嘉納治五郎 遺訓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘉納 治五郎(かのう じごろう)

生誕:1860年12月10日(万延元年10月28日

死没: 1938年(昭和13年)5月4日

 

講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる

 

柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた

 

■嘉納治五郎遺訓

 

遺訓「世を補益するのが、柔道修行究極の目的」

 

柔道とは、心身の力を、最も有効に使用する道である。その修行は、攻撃防御の練習により、精神身体を鍛錬し、その道の真髄を、体得する事である。そして、是によって、己を完成し、世を補益するのが、柔道修行究極の目的である

  

(参照:公益社団法人 講道館HPより) 

http://kodokanjudoinstitute.org/doctrine/history/ 

 

 

 講道館柔道の創始者、嘉納治五郎師範は少年時代から身体が弱くなんとか強くなりたいと柔術を修行しました。

 

柔術の「柔よく剛を制す」の柔の理から「心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させ、新しい時代にふさわしい技術と理論を組み立てました。 嘉納師範はこの原理を「精力善用」の標語で示し、これこそ柔道技術に一貫する原理であるとともに、社会生活すべてに於ても欠くことのできない重要な原理であることを明らかにしました。

 

そしてこの原理を実生活に生かすことによって、人間と社会の進歩と発展に貢献すること、すなわち「自他共栄」をその修行目的としなければならないと教えました。

 

主とするところは「術」ではなくこの原理と目的により自己完成をめざす「道」であるとして、術から道へと名をあらため、その道を講ずるところという意味で名づけられたのが「講道館」という名でした。

  

嘉納師範はまた、国際オリンピック委員会会長クーベルタン男爵の要請により東洋初のオリンピック委員に就任、また大日本体育協会(現日本体育協会)を創設するなど、国内外において体育の奨励に尽力しました。 嘉納師範は、単に技を修得するだけでなく、天下の大道を学ぶものとし、その教育場を「講道館」と呼んだのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■嘉納治五郎と幻の東京オリンピック

 日本で初めて開催された1964年東京オリンピックから遡ること28年、東京は、すでにオリンピック招致を成功させていた。それは後に、「幻の東京オリンピック」と呼ばれる1940年の東京オリンピックである。圧倒的に不利な状況の中、「柔道の父」として知られる嘉納治五郎は世界を駆け回り、オリンピック招致を成功させました。

 

嘉納治五郎先生はなぜ、オリンピックにこだわったのでしょうか?

   

嘉納治五郎とクーベルタン男爵

 

(参照:東建月報2009年6月号掲載)

http://www.token.or.jp/magazine/g200906.html

  

「柔道の父」嘉納治五郎先生は、英語が堪能で、早い時期から、海外への柔道の普及を推し進めた国際人でした。その功績から、日本人としてはじめてIOCの一員にもなっています。

 

「近代オリンピックの父」と称されるピエール・ド・クーベルタン男爵は、IOC会長を務めたフランス人の貴族で、スポーツを通じて青少年を教育するという理念に燃える教育者で、オリンピックを近代に復活させた人物です。一方の嘉納も、学習院の教頭や東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長を務める他、青少年の精神強化を目的とした講道館柔道を確立。教育の一環にスポーツを取り入れるという点でクーベルタンの思想と相通じていた。中でも嘉納が講道館柔道の基本理念に据えた、心身のすべての力を最大限に生かし社会のために使う「精力善用」、相手に感謝し、共に成長していく「自他共栄」という考え方は国境を越えて、同じ教育者であるクーベルタンの心をとらえました。

 

嘉納は、クーベルタン男爵の理念に共感し、東京オリンピックの招致のため熱心に活動しました。

 

幻となった東京五輪でしたが、成功していれば、史上初めて欧米以外の有色人種国家であり、アジアで行われるオリンピック大会、そして紀元二千六百年記念行事として準備が進められていたものの、日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至りませんでした。

  

治五郎の想いは、「東京オリンピック」として1964年(昭和39年)に実現しています。これがアジアで初であると同時に、有色人種国家初のオリンピック開催となりました。

そして、1964年大会から56年が経った2020年にも東京でオリンピックが開催されることが決定しています 

 

 

 

 

 

 

 

 

■「柔道」と「JUDO」

 

 柔道(じゅうどう)は、「柔」(やわら)の術を用いての徳義涵養を目的とした芸道、武道のことである。現代では、その修養に用いられる嘉納治五郎流・講道館流の柔術技法を元にした理念を指して「柔道」と呼ぶことが一般化している。柔道は、投げ技、固め技、当身技を主体とする武術・武道、そしてそれを元にした社会教育的な大系となっています。

 

世界的にも普及し、ヨーロッパ、アメリカが発祥でない唯一のオリンピック種目(当時)にもなりました。

 

古くは、12世紀以降の武家社会の中で武芸十八般と言われた武士の合戦時の技芸である武芸が成立し、戦国時代が終わって江戸時代にその中から武術の一つとして柔術が発展しています。

 

柔道の試合競技は、オリンピックでは1932年のロサンゼルスオリンピックで公開競技として登場し、1964年の東京オリンピックで正式競技となる。東京オリンピックでは、無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクが日本の神永昭夫を破って金メダルを獲得し、柔道の国際的普及を促す出来事となった。女子種目も1988年のソウルオリンピックで公開競技、1992年のバルセロナオリンピックでは正式種目に採用されました。

 

