カルピス創業者 三島海雲

 

 

 

 

 

 

 

 「国利民福」の精神 

 (三島海雲)

 

 

カルピスは、日本の飲料・乳製品メーカーであるカルピス株式会社および、同社が製造し、アサヒ飲料が販売する乳酸菌飲料の名称である。

 

カルピス本社は、東京都渋谷区に所在していた。2012年(平成24年)10月に味の素が保有していた全株式をアサヒ飲料等を傘下に持つアサヒグループホールディングスに譲渡され、同社の完全子会社となった。

現在のコーポレート・スローガンは「カラダにピース。CALPIS」。

 

■カルピスの誕生秘話

 

企業としてのカルピスの創業者は、僧侶出身の三島海雲である。創業初期は国分グループだった。名付け親は山田耕筰と、当時芝学園校長だった渡辺海旭。創業初期より、後に日本初の乳酸菌飲料となる「カルピス」を生産していた

 

 

1902年(明治35年)、当時25歳の三島は内モンゴルを訪れ、そこで口にしたジョッヘという飲み物を参考にして、1919年(大正8年)にカルピスを開発・発売し、この飲料と同名の企業の創業者となったと伝えられている。脱脂乳を乳酸菌で発酵(酸乳)しこれに加糖、さらに酵母による発酵がカルピス独特の風味に不可欠であることは、長く企業秘密とされていた。

 

社名は、「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」を合わせたものである。同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があり、音楽の第一人者の山田に社名について相談したところ、「カルピス」が最も響きが良いということで現行社名・商品名になったという。

 

元々は、パナマ帽を被った黒人男性がストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる図案化イラストが商標だった。これは第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うために当時の社長の三島が開催した「国際懸賞ポスター展」で、3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーによる作品を使用したものである。これは「黒人マーク」と呼ばれるようになり、1989年(平成元年)に一部から“差別思想につながる”との指摘を受けて現行マークに変更された。

 

 

■三島海雲とは?

 

「カルピス」の生みの親・三島海雲(かいうん)は、1878(明治11)年7月2日、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。

 

西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが、入学後間もなく、大学から中国へ渡ることをすすめられ、1902(明治35)年、当時日本の青少年の憧れの地であった中国大陸に無限の可能性と夢を求めて渡っていきました。

 

中国で教師をしていた後、日華洋行という雑貨商の事業を行なうことになりました。あるとき、仕事で北京から内モンゴルに入った海雲は、そこで「カルピス」の原点である酸乳と出会いました。当地の遊牧民たちが毎日のように飲んでいた酸っぱい乳をすすめられるまま口にしたところ、そのおいしさと健康効果に驚きを受けました。長旅ですっかり弱っていた胃腸の調子が整い、体も頭もすっきりしてきたのです。その酸っぱい乳が乳酸菌で発酵させた“酸乳”だったのです。

 

酸乳を日常的に摂取しているモンゴル民族のたくましさに驚き、自らも酸乳の健康への効果を体験し、その力を実感しました。

 

中国での事業を手放し、1915(大正4)年に帰国した海雲は、ある時、日本ではやりはじめていたヨーグルトを大阪のミルクホールで試食する機会がありました。

 

そのヨーグルトがあまり美味しくなかったことから、海雲は、ヨーグルトよりもおいしくて、今までにない健康で体に良いものを多くの人に提供しようと思い、内モンゴルで製法を学んだ酸乳の研究を重ね、翌1916(大正5)年に、乳酸菌で発酵させたクリームを商品化した「醍醐味」を発売。さらに「醍醐味」の製造過程で残った脱脂乳を乳酸菌で発酵させた「醍醐素」を発売しました。

 

  

1917(大正6)年10月には、生きた乳酸菌入りキャラメル「ラクトーキャラメル」を発売しました。しかし、「醍醐味」「醍醐素」「ラクトーキャラメル」とも、原料となる牛乳収集の困難さや商品が生菌だったこと、キャラメルの溶解などにより失敗に終わります。

 

そのなか、「醍醐素」を改良したおいしく体に良い飲み物として開発したのが、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」でした。海雲は、「カルピス」の本質は、“おいしいこと”、“滋養になること”、“安心感のあること”、“経済的であること”の4つだと言っています。1919(大正8)年7月7日の発売以降、「カルピス」は時代を経て、やがて“国民飲料”として愛される商品へと成長しました。

 

その一方で、海雲は、その生涯をかけて『国利民福』への思いをつらぬきました。『国利民福』-国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成すこと。それは、海雲の生涯をかけた目標でした。

 

 

