斯波氏の家訓「竹馬抄」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹馬抄(ちくばしょう)は、室町幕府の管領・斯波義将が子孫のために記した家訓。武家家訓を扱った書物で原文を見ることができる。『群書類従』所収の立原万蔵本書写に永徳3年(1383年)2月9日とある。序文と十箇条からなる。

 

斯波 義将(しば よしゆき)は、南北朝時代から室町時代の武将・守護大名。斯波氏5代当主。室町幕府創業の元勲である斯波高経の4男

 

室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。

 

斯波氏(しばし)は、日本の武家のひとつ。室町幕府将軍足利氏の有力一門であり、かつ細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名であった。越前・尾張・遠江などの守護を世襲し、また分家の大崎氏は奥州探題、最上氏は羽州探題を世襲した。明治維新後に男爵家となった源姓津田氏も、その末裔の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

源氏とは?

嵯峨天皇が生まれた子らに源姓を与えたことに始まる。皇室と祖(源流)を同じくするという名誉の意味をこめて与えられた。源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。斯波氏は、足利将軍を補佐する家であり、足利家に跡取りがない場合、将軍家をつげる家格がありました。

 

この時代、本姓という考えがあり、斯波氏や足利氏の本姓は、「源」です。この「源」(みなもと)の姓は、皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つで、多数の流派があります。日本の皇室には「名字」がありません。しかし、臣籍降下をすると、「名字」が必要になります。そのため、歴代の天皇は子息が降下する際、名字をさずけ、とくに「源」(みなもと)の姓には、「源(みなもと)は一緒」だという思いが詰まった姓です。

 

天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉といえども、将軍にはなれない理由はここにあります。将軍とは、征夷大将軍の略であることは、ご存知でしょうか、元々は、平安時代初期に、蝦夷(えぞ=古代、主に現在の東北地方の原住民)を討伐する役目を担った坂上田村麻呂など臨時の官職でした。その後、平安時代末期から江戸時代に至るまで、武家政権の長としての職名になり、普通「将軍」と称されます。つまり、将軍とは、「武士で天下の権力を握る者」という意味になりました。

 

平清盛亡き後、平氏を都から追い払った源義仲が、朝廷から将軍宣下を受けたのが始まりです。以後、鎌倉幕府を開いた源頼朝から3代の源氏→室町幕府の足利氏→江戸幕府の徳川氏が、歴代将軍に就任しました。

 

足利将軍と、その補佐をする官領の一族は、それぞれ「源」(みなもと)の名をさずかった名門の武家たちでした。なお、徳川家康も、将軍家となりますが、血脈からいえば、かなり疑わしい「源」の一族であったことは有名です。 

 

 

「名こそおしけれ」

 

(参照:女性がハンコをつくるとき)

https://namae.kaiunya.jp/2015/12/nakoso-osikere/ 

 

司馬遼太郎氏は、その著書の中で「名こそ惜しけれ」という考え方が日本人の倫理規範の元になっていると述べています。「自分という存在にかけて恥ずかしいことはできないという意味」であり、武士道として日本人ルーツとなり背景となる心の持ち方です。

 

「名」は自分自身の存在そのものであり、生きざまを映すもの。だからこそ、その名を汚してはならじ、その名において誇り高く生きるべし、と考えたのです。もともと「名こそ惜しけれ」とは壇ノ浦の戦いを描いた「平家物語」の一節です。 

「天竺震旦にも、日本我が朝にも、並びなき名将勇士といえども、運命尽きぬれば力及ばず。されども名こそ惜しけれ。東国の者どもに弱気見すな。いつの為にか命をば惜しむべき。いくさようせよ、者ども」

 

恥ずかしい行いや卑怯な振舞いは自分自身を辱めるものである、鎌倉武士の精神が、その後の日本人の考え方・生き方の大きな礎となり今日にいたっています。たとえ人が見ていなくても、自分自身の行いは天が知り地が知っている。何よりも、己の名にかけて誇れるものであるべきだと捉えるのですね。

