ナイキの創業者の言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To bring inspiration and innovation to every athlete in the world.

訳:世界中の全てのアスリートにインスピレーションとイノベーションをもたらすこと 

If you have a body, you are an athlete.

体があれば、あなたもアスリートだ。  

(ナイキ社のコーポレートポリシーより)

 

■ナイキとは

ナイキ(Nike, Inc.)は、アメリカ合衆国オレゴン州に本社を置くスニーカーやスポーツウェアなどスポーツ関連商品を扱う世界的企業である。1968年設立。ニューヨーク証券取引所に上場。グループ企業に同じくスポーツ用品メーカーのアンブロなどがある。

社名の由来は、社員の一人ジェフ・ジョンソンが夢で見た、ギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー (Nike)」から

  

売上高:連結: 306億100万ドル(2015年5月期)

純利益:連結: 32億7,300万ドル

従業員数連結: 6万2,200人

 

スタンフォード大学で経済学を学んでいた学生フィル・ナイトと、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンが前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立。同社は日本からオニツカタイガー(現アシックス)のランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売していた。より高い利益を求め、オニツカタイガーの技術者引き抜きなどを行い、オニツカタイガーの競合社である福岡のアサヒコーポレーションでトレーニングシューズを生産、ナイキのブランド名で販売した。

 

いまやシューズメーカーというだけでなく、スポーツ&フィットネスブランドとして世界一のビッグブランドになり、世界中に知れ渡っているナイキ。しかし、その歴史は意外と浅く、創業からまだ約40年の会社です。そして、ナイキは、設立当時は鬼塚タイガー(=現アシックス)の輸入代理店でしかありませんでした。

 

いわばバンに商品を積んで売り歩く行商に近い存在だった会社が、瞬く間に大メーカーへとステップアップしたのである。そのアメリカンドリームを体現したような成功にはどんなブランド経営があったのか紐解いてみます

 

ナイキの社員に“ナイキらしさ”って何かと街中で問えば、「あれはナイキらしいよね」「あれはナイキらしくない」と指差しながら歩くことができるという。これは自社の企業ブランドに対してのイメージが皆で共有されていることの証である。ナイキは企業ブランドのメッセージとして“Just do it(=とにかくやってみること)”と名づけていた。企業メッセージがお客様の方向ばかり向いてしまって、社内ではまるで理解されていないケースというのは数多い。ブランド=ビジネスであると考えるなら社内での価値観や考え方を統一できていることがナイキ成功の大きな要因である。

 

1998年のフランスワールドカップの際も、ナイキは大会スポンサーになろうとはしなかった。大会をスポンサーすることが、必ずしもアスリートを直接的にサポートすることにはならないという信念があるからである。その代わりにW杯会場の数キロ離れた場所で、ストリートサッカーの大会を催して、自分たちはアスリートとの直接の繋がりを第一に考えるメーカーであることを改めて示している。

 

これはナイキのブランドとしての行動パターンを示していて、そして、この行動パターンこそ、これからのブランド戦略をたてるために重要なことであり、学ぶべきところである。

 

日本のシューズメーカーの行商人が、一代にして世界一のスポーツメーカーとなっていった物語には、創業者の個人的な能力だけでなく、ブランディング戦略において、多くの示唆と成功例を示しています。

アディダスや、ミズノがなぜ、世界一になれなかったのか?その答えの中には、多くの教訓が含まれていることでしょう

 

 

ロゴマークの誕生秘話

スウォッシュ (Swoosh) は1971年に商標登録されたナイキのロゴマークである。勝利の女神ニーケーの彫像の翼をモチーフにデザインしたとされている。また、「勢いよく動く」という意味で、その形状は躍動感やスピード感を表現している。

 

ロゴのデザインは1971年、創設者であるフィル・ナイトが会計学の講師をしていたポートランド州立大学で出会った、学生(キャロライン・デビッドソン)が制作した。ナイトは、グラフィックデザインを専攻していたキャロラインが製図の課題をしていたところを捕まえ、ロゴのデザインを依頼。まだデザインを仕事にして間もないキャロラインは、スウッシュのデザイン料として僅か35ドルの請求書をナイトに提出しています

 

 

 

 

 

 

 

 

   

■ナイキの創業者で会長のフィル・ナイトのメッセージ

 

 (参照:フォーブスジャパン)

http://forbesjapan.com/articles/detail/12121

 

 ナイキの創業者で会長のフィル・ナイトが最初に就いた百科事典の販売の仕事は、うまくいかなかった。次に始めた投資信託の営業では、もう少しましな結果を残すことができた──。そして、ナイトがその後に売り歩くことになったのは、愛車のグリーンの1963年型プリムス・ヴァリアントのトランクに詰め込んだ、ランニングシューズだった。

 

なぜナイトが靴を売ることに非常に長けていたか、彼自身の言葉を借りれば、それは「売っていたわけではない」からだ。「走ることを自分の信条としていた。毎日外に出て何キロか走れば、その人にとって世界はより良い場所になる…自分が正しいと信じる考えに逆らうことはできない」

