和魂洋才「あんぱん」の木村屋総本店 社訓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんパンは木村屋(現・木村屋總本店)創業者であり茨城県出身の元士族・木村安兵衛とその次男の木村英三郎が考案し、1874年(明治7年)に銀座の店で売り出したところ好評を博したとされる。

 

翌1875年(明治8年)4月4日、花見のため向島の水戸藩下屋敷へ行幸した明治天皇に山岡鉄舟が献上し、木村屋のあんパンは宮内省御用達となった。以降、4月4日が「あんぱんの日」となっている。御用達となったことにより、あんパンと共に木村屋の全国的な知名度も上がった。1897年(明治30年)前後には全国的にあんパンがブレークし、木村屋では1日10万個以上売れ、長蛇の列で30分以上待たさせることもあったという。

  

木村屋のあんパンは、パン酵母(ホップを用いたもの)の代わりに、酒饅頭の製法に倣い日本酒酵母を含む酒種(酒母、麹に酵母を繁殖させたもの)を使った。中心のくぼみは、桜の花の塩漬けで飾られた。パンでありながらも、和菓子に近い製法を取り入れ、パンに馴染みのなかった当時の日本人にも親しみやすいように工夫して作られていた。

 

現代では中の餡はつぶあん、こしあんの小豆餡が一般的である。インゲンマメを使った白あんパンや、イモあんパン、栗あんパンなどの豆以外の餡を使ったもの、桜あんやうぐいすあんを使った季節のあんパンもある。

 

典型的な形状は平たい円盤。ケシの実(ケシの種)、塩漬けの桜の花(ヤエザクラ)、ゴマの実が飾りに乗せられる

 

創業   :明治2年(1869年)

売上高 :120億円 

従業員数:950名

 

 

■木村屋総本店 社訓(HPより)

 

「おかげさまで創業140年」年輪は刻まれても、「おかげさまで」の感謝の心は永遠に変わることはありません。お客様に愛され続けることが、当社の至上の幸福なのです。社員一人ひとりが木村屋の一翼を担い、会社を、そして業界をリードしていきます。

”老舗とは、ただ古い店にあらず”。木村屋は、これからも限りなく成長し続けることを誓います。

 

木村屋の「憲法」というべきものが、本社、工場、店舗に、額に入って掲げられています。

木村屋五代目、木村栄一社長が繰り返し口に出していた言葉でありました。

それは木村屋總本店の根幹を成す、『五つの幸福』 『四大目標』がそれであります。用語は実に簡単ではありますが、中身は深く、とても濃いものです。そしてこれからの激動の時代を生き抜くための経営戦略として、これまで同様、言葉の中身を大切にし、経営の方針というよりも『木村屋の宝』として力を発揮することでしょう。 

 

五つの幸福

一. お客様の幸福

二. パートナーの幸福

三. 従業員の幸福

四. 会社の幸福

五. 自分自身の幸福

  

四大目標

一. 最高製品

一. 最高サービス

一. 最高能率

一. 最高賃金

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■「和魂洋才」 明治という時代を象徴する「あんぱん」の物語

 

和魂洋才(わこんようさい)とは、日本古来の精神世界を大切にしつつ西洋の技術を受け入れ、両者を調和させ発展させていくという意味の言葉です。

 

長い鎖国の時代が終わり、明治時代になると西洋からやってくる産物がもてはやされ、日本に古くから伝わる伝統が軽んじられるようになりました。そんななか、「和魂洋才」という考えが生まれます。この「和魂洋才」の代表例が「あんぱん」です。

 

パンの中に小豆餡が詰まった「あんぱん」は、菓子パンの定番として、日本人なら誰もが知っていて、誰のお口にも合う美味しいパンです。この「あんぱん」、正真正銘、日本生まれの日本育ちなら、パンも、あんも、日本流です。 

 

中のアンコも純和製なら、外側のパンも、日本人の口に合うように発明された日本独特のパンです。 

普通の西洋式パンは、ビールと同じホップを用いたパン酵母を使って作られますのですが、あんぱんは、酵母ではなく、日本酒酵母の麹を使って作られるのです。

 

これは、パン作りに和菓子の饅頭の皮の製法を取りいれたもので、そのためパン自体がアンコの味によく合い、とってもおいしくなるのも納得です。

 

 

■「あんぱん」の誕生の物語

 

50歳リストラ武士の挑戦

木村安兵衛は、常陸国河内郡田宮村(牛久市)に生まれた武士でしたが明治維新によって失業に追い込まれてしまいます。そこで、安兵衛は、木村家本家の重義を頼って江戸に出ます。

  

当時、重義は東京府職業授産所長を勤めており、そこの事務職をすることとなります。授産所とは、明治維新により職を失った者に手に職を付けさせ生活の糧となるよう職業訓練をするところです。

 

そこで安兵衛は、“パン”というものを知りました。重義のすすめもあって、安兵衛はパンをつくることになったのです。

 

実際にパン屋としての仕事をしたのは、当時18歳の次男英三郎でした。明治維新によって起きた時代の変化を肌で感じ取った英三郎は新しいものをもとめて、横浜の外人居留地に出かけ外国人のつくったパンを見たり食べたりしていたので、パンについての一応の知識もあったのです。

 

