カストロ議長と日本へのメッセージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間にとって最も重要な資本は金ではない。人間こそが、最大の資本なのである」

フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス(Fidel Alejandro Castro Ruz),

生誕:1926年8月13日

死没:2016年11月25日

 

革命家として知られるキューバの政治家、元国家元首。

アメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えた人物。

 

キューバ革命とは?

キューバはカリブ海の島国のひとつで、15世紀にコロンブスが発見、その後、他の南米国と同様スペインの植民地になります。19世紀に独立の気運が高まり、アメリカの協力を得て独立戦争に勝利。しかし今度はアメリカの軍政下に置かれることになります。このときグアンタナモ湾の租借権(「お前のものは俺のもの」宣言みたいなもの)をアメリカが獲得。現在に至るまで米軍基地が置かれています。

 

当時、キューバの土地は2/3以上が外国資産。そして、そのほとんどが、キューバから150kmしか離れていない米国(アメリカ合衆国)の資本でした。表向きは豊かになっていても、国民の中で怨嗟が広がります。

 

特にひどかったのは医療で、農村部では、目を覆いたくなるほどの困窮をみせます。そんな中、 カストロ兄弟はこの状況を打破するため、ゲバラに代表される同志を集めてゲリラ戦を展開し、1959年キューバ革命を成功させました。

 

キューバの国政のトップには、革命以降、半世紀にわたりフィデル・カストロがついています。まるで、毛沢東や金日成のように、権力に執着した独裁者としてカストロを見る人は多いなか、カストロの実像は自分の肖像画や銅像を一切作らせていない点など国民に慕われる独裁者です。農地改革の際には、実家の土地をも公正に没収したために、実母から勘当されたとの逸話がのこっています。

 

カストロはストーンのドキュメンタリー映画の中で、誇らしげにこう見栄を切っている。
私の考えは借り物ではない。生涯、自分自身の仕事をし、任務を遂行してきた。私は自分自身の独裁者であるといえる。私は自分自身の独裁者であり、国民の奴隷だ。それが私だ

なんか危なっかしいイメージがありつつ憎めない革命家。それがカストロの魅力であったのかもしれません。

経済的には失政がつづき、国民の生活も困窮しています。しかしその人気が衰えたという話は聞きません。カストロは、物や金はなくても、教育と医療において卓越した手腕をみせ、独立前3割ほどであった識字率を95%まで押しあげ、医療についても完全無料化を実現。国民一人あたりの医師の数も、他の先進国をよせつけない圧倒的な1位を誇る国にしたてました。

 

カストロが国連で演説したメッセージです。

ある者たちが贅沢な車を運転することができるようにするために、何故他の者は裸足で歩かなければいけないのか? ある者たちが70年間で生きることができるようにするために、何故他の者は35年間しか生きることができないのか? ある者たちが大変な大金持になることができるようにするために、何故他の者はみじめなほど貧乏でいなければいけないのか? 私は、一切れのパンさえ食べることができない世界の子供たちのために言っているのだ

 

キューバ国民のため戦ったカストロ。しまし、その存在は、アメリカにとってはのど元に突き刺さったトゲのような存在で、実際に1962年には、核戦争の一歩手前となる「キューバ危機」を招きます。またアメリカは執拗にカストロの暗殺を企て何度も工作員を派遣してきたことも明るみになっています。

世界の警察としてその名を高めてきたアメリカにあって、キューバは従順ならざる唯一の国。60年にわたって経済制裁を続けていますが、アメリカの思惑ははずれ、カストロ率いるキューバは独立という尊厳を守り続けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日家としてのカストロ議長

11月25日に90歳で死去したキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長。親日家として知られたカストロ氏だが、2003年3月の来日時には広島を訪問している。1962年、人類史上最も核戦争の危機が高まったとされる「キューバ危機」を経験したカストロ氏にとって、広島の訪問は「長年の夢」だったという

友として知られるゲバラは、カストロ議長(当時は首相)に 「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧められたとの逸話も残っています

 

「このような残虐な行為を、決してまた犯すことのないように」 

カストロ氏は、歓迎昼食会の席で、広島に原爆が投下されたニュースを当時のラジオ放送で聞いたエピソードを明かし、「様々な戦争のエピソードの中で最も衝撃を受けた」と述べた。その上で、広島の被爆の教訓を、人類は学ぶべきだと訴えています。

 

類は広島の教訓を十分学び取っておらず、世界はまだ危険のふちにいる。たくさんの人々が広島を訪れなくてはならない

62年、米ソ対立で人類史上最も核戦争の危機が高まったとされる「キューバ危機」を経験したカストロ氏は、 広島と長崎の人たちは全く罪のない犠牲者として、哀悼の意を表したいという長年の願いがかなったと述べています。

