東條英機と東條家の「家訓」

 

 

 

 

 

 

 

 「一切語るなかれ」

 東條英機が遺族に託した家訓

 

 

  

 

東條 英機(とうじょう ひでき)

生誕:1884年(明治17年)7月30日

死没:1948年(昭和23年)12月23日

 

陸軍軍人・政治家。大将。東京生まれ。関東軍参謀長・陸軍次官などを経て,1940年(昭和15)第二次近衛内閣の陸相となる。翌年首相に就任し,陸相と内相を兼任,対米英開戦の最高責任者となり太平洋戦争を推進した。44年7月,サイパン陥落直後総辞職。戦後 A 級戦犯として絞首刑。 

 

東條は独裁者でなく昭和天皇により首相に推挙された人物で、その背景には暴走をつづける陸軍を抑えると言う天皇の聡明な判断があったと言われいます。彼の首相としての初仕事は対米戦回避と粘り強い和平交渉でした。

 

あらゆる史料をみても、東條内閣は、平和を達成すべくアメリカとの交渉を進めるよう天皇陛下に命じられて組閣した内閣でした。東條首相も全力を尽くしてそれをやろうとした。ところが、アメリカからハル・ノートを突きつけられて、戦争に突入せざるを得ませんでした。        

  

彼は本気で戦争に勝つつもりでいた。米国に宣戦布告した内閣総理大臣として何としてでもアメリカに勝たねばならぬ、根が真面目な性分だけに彼は私心を捨て本気で戦争に取り組んだと言われています。

 

戦術に勝ち戦略に負けた日本軍

開戦当初の日本に戦術は明白で、アメリカを中心とした連合軍に緒戦でダメージを与え有利な条件で講和を結ぶというものです。ハワイへの真珠湾攻撃のあとには、電撃的にフィリピン、シンガポールと東南アジアの国々を占領、連合国側に衝撃をあたえます。

 

東南アジアへの侵攻は、石油を確保するという目的がありました。日本に開戦を決断させた「ハル・ノート」には、石油の全面禁輸がうたわれており、航空機や戦艦はもちろん、商船の動力となる石油を輸入できない事態は、島国である日本にとって即餓死を意味します

 

石油の確保のために開戦を決断した東条英機。しかし、日本から東南アジアまで数千キロもの大帝国をきづいたのもつかの間、物量に勝る連合国側に反攻にあい、また頼みの綱のドイツ・イタリアもヨーロッパで苦戦するようになると、日本の敗戦は濃厚になっていくのでした。

 

緒戦の勝利に酔い戦線をひろげてしまったことも敗因であるし、何より戦略を失い和平のタイミングを逸したことも痛恨の失策です。しかしコテンパンに負け、終戦後には極刑までくらった東条英機をはじめとした日本の上層部に「侵略戦争」の意思はなかったことは明白です。

 

愚直なまでに戦い日本の独立のため至誠を尽くした先人の選択に、のちの歴史家がアーダーコーダとチャチャをいれるのは簡単です。しかし、あの時、あなたが同じ立場に置かれたらどうでしょう? 死して座すより乾坤一擲のチャンスにかけようとした軍部にも一分の理はあったのではないでしょうか?

 

もちろん、東条英機自身、完璧な人間でなく、とりまきを重用した点や、終戦時にはあくまで徹底抗戦を訴えるなど、加護できない点も内包する人物です。歴史には様々な視点があるもの、いずれにせよ一般にいう「東洋のヒットラー」と評された冷酷無比な独裁者ではなかったと幡谷は考えます。

 

八紘一宇のスローガン 

八紘一宇は「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」と説明される。東条英機の弁護人・清瀬一郎は『秘録・東京裁判』のなかで「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」との被告弁護側主張が判決で認定されたとしている。

 

八紘一宇の大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」ものであり、この時の道義とは、欧米による植民地支配に苦しむ世界の民族が、おのおのの自治独立を果たすものと解釈され、日本はこのスローガンに従い、フィリピン、インドネシア、そしてインドと、アジアの国々の独立を支援、日本の終戦後はそれぞれの国で独立が成就する形となりました

