創業350年 岡谷鋼機 家訓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡谷鋼機株式会社は、鉄鋼、機械などを扱う独立系商社である

 

創業は1669年(寛文9年)に遡り、当時は農具、工匠具、刀剣類などを扱っていた。 現在では鉄鋼、情報・電機、産業資材、生活産業の4分野を中心に事業展開を行なっており、グループは連結子会社70社、持分法適用関連会社14社の計84社で構成されている。 また、2004年(平成16年)より伝統企業の国際組織である「エノキアン協会」会員社(日本では他に月桂冠、赤福、法師、虎屋のみ)

 

売上高 連結:8168億28百万円 

従業員数 連結:4916名

 

創業

発祥は、1669年(寛文9年)に溯ります。金物商として、名古屋に「笹屋」という暖簾を掲げて創業し、以来今日まで347年に及ぶ歴史を築いてきました。

 

主人は、もと美濃加納藩7万石、戸田丹波守光重に仕えていた岡谷總助宗治(44歳)、ときは徳川4代将軍家綱の時代であった。初代岡谷總助宗治(通称惣助)が、寛文9年に両刀を算盤に代えて、はじめて名古屋に店舗を構えたとき(現:本社ビル所在地)、暖簾の紋を「丸に五枚笹」、屋号を「笹屋」としました。

 

創業当初に取り扱っていた商品は、農具(鋤、鍬、草鎌)、工匠具(釘、錐、小刀、斧、鋸、金槌)、家庭用品(剃刀、鋏、鏡)、刀剣類など、鉄の加工品でした。いつの頃からか、初代宗治の「宗」の文字に、鉄屋として、鉱山や埋蔵地を意味する「やま」を冠し、「やまそう」を社標として使用してきました。

 

城下町名古屋と鉄砲町

慶長15年(1610)の秋にほぼ完成した名古屋城とともに城下町名古屋は建設された。總助が店を開いた鉄砲町は本町筋にあり、南端に位置していた。鉄砲町の名前の由来は、清州越えの際に数名の鉄砲師が住んだことによる。 4代総七嘉幸の才覚 尾張7代藩主徳川宗春の消費拡大策により名古屋が繁栄し商都として発展していった当時、岡谷家の当主は4代総七嘉幸に移っていた。 総七は笹屋発展の基礎を築いた。折からの全国的な商品流通の拡大に対応し、まず仕入れの拡充を図った。自ら、当時の経済の中心地であった大坂まで出向いて出雲の和鉄、堺・三木の刃物等の仕入れ先を確立すると同時に、京・越前そして尾張領内とその周辺の鍛冶師との絆を強め、鋳物師との仕入ルートの開拓にも努めた。

 

■トヨタよりも上? 知られざる地方財閥の世界

 

全国的、さらには国際的に事業を展開する三大財閥とは対照的に、創業した土地に根差した商売で財を成し、その地域社会に影響力を持つのが「地方財閥」だ。代表的な存在を紹介する。

 

名古屋では「嫁に出すならトヨタより岡谷の社員」  

中京エリアの大企業といえば誰もが「世界のトヨタ」を思い浮かべるだろうが、名古屋財界で「トヨタより格上」と評されるのが、年商7854億円を誇る鉄鋼、機械の専門商社・岡谷鋼機を中核とする岡谷家だ。  創業は1669年。初代・岡谷惣助が金物商を起業して以来、350年にわたって金物(鋼材)を扱う老舗である。 「岡谷の凄さは名古屋での圧倒的な信用力。これまで数々の地元企業を育て、取引先が苦境に陥っても決して見捨てない。だから岡谷が絡んだプロジェクトなら銀行も信用して金を出す」(地元財界関係者)  現社長の岡谷篤一氏は13代目。中部電力や名古屋鉄道、中部日本放送など錚々たる地元企業の社外取締役や社外監査役に名を連ねていることからも岡谷の「ブランド力」がわかる。  岡谷鋼機OBは、「地元では、『嫁に出すならトヨタより岡谷の社員』といわれます」と胸を張る。

 

 

■岡谷鋼機の家訓

 

(参照:愛知千年企業)

http://www.nagoya-rekishi.com/chapter4/nagoyasyounin/04-1.html 

 

 笹屋(岡谷鋼機)の六代目惣助は天保7年(1836)、「家訓」を定めた。この家訓は、人間としての目標、社会人としての日常の業務・営業姿勢を方向付けたものだ。次の6カ条からなっていた。

 

「商人は売買を本として実意を以て出精すべし」

 

 

一、孝順父母 本末を正しくするは、夫れ父母は我身の本忘るまじき也、今孝心に本づかんとなれば、父母の恩、能くよく思ふべき也。

一、尊敬長上 主従上下の差別を本として年高き人若き人総て我上に在る人を尊敬すべし。

一、和睦郷里 郷村和睦の本は其家の和睦に在り其家の睦む本とは其人其意に在るなり、銘々意を正しく奉公大切さえ致候へば自然に傍輩中も睦敷く主人の意にも叶う也。

一、教訓子孫 幼稚の時父母に仕え年高き者を敬いいささかの事にも偽りケ間敷き事を言わず起居は必ず静にして勤怠の事なく常に心を用いて猥に他行不為衣食不驕身を守り貞信なるべし。

一、各安生理 夫士は武芸を嗜み公役を勤め、農民は耕作に出精して御年貢を上納仕り、職人は家芸出精して所伝の習失はず、商人は売買を本として実意を以て出精すべし。是れ四民生涯に付て定りたる道理なる故生理とは謂ふべし。

一、母作非為 天下に窮る事なしと云え共、総ての事是非の二つには不過、即ち道理に随ふを是と謂ひ、道理に背くを非為と謂ふ也。

 

 また「日誦五則」といって、毎朝就業前に古参番頭の前唱で全員声高らかに唱和する言葉も作った。それは次の言葉だった。

 

「分限を知り贅を慎むべし」

 

 

一、外を飾らず心を磨くべし。

一、分限を知り贅を慎むべし。

一、虚を憎み誠を重んずべし。

一、働くを楽み懶を羞とすべし。

一、責任を知り力を協すべし。

 

それから店員が守るべき「店則」も次のように定めた。

「音信贈答心付候節は、支配人に申達し、承諾をうけ取計うべきこと」

 

 

一、御公儀法度は申すに及ばず、勝負事は厳禁す。

一、土蔵へはお客を案内するを許さず。

一、職人方に心安立をなし、無礼をするな。

一、毎夜四ツ(午後十時)過ぎに土蔵を見廻るべきこと。

一、奉公中養父入の儀は許さず。

一、在所ならびに親類懇意同等の間柄にても、金銭貸借又は中立は一切禁ず。

一、音信贈答心付候節は、支配人に申達し、承諾をうけ取計うべきこと。

一、禁酒堅く相守るべし。

一、毎夜四ツ過ぎ表戸締まり、鍵取扱うべきこと。

一、来客又は案内他行致し、帰らざるうちは右表口錠をおろすべし。

 

[参考文献『岡谷鋼機社史』より抜粋