 

「名前」というものの大切さ 

名字(苗字)が全国的に名乗られるようになったのは鎌倉時代ごろからと言われています。平安貴族の一部特権階級を除けば平民として搾取されざるを得なかった農民たちが鎌倉の世に乗じて台頭し、各地で武士が誕生しました。その武士たちが一族や一族の領地を明確にすべく名乗り始めたのが「名字」です。

 

一族の結束と、領土の支配。そのために「名」はとても大切な意味を持ちました。自らの「名」で武勇伝が広まれば自分自身ひいては一族の名は知れ渡り脅威となります。一方、ひとたび恥ずべき行為を行えばその名は地に落ち名誉も信頼も失ってしまう。

 

「名こそ惜しけれ」とは、自分の存在及び一族の存続を賭けた誇りと恥の精神なのです。「己の名にかけて恥ずかしいことはするな」という精神的な倫理規範・実際的な行動規範に準ずる武士道精神が、日本人の原理・原則、「理念」となり受継がれてきたのですね。それほどまでに「名」とは「己の存在そのもの」であり「己の価値を示すもの」なのです。

 

日本人の苗字 

日本人の苗字のベスト3は「佐藤」さん「鈴木」さん「高橋」さんです。

 

1位の「佐藤」さんのルーツは藤原氏に由来します。左衛門・左大臣の「藤原」、あるいは佐野・佐渡の「藤原」から「佐藤」という苗字が広まったと考えられています。 

2位の「鈴木」さんは、紀伊半島の熊野神社がルーツと言われています。熊野信仰の広まりとともに一族が全国に広まりました。 

3位の「高橋」さんは、地名由来の苗字で山に架けられた「高い橋」が元になっています。地名由来として最も多い苗字として東西を問わず多く分布する苗字です。

 

言わずとも、それぞれの苗字には様々な由来や歴史的な成り立ちがあります。人口の多い苗字もあれば、希少苗字、珍しい苗字や難読苗字など。。。そのいずれも、その人自身のルーツを紐解く脈々と受け継がれてきた大切なものと言えるでしょう。

 

ひとりひとりの名前

名前は親から子へと贈られる「一番最初の贈り物」と言われます。健やかに。優しく。立派に。元気に。美しく。。。。 様々な願いや想いを込めて名付けられた名。そう考えると、自分自身の「氏名」はあなたの存在そのもの、そして「姓名」は脈々と受け継がれた結果としてのあなた自身の「生命」なのですね。

 

 

斯波氏家訓 「竹馬抄」とは 

 

武士の理想像を述べており、倫理的思想を説き社会の指導者のあるべき姿を示している。戦乱に明け暮れた時代に書かれたが、それを超越し普遍的な人間の理想をも説いている。本書が平和かつ安定していた江戸期に広く教訓書として受け入れられたのも、安定した社会における政治の担い手の理想像を本書に見出しているからといわれる。

  

概要

 

人間は公に見て人間としての在るべき姿が大切であり、子孫のことを考えて行動すべきである。命を惜しんではいけない、しかし、命を軽んじて死すべきときでないときに死ぬのは汚名となる。大事にそなえて思案していなければ、死すべきときを無為に過ごしてしまい後悔することになると説いている。(以下書き下し原文を記述)

 