 

また、八紘一宇の考えが欧州での迫害から満州や日本に逃れてきたユダヤ人やポーランド人を救済する人道活動につながったとの評価がある。「八紘一宇の精神があるから軍も外務省もユダヤ人を助けた」とする見解を示している

 

300万にも及ぶ未曾有の戦死者をだした大東亜戦争のなかで、唯一の成功があったしたら、「八紘一宇」の精神が完遂し、世界の多くの国の独立をサポートできた点があげられます。コロンブスによるアメリカ大陸発見からはじまる大航海時代は、有色人種から見れば搾取と悲劇の時代でした。一連の日本の奮戦は、白人による植民地時代をおわらせる分水嶺となったことは、誇るべき史実なのではないでしょうか?

 

 

■昭和天皇から見た東条英機の評価

 

平成二年十二月号の「文藝春秋」に『昭和天皇独白録』が掲載されました。戦前の日本の事情や開戦にいたるいきさつなどが、陛下の口から侍従を相手に率直に語られている。その陛下のお言葉の中に東条英機に触れた部分があります。

 

 「この男ならば、組閣の際に、条件さえ付けて置けば、陸軍を抑えて順調に事を運んで行くだろうと思った」

 

 「元来東條と云う人物は、話せば判る、それが圧制家の様に評判が立ったのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持ちが下に伝わらなかったことと、又憲兵を余りに使いすぎた」

 

 「東條は一生懸命仕事をやるし、平素云ってることも思慮周密でなかなか良い処があった」

 

 「東条内閣がかく評判が悪くなったに関わらず、私が進んで内閣を更迭しなかったのは・・・・・・(中略)倒閣は宮中の陰謀だと云われる事を避けたかったが第一。次には東條を退けても、彼よりも更に力のある人物が得られるならば、格別、その見込みが無かったことが第二」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■東條英機と東條家の「家訓」

 

開戦の責任を負い死刑になりましたが家族には「一切語るなかれ」と弁解を禁じ、沈黙を家訓としました。

 

お孫さんである東條由布子さんの著書”祖父東條英機「一切語るなかれ」”は、極悪人と語られることの多い東條英機の人間味溢れる人柄を知ることができる作品です。

 

東條英機は東京裁判での死刑判決で「国内的の自らの責任は死を以て償えるものではない」と言い訳はしませんでしたが、開戦の真実は100年後の子孫が必ず解明してくれるはずとも言い残しています。

 

「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作もあり、東條の遺族に対する戦後日本社会の風当たりは凄まじいものでした。

 

東條の長男、英隆は父親と反りが合わず軍人ではなかったが、戦後は就職できず、長く妻の内職で生計を立てたそうです。その長男(東條の孫)の英勝は、小学校では誰も担任を引き受けたがらず、友達もいない。よく登り棒の上から教室をのぞいて過ごしました。自殺を図ったこともあったという。就職にも苦労したが、「一切語るなかれ」という家訓を死ぬまで守り続けています。

 

東條の曽孫、英利も幼い頃から大人の冷たい視線を感じて育った。小学校の担任教諭は何かにつけて「東條英機の曽孫の…」と接頭語をつけた。

   

 「私も多少不快な思いをしたけれど父の代に比べればかわいいものです。父に『これだけは誇りを持て』と言われたのが、GHQがいろいろと探したのに不法な金品財宝が一切なかったこと。おかげで貧乏暮らしでしたが、今は曽祖父に感謝しています」

 こう語る英利は、自分の息子の名にも「英」をつけた。重い歴史を背負う東條家の意地だといえます。

 

東條英機に全責任を負わせたままの戦後でしたが、今歴史の真実を見極め自虐史観の見直しの動きが出てきていることは日本国民に取って本当に良いことです。

 

戦後70余年。平和に生きていられるのは国家・国民のために命を捧げ闘った方々のお陰です。

 

平和の中で生きる私は歴史の真実を知る責任と義務があります。国民一人一人が積極的に目を向けなければいけないと思います。

 

映画「プライド運命の時」では東條英機が主人公として取り上げられているそうです。極悪非道と言うイメージで語られて来た東條英機を見直すための一つのきっかけになりそうです。

 

「右」とか「左」とかでなく、東條英樹の本当の姿を、あなた自身の目でしっかりと見極めてください。

  

 

■東條英機の実情に迫る

  

その①東京裁判とは? 

