小池ゆり子 家訓 「人と同じことをするな」

 

 

 

  

小池家 家訓

「人と同じことをするな」 

 

 

小池 百合子(こいけ ゆりこ)

生誕:1952年〈昭和27年〉7月15日

 

日本の政治家。東京都知事(第20代)。地域政党「都民ファーストの会」代表(2017年〈平成29年〉6月1日 - 7月3日)。

アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身した。

 

小池百合子の「凄さ」とは何か?

エジプトのカイロ大学を主席で卒業する変わった経歴にはじまり、ニュースキャスターをへて、細川護煕の立ち上げた「日本新党」に参画し、初当選を果たします。 それから、、小沢一郎、小泉純一郎と云った、「時の人」とも云える有力者の目に止まり、瞬く間に政界の階段を上って行きます。

 

参議院議員(1期)のあと、衆議院議員(8期)。要職も多くつとめ、環境大臣(第5・6・7代)のあと、女性初の防衛大臣(第2代)。自由民主党の3役にあたる総務会長もつとめ、女性初の総理大臣に推す声も多い

 

環境大臣時代には、「クールビズ」を推進。また、小泉首相の仕掛けた郵政選挙では、刺客として、兵庫の選挙区から東京に鞍替えし、話題をさらった。繊細にして大胆。そして、時折みせる勝負度胸は並の政治家では立ち向かえないのは当然のことかもしれません。

 

 

  

 

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが

イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉

 

 

東京都議選(定数127)は2日投開票され、小池百合子知事が率いる地域政党「都民ファーストの会」が49議席を獲得。自民党に代わって第1党となり、公明党などを合わせた支持勢力で過半数を制した。自民は、過去最低の38議席どころか、現有57議席を大きく減らす23議席を下回り、惨敗。都民ファーストは千代田区選挙区などの1人区から定数が多い選挙区まで圧倒的な強さを見せた。歌手の斉藤礼伊奈氏(38)や元アナウンサーの龍円愛梨氏(40)、平慶翔氏(29)ら話題の候補も続々と当選した。

 

小池氏は、大勝に「都民目線で進めてきた成果を認めてもらった。当たり前の都政を、都民が取り戻す瞬間だ」と笑顔を見せた。国政転身は否定しているが、都民ファーストは次期衆院選をにらみ、国政進出の足場を築いた形だ。

  

都選挙管理委員会によると、今回の投票率は、過去2番目に低かった2013年の前回選(43・50%)を7・77ポイント上回り、51・27%となった。自ら新党を率いて都議会改革に乗り出した小池知事の動きなどに注目が集まり、都民の関心が高まった結果とみられる。

 

寝た子をおこした小池旋風 

歴史的な快勝となった小池都知事率いる都民ファーストの会。テレビでは様々な解説が加えられているなか、幡谷の感想は違うものです。圧勝の原因は、関心の低い都会の有権者を起したという点です。

 

仮に投票率が30%としたら、10人中2人に気に入られれば、選挙に勝てることになります。確実に勝つためには、選挙にいかない残りの7人にはできるだけ寝ていてもらった方が良いとも言いかえられます。

 

今回の都議会選挙では、40%だった投票率が10ポイントちかく上昇し、50%となりました。地盤をかため、ご意見伺いを重ね固める固定票も大事ですが、普段寝ている声なき声を聴くことも大事です。小池さんの選挙戦術にはベテラン議員から恨み節しか聞こえてきません。しかし、争点をつくり、寝ていた有権者をおこした小池都知事のブルーオーシャンな戦略は見事なものでした

 

今後の都政のなかでは、準備不足の?小池チルドレンたちのドタバタぶりが世間をゆるがすことになりそうです。しかし、品行方正で妙に空気をよんでしまうベテラン議員より、都民によりそいアマチュアな議員さんの方が期待はもてます。

 

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが(イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉  )

 

どんな結果になろうとも、それが民主主義というもの、東京オリンピックをひかえた小池都知事と都民ファーストの会に今後も注目です。  

 

 

 

 

 

 

 

 

小池ゆり子の人生は、「ブルーオーシャン」

 

「ブルーオーシャン」とはマーケティングの用語で、誰も手をつけていない新しい市場を指す言葉です。

小池家の家訓『人と同じことをするな』ともオーバーラップする小池ゆり子さんの生き様そのものではないでしょうか?