◾「よろづのことにおほやけすがたといふと、眼といふことの侍るべき也。このごろの人、おほくはそれまで思ひわけて心がけたる人すくなく侍るべき也。まづ、弓箭とりといふは、わが身のことは申にをよばず、子孫の名をおもひて振舞べき也。かぎりある命をおしみて、永代うき名をとるべからず。さればとて、二なき命をちりはいのごとくおもひて、死まじき時身をうしなふは、かへつていひがひなき名をとるなり。たとへば、一天の君の御ため、又は弓箭の将軍の御大事に立て、身命をすつるを本意といふなり。それこそ子孫の高名をもつたふべけれ。当座のけいさかひなどは、よくてもあしくても、家のふかく、高名になるべからず。すべて武士は、心をあはつかにうかうかとは持つまじきなり。万のことにかねて思案してもつべき也。常の心は臆病なれと、綱といひけるものゝ、末武にをしへけるも、最後の大事をかねてならせとなるべし。おほくの人は、みなその時にしたがひ折にのぞみてこそ振舞うべけれとて過るほどに、俄に大事の難義の出来時は、迷惑する也。死べき期ををし過しなどして後悔する也。よき弓とりと仏法者とは、用心おなじこととぞ申める。すべてなにごとも心のしづまらぬは口おしき事也。人の心のときことも、案者の中にのみ侍る也。」

 

(「弓箭」=ゆみや、古代中国では、東部で弓矢、西部で弓箭の文字が使われていた。「弓箭とり」=武士、「うき名」=不名誉、「いひがひなき名」=汚名、「当座のけ」=その場の気分、「あはつか」=うっかり、軽々しく、「綱」=源頼光の四天王の渡辺綱、「ときこと(とし)」=機敏、鋭敏、「案者」=思案する人)

 

第一条 

人の立ち居振る舞いについてのべている。人の行為はその人の品格や心を表しているのだから心美しく誠実に、また、外形も整えておかねばならない。

◾「一、人の立振舞べきやうにて、品の程も心の底も見ゆるなれば、人めなき所にても、垣壁を目と心得て、うちとくまじきなり。まして、人中の作法は、一足にてもあだにふまず、一詞といふとも心あさやと人におもはるべからず。たゞ色を好み花を心にかけたる人なりとも、心をばうるはしくまことしくもちて、そのうへに色花をそふべき也。男女の中だにも、実なきは志の色なきまゝに、なくばかりのことまれにこそ侍れ。」

 

(「うちとく」=油断する)

 

第二条

親子関係について、親の教えを決して軽んじてはならないと説いている。

◾「一、我身をはじめておもふに、おやの心をもどかしう、教をあざむくことのみ侍也。をろかなるおやといふとも、そのをしへにしたがはゞ、まづ天道にはそむくべからず。まして十に八九は、おやの詞は子の道理にかなふべき也。わが身につみしられ侍也。いにしへもどかしうをしへをあざむく事のみ侍し。おやのこと葉は、みな肝要にて侍る也。他人のよきまねをせんよりは、わろきおやのまねをすべきなり。さてこそ家の風をもつたへ、その人の跡ともいはるべけれ。」

 

第三条

仏神の崇敬の話である。心の正直な人を神仏は見捨てない。困ったときのみ祈るのでは、真実の道には至れないという価値観。 以下要略をのべる。「仏神をあがめたてまつるべきだと云うことは、人としての道であるから、改めて言うまでもない、その中に、いささか心得て置くべきことがある。仏のこの世に現ることや、神が姿をかえて具現しているのは、皆世のため人のためである。であるから人を悪しかれとはしない。心をいさぎよくして仁義礼智信を正しく持って人としての根本を明らかにするようにさせることにある。その外に何のために出現なされるだろうか、いやない。此本意を心得てないから、仏を信ずるとして、人民をわづらはし人の物をとって、寺院をつくり、或は神を敬うと云って人民の領地を没収し神社の祭礼ばかりしている。こんなことでは、仏事も神事も、神仏の心に背くことになると思う。たとえ一度の勤行をもせず、一度の宮参りをしなくとも、心正直に慈悲あらん人を、神も仏も疎かにはご覧なさらないだろう。ことさら伊勢太神宮、八幡大菩薩、北野天神の神々も心すなおに正直な心の人の頭にお宿りになるであろう。」

