防災はハードからソフトへ 「家訓づくり」の可能性

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつのまにか築かれる「万里の長城」

 

建設進む「万里の長城」

岩手県から宮城県、福島県まで総事業費約1兆円、計約600カ所、総延長400キロメートルの防潮堤が建設される。400キロメートルと言えば直線距離にして東京―大阪間に匹敵する。そこに最大高さ15.5メートルの防潮堤を築く計画が進行しています。

 

壊れた「万里の長城」

明治(1896年)、昭和(1933年)と続けて大津波による壊滅的被害を受け、「万里の長城」と呼ばれる長大な防潮堤を築いた岩手県宮古市田老地区(旧田老町)。この防潮堤は、東日本大震災の大津波に対してどう機能したのでしょうか?

 

世界最強の防潮堤ともいわれ、国内外から絶賛された防潮堤は、長さは2600メートル、高さ10メートルの規模でした。建設には45年を要し町自慢の防波堤は”防災の町”と言われていた。

 

しかし、東日本大震災の津波は海側と陸側の防潮堤を越えて田老地区をのみ込みます。海側の防潮堤は破壊された。今回は巨大津波だったとは言え、防潮堤をつくるだけでは万全ではないということだ。「万里の長城」に安心し切って、逃げなかった人もいると言われています。

 

結果として、「万里の長城」は巨大津波を防ぐことはできませんでした。

人間の叡智では越えられない現実というものもあります。1兆円もかけたとしても、中途半端な防潮堤ができるだけです。そんな対策をするぐらいなら、「防げない」ことを前提とした避難計画を組む必要があるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防災対策は、「ハード」から「ソフト」の時代へ

 

津波対策にも有効な「言い伝え」という名の教訓

岩手県三陸地方では、「てんでんこ」という言葉が言い伝えられてきした。その意味は、海岸近くで大きな揺れを感じたときは、津波が来るから誰の指示を待つことなく、家族にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く、より高台に逃げて自分の命を守れ!という意味です。

 

この教訓に基づき、片田敏孝・群馬大教授(災害社会工学)の指導で津波からの避難訓練を8年間重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校では、全児童・生徒計約3千人が即座に避難。生存率99・8%という素晴らしい成果を挙げ「釜石の奇跡」と呼ばれました。東北地方を中心におおきな被害をもたらした東日本大震災にあって、先人がのこした教訓が現代に活かされた希な事例なのではないでしょうか?

 

画像は、仙台市に鎮座する浪分(なみわけ)神社です。

この神社は、津波が二手に分かれたとされる場所に建立されました次に「浪分(なみわけ)」という名前が命名されました。1703年(元禄16年)に約5キロ内陸の位置に建立。1835年(天保6年)、さらに内陸の現在地に移り「浪分神社」と称するようになりました。一説には、その歴史は平安時代にさかのぼるとの指摘もあります。

 

 「浪分」という名前は、1611年(慶長16年)の慶長三陸津波が関係しています。当時の仙台藩で1700人超の死者が出ました。今回の大地震でも仙台市の沿岸部では、内陸の数キロにわたり津波の被害が及びました。浪分神社の存在は、現代人の私たちに「内陸でも津波が到達する可能性がある」という教訓を残しています。

 

「ハード」から「ソフト」へ。そして、伝えるための努力へ

災害伝承の中には、東日本大震災で東北地方に壊滅的な打撃を与えた「津波」だけでなく、日本各地に伝承されています。四季に恵まれ、自然豊かな国、日本。しかし自然は人々に豊かな暮らしをもたらす一方、古来より数多くの災害が人々を苦しませてきました。

 

「津波てんでんこ」や「浪分神社」のように、全国にはどのような伝承が残っているのか。その伝承は何を伝えようとしたのか。そして伝承を継承するためにどんな取り組みが行われているか、など考える必要性があります。

 

 しかし防災訓練や、「言い伝え」の効果が高いと分かっていながら、それができないのも人間の性(さが)。まして災害はいつやってくるか分からない。1時間後かもしれないし、100年後、あるいは1000年後の可能性だってある。そんな遠くの子孫たちにどうやって、先人の教訓を渡すことができるでしょうか?

 

こうした「伝承」を「教訓」として伝えるツールとして、家訓二スト協会は、「家訓」が最も有効であると考えます。

少なくとも1兆円もかける防潮堤よりも、人々の命と暮らしを守る対策になりえるのではないでしょうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

被災地の今

 

2011年の3月、いわき市で行った炊き出しの様子です。当時、水戸青年会議所では、日本JCからの支援物資の受け入れ拠点となっており地理的にも近いいわき市に、ピストン輸送をしていました

 

いわき市は、地震の被害はもちろん、津波。そして、原発事故の影響のなか混乱の極みにありました。そんな中、地域を守る存在として、青年会議所の仲間たちが奮闘する姿は胸をうつものでした。

 

画像は、いわきJCの歴代理事長でもある箱崎先輩(と、穂坂議長)です

当時は、日本JCの委員長としても活躍され、同グループの副議長であった幡谷もよくしていただいていました。

 

炊き出しの際、箱崎先輩はこんな話を聞かせてくれました。

 