 

先ごろ出版された回顧録「Shoe Dog」(シュー・ドッグ)の中でナイトは、ナイキ起業について振り返ると共に、破産寸前に陥ったことや多額の負債を抱えたことについて、そして数々の拒絶、争い、次から次と降りかかった危機についても触れている。

 

「信じる」ことを大切に 

ナイトはこの本の中で、何かに卓越した存在になりたい、他の人とは違う人間になりたい、世の中に足跡を残したいと考えるすべての若者たちへのアドバイスを記している。

 

まず、何かを売りたいなら、その売りたいものを信じなくてはならないという。自分がそれを正しいと思う気持ちは、否定することができないからだ。次に、「ばかげた考え」を追求することだと指摘する。疑いの目を向ける人たちに、決して屈してはならないという。

 

自らの経験を振り返り、「20代半ばの若者たちの誰もがそうであるように、なぜか“実存的不安”に混乱し、将来への恐怖や自分自身に対する疑念があっても、世界はばかげた考えによって成り立っていると確信した」と話す。

 

ナイトはもともと、世界的なアスリートを夢見ていた。だが、それはかなわなかった。オレゴン大学の在学中には選手として活躍したが、特別に優れた成績を残すことはできなかった。

 

やがて、ナイトは「価値がある、楽しい、自分に合っていると思える何か驚くような、そしてありそうもない夢を追いかけよう。アスリートらしい一意専心と決意でそれを追求しよう」と決めた。その新しいアイデア、それは日本製の高品質のランニングシューズを輸入・販売することだった。

 

追求し続ける 

ランニングシューズは、ナイトにとって一時的な関心事ではなかった。常に、ランニングシューズのことで頭がいっぱいだった。そのことこそが、彼を成功に導くカギとなった。

 

スタンフォード大学のビジネススクール在学中には研究論文のために「図書館に入り浸った。見つけた輸出入と起業に関する本は、すべて読みあさった」という。最初は、これらのテーマに「関心を持った」というナイトだが、その後「刺激を受け」、最終的には「魅了され」、完全にこれらの「とりこになった」。

 

ナイトのこの執着心は、伝説のベンチャー・キャピタリスト、マイケル・モリッツ(グーグル、エアビーアンドビー、ヤフーに投資)の言葉をそのまま思い起こさせる。同氏はかつて若い起業家たちを評価する方法に関連して、「何かに熱中している人かどうかを見極めるのか」との質問に対し、「いや、それ以上だ。とりこになっているかどうかだ」と答えた。

 

「並外れたことをする人たちは、それぞれが携わっているもののとりこになっている。完全に魅了されており、それなしで生活することなど想像もできない」。

 

ナイトも同じだった。「情熱を持てる」という言葉では、自らが選んだ分野に対して持つ感情を、十分には表現できなかった。現在、ナイトは「20代半ばの若い人たちに対し、一つの仕事で手を打ってはいけないと話している」「天職を探し求めるのだと…天職とは何かが分からなくても、探し続けなさい」と話しているという。

 

起業した最初の年の利益は、250ドルだった。財政的に安定するまでには、何年もかかった。そのため31歳まで、自分に給料を出すことができなかった(生活の足しにするために、地元の大学で会計学を教えていた)。

 

「天職に就ければ、疲れに耐えることも難しくない、落胆はエネルギーになる。高揚感は、それまで一度も感じたことがないものになるだろう」

 

ナイキを年間売上高300億ドル(約3兆2,545億円)規模の企業に育てるまでに、ナイトは数多くの否定論者たちに出会ってきた。だが、24歳のときにこう誓った──「馬鹿げているというなら言わせておけばいい。ただ前に進もう。止まってはいけない。たどり着くまで、止まることは考えてはいけない。たどり着くべき場所がどこなのかも、深く考えてもいけない」。

 

成功へのカギとなるのは、批判を受けても突き進むことだ。いつか試練と苦難の道を振り返って、こう言うことができるようになるために──「もう一度、すべてを体験することができたら、どんなにいいだろう」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

■エアマックス狩りと90代の記憶

 

ブランドとは、あこがれを喚起するもの。簡単にいえば、「かっこいい」ものです^^

世界一のブランドを構築したナイキは、まさに「かっこいい」企業の代表です。

 

デザインはかっこいいし、もっている人もかっこいい。そしてタイガーウッズや、マイケルジョーダンなどスーパースターはみんな持っている!そんなピカピカのアメリカのイメージをけん引したというのもナイキ社の偉業なのではないでしょうか?