◾「一、仏神をあがめたてまつるべきことは、人として存べき事なれば、あたらしく申べからず。その中に、いささか心得わくべき事の侍なり。仏の出世といふも、神の化現といふも、しかしながら世のため人のためなり。されば人をあしかれとにはあらず。心をいさぎよくして仁義礼智信をたゞしくして、本をあきらめさせんがため也。その外にはなにのせんにか出現し給ふべき。此本意を心得ぬ程に、仏を信ずるとて、人民をわづらはし人の物をとり、寺院をつくり、或は神をうやまふと云て、人領を追捕して社礼を行ふことのみ侍る。かやうならんには、仏事も神事も、そむき侍べきとこそ覚侍れ。たとひ一度のつとめをもせず、一度の社参をばせずとも、心正直に慈悲あらん人を、神も仏もをろかには見そなはしたまはじ。ことさら伊勢太神宮、八幡大菩薩、北野天神も、心すなほにいさぎよき人のかうべにやどらせ給ふなるべし。又我身のうき時などは、神社に祈などする人のみ侍る也。いとはかなくおぼゆる也。たゞ後生善所と祈ほかは、仏神の願望侍べからず。それぞしるしも侍べけれ。それすら真実の道には、直にいたらずとぞ教き。」

 

(「存(ありう)べき」=当然の、「うき時」=心配事のある時、「はかなし」=お粗末、幼稚、「しるし」=ご利益、霊験)

 

第四条 

主君へ仕える心がけ。武士の存在そのものが主君の恩に基づくものであるから奉公がさきでその結果恩賞があるのだ、と述べる。

◾「一、君につかへたてまつる事。かならずまづ恩を蒙て、それにしたがひて、わが身の忠をも奉公をもはげまさんと思ふ人のみ侍なり。うしろざまに心得たる事なり。もとより世中にすめるは君の恩徳なり。それをわすれて、猶望を高くして、世をも君をもうらむる人のみ侍る。いとうたてしき事也。」

 

(「蒙る」=こうむる、「うしろざま」=後ろ向きの、「うたてし」=不快だ、嫌らしい、情けない)

 

第五条

奉公の仕方をいう。

◾「一、世中にやくの侍べき人の、その身を卑下して我身やすくばとおもふ、かへすがへす口おしく、頑しき事也。人と生きなば万人に超、他人をたすくべき願をおこして、他のため心をくだくを生々世々のおもひ出とはすべきなり。菩薩といふもただ此ためなれば、凡夫の身として、菩薩の願にひとしくせば、思ひ出なにごとかこれにまさるべき。」

 

第六条 

良い家柄でも、良い容姿でも、教養がないと見苦しい。芸事をたしなむべきである。心得がないために人並みの交際が出来ない事は残念なことである。と説く。

◾「一、能の有人は、心のほどもおもひやられ、その家も心にくき也。世中は名利のみなり、能は名聞なれば、不堪と云とも猶たしなむべし。心のおよび、学びもて行ほどに、物のへたといふとも、功の入ぬる事は、かたはらいたきことのなき也。よくする事はまれなり。尋常しくなりて、人なみに立まじはるまでを詮とすべし。いかに高き家に生、みめかたちよく侍人も、歌よむとて、短冊とる所、詩作るとて韻などさぐり、管絃の所の器のまへわたし、連歌の中にせぬ人にて他言うちまじへ、音曲する人の座しきにつらなりてつらづえつき、鞠などの場に露をだにえはらはず。又わかき友だちのよき手跡にて消息かきかはしなどするに、他人の手をかりて、口筆をだにはかばかしくえせぬもいふがひなきに、あまつさへ女の方への文などの時、人の手をやとひ侍るほどに、忍ぶべきこともあらはになり侍るは、いかゞ口おしからぬや。囲碁、象棊、双六やうのいたずらごとにだにも、その座につらなりて、知侍らぬはつたなくこそ侍るめれ。弓箭とりにて、的、笠懸、犬追物などたしなむべきことは、云にをよばず。もとよりのことなり。」

 