東條英機を極悪人にしたてあげた「東京裁判」は、戦勝国によるイジメでした。

彼らを有罪にする法律は当時有りませんでした。法治国家では捕まえてから法律をつくり裁くことを禁じています。理由はそんなことを許したらなんでもありになってしまうからです。

 

しかし、戦勝国はイケシャーシャーと、事後法をつくり、さらに報道管制をひきながら巧みに裁判をリードしています。今では東京裁判が真っ当な裁判ではなかった事は裁判長、主席検事までもが後に誤りであった事を認めていますし、世界中の法学者の常識です

 

東條首相は、冤罪は受ける気はないとしながらも敵に罰せられるのではなく、陛下と国民から罰を頂くのだと思い甘んじて受けるとも言っていたと言われています。

 

A級戦犯だけでなくB・C級戦犯でさえもほぼまともな裁判は受けていません、弁護側の証拠はほぼ却下され、有罪とする証拠や証言はどんな怪しいものでも積極的に採用され死刑になっています、これら全員が戦勝国側の報復感情を満たす為のスケープゴートでした。

 

その② 人柄 

会議中は記録を欠かさないメモ魔で、秀才型の性格だった。 頑固で信じるものは妄信なほど揺ぎ無く、邪魔するものは排除するという非常に生真面目な人物。しかしその反面、従順な部下や弱者にはとてつもなく優しく、涙もろいという極端な性格だった。

 

首相任期中のある時、国民に食料配給が行き届いているか、自らゴミ箱をあさって確かめたという。これは反東條派の揶揄の対象になった。

 

自らの財に関しては清廉潔白で、汚職や金権政治という類の話は一切見えてこない。戦後すぐ、東條を悪役にするために汚職の罪を着せられた事はあるが、これも冤罪である。

 

息子達は厳しく育てたが、娘に対しては子煩悩だったという。ちなみに次男は三菱航空機名古屋製作所で零戦の設計に携わり、戦後はYS-11開発のリーダーを務めた東條輝雄氏。

 

ハイカラ な文化人的な一面もあり、当時はマイナーだったシュークリームをいたく気に入っていたと言う。また、大のシャム猫好きでも有名だった。 

 

そんな東條首相はA級戦争犯罪人、欧米列強秩序、白人優越主義の平和を乱した罪により処刑された。

 

戦犯は処刑の後に一同火葬に処せられ、遺灰は米軍機により東京湾に撒き散らされた。現在東條英機の墓には当時の火葬場関係者が不憫なので、これだと思う彼の遺灰を拾い集め、そっと持ち出されたものが収められています。

 

 

 

その③植民地からの独立を託した功績 

戦後日本において、戦犯として扱われている東條氏だが、それとは対照にインドでは“英雄”として称えられている。大東亜戦争の緒戦からインドの独立を唱え、インド独立の闘士であったスバス・チャンドラ・ボースとの会談において意気投合し、彼を非常に高く評価していた。

 

ビルマ初代首相 バー・モウ 「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった

 (『ビルマの夜明け』より引用)

 

その④もうひとりのシンドラー 

1938年3月、満州国と国境を接したソ連領のオトポールに、ドイツの迫害から逃れてきたおよそ2万人のユダヤ人難民が、極寒の吹雪の中で立往生し凍死しようとしていた。

ユダヤ人たちは、ソ連政府によってビロビジャンに強制入植させられた人たちで、過酷なビロビジャンから逃れ、満州国を経由して上海へ脱出しようと考え、オトポールまで逃れてきたのであるが、ドイツに遠慮した満州国が入国を拒否したため、極寒の中、食糧がつき凍死寸前の難民たちは前へ進むこともできず、そうかといって退くこともできなかったのである。

