全日本ドケチ教 吉本氏の教え

 

 

 

 

 

 

  

大日本ドケチ教 経典

「もったいない、もったいない、もったいない」

と3回唱えれば、ご利益がある

 

 

 

  

吉本 晴彦(よしもと はるひこ)

生誕:1923年9月30日

死没:2017年5月30日

 

JR大阪駅前の円筒形の高層ビル「大阪マルビル」(大阪市北区)の運営会社の元会長。大阪マルビルは吉本氏所有の土地に、昭和51(1976)年に開業。高さ約120メートルの建物の最上部に、全国初のリング式電光表示盤によるニュース速報を掲示し、「電光ニュースのマルビル」として名物となった。

 

1989年7月アメリカの有力経済誌フォーブスは、恒例の「世界の富豪・そのランキング」を発表します。バブルの全盛期、日本人はベスト10になんと6人も入ります。大日本ドケチ教の吉本さんは、資産70億ドル、世界第8位に輝きました

 

 吉本晴彦さんの生家は梅田の地主で、学徒動員されたり、中国で終戦を迎えた経験を持っています。1954年に不動産会社「吉本土地建物」を設立。1976年に、大阪マルビルを管理する「株式会社大阪マルビル」の社長を務めました。現在は、息子の吉本晴之さんが社長を務めています。

 

吉本晴彦さんといえば祖父の彦太郎さんに「どケチ道」を仕込まれて、「ドケチ」として有名で、元サントリー副会長の故・鳥井道夫氏、森下仁丹社長だった故・森下泰氏とともに「大阪の三ケチ」と呼ばれていました。 

 

ビル内のホテルの稼働率は高かったようですが、特徴的なビルの形状のため建設費が高く、借金の返済負担が経営を圧迫していました。その後、バブル期の絵画や不動産投資の失敗などもあって、会社は2004年に産業再生機構の支援を受けて大和ハウス工業の子会社となっています。

 

 

大日本ドケチ教とは?

「もったいない」を信条とする「大日本どケチ教」を設立して教祖に就任しています。大日本どケチ教とは、「もったいな」を信条とする団体です。宗教法人ではなく、吉本氏なりのユーモアのあふれるパフォーマンスでした。

 

昭和48年に「大日本どケチ教」を設立。「ケチとシブチンは違う。ケチは無駄な金を出さず、出すべきときにはスパッと出す」が持論でした。 吉本晴彦会長は、自らドケチ教の教祖と名乗り、ドケチ教を広めるべく事務所の蛍光灯は半分しか点灯しないとか、エレベータ-設置の一階分のお金をケチって最上階の会長室には階段でしか行けないとか、いろいろ逸話のある人でした。

 

「ケチのケは経済のケでチは知恵のチであり、無駄な金(死に金)は使わないが必要なお金(生き金)は惜しみなく使う」 

 と、意味が込められているようです。

 

 大日本どケチ教の考えは広まっていて、あの高須クリニックの高須院長も信者でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ドケチ教」教祖のど根性人生

 

【教義】お金や物や価値ある全てのものを大切にする心を養う

 【教典】①ケチの目的を持つ 

    ②いっさいの見栄を捨てる 

    ③生き金を使い、死に金を使わない 

    ④他人に迷惑をかけない 

    ⑤常にユーモアの精神を持つ 

【御経】勿体ない勿体ない勿体ない

 

私のいうケチとは、“価値あるもの”…お金、物、そして命、健康、時間、自由とか、労働の価値とか、心とか、愛とか、そういう価値ある全てのものを大切にすることなんです。とにかく価値あるものを大切にする。必要な時には、ケチって貯めたお金を綺麗に出す。~(「はじめに」より)

 

彼は、「ケチとシブチンは違う」とも説かれていて、「出すべきお金はいくらでも出す。ただし、自分で納得できないお金、あとで後悔するようなお金、つまり“死に金”というのは、絶対に出さない」のがケチ。一方シブチンは出すべきものも出さない“守銭奴”だと。

  

この宗教には、お経もあります。

「もったいない、もったいない、もったいない」

と3回唱えれば、ご利益があります。

 

法律をつくった!吉本さんの半生 

吉本晴彦さんは、1923年9月江戸時代から資産家として有名な吉本家の一人息子として生まれました。一族は、大阪梅田の3000坪の大地主でした。吉本さんは、3才のとき父に、10才のとき母に先立たれます。その後は、祖父が彼を育てます。祖父は、ケチではありましたが暖かい人でした。

 

13才の時、祖父も次の言葉を残し、他界します。

 

「お前は、子供の身で財産を引き継ぐけど、自分の金だと思ったらあかん。ご先祖様から引き継いだ資産は、ケチになって大切に扱い、お前の子供にそっくり引き継ぐのだよ」

 

悲劇は、そこから始まります。

吉本さんの後見人になった叔父は、膨大な財産に目が眩みます。

 

14才の時、吉本さんはリンパ腺炎にかかりますが、途中で医者が来なくなります。叔父は、食べ物もくれません。吉本さんは、衰弱して意識が朦朧とします。不審に思った吉本さんが、やっとの思いで医者を訪ねると・・・恐るべき事実が露見します。

 

叔父は、医者に「子供は直ったから来なくていい」と嘘をついていました。吉本さんは叔父の殺意を看破します。医者の薬で、吉本さんは回復します。14歳にして人間の欲の怖さを知った瞬間でした。

 

1940年、彼は、同志社予科に入り一人暮らしを始めます。叔父は、娘と結婚するように迫りますが、吉本さんはきっぱりと断ります。叔父が仕送りをしてくれないので、大金持ちでありながら、学費を稼ぐために吉本さんは働きました。太平洋戦争の最中の1943年9月30日、彼はついに叔父から財産を取り戻します。

 

この日は、満20才の誕生日。法律上、後見人が必要なくなり、自由に財産を支配することが出来るようになったのです。しかし、その喜びもつかの間でした。

 

召集令状で、中国へ。1945年、大阪大空襲・・・吉本家の家屋は全て焼失します。そして、終戦。故郷に戻ってきた、吉本さんは、年末のある日、衝撃を受けます。 やっとの思いで取り戻した吉本さんの土地に在日朝鮮人や無法者達がバラックを建てて、居座ってしまったのです。

  

昨日までは空き地だったのに、たった一日でバラックは出来上がってしまいました。しかも、官公庁は今日から年末の休みに入ります。土地は、暴力団がらみの悪意ある者に計画的に占有されたようです。吉本さんは、建設会社の労働者60人を率いて、不法占拠のバラックを襲い、強引に撤去します。土地を取り戻した後、警察に出頭します。これが梅田村事件です。

 

バラックの住人は、建造物損壊罪で吉本さんを告訴します。一審は、吉本さんが敗訴。しかし、事件から4年後、控訴審で、原判決は破棄され、吉本さんは正当防衛による無罪を勝ち取ります。また、この事件を契機に、不動産侵奪罪が刑法にくわわることになりました。

  

1973年、複雑な権利を関係を整理して、吉本さんは梅田の土地全体を更地にすることに成功します。そして、この年、吉本さんは、大日本ドケチ教を旗揚げしたのでした。その後、更地になった土地に丸ビルを建設。名実ともに、事業家として成功します。1989年にはフォーブスの選ぶ世界の金持ちランキングで8位に記録されました。

 

 

 

 

 

 

 

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