(「能の有人」=芸能のたしなみのある人、「功の入ぬる事」=功は年功、年季の入ったものは、「尋常(つねづね)し」=教養のある、「歌よむとて~露をだにえはらはず」=芸事の作法を知らないが為の失態の例を挙げている。「象棊」=音からして将棋のことか、)

 

第七条 

人を使う心得。「たとひわが心とちがふ人なりとも、物によりてかならず用べきか。(自分の好悪によるのではなく、適材適所を考えるべきで、無用の人はいない)」の一文に尽きる。また心の正直でない人は、何事でも完成させることができない。万能一心というのもそういうことを云っているのだと思われる。

◾「一、智慧も侍り心も賢き人は、ひとをつかふに見え侍なり。人毎のならひにて、わが心によしとおもふ人を、万のことに用て、文道に弓箭とりをつかひ、こと葉たらぬ人を使節にし侍り、心とるべき所に純なる人を用などするほどに其ことちがひぬる時、なかなか人の一期をうしなふことの侍なり。その道にしたしからむをみて用べき也。曲れるは輪につくり、直なるは轅にせんに、徒なる人は侍まじき也。たとひわが心とちがふ人なりとも、物によりてかならず用べきか。人をにくしとて、我身のために用をかき侍りては、何のとくかあらん。かへすがへすもはしに申つるごとく、心のまことなからむ人は、なにごとにつけても入眼の侍まじきなり。万能一心など申も、かやうのことを申やらんとおぼえ侍也。ことさらに弓箭とる人は我心をしづかにして、人のこゝろの底をはかりしりぬれば、第一兵法とも申侍べし。」

 

(「轅」=えん(訓読みはながえ)、牛車などの車を引くために前に左右二本伸びている棒、「徒(あだ)なる人」=役に立たない人、「入眼」=じゅげんと読む、叙位のとき位階の記された文書に氏名を書き入れて完成させること、転じて、物事を完成させること、)

 

第八条 

理想的人格への修養の仕方を論じている。普通源氏物語や枕草子などを通じてれ人のふるまい、心のよしあしを学び知ることが出来るが、その教養を自身につけるためには友人を選ぶことが大切で、教養の有る人を友とすべきである。仮名などを書いているのも、女のよく物を書く人に出会い教わったからである。和歌や連歌、蹴鞠をたしなんでいたのも、若い友達と競い合っていたから。楽器は親が熱心で、よくわからないままやっていたが、暇がなくなり中断した。その後そういう素養のある友人とも出会わず、志はむなしくなった。残念である。風流な人というのは、世の無常を観て、繊細にものの哀愁を感じて、礼儀正しく端正である。今の時代には風流人はいない。ただ若くて、盛りであるから、なんとなくよく見えるだけなのに、それだけを誇りにして、教養を得ようともせず、精神を修養しようともしない。こちらが恥ずかしくなるほど立派な人に出会ってしまえば、たちまち見劣りするというのに。教養、芸のたしなみのない人が年をとったら、狐狸が年をとったのと同じである。