 

(参照:Kairosumarketing HP)

https://blog.kairosmarketing.net/marketing-strategy/blue-ocean-strategy-140523/

 

ブルーオーシャンとは?

世の中にはブルーオーシャン(青い海)とレッドオーシャン(赤い海)が存在します。既存の製品やサービスを「改良」しながら、既存市場で勝負する、競争で生き抜くことで企業の存続が決まるレッドオーシャンがあります。世の中のほとんどの企業はレッドオーシャンの住人であり、日々競争のための戦略とその実行によって利益を生み出してきました。

 

ブルーオーシャンでは、レッドオーシャンに比べて利益率の高いビジネスが期待できますが、レッド・オーシャンの枠組みや仕組みが通用しません。 あなたはレッドオーシャンの住人ですか?それともブルーオーシャンの住人でしょうか?

 

レッドオーシャン(=既得権益?)

ブルーオーシャンを知る前に、その対比として名付けられたレッドオーシャンを理解しなくてはなりません。レッドオーシャンは、みなさんの目の前にある既存市場です。ビジネススクールや市販の書籍で学べる競争戦略のほとんどは、レッドオーシャンにあてはまります。レッドオーシャンにおける市場の枠組みと、競争のコツはよく知られています。

 

レッドオーシャンでは、既存の市場需要の中でより多くのシェアを獲得を目指します。これを政治の世界にあてはめると、シェア拡大とは、投票数。マーケットとは、有権者とプロットできます。レッドオーシャンの中で勝ち抜くには、駅前で毎朝演説をする。あるいは葬式という葬式にとりあえず出ておくっという競争が重要です。1日より10日、10日より100日。アホなようなでも、繰り返す力はバカにできません。

 

コモディティー化した競争の中で、父親から息子っそして孫へと、100年単位で政治家を稼業にするものもあらわれました。しかし、レッドオーシャンにも弱点はあります。既得権益には強いが、新しいマーケットには対応できない点です。近年、都心部を中心に選挙への関心が弱まり、投票率が30%をきる選挙まで下落しています。レッドオーシャンは、選挙にきてくれる10人中3人へのサービスです。しかし、選挙は水物、10人中7人の声なき声のなかにこそ、「政治」(マーケット)は存在しています。

 

「人と同じことをしない道」は、答えもガイドもない厳しい道 

ブルーオーシャンはまだ知られていない市場であり、誰もがブルーオーシャンの住み方を知りません。レッドオーシャンでは目の前にある市場需要を競争によって勝ち取りますが、ブルーオーシャンでは市場需要から市場そのもの(ブルーオーシャン)を自ら創り出します。

 

都選挙管理委員会によると、今回の投票率は、過去2番目に低かった2013年の前回選(43・50%)を7・77ポイント上回り、51・27%となった。自ら新党を率いて都議会改革に乗り出した小池知事の動きなどに注目が集まり、都民の関心が高まった結果とみられます。

 

競争を中心としないブルーオーシャンでは、成長の機会は無限にあり、収益性もレッドオーシャンよりより多く期待できます。ブルーオーシャンでは「価値創造」が全てです。 レッドオーシャンな政治家が、商店街をまわり握手をしたとしても、その出会いは、むしろ逆風を強くするだけ。小池さんの仕掛けた「小池さんなら、なんかやってくれそう♡」という根拠のない期待感こそがブルーオーシャンの強みです。

 

喧嘩上手が小池ゆり子のブルーオーシャン

小池百合子の特徴は喧嘩上手な点です。その点では、トランプさんと共通点があるかもしれません。

昔から、いざとなれば、男性より女性の方が肝が据わって、度胸が良い、と言われています。敵をつくるのも上手だし、その敵を倒すのもまた上手。永田町の生ぬるい空気で育ったぼっちゃん政治家では全く歯が立ちませんでした。

千代田区長選挙をトリプルスコアーで制すると、今度は都民ファーストの会から、都知事選に70名程度出すと脅しあげる。自民党都連は、我が身可愛さに震えあがって、右往左往。都政のドン内田氏は引退を余儀なくされ、次は、オリンピックの組織委員会、つぎは、豊洲の市場移転。さいごは石原慎太郎を百条委員会(お白州)に引きずり出すパフォーマンスまでみせます。いずれも賛否はわかれるが、多くの都民の胸がスッとする事は間違いありません。