 

当時、満州国のハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎のところに、ハルビンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士が飛んできて、同胞の窮状を訴えた。 しかし、満州国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権限逸脱であった。樋口季一郎は自分の判断で、ユダヤ難民全員を受け入れることを認めた。

この、樋口季一郎少将のユダヤ人救出に 「まさに 八紘一宇(はっこういちう) である」 として許可を出し外務部とドイツを説き伏せたのは、かくいう東條英機関東軍参謀長(当時)でした。

  

ドイツ外務省は日本政府に対し、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことへの強硬な抗議を行った。 この抗議は東京から新京の関東軍司令部にすぐ伝えられたが、東條英機中将(当時)は、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として一蹴したのである。

 

日本のシンドラーとして有名になった杉原千畝が「生命のビザ」を6,000枚発行する2年前に、樋口季一郎少将と松岡洋右、東條英機によってユダヤ難民が救われていた。

 

映画化もされ、杉原千畝の命のビザのお話しは有名になりましたが、東条英機の歩みを調べれば調べるほど、「日本のヒットラー」との悪評とは程遠い人物だったことがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦勝国による集団リンチ(パール判事談) 東京裁判とは?

 

パール判事に学べ/見直したい東洋の誇り

 東京裁判(1946~1948年)で、日本は満州事変(1931年)から盧溝橋事件(1937年)を経て日中戦争に突入し、日米開戦(1941年)、そして終戦に到るまでのプロセスを「侵略戦争」と判定され、この「侵略戦争」を計画し、準備し、開始し、遂行したことは、「平和に対する罪」に当たるとして東條英機ら7人の絞首刑が遂行された。

 パール判事は、この東京裁判で日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けてくれたインド人判事である。田中正明著『パール博士の日本無罪論』によれば、同判事は日本の教科書が東京裁判史観に立って「日本は侵略の暴挙を犯した」「日本は国際的な犯罪を犯した」などと教えていることを大変に憂えて「日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのをわたくしは平然と見過ごすわけにはいかない。」とまでいって励ましてくれたのである。

 日本が敗戦で呆然自失し、思想的にも文化的にも、日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール判事の言葉はどれだけ日本人に勇気と希望を与えてくれたことか。わたしたちは決してこの恩義を忘れてはなるまい。

(出典:産経新聞 平成6年8月18日のオピニオンアップ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■大東亜戦争の意義

 

戦後、戦勝国側が、一方的に日本だけを裁いた「東京裁判」では、捕虜のとりあつかいなどを定めたベルサイユ条約を盾に、多くの軍人、政治家が投獄、そして死刑となりました。

 

とくにA級と区分けされた東條をはじめとした指導者たちは、戦勝国による集団リンチにさらされます

 

判事11名の中ただ一人日本無罪を主張した唯一の国際法学者、パール判事は、「私は真実を真実と認め、正しき法を適用したにすぎない」とのべました。国際法に拠らず、事後法によって行われた東京裁判を戦勝国による「リンチと何ら変わらない復讐」とし、違法だと非難した彼の主張は、その後世界の識者に高く評価されています。

 

パール判事とは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任したベンガル人でした。

 

パールは、原爆投下にもふれ

 

「1国が他国を征服し支配しようと準備する事は、最悪の犯罪であると云う事は、現在ではその通りかもしれない。しかし第2次世界大戦には、いやしくも強国である以上は、この様な企画や準備をしなかった国はなかったのである。どうして日本だけが犯罪になるのか、私には理解する事が出来ない。  検察側の掲げる日本の侵略行為の傍証は、歴史の偽造である。 かって欧米諸国がアジア諸国に対して行った行為こそ、まさに侵略そのものである。 東条が裁かれるのであれば、同様に原爆投下を指揮したアメリカのトルーマン大統領も裁かれるべきである。

 