◾「一、尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などを、目をとゞめていくかへりも覚え侍べきなり。なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゞずまひををしへたるものなり。それにてをのづから心の有人のさまも見しるなり。あなかしこ、心不当に人のためわろくふるまひ、かたくなに欲ふかく能なからん人を友とすべからず。人のならひにてよきことは学びがたく、あしきことは学びよきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行くなり。此ことはわが身にふかくおもひしりて侍なり。鳥の跡ばかりかなゝど書つくる事は、はづかしく思ひ侍し女のものよく書侍しにあひて学侍き。かたのごとく和歌の道に入て、二代の集に名をかけて侍ること、連歌などいふことも、みなわかき友だちといどみあひ侍りて、はじめは我執をおこし、中ほどは名聞をおもひ侍りしほどに、をのづからとし月の行につけて、こゝろの数奇侍て、かたのごとく人づらにもたちまじはり侍也。老ののちは人にいとはれて、さし出がたきとかや申なれば、かたはらの能だにもなからましかば、人に有ともおもはれず。我心をもなににてかなぐさめ侍べき。まりなどもわかかりしときは、人数のかけたるところにせめ立てられまいらせしほどに、辱なきまじらひし侍しほどに、終にはかいがいしからねども、そのしるしは、人の名足又上手下手のふるまひ、心づかひなどは見しりて侍れば、いかなる上手なりとも、などかは辱給はざらん。又糸竹の道は、さしもおやの重ぜられて、三曲にいたるかひにとて、物の心も知らざりし比は、わづかに七ばちなどばかりをしへられ侍しを、世につかへしいとまなさに中絶き。そののちはかやうの事学ぶ友だちにも、そひ侍らざりしほどに、心ざしをむなしく侍りき。口おしきことなり。これにつけても、ともによりて能はつきぬべし。むかしよりいままでも、男女の色好の名をとりたる人は、別の子細なし。たゞ心を花月にしめて、世間の常なき色をくはんじて、こゝろを細くもち物の哀をしりて、こゝろざしをうるはしくせしかば、能も才も人にすぐれて、やさしきかたより、此の道の名をとり侍りき。かやうのことをおもひつゞけ侍れば、今の世には、色好といはるべき人、さらに侍まじきやらん。たゞわかくさかりなるほどは、なにとなくさまのよくみゆれば、それにのみほこりて、われはと心ひとつにおもふまゝに、こころをもたしなまず、能をもほしくせぬなり。目心はづかしからん人にあひては、たちまちみおとされこそせんずらめ。無能ならん人の、としのよるやうをおもひやるに、ただ狐狸などの年経ぬるにてこそあらんずめれ。いかがすべきすべき。業平中将の、老らくのこむといふなるといひ、行平中納言の、なみだのたきといづれたかけむとよみ、黒主が、年経ぬる身は老やしぬる、と詠じ、小侍従が、八十の年の暮なればとよみたればこそ、花なりし昔もさこそ恋しかりけめと、あはれにもやさしくも聞ゆれ。たゞわかき人の、としのよりたるばかりは、なにほどの思いやりかは侍べき。夢幻のやうなれども、人の名は末代にとどまり侍なり。或はよき仏法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく世にしられて侍ける。人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽木にてこそ侍らんずらめ。たしなむべし。」

 

(「あなかしこ」=後ろに否定語を伴い、ゆめゆめ、決して~してはならない、「おのづからなるる人のやうになりもて行くなり」=自然と親しい人と同じようになっていく、「まり」=蹴鞠、「まじらひ」=つきあい、「かいがいし」=まめやか、てきぱき、「などか~ならん」=反語、「糸竹」=箏、琵琶など楽器の総称、「さしもおやの重ぜられて、」=親がたいそう重んじていて、「くはんじて」=観じて、「はづかしからん人」=こちらが恥ずかしくなるような立派な、優れている人、「すける人」=すけるはすき、色好む人、風流な人、「いたづら人」=つまらない人、)

 