実は、政党や政治家が人気を持ち、権力を把握する過程には、庶民の胸がスッとする過程が、最低限の必要条件になってきました。国政において、野党の追及がいまいち光らないのは、そのあたりの人心の機微・メカニズムが全く理解できていないせいかもしれません。

 

291万票を獲得した小池さんの都知事選。その初登庁の日、印象的な出来事がありました。都議会自民党の重鎮で、小池百合子知事の就任直後、挨拶回りに来た小池氏との握手を拒否した川井重勇・都議会議長の悪態が話題となり、以後、事あるごとに報道されることとなります。

 

結局、川井7月2日に開票された東京都議選(中野区)で落選。時間にして数分の出来事が、都議選の可否を決めました。 視聴者や有権者は、バカだけど、案外本質をみぬく能力があります。 仮にも都民の代表として都知事になった小池さん対し、見下したような態度をとったことで、小池さんの仮想的が、舛添前知事から、都議会自民党に一瞬でスイッチしました。喧嘩上手の小池都知事。喧嘩を仕掛ける相手とタイミングの絶妙さこそが、政治家・小池ゆり子のブルーオーシャンです。

 

改めて考えるブルーオーシャン

選挙の神様とも言われた田中角栄は、総理大臣になった後も、目白の私邸に、新潟の地元からやってくる高齢のおばあさんたちを招待し、朝食を囲みながら、地元の話に花を咲かせていたそうです。帰る段になると自分で下足番となって見送る角栄の姿に おばおさんたちは感激して帰ったとの逸話が残っています。ある時、そんな角栄の姿をみた秘書は、「総理大臣たる人がそんなことまでしなくていいのでは?」っと質問すると、田中角栄は一括し、「あのおばあさん達は、田舎に帰ったあと、100回も1000回も家々をまわり、田中の応援をしてくれるんだ。おまえら秘書よりよっぽど優秀なんだ」と語ったそうです。

 

田中角栄は、選挙という本質を見抜き、下足番のなかにブルーオーシャンを見ていたのかもしれません。事実、脳卒中で倒れた後、寝たきりになった田中角栄は、選挙運動はもちろん、国会にも、地元にも帰ることも出来ない中、連続当選をするという離れ業を演じています。そこまでやるか!?っと人を驚かすことが田中流の人心把握術だったといわれています。

 

ちなみに田中家の家訓は、「和して流れず、明朗闊達」。一方、小池ゆり子の家訓は、「人と同じことをするな」。表現は違えど、同じバックボーンを持つ二人だということが分かります。小池さんの人生をみると、間違いなくブルーオーシャンを歩んできたことが分かります。唯一無二の政治家、小池氏。今後も、どんな騒動という名の創造を、ぼくらに見せてくれるのでしょうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小池家の家訓とは?

 

小池百合子の父方の祖父は、20世紀の初頭にアメリカのシアトルで貿易を学び、神戸に会社を立ち上げたパイオニア。小池百合子の実父も、祖父の意志を引き継いで、神戸で石油関連の会社を経営し、中東や欧米諸国を飛び回っていました。そんな家庭環境の中、若かりし頃の小池ゆり子氏に「アラビア語を習得したい!」との思いが募ります。

 

しかしながら、当時、中東といえば「戦争」のイメージしかなかった時代。カイロに留学したい旨を恐る恐る両親に切り出したところ、「それは面白い!」と反対するどころか、手を打って大賛成されたといいます。そこには、「人とは同じことをするな。日本という安心な国に甘んじないで、どんどん挑戦しろ!」という小池家の家訓がありました。

 

小池百合子の経歴

小池百合子は、1952年7月15日、兵庫県芦屋市に生まれ。甲南女子中学・高校在学中には、ソフトボール部やテニス部、得意な英語を生かしてESS部にも所属するなど、文武両道に長けた利発な少女時代を過ごしました。高校を卒業した小池百合子は、関西学院大学・社会学部に進学しますが、「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」という旨の書かれた新聞記事を読んだことがきっかけで、アラビア語に興味を抱きます。

 

アラビア語の通訳になりたいとの思いから、大学を中退して、エジプトに留学。カイロ大学に進学します。1976年10月に、カイロ大学・社会学部を首席で卒業した小池百合子は、アラビア語通訳として、会見のコーディネーターやインタビュアーなどで活躍。日本テレビ『竹村健一の世相講談』でアシスタントキャスターを務めたことがきっかけで、1988年より、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代キャスターに抜擢されました。