パン屋開業 

明治2(1869)年、安兵衛は妻ぶんのわずかな蓄えを元手に芝日陰町(現在の新橋駅あたり)にパン屋「文英堂」を開くこととなりました。店の名前は妻の名前である「ぶん」と文明の「文」と息子英三郎の「英」の字からとったものです。その後、店名は「木村屋」と改められました。

 

苦労時代 

英三郎は日夜パン作りに励みました。しかし、英三郎の思うようなパンはいっこうにできません。ようやく作ったパンも思うようには売れない。家族の新たな船出は、順風とは言い難い状況でした。しかも、数ヶ月後に起こった火事によって店を焼失してしまいます。

  

あんパン発明

しかし、これを転機に、一家は再起を図るため銀座尾張町に進出します。その際、横浜で働いていた武島勝蔵という職人を新たに雇い入れました。勝蔵は英三郎とも年が近く、腕も良かったのです。明治5年、新たな店を銀座に構えると文明開化の波とともに上昇機運に乗ることとなるのです。

 

パン作りの技術も上達し、柔らかいパンを作れるようになりましたが、当時の日本ではパンを食べる習慣がありませんでした。それならば、日本人が好きになるようなパンを作ろうと考え、安兵衛はいろいろな工夫を試みました。

 

そんなある日、パンの中にあんを入れてみてはどうかと思いつきます。それからは苦心の連続でした。ようやく出来上がったあん入りのパンはこれまでに作ったパンとは違った味がしました。安兵衛はそのあん入りのパンを『あんパン』と名付け売り出したのです。『あんパン』は売れに売れました。

 

  

あんパン献上 

明治8年、「木村屋」の『あんパン』は、安平衛の知り合いで、明治天皇の侍従であった山岡鉄舟の心をつかみました。鉄舟が安平衛に「陛下に召し上がっていただこう」と申し出たのです。その日から木村安兵衛・英三郎親子は陛下のために、特別な『あんパン』を召し上がっていただくため、試行錯誤を重ねたのです。

 

明治8年4月4日、ついにその日がやってきました。明治天皇が東京向島の水戸藩下屋敷を訪問します。その際にお茶菓子として『あんパン』が献上される段取りになっていました。はじめて『あんパン』を口にした明治天皇はお気に召し、ことのほか皇后陛下(照憲皇太后)のお口にあった。そして「引き続き納めるように」という両陛下のお言葉があったのだ。このあんパンは、パンの中心に桜の塩漬けが乗ったあんパンでした。このパンは今も『桜あんパン』として売られ木村屋で一番の人気になっているとのことです。

 

出典・参考資料 

「木村屋総本店百二十年史」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■「アンパンマン」の誕生秘話

 

やなせたかしとアンパン」

子どもたちから絶大な人気を誇るヒーロー、アンパンマン。作者のやなせたかしは、なぜ「アンパン」をモチーフに選んだのか。幼いころの「アンパン」にまつわる秘話、生涯抱き続けた「アンパン」への熱い思いなどを、関係者の証言を交えてひもときます。

 

1919年、高知県香美郡に生まれ、子ども時代を過ごしたやなせ。ものの少ない時代、ふっくらツヤツヤであんがつまった「アンパン」は、彼にとって格別の存在だった。ある日、迷子になって途方に暮れていた時、友達のお母さんに買ってもらった「アンパン」のおいしさ、ありがたさが忘れられない記憶となった。また、やなせ自身はアンパンを「和魂洋才の賜」とたたえ、自分の仕事のお手本としていた。「絶対に人と同じことをしない」、「常に自分なりの新しいことを生み出す」……。「アンパン」は、努力と発想を何より大事にするやなせが生涯貫き通したポリシーそのものだったのだ。

 

日中戦争への出征、そして敗戦の経験から「正義とは何か」を問うことが、漫画家としての自分の役割と思うようになっていったやなせ。質素なのに、甘くて腹持ちがして、おやつにも軽食にもなる「アンパン」は、戦時中ひもじい思いをする人々にとって、何よりの“救い”と感じていた。その思いから自分の顔を食べさせるアンパンマンという“世界一弱い”ヒーローが誕生したのだ。入院し94歳で亡くなる直前まで「アンパンマンに登場するキャラクターのアイデアを考えていた」というやなせ先生

 

 

 

 ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせたかし先生の従軍経験があると自身のインタビューで述べられています。

 

過酷を極めた中国戦線での従軍経験のなか、本当の正義とは何か?そして、「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもつようになったそうです。60代で「アンパンマン」が大ヒットする以前のやなせは売れない作家であり、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。こういった事情が「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想につながりました。

 

アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている また別のインタビューでも、やはり「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と述べています。

 

さらに主人公をあんパンにした理由を「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説している。かつて、たびたび起こった「顔を食べさせることは残酷だ」という批判にも、「あんパンだから大丈夫です」と冗談めかして反論していた。 空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でもあきらめない、異色のヒーローが誕生したのです。

 

これらの点について「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」第1作『あんぱんまん』のあとがきよりと、自身が絵本のあとがきで語っている。 そしてアンパンマンは食べられることはあっても、食べることはない。それは単純に(カレーパンマンやしょくぱんまんとは異なり)アンパンマンが食事をする場面が一度も描かれないことにも現れています。

 

かわいい顔をしていても、自らを食事としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンの本質です

そして、アンパンマンがプリントされた、キャラクター商品は、食が細い現代の子ども達に支持され、晩御飯のメニューに困るお母さんを、今日もどこかで助けているのです^^

 

 

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