現在は、世界中に普及し国際柔道連盟の加盟国・地域が199カ国もある(2007年9月現在)。日本以外では、韓国、欧州、ロシア、キューバ、ブラジルで人気が高く、特にフランスの登録競技人口は50万人を突破し、全日本柔道連盟への登録競技人口20万人を大きく上回っています。

 

 

青い目の侍・アントン・ヘーシンク

 

東京オリンピックの初代の金メダリスト・ヘーシンクは後のインタビューで、

「東京五輪で勝てなければ、パリ世界選手権でのタイトルは何の価値もないものと自身に言い聞かせていたため、五輪での優勝が決まった瞬間はただただ安堵した」と語り、「この大会で日本人が優勝していたら柔道は地方のスポーツと見做され、1972年五輪の正式種目となる事はなかっただろう」と続けています。

 

ヘーシンクが東京五輪の決勝を制したとき、喜び勇んで畳に上がろうとした関係者を手で制し、礼に則りおじぎをしたというのは今でも語り草になっています。この行動はいかにヘーシンクが「柔道」の本質を理解していたかを物語っています。柔道とは、読んで字のごとく「柔の道」。柔道はそもそもスポーツではなく「道」を追及する哲学なのです。

 

単に技術やパワーをつけ勝ち負けを競うだけではなく、稽古を通じ礼節を学び自己を高めることにこそ、武道の真髄があります。ヘーシンクの行動は、まさに礼を重んじる武道の精神に基づいたものであり、それは「JUDO」などと半ば揶揄されるようなものではない。 

彼は日本の「柔道」を正しく理解した武道家でした。

  

例えば、武道でありスポーツである上、神事の要素まで持っている相撲では、土俵でのガッツポーズは禁止。元横綱・朝青竜が怒られたことも記憶に新しい。相撲では「伝統」という名前で武道の精神が受け継がれています。

 

爆発させたい喜びを押し隠し、礼節を優先したヘーシンクは、青い目をした侍であり、また敗れた神谷選手への気遣いをみせるなど、一流のジェントルマンでもありました。彼の活躍のおかげで「柔道」が「JUDO」となったと評されています

 

嘉納治五郎先生の精神は、ヘーシンクをはじめ多くの柔道家の手によって、国境や人種の壁をこえ、いまなお広がっているのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■「自他共栄」の精神

 

「自他共栄」とは、「精力善用」と共に嘉納治五郎が創始した講道館柔道の指針として掲げられている言葉です。

「精力善用」とは自分が持つ心身の力を最大限に使って、社会に対して善い方向に用いること。また「自他共栄」は相手に対し、敬い、感謝をすることで信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとすることです。

 

互いに信頼し、助け合うことができれば、自分も世の中の人も共に栄えることができます。

そうした精神を柔道で養い、自他共に栄える世の中を作ろうというのが「自他共栄」の精神です

 

嘉納の唱えた「精力善用」「自他共栄」のメッセージは、柔道界だけでなく、治五郎自身が設立にかかわった旧制灘中学校(現・灘中学校・高等学校)の校是としても引き継がれています。

 

オリンピックで争うトップ選手になるためには、自分自身の努力だけではなく、良きライバルに恵まれることが大切です。ライバル同士がしのぎを削り、互いを高めあうことで、より高いパフォーマンスにたどり着くことができるのです。

 

「自他共栄」とは、自分も、他人(ライバル)も共に栄えてこそ、成長することができるとの意味です

教育者でもあった嘉納治五郎先生の精神は、いまなお色あせない不変性をおびた全人類へのメッセージに他なりません。

 

 

柔よく剛を制す 

小さい者が大きい者を投げ飛ばす。「柔よく剛を制す」という思想が示すこのアクションこそが柔道の醍醐味です。創始者の嘉納治五郎が柔術を学び、それを独自に改良し、武道としての精神的な道を確立させ、柔道が誕生しました。理念は「精力善用」と「自他共栄」というもので、社会や周囲の人たちに対して、自らの心身がどうあるべきかを示したものです。それを柔道に打ち込むことによって学ぶことが大切だと考えられています。

  

 

■柔道と礼節

 

人間生活の習慣として、身を守り、生活体である社会を守っていくにもっともウエットな知恵が要請される。それが道徳であり、道徳が形として現れたのが「礼儀作法」です。

 

相手を尊敬し、自分を謙遜し、行いを丁寧にすることが「礼」です。この「礼」を時に即し、場合に応じて、自分の行動ができるように、わきまえる事が「節」です。「礼節」を知って初めて一人前の人間といえるのです。と言うことです

   

柔道の目的は、相手を負かすことではありません。身体を鍛えることにより、心を磨き、礼法・礼節の精神を身につけること。それが柔道の目指す学びです。

 

作法と気遣いについて、ビートたけしさんは次のようなメッセージを残しています。

 

 

 

作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ

具体的な細かい作法をいくら知っていても、本当の意味で、他人を気遣う気持ちがなければ、何の意味もない。その反対に、作法なんかよく知らなくても、ちゃんと人を気遣うことができれば、大きく作法を外すことはない。駄目な奴は、この気遣いがまったくできていない。

( ビートたけし)

 

 

柔道はスポーツであって、スポーツではなし。だから「道」という名がついているのでしょう

嘉納治五郎先生の精神を研究すると、勝ち負けだけで柔道家を評価している昨今の現状がさみしいものに感じます。

 

勝ち負けよりも重要なものがあること、そして「道」には終わりがないこと、そんな精神を柔道だけでなく、日常の生活のなかで実践していきたいものです。

 

 

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