第九条 

青年のうちに、道理に従って修養を積む事が必要であると説く。

◾「一、人のあまりはらのあしきは、なによりもあさましき事なり。いかにはらだたしからん時も、まづ初一念をば心をしづめて理非をわきまへふせて、我道理ならんことははらも立べき也。わがひがみたるまゝに、無理にはらだつには、人の恐侍らぬほどに、いよいよはらのたつも詮なき事也。たゞ道理と云ことにこそ、人はおそれはぢらひ侍べけれ。たゞ腹だつべきことには、かまへてかまへて、心をしづめて、思ひをなすべし。非をあらたむることを、はゞからざるがよきこと也。よくもあしくも我しつる事なればとて、そのまゝに心をもとをしふるまふは、第一のなんなり。又よきといはるゝは、たゞをだしくて三歳の子のやうなるをいふとて、はらのたつをもたてず、うらむべきこと、なげくべきこと、又人にも必おもひしらするふしなどをも過しなどして、この人は、ともかくも、人のまゝなるよと人にしられたるは、なかなか人のためもわろく、わがための失の侍べきなり。心をば閑にもちて、しかもとがむべきふし、云べき事をばいひて、無明無心の人とおもはれぬはよきなり。たかき世には、人ことによかりければ、さやうのひとをよしともあしとも申べし。此比はあるひはめたれをみ、あるひはわゝく心のみ侍ほどに、人すぢにやはらかにうるはしき人をば、人のいやしむる也、無心の道人などとて、仏法者などの目も心もなきやうにみえて、三歳の孫のごとくなどいふは別のことなり。又愚痴の人は、ものゝ悪もわきまへず、只黙々としたるは、よき人といふべきにあらず。是程のことはよくよく思ひわくべき也。坐禅する僧達などは、生つきより利根なる事はなきも、心をしづかにするゆへに、諸事に明かなり。学問などする人も、その事を一大事に心をしづめて、おぼえ侍るほどに、他事にもをのづから利根に侍なり。たゞ人の心は、つかひやうによりてよくもなり、あしくもなり、利根にも鈍にもなるべきなり。人のさかりは、十年には過侍らず。そのうちになにごともたしなむべし。十ばかり十四五までは、真実物の興もなく侍也。四十五十になりぬれば、又心鈍になりて、よろず物ぐさきほどに、はかばかしきけいこもかなはず、十八九より三十ばかりまでのことなれば、物をしとゝのへておもしろき根源に至事は、たゞ十二三年に過べからず。不定の世界には、とくけいこすべきなり。」

 

(「もとをし」=(回、廻)めぐらす、まわす、「をだし」=穏し、おだやか、おちついている、「閑」=しづか、「此比」=このごろ、「めたれ」=人の弱点につけこむ、「わわく」=枉惑と書く、横着、「思ひわく」=分別する、思い分ける、「利根」=かしこい性質)

 

第十条 

この世に住む限り我執にとらわれてはならない。我意を押し通せば「天道のいましめを蒙るべき」と述べている。他人を欺いてはならない、戦いの際もこの心得を守るべきであると謂う。

◾「一、人の世のすむは、十に一も我心にかなふことはなき習なり。一天の君だにも、おぼしめすまゝには、わたらせ給はぬなるべし。それに我等が身ながら心にかなはぬ事をば、いかゞして本意をとほさむをせんには、終に天道のいましめを蒙るべき也。すべて人毎にきのふ無念なりしかば、けふその心をさんじ、去年かなはざりしかば、今年其望を達せんとおもふまじき也。さらぬだにも塵のごとくなる心を相続して、念々ごとになす身、いよいよ望を忘ずべし。怨を残さん事口惜きねぢけ人なるべし。佞人とて世法仏法にきたなきことに申也。人毎に我執をおこしわするまじきには、心みじかくよはよはしき也。打払ふて心にとゞむまじきやうなる事には、余念をおこす事也。あひかまへてかまへて万のことに人をもとゝして、あざむく事あるまじき也。戦ふことには、おほけなくとも心をたかく持て、我にまされる剛の者あらじとおもひつめて、人の力にもなり、人をたのもしきと思ふべき也。いかに心やすき人といふとも、生得臆病ならん人に、戦の事尋まじきなり。大事なればとて、さし当たるわざをのがれんとすまじきなり。やすければとてすまじからん戦をすゝむまじきなり。凡合戦にやすかりぬべき時は、他人にさきをかけさせ、大事ならん時は、たとひ百度といふとも、我一人の所作と心得べき也。いつはれるふるまひは、ことさら合戦にわろきなり。かやうの事、おろかなる身におもひ知事のみ侍れば、せめておやの慈悲のあまりに、我よりもなをおろかならん子孫のために書付侍り。涯分身をまもり修て、万事に遠慮あるべきなり。」

 

 

 

 

 

 

 

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