 一流の人物との交流 

内モンゴルで酸乳と出会うまで、またその後、日本に戻ってからも海雲の人生はきわめて多くの人々に恵まれました。西本願寺文学寮で教わって以来の交流となった杉村楚人冠(明治末期から昭和初期に活躍した大ジャーナリスト、朝日新聞記者)や下村海南(元朝日新聞副社長)、緒方竹虎(元自由党総裁)、石井光次郎(元衆議院議員)、土倉龍治郎(国内屈指の山林業)、羽田亨(元京都大学総長・東洋学者・歴史学者)、高嶋米峰(宗教家・元東洋大学学長)、与謝野鉄幹・晶子夫妻をはじめとする、ジャーナリスト、学者、政治家、宗教家、実業家、資産家など多岐にわたる分野のいずれも一流の人物と海雲は親しい交流をもちました。

 

「三島さんは何事によらず、こうしようと思ったことには熱心だ。それが人の心を打つ。それからすこぶる正直である。それでは人は三島さんを応援したくなる。一言でいえば三島さんの人徳ということです。」

当時海雲と関わりをもち、後に日本石油(株)社長となった栗田淳一はこう語っています。

 

各分野の一流の人物との親交のあった海雲は、すべてのことに関して、常にその分野の専門家の意見を聞くことを信条としていました。

 

 

アイデアマン 

「カルピス」の生みの親である三島海雲は、卓抜なアイデアマンでもありました。

「広告の狙いは、商品そのものを売ることではない。企業体のイメージを一般大衆の心のなかに送り込むことである。」

海雲は、『なるほど、「カルピス」を販売する会社は立派なことをする会社だ』という好印象として受け取られ、信頼を勝ち取ることこそが広告の真の目的だと考えていました。

 

「初恋の味」のキャッチフレーズ 

「カルピス」のキャッチフレーズ「初恋の味」は、1920(大正9)年、三島海雲の文学寮時代の後輩である驪城(こまき)卓爾が『甘くて酸っぱい「カルピス」は「初恋の味」だ。これで売り出しなさい』と提案したことがきっかけでした。大正9年当時といえば、“初恋”という言葉さえはばかるような時代だったため、海雲は、一度は『とんでもない』と断りました。

 

しかし、また驪城は海雲を訪ね、『「カルピス」はやはり「初恋の味」だ。この微妙・優雅で純粋な味は初恋にぴったりだ』とすすめました。海雲は、『それはわかった。だが「カルピス」は子どもも飲む。もし子どもに初恋の味ってなんだと聞かれたらどうする』と言うと、驪城は『「カルピス」の味だと答えればいい。初恋とは、清純で美しいものだ。それに、初恋ということばには、人々の夢と希望とあこがれがある』という言葉に海雲も納得し、1922(大正11)年4月の新聞広告にキャッチフレーズとして使用したのが始まりです。

 

当初は、世論を二分するほど話題になりましたが、好景気で世の中は明るく、このモダンなキャッチフレーズは世情にマッチし、またたくまに日本中に広がっていきました。

 

 

一粒の麦になって

 

海雲は生涯にわたりいくつもの場面で「国利民福」を実現する精神、すなわちホスピタリティを発揮しました。

 

関東大震災での一杯の「カルピス」

 

1923(大正13)年9月1日に関東地方を襲った関東大震災。焼け野原と化した東京で飲み水を求める人々に、海雲は、冷たい「カルピス」を配って歩きました。

 

当時の状況を海雲はこう語っています。

 

『その時私がいた山手方面は水が出たので、飲み水に困っている人々に水を配ってあげようと考えた。そのとき、せっかく飲み水を配るのであれば、それに「カルピス」を入れ、氷を入れておいしく配ってあげようと考えた。いまこそ、日頃の愛顧にこたえるときだと思ったからである。幸いなことに、工場には「カルピス」の原液がビヤ樽で十数本あった。これを水で6倍に薄め、それに氷を入れて冷やして配ることにした。金庫のあり金2千円を全部出して、この費用にあてた。さて、配る方法である。そのころ、トラックは1日1台80円でチャーターできた。しかし震災のあとだけに、車は逼迫していたが、何とか4台のトラックをかき集めてきた。そして、翌日の9月2日から東京市内を配って回った。私たちの「カルピス」キャラバン隊は、いたるところで大歓迎を受けた。上野公園に避難していた人々などが、黒山を築いて私たちを迎えてくれた。』

 

財を投じて結成した“「カルピス」キャラバン隊”が手ずから配った一杯の「カルピス」は多くの人々に生きる力を与えました。

 

 

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