め守護者賢人を愛し、民を貪る国司は侫人を好む之由申伝也。」

概意:いい友達をもちなさい

 

  

 

今川 貞世(いまがわ さだよ)

法名は了俊(りょうしゅん)で、今川了俊と呼ばれる事も多い

生誕:1326年

死没:1412~18年頃

 

鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、守護大名。室町幕府の九州探題、遠江、駿河半国守護。九州探題赴任中は備後、安芸、筑前、筑後、豊前、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の守護も兼ねた。歌人としても名高い。没年は異説あり。

 

南北朝・室町前期の武将・歌人。嘉暦元年(1326)生。範国の子。名は貞世、将軍足利義詮の死を機に出家して了俊と号した。九州探題に任命され、室町幕府の九州統治に成功した。幼少より歌を志し、冷泉為秀に師事、また周阿・二条良基らに連歌を学んだ。文筆にも優れ、『難太平記』『下草』『二言抄』等多数の著がある。応永19~25年(1412~1418)頃歿、享年未詳。

  

今川了俊は、今川義元のご先祖さまにあたる人物です。今川家初代の、今川範国の子であり、徳川家康の最初の正室である、築山殿のご先祖様にもあたります。了俊の死後、今川家は発展をつづけ、義元の代には、天下を狙うほどの大大名になります。しかし、桶狭間の戦いで織田信長によって、義元は打ち取られます。教科書で今川家が登場するのはここまで、しかし、実際には物語には続きがあります。義元の死去、領地が奪われることとなった今川家ですが、京都の公家や、和歌や書の腕前を武器に、戦国の世を渡っていくことになります。結局、関ケ原の戦いのあと、今川家は、徳川家康に召し抱えられ、天皇家と将軍家をつなぐ、高家といわれる職につき、明治維新まで、その命脈を保つこととになったのです。

 

芸は身を助く。武家として、存続の危機に陥った今川家も、最後は了俊にまで連なる「芸」の道で、激動の時代を生き抜いていったのでした。

 

万能の天才 今川了俊

室町時代前期にまとめられた歌学や有職故実に関する書物の7割までもが了俊の執筆といわれ、日本史上でもトップクラスの優美な文の書き手としても知られています。

 

素晴らしい歌や紀行文も残しており実務面の政治、行政、外交にも優れた実績残し権謀術数にも長けたしたたか政治家で軍事面では野戦も強く渋川氏とかの前任の九州探題が何十年も出来なかった九州北部平定を赴任数年でやってのける軍才を兼ね備えていました。しかも96歳まで生きる生命力・・・ こんな人いたんですね(>_<)

 

今川状とは?

室町時代の初期,今川了俊 (貞世) が弟仲秋のために記した家訓。政治,生活,教養など武士の心得を 23ヵ条にまとめたもので,中世の家訓のなかでも代表的なものである。近世になって,『今川状』『大橋流今川状』『今川童蒙解』という名で流布し,寺子屋の教科書などに多く用いられた。また『寺子今川状』『百姓今川淮状』などのように「今川」の名を借用した派生的な教科書も出回り,他方では『女今川』のように女子教訓書として流行したものまであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代のベストセラー「今川状」とは

 

今川状(いまがわじょう)とは、遠江今川氏の祖とされる今川貞世が1412年、養子で弟の今川仲秋に与えた指南書である。他に武芸の心得を示した『今川大双子』がある。主に内容は書の手本書であるが、その意味は深く、人生における教訓論や治世への心構え、君主の姿勢等、謂わば帝王学を示す物であり、道徳の手引きとして後世にも広く親しまれた。

 

江戸時代は、寺子屋をはじめ学問所で多くの者に愛読された。また、今川と言えば『今川状』を示す代名詞ともなったという

 

 

 

今川了俊同名仲秋へ制詞条々

 

一、不知文道武道終に不得勝利事 

一、好鵜鷹逍遥楽無益殺生之事 

一、小過輩不遂糺 明令行死罪事 

一、大科輩為贔屓沙汰至宥免之事 

一、貧民令沒倒神社極栄華之事 

一、椋公務重私用不恐天道動事 

一、祖先之山庄寺塔敗壊荘私宅事

一、令忘却君父之重恩猥忠孝之事 

一、不弁臣下善悪賞罰不正之事 

一、企過乱両説以他人愁楽身之事 

一、不知身分限或過分或不足之事 

一、嫌賢臣愛侫人致沙汰之事

一、非道而 冨不可羨正路而衰不可慢之事

一、長酒宴遊興勝負忘家職之事

一、迷己利根就万端嘲他人事 

一、客来之時構虚病不能対面之事 

一、武具衣装己は過分臣下は見苦事 

一、好独味不能施人令隠居之事 

一、貴賎不弁因果道理住安楽之事

一、出家沙門尤致尊崇礼可正之事 

一、分国立諸関令煩往還旅人事

一、臣如知之君又可為同前事

  

右の条々常に心にかけるへし。弓馬合戦嗜事。武士の道めつかしからす候間、専一に可被執行の事第一也。先可守国之事。学文なくして政道成へからす。四書五経其外の軍書にも顕然也。

 

然者幼少之時よりも道のたヽしき輩に相伴ひ、かりそめにも悪しき友に不可随順。水は方円の器に随ひ人は善悪の友によるという事実哉。これを以て国を治る守護は賢人を愛。貧民国司は侫人を好よし申伝也。君の愛し給ふ輩を見て、其心をうかヽひしれといふ事也。古語にも其人を不知は其友を見よといへり。

 

されば己にまさる友を好、己にをとる友をこのまされ。求友須増吾似我不若無いへり。但かくいへはとて、人を選ひすつへからす。是は悪友を愛する事なかれという事也。一国一郡を守身にかきらす、衆人愛敬なくして諸道成就する事かたし。

 

第一合戦を心にかけさる侍は、人にすかさるよし名将いましめをかれる事なり。先我心の善悪をしり給ふへきには、貴賎群集してくる時はよきと思ふへき。招とも諸人うとみ出入りのともからなきときは、己か心の行たヽしからさる事をしるへし。

 

さりなから人の門前に市をなすにも二種あるへし。無理非法の君にも一端の恐有て、また臣下無道にして民を貪、謀略のともから申掠によって、権門に立くらす事有り。如比の境をよくよく分別して、臣下の猥を糺し、先蹤を守、憲法のさたいたすへき人を余多めしつかふへきなり。

 

心得大かた日月の草木を照し給ふかことく、近習にも外様にも山海はるかにへたたりたる被官以下迄も、昼夜慈悲忠罰の遠慮を廻し、其人の器量に随、可召仕者也、諸侍の頭をする人、智恵才覚なく油断せしめは、上下の人に批判せらるヽ事有へき也。只行住座臥仏の衆生を救と諸法に演給ふかごとく、心緒をくたきて文武両道を心に捨給ふへからす。

 

国民を治事仁義礼智信の一つもかけてはあやうき事成へし。政道を以て科を行て人の恨なし。非義を構て死罪せしむる側は其科弥深し。然者因果其科難遁専一臣下忠不忠の者を分別して、可恩賞事肝要也。莫大の所領を持ても、妻子以下無益の動に私用を構、弓馬無器用にして人数をも不持輩に、所領を宛行事無益たるへし。

 

諸家の儀先祖より知行不相違といへとも、時の主人の心持によって威勢多少を振事、専ら合戦の道を翫ひ、常に文武二道をわするへからす。是一もかけては貴賎の善悪をしらすして、天下の嘲を恥さる儀口惜かるへし次等也。仍壁書如件

 

応永十九年二月日

沙弥了俊

 

 

 

 

 

 

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