 

小池百合子の「誰もやらないのなら、私がやってみよう!」 

小池百合子が、『ワールドビジネスサテライト』のキャスターから転身し、政治の世界に踏み込むきっかけとなったのは、番組のゲストに、当時日本新党だった細川護煕元総理を迎えたことでした。その後、「日本新党から出馬して欲しい。駄目なら誰かを紹介して」と頼まれた小池百合子は、友人たちに声を掛けますが、全員の答えは「ノー」。悩み抜いた末に小池百合子が出した答えは、「誰もやらないのなら、私がやってみよう」でした。

 

それまでの仕事から一転、批判する立場から批判される立場になった小池百合子でしたが、出馬を決めた時の気持ちは、「人の批判ばかりしていても物事は動かない。それなら自分がやるしかない」この一念だったそうです。実は、小池百合子の高校在学中に、父親の小池勇二郎が、石原慎太郎の「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、衆議院議員総選挙に立候補したことがありました。

 

結果は落選でしたが、この時の父の挑戦こそが、小池百合子の出馬に少なからず影響を与えた気がします。幼い頃から、世界を飛び回る父の背中を見て育ち、「人と同じことをせずに挑戦しろ」との信念を貫いた小池百合子の父親。政治の世界に踏み込んだのは、そんな家庭環境で育った彼女ならではの決断だったのではないでしょうか。

 

政治家としてキャリアを重ね、今回都知事選への立候補を正式に表明した小池百合子。もしかすると、都知事選出馬というのは単なる伏線なのかも知れません。「誰もやらないのなら、私が日本初の女性総理になる!」……小池百合子の虎視眈々たる心の声が聞こえてくる気はしませんか?

 

小池氏の亡父・勇二郎氏 

小池都知事が高校生の頃、兵庫県芦屋の小池邸には、父の勇二郎氏の書生として“百合子嬢”より5つ年上の関西大学の学生が住み込んでいた。後に東京都副知事となる浜渦武生氏である。そして、小池邸に出入りしたのが、後に防災相、内閣官房副長官などを歴任する鴻池氏だった。

 

百合子氏の父、勇二郎氏は、戦時中から、右翼結社に参加。戦後も、神戸で貿易商を営んでエジプト、サウジ、クウェートなどアラブ諸国を何度も訪問して各国の大臣クラスに太い人脈を築き、石油の買い付けにも成功する。当時のアラブ世界では名が通った日本人でした。真剣に大東亜圏の建設を夢見ていた怪人物だったと言われています。

 

三島由紀夫に傾倒し、「楯の会」の若手や右翼学生の面倒も見た。その中には、若かりし頃の石原慎太郎の名前もある。豊洲の市場をめぐり激突した、新旧二人の知事には、浅からぬ因縁がありました。

 

政治好きだった勇二郎氏は、青年作家の石原慎太郎氏が1968年の参院選全国区に出馬すると、石原氏の政治団体「日本の新しい世代の会」の関西地区の選挙責任者となり、過去最高の301万票で当選させます。そして翌1969年の総選挙に勇二郎氏は自ら旧兵庫2区から出馬しています。当時47歳。娘の百合子氏が17歳の時です。だが、自民党の公認は得られず、「新しい世代の会」を看板に無所属での立候補だった。

 

本人は石原慎太郎との関係があるから選挙は大丈夫と楽観視していたが、結果は7000票しか取れずに落選。娘の百合子氏は、〈町の有権者相手に、アルジェリア情勢などを滔々と語る演説では勝てるはずもなかった〉(前出・文藝春秋)と書いている。

 

その後、百合子氏はカイロに留学、帰国して数年後に勇二郎氏の事業が傾き、芦屋の家を失う。それでも勇二郎氏はカイロに渡って日本料理を経営し、異国の地で人生の最期を迎えるのでした。

 

波乱万丈な勇二郎氏の人生。「人と同じことをしない」という家訓をなぞったような人生だったのではないでしょうか?

真剣なゆえに、不器用にも思える父・勇二郎の生き方は、小池ゆり子氏の教訓となり、強さのなかにしなやかさを併せ持った人物に成長させました。