 

キューバ帰国後、カストロ氏は広島訪問時の所感について国会で演説。世界に向けて広島を訪問するよう訴えた。また、原爆を投下したアメリカを痛烈に批判しています。

 

以下、演説の内容です。

「何百千万の人々があの地を訪れるべきだ。あそこで起こったことを人類が真に知るために あの攻撃はまったく必要のないもので、モラル上も正当化できない 」

その上で、被爆国日本についてこう評価している。

「日本国民は一言も恨みを発しなかった。それどころかそのようなことが2度と起こらないよう平和を願う記念碑を建てた」

 

アメリカのオバマ大統領が、アメリカの現職大統領として初めて広島を訪問したのは、それから13年の月日がたった2016年5月のこと。

カストロの広島訪問について、アメリカへの当てつけという説や、プロパガンダとの冷めた論調もあるなか、その生涯のなかで幾度となく日本への想いを発せられています。野球での交流やプライベートでみせた心遣いなど、カストロ議長が真の親日家であったと幡谷は考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カストロ議長の盟友・チェゲバラ

 

エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(ErnestoRafael Guevara de la Serna、1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。裕福な家で生まれ医師の免許も持つ。

 

ゲバラはアルゼンチン人で医学博士です。キューバ革命には当初、軍医として参加しました。

しかし、その卓越した分析力と無私無欲な性格は、人々の強い支持を得るようになる。カストロはそんなゲバラを、別働隊の司令官に任命。外国人の医者を、革命軍の事実上の副官にしたのだ。

 

ゲバラはその期待にこたえ、キューバ革命の天下分け目の「サンタクララの戦い」では六倍以上の国軍を相手に堂々たる勝利をおさめた。カストロ到着まで、首都ハバナの治安回復を任せられたのも彼である。戦後にありがちな略奪や暴力に対して厳格に公正に処罰したゲバラを、国民は慕いました。革命成立後、ゲバラは政府の要職にはつきませんでした。

 

だが、革命後、米国とつながりのある富裕層が亡命するに至り、キューバは人材不足に陥ります。そんな状況で、カストロは国立銀行総裁にゲバラを指名。ここでも卓越した手腕をみせ、アメリカによる経済封鎖の影響を最小限に食い止める活躍をみせたのでした。

 

実は日本にきていたゲバラ

国立銀行総裁であったゲバラは59年、31歳の時、来日しています。10日間滞在中、自動車工場などを視察しました。 アルゼンチン出身の医師であったゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望。しかしアメリカとの関係を危惧した日本政府の許可が出なかったといわれています。

 

業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、ホテルを抜け出して広島に行くことを決断。 オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い夜行列車に飛び乗りました。 広島では、被爆者が入院する病院などを訪問、ショックを受けていたと記録が残っています。

 

帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に 「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。 カストロ議長は03年3月に広島への訪問を実現しています。

 

 

「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」(ゲバラの最後の言葉)

 革命に一生をささげたゲバラ。いまも世界に影響を与える人物です。

その最期は南米ボリビアでの戦地で遂げることとなりました。 ゲバラからすれば、アメリカに飼いならされていると見えたボリビアの人々でしたが、彼の思想はボリビアの人々にスムーズには受け入れられず、政府軍に捕まって銃殺刑に処されることとなってしまいました。満足な裁判さえ受けられず、銃をもち、今まさにゲバラを殺そうとする兵士にむかって、ゲバラは次のような言葉を遺します。「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」。

 

自分を殺そうとする相手に訓戒を残したゲバラ。

遺体は無名のまま埋められ、発掘されたのは1997年のこと。 遺族のいるキューバに遺骨が届けられた後、霊廟に納められています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカが最も嫌う独裁者としての顔

1959年、キューバ革命を成功させ、国政のトップについたとき、フィデル・カストロは31歳でした。当時、キューバの土地は2/3以上があっりか国資産でした。また砂糖など主要産業の大部分を外国人に握られ、国民の生活は疲弊します。

 

カストロは「キューバの土地はキューバ人に」という革命スローガンを実行すべく、農地改革を断行。外国資産のほとんどはキューバ政府に没収します。米国とつながりがあった富裕層は、一斉に米国フロリダ半島に亡命。その後、キューバは、ソ連の協力あおぎ、あたらしい国づくりをはじめます。その間、アメリカからの、謎の空爆や内政干渉に耐え現在に至ります。

 

