ロックフェラー家 家訓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好機は責任をともなう

人類の福祉に世界規模で貢献する

 

ロックフェラー家 家訓 

アメリカの実業家一族。貧困から身を起こし,石油の独占会社スタンダード・オイル・オブ・オハイオをつくって巨万の富を築いた J.ロックフェラーを頂点に,その息子ロックフェラー2世(1874~1960) ,さらにその5人の息子へと続いている。

 

 

ジョン・D・ロックフェラー

生誕:1839年

死没:1937年

 

月給25ドルの雑用係から身を起こし、のちにアメリカの全石油精製量の90%を握ったスタンダードオイル社を設立し、石油王となる。品質や値段が安定してなかった石油の精製と輸送に着眼。「スタンダード・オイル」を創設し、アメリカ全製油量の10%を握り、次々と合併を行って1879年にはアメリカの全石油精製の90%を独占した。 

 

よし、金銭の奴隷になるのはもうやめた。ひとつ、金銭を奴隷に使ってやろう。

史上空前の富をえたロックフェラーであったが、大病をわずらいそれまでの生き方を一変させる。守銭奴のような大金持ちが、病気から復帰後、積極的に慈善事業へお金を回すようになる。

 

仕事を引退してからの晩年、ロックフェラーは慈善事業に携わって人生を送った。3500万ドル以上の資金をシカゴ大学に寄付、ロックフェラーインスティテュート・フォー・メディカルリサーチ、ロックフェラー財団などを設立。 97歳にしてオーモンドの自邸で亡くなったとき、そのほとんどすべての資産を寄付し、手許に残っていたのは2641837ドルだった。

 

お金は儲けるより使う方が難しい

人類への貢献をめざしたロックフェラー財団では数々の研究を行い多くのノーベル賞受賞者を輩出してきました。1901年、初代ロックフェラーが医学研究所として設立し、野口英世も在籍。これまでに25人のノーベル賞受賞者を輩出しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界有数の富豪、アメリカのロックフェラー家の当主で日本とも関わりの深い銀行家のデービッド・ロックフェラーさんが20日、心不全のため亡くなりました。101歳でした。

 

デービッド・ロックフェラーさんは1915年、石油王のジョン・ロックフェラーの孫として、アメリカ・ニューヨークで生まれ、ハーバード大学を卒業後、1946年に当時のチェース・ナショナル銀行に入りました。

その後、1969年から81年までチェース・マンハッタン銀行の会長を務め、積極的な海外進出を進めた一方、大学や美術館などに多額の寄付をしたことでも知られています。

 

アメリカの経済界を代表して、各国の首脳と数多く面会し、世界に人脈を築いたほか、日本とも関わりが深く、1973年には民間レベルで北米と西ヨーロッパ、日本の間で理解を深め、各国政府に政策提言を行う「三極委員会」を立ち上げました。また、1994年に天皇陛下がアメリカを訪問された際には、ニューヨーク近郊にある邸宅に招いています。

 

ロックフェラー家の報道担当者によりますと、ロックフェラーさんは20日、自宅で心不全のため、101歳で亡くなったということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 画像は、ロックフェラー家の富の象徴。ニューヨークのロックフェラーセンターの様子

 

(参照:http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/49160754.html

日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

  

20世紀初頭、ビル・ゲイツの3倍もの資産を持つ大富豪がいました。石油王・初代ロックフェラーで、資産は、現在の価値で23兆円に上ります。この巨万の富を背景に、アメリカの政治、経済、文化に多大な影響を与えてきたロックフェラー

 

資本主義の悪魔

石油業界で地位を築くために、初代ロックフェラーは、競争相手を容赦なく叩き潰しました。余りにむごいそのやり方に避難が殺到したと言われています。

 

今や世界にその名を轟かせるロックフェラー、その巨万の富は、一代で築き上げられました。1839年初代ロックフェラー・・・ジョン・Dは、ニューヨーク州で生まれました。6人兄弟の長男として生まれました。父は行商人で、効き目の怪しい薬を言葉巧みに売り歩いていました。

 

ペンシルベニア州で大規模な油田が掘り当てられたというニュースに惹かれます。

この頃、灯油が鯨油に代わるランプの燃料として使われ始めていました。

 

しかし、油田を掘り当てられなければ破産・・・博打のようなものでした。

ジョン・Dは、新しい事業に投資することに何のためらいもありませんでした。

しかし、どんな分野に投資するかについては、慎重に見極めようとしました。

リスクを負わずに儲ける方法は・・・??