箱崎:「原発事故があって、ヨウ素が配られたんだけど、嫁さんの分がなかったんだ・・・」っと

当時、ヨウ素の支給対象は、40歳までとなっていました。箱崎家では、箱崎さんが40歳、奥様が41歳・・・ ヨウ素がどれだけ効果があるか?との議論とは別に、緊急時にもお役所仕事に終始する行政の対応に、怖さっというか寂しさを感じました

 

箱崎先輩の話はつづきます。

「避難所に、100人いて、カップラーメンが99個届いたらどうすると思う?行政のひとは、不公平になるといけないからといって、カップラーメンを倉庫にしまっちゃうんだ」っと

「おれは、そんなの関係ないから、知んないふりして、どんどん配っちゃったけどね^^」

 

かえ難い現実と闘う「いわき」は、6年もたった今も、混乱の渦中にあります。6年前のぼくは、炊き出しぐらいしか出来ない自分の無力さを痛感させられました。

自分なりにお手伝いができること、それは「家訓づくり」を通じての強い個、強い家族、強い地域づくりだという確信があります。

 

今回、いわき青年会議所さまの4月例会に、長谷川理事長、坂本委員長のお導きで伺うことになりました。ぜひ開催を契機に、PTAや、各種団体での家訓づくりの広がりにつなげるセミナーにしたいと思いますいわき市は、地震の被害はもちろん、津波。そして、原発事故の影響のなか混乱の極みにありました。そんな中、地域を守る存在として、青年会議所の仲間たちが奮闘する姿は胸をうつものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわき青年会議所での家訓づくりの様子

 

平成29年4月12日。いわき青年会議所さまの4月例会として家訓づくりプログラムを活用いただきました

会場には、2011年の出向の際、お世話になった箱崎先輩も駆けつけていただき、楽しくも、緊張する?設えとなりました

 

いわきJCさまでは、本例会をキックオフとして、今後、PTAや、保護者会でのプログラム活用を検討いただけるそうです。

「家訓づくりプログラム」を雑巾です。雑巾は汚れるほど、地域も家族も元気になるのです^^

 

家訓づくりプログラムの隠れた特徴

家訓づくりが有効な手段だとして、次の課題として、どうやって広げるか?という問題があります。仮にオーダーが殺到し幡谷が毎週いわきに通ったと仮定すると、水戸といわき、地理的に近いとはいえ、1年に100回、200回っとセミナーをするとは大変です。

そんな時の対策として、プログラムには、シナリオとパワーポイントが用意してあり、ほぼほぼ初見でもセミナーが開催できてしまうっという利点があるのです^^

 

実際、高松JCさまでは、委員会メンバーさんが講師(トレーナー)となり、エリア内の小中学校すべてで、家訓づくりのセミナーを成功させています

 

ようは、やる気です(ー_ー)!!

まずは、家訓二ストが伝えます。つぎにJCのメンバーさん。そして、最後は、PTAの役員さんや、学校の先生。その辺にいるおっちゃん、おばちゃんまで、志を同じくする仲間が集えば、家訓をつくる輪が無限につながります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

震災の経験は、最高の財産に

 

経験は、伝えることで教訓となる

自然災害の多い日本にあって、いつ、どこで自然の脅威と立ち向かうことになるか分かりません。それが「いま」かもしれないし、あるいは1000年後かもしれません。経験は伝えることで教訓となる。家訓は、10年、100年と語り継ぐことで、1000年先の子孫に大事なことを手渡すことができる唯一のツールです。被災後、ブータンの王様が来日した際、こんな言葉を子どもたちに伝えていました

 

 

王様:「この中で、竜をみた子はいるかな?」

子供:「・・・」

王様:「ぼくは、竜をみたことがあるんだよ!」

子供:「え~!?」

王様:「竜は、みんなの中にいて、【経験】を食べて成長します。だからみんなは、強くなれるんだよ」

 

言い尽くせない【経験】をした子供たちにこれ以上の励ましの言葉はあるのでしょうか?

 

ブータンの王様のやさしさ、そして、素晴らしい見識に「徳」を感じます 。プラスとか、マイナスとか、日常の尺度でいえば、震災の経験は間違いなく、マイナスです。

しかし、代えがたい【経験】を力に変えることができたなら、子ども達は、胸に竜を抱くほど強い人間に成長することができるのではないでしょうか?福島に住む子ども達が、世界中のどこよりも、強く、そして幸せに成長することを、ただただ願うばかりです。

 

家訓づくりの可能性

東日本大震災。あるいは、阪神淡路大震災。70年前には、終戦後、日本は焼き野原になっていました。しかし、私たちは【経験】を力にかえ、より強く立ち上がってきた意気溢れる民族なのです。

【経験】を力にかえる。

そして、この【経験】を【教訓】にかえる取組が、今、求められています。

 

「家訓づくり」がその一端を担えるのは間違いありません。 被災地の復旧がすすみ、今は復興の時代と言われています。 しかし、【経験】を力にかえることができれば、誰もが憧れる被災前より、人間が輝く街が創造されるのではないでしょうか?

 

震災の経験だけでなく、人生のなかで得られたいい経験はもちろん、苦しい体験こそ、語ることで教訓となり、それは家族を見守る龍(財産)となるはずです。目の前にいる子供を守ることは簡単なこと、手の届かない場所にいる子供、あるいはあなたのお孫さん、ひ孫さんを守る「家訓のある風景」あなたの家にもつくってください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 箱崎先輩、長谷川理事長、ありがとうございました^^