歴史は私を無罪とするだろう

この言葉は、革命のため蜂起したものの、投獄された際に発せられた言葉です。実際、カストロは革命を成功させました。

 

しかし、アメリカ側はこの革命を強く非難し、カストロ議長を、20世紀で最も多くの殺人を犯した最も残忍な独裁者の一人でとして糾弾をくりかえしています。アメリカ側によると「地獄というものがあるなら、カストロは、ヒトラーやスターリン、レーニンや毛沢東などと同じ場所にいるだろう」と指摘し、彼の死に際して、「数え切れない程多くの彼の犠牲者達のものと比べ、あまりにも簡単にやってき過ぎた。彼の死に際してさえ彼を称賛するような行為は、人道に対する真の敵対行為だ」とさえ言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超大国アメリカの反面教師。キューバという国

アメリカ発のグローバル経済化がすすみ、いまでは1%の富裕層が99%の富を独占していると言われるまでになりました。一日2ドル以下でくらす最貧層の数も数十億人に上り、極端な格差社会への不満は沸点に達しようとしています。

 

事実、勝ち組であるはずのアメリカにしても、貧民層の増加と、失業者の増加など、社会の不安定さは目に余るものがあり、たとえば銃による死者数は3万人にも上ります。先の大統領選で、泡沫候補とみられていたトランプ氏の勝利の原因もこうした社会不安が根底にあるのではないでしょうか?

 

アメリカ・フロリダ半島から南に150km。そこにキューバはあります。キューバは世界的にも貧しい国の部類にはいり。経カストロは失政も続き、国民の生活は困窮しています。しかし、カストロは、「医療」と「教育」を一貫して重視しています。  ある旅行社によれば。「キューバは中南米の中でもっとも安全な国だ。間違いなく、米国よりも・・・」っと

 

社会主義国であるキューバにはホームレスはいません。識字率は95%をこえ、高校までの教育費は無料です。医師の数は国民165人当たり1人と世界一多い(2002年調査)。乳児死亡率も1,000人当たり6.5人と米国より低い(2002年調査)のが特徴です。  

 

実は酷いアメリカの医事情・・・

アメリカは先進国で唯一、国民皆保険のない国です。健康保険は公共サービスではなく、おもに民間の保険会社が受け持っている。貧困層の人がそんなものに入れるわけもなく、国民の2割以上は無保険者と言われています。 普通に収入を得て保険に入っている人たちの話である。日本でも生命保険の未払いが大問題になっているけど、米国の保険会社は、とにかく考えつく限りの理由をつけて医療費を支払わないと言われています。

 

アメリカの医療の現実を描いたマイケルムーアは、「アメリカの医療はテロより怖い」と皮肉りました。映画には、交通事故を起こして意識不明のまま救急車で運ばれたことのある女性が登場します。「事前に救急車を使うことを申告してなかったから、救急車の搬送費は保険でおりなかったの」……。米国では、意識がなかろうが死にかけていようが、救急車を呼ぶ前にまず保険会社に電話しなくてはいけないそうです。

 

9.11テロのとき、事件の起きたグラウンド・ゼロにはボランティアで多数の救護士が駆けつけています。彼らの多くは粉塵の中で救護活動を続けた結果、深刻な呼吸器障害を煩い、職を失い、政府の援助ももらえないまま暮らしています。映画では、 監督自ら、傷ついた救護士たちを引き連れ、医療の進んだキューバに渡るシーンが描かれています。キューバの病院は、ムーアたちを受け入れ、「9.11の英雄」として手厚く治療をうけることとなりました

 

民間による医療の暴走をコントロールできないアメリカでは、キューバで6円で売られている薬が12,000円もの価格になっています。また、旅行先のハワイでけがをして、ハワイの病院に入院して帰国したカナダ人は、数千万円の請求を受け、また日本人もアメリカで、盲腸手術をし200万円もの請求された話など、笑えない話が次々暴露されています。

 

こうした公的保険の不備とアメリカ民間保険会社の非人道的な運用は、病気を原因にした破産を生んでいます。

物はないけど、国民が安心して暮らせる国をつくったキューバ。一方、物があふれ、成功者には破格の生活を担保しつつも、どこかに影があるアメリカという国。どちらが正しいかは歴史が決めることでしょう。

しかし、キューバとアメリカという近くて遠い国は、反面教師のようにお互いの反対の国づくりをしてきたことが分かります

 

あなたが住みたい国はアメリカ?それともキューバ?

私たちが住む日本は、資本主義国陣営にあって、格差もなく、最も成功した社会主義国だと揶揄されることがあります。アメリカとキューバを足して2で割った国、それが日本なのかもしれません