 

バブル期の90年代、今のように、流行ってはすぐに忘れられてしまう時代とは異なり、一世を風靡するほどの大ブームを巻き起こしたモノで溢れていました。その一つが「ナイキ」。上野のアメ横や大阪のアメ村などでは、プレミアモノとなったスニーカーが売られており、多くの人が羨望の眼差しとなっていました。

 

今のようにインターネットも携帯も普及していない時代、ナイキのスニーカーの価格は都市伝説のように語られ定価数万円のモデルが10万円だ、いや20万円だと噂がひとりあるきしていきます。なかには海外に買い付けにいく若者も登場し、バスケにもナイキにも興味のない家訓ニストでさえ、アメリカのナイキショップでバスケシューズを買い求めるほどでした(*_*)

 

そんななか、エアマックス狩りといわれる事件が多発し社会問題となります。

エアマックス狩り(エアマックスがり)とは、ナイキ製エアマックスを履いた人物を複数の若者が徒党を組んで襲撃し強奪することです。

 

1990年代中頃、スニーカー人気が爆発的に高まり、本来運動靴である筈のスニーカーに異常な程のプレミアム価格が上乗せされ、定価よりはるかに高価で取引されるようになっていた。特に1995年に発売されたエアマックス95は大人気となり、生産、販売が追いつかない品薄状態が続いたため、非常に高額で取引されるようになっていた。販売店によっては、中古の場合で十数万円、新品の場合は六十万円程度の価格を付けたケースもあるとされる。

新品だけでなく中古品であってもかなりの高額で取引されたため、エアマックス95を履いた人物を襲撃し奪い取る事件が頻発し、「エアマックス狩り」「マックス狩り」と言われ社会問題化した。奪い取ったエアマックスをそのまま犯人が着用する場合もあれば、転売されるケースもありました。

 

東洋の島国で突如おこったナイキブームは、いずれもナイキ社のブランド戦略が勝手に熟成され日本国内で爆発したものです。もとをたたせば日本のシューズ会社の販社だった会社が、錦の御旗のようにありがたがるというのも日本人の「らしさ」かもしれません。

 

■工場でなくジョーダンを買った? 創業者の一世一代の大博打

 

シカゴブルズから第1位指名を受けたNカロライナ大学のジョーダンを、当時スタートして間もないシューズメーカー、「Blue Ribbon Sports」こと(現在の)NikeCorp、伝説の創始者であるフィリップ・ナイトは大金と情熱をもってくどきおとし、空前のヒット商品となる『AirJORDAN』を発売させます。

 

当時のバスケットボールシューズ業界は、独占先行する1位コンバース、2位アディダスという状況。このマーケットに一石を投ずるため、後発のナイキはこのマイケルジョーダンという若者に自社の将来を賭けてみることにしたのである。その象徴として彼を獲得するために大バクチを打ったというわけである。その獲得への契約金は『5年、250万ドル』。当時はあのノーラン・ライアンでさえ「年俸100万ドル超え」という状況。小さなシューズメーカーの挑戦は、話題よりも嘲り笑う声の方が多いものでした。

 

このフィルの賭けには世界中の同社提携先から異論も続出します。このエアジョーダン計画の開始にあたり、各国代理店代表らを一同に集めて説明し、承諾を得ようとしたがなんと日本の代理店はこれを拒否するというアクシデントが発生。

 

フィルは『協賛できない代理店には「AirJordan」は回さない』と宣言したため、後年、エアジョーダンシューズのブームの際、日本国内で取り引きされていたシューズの100%すべてが、海外代理店からの輸入品ということとなり前述のエアジョーダン狩りという事件を起こしたというのが真相だったのです。

 

しかしこの一世一代の賭けは、ナイキ社を世界一のメーカーに押し上げ、またジョーダン氏もいまなお年間数十億円ものパテントを手にする成功をもたしました。

 

 

■ものでなく「コト」を売る時代に

 

少子・高齢化など、デフレのなかで苦しむ日本経済。そんななか今までどおりの経営を変える必要があります。たとえばその1つが、単なる「モノ売り」をやめ、「コトを売る」に変えることです。

 

「コトを売る」発想は自社のブランド構築に欠かせないキーワードとなります。  

過去の延長線上のやり方でやっていては、頑張れば頑張るほど、ムダなエネルギーを使ってしまいます。 そして、利益が少なくなって、歯止めのない赤字体質が定着してしまっているのではないでしょうか?

 

ナイキは、スーパースターをつかって自らのブランドイメージを高め、マーケットを制しました。

一方、もともと子会社同然だったナイキに抜かれる形となった日本勢は、従来通りのマジメな商売していくなかで、こうした「ずるさ」には無頓着だったのかもしれません。

 

21世紀は、物から、コト。つまりものでなく情報を買う時代です。

消費者はシューズといったモノのなかに、ナイキの持つカッコよさをプレミアムとしてのせているのです

 

ものづくりに長けた日本ですが、こうしたブランド戦略は苦手であり、欧米のメーカーに美味しい処を食べられてきた歴史があります。ただし、ソニーや任天堂、2000年代にはいるとトヨタのプリウスなども登場し、ブランド戦略についても上手になってきたのではないでしょうか?

 

経済とはキツネとタヌキの化けしあい。

モノでなく、コトを売る時代。ナイキの成功のなかに日本経済をよみがえらせるたくさんのヒントがつまっています^^

 

 

 

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■書籍概要

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

  出版社: セルバ出版 価格 : 1,600円+税  

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063