スターリンの条約破棄による対日戦参加も違法である。  

よって、被告達は、起訴事項全部について免除されなければならず、無罪と決定されなばならず、東条英機をはじめとするA級戦犯28名は全て無罪とすべしである。、絞首刑は不相当であると強く主張する。」

 

とのべています。

 

大東亜戦争は、「大航海時代(大侵略時代)」から続いた白人支配の500年を終息させ、有色人種を解放したという世界史的意義を持っています。

 

平成三年、日本の傷痍軍人会との親善パーティーでのアムステルダム市長エドゥアルト・ヴァン・ティンのスピーチを紹介させていただきます。

 

あなた方日本は、先の大戦で私どもオランダに勝ったのに大敗しました。今、日本は世界一、二位を争う経済大国となりました。私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。すなわち、勝った筈なのに貧乏国になりました。戦前はアジアに本国の36倍もの面積の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で、本国は栄耀栄華を極めていました。今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。

 

あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。あなたの国の人々は過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。

 

本当は私たち白人が悪いのです。100年も200年も前から、争って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大にして崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは、侵略して、権力を振るっていた西洋人のほうです。

 

日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。すなわち日本軍は戦勝国のすべてを、東亜から追放して終わりました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。

 

 

■家訓ニストが考える「平和」の意味

 

いろいろな議論のある大東亜戦争ですが、いろいろな意見を自由に言えるということも明るい豊かな社会を担保するものなのではないでしょうか?

そのうえで、100%の悪はなく、100%の正義もないというのが家訓ニストが考える歴史のとらえ方です。

 

東洋のヒトラーとまで言われる東条英機が、実はいい人であったり、あるいは、こてんぱんに負けた日本が本当に悪い国であったのか?そろそろ国民的な議論が必要なのではないでしょうか?

 

戦争の意義を見直す視点の1つとして、大東亜戦争後の世界では、白人ではない多くの有色人種の民族が独立を果たすこととなります

 

こうした日本の見方は、特殊なことでなく、むしろ文句をいってくる国は、近隣の2~3か国だということも、日本人は知るべき事実です。

 

戦争はいけないことです。しかし戦争という手段でしか「正義」を訴えられない時代もあったことを忘れてはいけません。

人種差別と、欧米列強による植民地化が進んでいた20世紀は、まさにそんな時代でした。

 

戦争は悲劇です。また一部の日本軍による蛮行があったことや、特攻隊に代表される無謀な作戦の遂行、また終戦の決断がおくれたことで、本土にも空襲が魔の手がおよび、東京大空襲や、広島、長崎の原子爆弾の投下と悲劇がつづいた歴史を直視することも必要です。

 

しかし100%の悪はなく、また100%の正義もありません。

戦勝国によって一方的裁かれた東京裁判で、唯一の無罪判決をだしたインドのパール判事は、日本の教科書が自虐史観に立って「日本は侵略の暴挙を犯した」「日本は国際的な犯罪を犯した」などと教えていることを大変に憂えて「日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのをわたくしは平然と見過ごすわけにはいかない」とのメッセージを託しています

 

二度と戦争をおこしてはいけません。

そのためにも、冷静な目で、いまいちど大東亜戦争に至った経緯を「近現代史」として、大人はもちろん、子ども達にこそ学んでほしいと幡谷は考えます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■辞世の句

 

「さらばなり 有為の奥山けふ越えて 彌陀のみもとに 行くぞうれしき」 

 

「明日よりは たれにはばかるところなく 彌陀のみもとで のびのびと寝む」 

 

「日も月も 蛍の光さながらに 行く手に彌陀の光かがやく」

 

 

■東條英機の遺書

 

英米諸国人に告げる

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばを過ぎるものがあるのではないだろうか。

 

我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。 もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。 諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

 

《日本同胞国民諸君》

今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。 ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。

 

不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。 力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。 諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

 

《日本青年諸君に告げる。》 《日本青年諸君各位》

我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。 現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。

 

しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。 また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。 真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。

 

参考 《東条英機封印された真実》佐藤早苗著  講談社

 

 

 

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