4年後、24歳で原油の精製に目をつけます。

原油の品質を高めることがビジネスになる!!と。

科学者を雇って、精製技術を高めていきます。

そして、30歳で、「スタンダード石油」を設立。

ジョン・Dは、経営改善努力も惜しみません。

会社の業績を伸ばしていきます。

「私のお金を稼ぐ才能は、神様から頂いた賜物であると信じています。」

儲かっていたにもかかわらず、生活は極めて質素。

酒もたばこもトランプも禁止。。。

そこには、母・イライザの影響がありました。

敬虔なキリスト教徒だったイライザは、勤勉、倹約、質素を旨としたのです。

そんなジョン・Dの楽しみは、日曜日に教会に通うことでした。

そして、働き始めた頃から収入の1/3を慈善事業に寄付、1/3は貯蓄、のこり1/3でした。

「真面目に稼いで、出来る限り手に入れ、出来る限り与えることは宗教的義務だと思う。

 小さい時に、教会でそう教わった。」

これほど信仰が厚い一方で、ビジネスでは・・・競争相手を徹底的に叩き潰す!!

同業他社のいる地域では、原価割れの低価格で販売し、相手を倒産させる。

原価割れの部分は、同業他社のいないところで価格を引き上げる・・・!!

また、小売店が自分のところの石油の取り扱いを拒むと・・・すぐ近くに店を構え、食料や雑貨も安価で販売・・・儲けを度外視した経営をしました。

廃業に追い込みます。

さらに勢力拡大のために、鉄道会社と結託!!

当時、鉄道会社は路線の拡張を進めていて、運搬する貨物を必要としていました。

その貨物として多くのドラム缶を提供!!

ジョン・Dの運賃の値下げと他社の運賃の値上げを密約していました。

こうして一代で巨万の富を築いたのです。

「富を築きたいという野望はなかった。

 金儲けが目的だったことはない。

 私には何かを作り上げたいという大使があった。」

順調に勢力を拡大していましたが・・・

1872年、32歳の時、鉄道会社との密約がばれて・・・窮地に・・・!!

原油の生産者たちが油田を封鎖しストライキを起こしました。

密約は破棄せざるを得ませんでしたが・・・

生産者のストライキによって原油を生産する同業他社が経営困難になったところが出てきました。

そこで・・・銀行の役員を買収し、融資をやめさせます。

そして、金に困った同業他社を次々と乗っ取っていったのです。

ジョン・Ⅾは、この地域にあった26社のうち22社を乗っ取ってしまいました。

ロックフェラーの名は、強欲な悪人としてアメリカに轟きます。

辛辣なバッシングが・・・!!

しかし、ジョン・Dは、一切反論しませんでした。

ジョン・Dは、石油の精製だけでなく、生産→精製→輸送→販売まで手掛けていきます。

そして、1879年、40歳の時には、アメリカの石油産業の90%以上を支配。

そのやり方が非難を浴びる一方で、石油産業を発展させたことは、アメリカを世界一の工業国への原動力となりました。

農業国から工業国へと変わっていくアメリカ・・・

「スタンダード石油は、アメリカを築いた最大の企業のひとつとなった。

 ほかの国を含めても、かつて類を見ないほど、巨大な企業となった。」

しかし、風当たりは強まるばかり・・・

1902年、63歳の時に、「スタンダード石油の歴史」が、アイダ・ターベルによって連載。

かつてジョン・Dが行った悪行を暴いていきます。

彼女の父も、ジョン・Dによって廃業に追い込まれていました。

この連載は、大きな反響を呼び、ジョン・Dは、貧困を生み出す悪の根源とされたのです。

しかし、沈黙するジョン・D。

「私は感情を表に出す人間ではないし、繰り返される中傷に反論する気もない。」

一方、ジョン・Dの富は拡大していきます。

1908年、69歳の時、フォード社が自動車の大量生産に成功!!

ガソリンの需要が急激に高まっていきます。

そして遂に・・・推定資産9億ドル・・・世界一の大富豪となったのです。

それは、当時7億ドルだったアメリカの国家予算を上回るものでした。

1914年、ジョン・D、75歳の時に第一次世界大戦勃発!!

そうすると、ヨーロッパ市場も独占!!

石油は、登場した新兵器の飛行機・戦車の燃料となったのです。

しかし、増え続けるとみは、敬虔なキリスト教徒であったジョン・Dにとって、次第に負担となっていきます。

「多大な富は、過大な重荷であり多大な責任だ・・・!!

 しかも、決まって次にあげる二つのうちの一つになる。

 大いなる祝福か、大いなる呪いか、このどちらかだ。」

そこで、慈善事業に力を入れます。

ジョン・Dによって建てられた教会は4000以上、シカゴ大学、ロックフェラー医学研究所も、ジョン・Dによって設立されました。

しかし、世間は・・・卑劣な行為を誤魔化すためのもの・・・と、受け止め、非難の声を強めます。

ジョン・Dは反論しません・・・。

1937年ジョン・D死去・・・97歳の生涯でした。

亡くなる直前、自動車王のフォードに・・・

「さらばだ天国で会おう」byジョン・D

「穴らが、天国に入れたらの話だがね。」byフォード

 

初代ロックフェラーには、5人の子供がいました。

跡継ぎは・・・ただ一人の息子、ジョン・D・ロックフェラー(ジュニア)でした。

しかし、ジュニアが父の会社を継ぐことはありませんでした。

 

1874年ジュニア誕生。

スタンダード石油の設立から4年後のことでした。

ジョン・Dは、すでに金持ちだったものの、子供達には勤勉・倹約・質素の精神をたたき込みます。

子供たちにおさがりの服を着せ、裁縫や料理も習わせます。

小遣いもお手伝いをして自分の努力で稼ぎ、お小遣い長をつけさせました。

1897年ジュニア23歳の時、大学を卒業すると、一族の資産を管理・運営する会社の入社。

ジュニアは株式投資に乗り出します。

後継者に相応しいことを示そうとしたのですが・・・

ウォール街の手練れに騙され、100万ドルの損失を出してしまいます。

ジュニアは、大きなショックを受け・・・

「自分が正しいと思ったことをすればただそれでいい。」by父・ジョン・D

それでもジュニアは・・・

「自分が事業をやるために生まれたのでないとしたら、いったい、何をしに生まれてきたのだろうか。」

そんなジュニアに転機が訪れたのは27歳の時・・・

アメリカ南部で、黒人の教育現場の現状を調べる調査団に参加します。

南北戦争の終結から30年・・・南部ではまだ黒人差別が色濃く残り、黒人に対する教育はひどいものでした。

そこに、自分の進む道を見出すジュニア。

「人生で最も有益な経験だった。」

1903年、ジュニア29歳。

黒人の教育環境改善のための「一般教育財団」を設立。

最も力を入れたのが高校の設立で、7年で800もの高校を設立。

少しでも高いレベルでの教育を・・・と、環境を整えます。

また、売春や麻薬の撲滅にも取り組みます。

慈善事業に対し、ジョン・Dはお金を出すだけでしたが、ジュニアは自ら行動します。

「私は人生で、これほど熱心に働いたことがない。」

1913年、39歳で、「ロックフェラー財団」を設立。

後に、世界最大規模の慈善事業団体となります。

ジュニアの生きがいとなっていきますが・・・その矢先事件が・・・

ジュニアは、父が投資した企業の経営からは身を引いていたものの、唯一コロラド州ラドロウにある鉱山会社の取締役の肩書は残していました。

そこで働く9000人の鉱山労働者がストライキを起こしたのです。

賃金の引き上げや安全基準の見直しを求めたのです。

会社の雇った保安要員と衝突し、40人以上の労働者や女性や子供13人が死亡したのです。

大惨事・・・アメリカ史上最悪の労働争議と言われる「ラドロウの悲劇」。

ジュニアは、実質的に全くかかわっていなかったにもかかわらず、批判を浴びることとなります。

「ロックフェラーは、ニューヨークでは聖書を持ち、コロラドではマシンガンを使っている。」

批判に対し、父は沈黙を守り続けましたが・・・

ジュニアはラドロウに赴き、鉱山労働者たちと対話をします。

そして、数日間に及ぶ話し合いののち、労働環境の改善を約束したのでした。

その真摯な姿勢が共感を呼んでいきます。

また、下院小委員会の喚問にも応じ、敵意を露にした質問にも丁寧に答えます。

メディアの注目を集め・・・ロックフェラー家への好意的な見方が生れました。

1929年ジュニア45歳の時に、世界恐慌!!

株が大暴落!!

そんなさなかに、ジュニアはロックフェラー・センターの建設に乗り出しました。

最終的に、1億ドル以上の損失を出すことになる事業でしたが・・・7万人以上に働く場所を提供しました。

人々は、ジュニアに感謝の気持ちを表そうと、ポケットマネーを出し合い、巨大なクリスマスツリーを作りました。

以来、ロックフェラー・センターには、毎年、クリスマスツリーが・・・。

 

 

ロックフェラー一族・・・それは、社会に貢献して仕事を課せられている一族

初代ロックフェラー、ジョン・Dは、会社を創業した地・オハイオ州・クリーブランドに眠っています。

ジョン・Dは、晩年、社会情勢を気にかけていました。

世界恐慌が起きると人々にメッセージを・・・

「神と人間性を信じ、勇気をもって進もうではないか。 それぞれの役割を果たし、よりよい世界にしよう。」

その言葉に従うかのように、ジュニアは慈善事業に人生を捧げ、第三世代は政治や海外との文化交流で自らの役割を果たそうとしました。

 

こうして、ロックフェラー一族は、アメリカに影響を与え続けてきました。

そして・・・今年も、華麗なる一族を象徴するクリスマスツリーは、アメリカを照らしたのです。

 

 

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