千疋屋 家訓

 

 

  「勿奢(おごることなかれ)、

勿焦(あせることなかれ)、

勿欲張(よくばることなかれ)」

大島家の家訓

 

千疋屋(せんびきや)は、果物の輸入・販売を専門とする日本の小売業者の屋号である。

 

現在、千疋屋といえば、東京・日本橋の千疋屋総本店、京橋の京橋千疋屋、銀座の銀座千疋屋の3社のことを指す。京橋と銀座の千疋屋は、総本店からのれん分けされた別の企業である。

 

総本店の創業は1834年と大変古く、明治・大正時代から、高級な贈答品の代名詞として、「水菓(くだもの)の千疋屋」と呼ばれている。取扱商品は果物、ワイン、洋菓子と幅広く、直営のフルーツパーラーやレストランも存在する。

 

 

■千疋屋の秘密 

1834年に創業した水菓子の老舗である千疋屋総本店は、バブルが絶頂期の時でさえも、事業を拡大することはなかったといいます。

 

現在の社長である大島博氏に話をお聞きすると、「なぜこんな時勢に、どんどん事業拡大していかないのか」とよく言われ、一時期は「社長として失格だ」とまで言われたこともあるのだとか。

 

ではなぜ千疋屋が、バブル絶頂期に事業拡大をしなかったのか。

それには、千疋屋の店是と大島家の家訓が関係しているそうです。

 

千疋屋の店是は、「一客、二店、三己」といって、1番目に大切なのはお客さまで2番目は店、3番目に自分のことを考えるというもの。

 

そして、大島家の家訓は、「匆奢、匆焦、匆欲張(おごることなかれ、あせることなかれ、よくばることなかれ)」と、

ついつい時代に流されてしまう風潮に釘をさしています。

 

この店是と家訓を受け継いで徹底してきたからこそ、バブル絶頂期の時でさえも、余計な事業展開をしませんでした。

しかし、家訓に守られた逆張りの営業方針はズバリとあたり、多くの企業がバブルの後遺症に悩むなか、千疋屋は、平成不況をのりきり、いまも繁栄を続けています。

 

デフレといわれる長い不況のなか、高級フルーツを扱う「千疋屋」がなぜ売れるのか?

千疋屋総本店の年間売上高は40億円。圧倒的なブランド力を持ち、顧客の信頼も厚い。なぜ、かくも知名度の高いブランドをつくってこれたのでしょうか?

  

 

■フルーツ界のルイ・ヴィトン!? 千疋屋のブランド力

  

ある日の千疋屋の店舗にはこんな値段のフルーツが並んでいます。

メロンは1個1万円から最高2万1000円の値。トレーサーのため、管理札が付いており、農家番号が書いてある。果物の売上の3割はメロンだそうです

 

完熟マンゴー(宮崎産)は1個3万以上。イチゴ(香川産)12粒桐箱入り6825円、18粒同4725円。リンゴ・むつ(青森産)1個1050円・・・ しかし、お客がひっきりなしに出入りしている。

 

 千疋屋総本店の果物は、贈答用に活用されることが多い。顧客は50~60代が主流のようだ。法人需要も多い。最近は、30歳前後の若い人たちも、オンラインショップを通じて購入しているそうです

 

 千疋屋は高級・高価格の贈答用が主体であるが、最近は高級路線は引き継ぐものの、個人需要の開発に力を入れています。バブル崩壊後の長期停滞で法人需要(社用の贈答用)が低迷したことを受けた動きだ。富裕層の多い玉川高島屋店はターゲットにピッタリのようだ。なお、最近、一番売上が伸びている店舗は羽田空港店である(売上高トップ)。東京からのお土産として、千疋屋の果物が活用されています。

 

超たかい千疋屋のフルーツ。

訪れるお客様は、厳選された果物の味はもちろん、「千疋屋」というブランドを買っていきます。一朝一夕では獲得できない圧倒的な1位の座を千疋屋さんは170年もの時をかけてつくりあげたのでした。

 

しかし、おなじブランドものでも、バックや時計と違い、フルーツは食べてみなければ分からない1点もの

お客様が支払う対価にあった甘味が担保するためには、生産者(農家)との信用が必要です

 

産地との関係については、3代目、4代目は国産果物の品種改良まで手を出し、果物産業の発展に貢献してきたそうです。そして、千疋屋と取引しているということは、農家にとっては大変なステータスにもなります。

 

それがモチベーションになって品質向上の努力を重ねる。千疋屋は産地の底上げに寄与し、また日本の果物の高級化をリードしてきました。

 

誰が買うんだ?と疑問のわく千疋屋のフルーツ。

しかし、現在では、日本産のフルーツが輸出され、千疋屋よりも高い値段でも海外の富裕層から引く手あまたであるとのこと。

千疋屋がリードしてきた、高級フルーツの歴史は、日本の農業を救う救世主になっていくのかもしれません

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勿奢(おごることなかれ)、勿焦(あせることなかれ)、勿欲張(よくばることなかれ)」

大島家の家訓

 

 

 

(参照:東京中央ネット) 

http://www.tokyochuo.net/issue/face/2004/06/

 

 

千疋屋総本店 5代目社長 大島博社長

 

千疋屋の歴史

江戸時代後期の天保 5年、武蔵の国埼玉郡千疋の郷(現・埼玉県越谷市東町)で大島流槍術の指南をしていた初代・大島弁蔵が、道場の庭で育てた果物や野菜を船で運び、江戸葺屋町(ふきやちょう)の「おやじ橋」のたもと(現・日本橋人形町3丁目)で商いを始めたのが創業にあたります。出身地の名をとり「千疋屋弁蔵」と名乗り、「水ぐわし(甘い果物)安うり処」の看板を掲げ、柿・びわ・ぶどう・みかん等を販売していました。後に愛称で「千疋屋」と呼ばれ、それが屋号となりました。

 弁蔵の商いは庶民的なものでしたが、二代目・文蔵の代で商売が大きく飛躍しました。浅草の鰹節の大店「大清」の娘である妻むらの支えもあり、幕末の著名人のご愛顧を受けるようになりました。これが高級品を取り扱う転機となり、その後徳川家御用商としての信頼を得て繁盛したようです。

 明治 10(1877)年に三代目を継いだ代次郎(以降襲名)は、当時活気を帯びてきた現在本店のある日本橋本町(日本橋室町)に店舗を移転し、外国産の果物のみならず種子の輸入に力を入れ、りんご・さくらんぼ・夏みかん・マスクメロンなどの栽培を行い、我が国初の果物専門店を創立するなど、先見の明があったように思います。

 

 四代目・祖父は三代目が温めていた構想を実現し、大正14(1925)年 に日本初のフルーツパーラーを初め、浅草・丸ノ内などにも大規模な直営店を開きました。また「千疋屋農場(現・世田谷区上馬)」を造り多種多様な果物を栽培し更なる品種改良を目指しています。昭和 13(1938)年には株式会社へ改組し、社長に就任しました。

 

 また、三・四代目の時代にのれん分けをし、現在の「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」が生まれました。他ののれん分けした店は、昭和 14(1939)に始まった第二次世界大戦の影響で閉店しています。現在、首都圏にある「千疋屋」と名の付く店は、「千疋屋総本店」「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」のいずれかの支店となります。

 

  五代目・父(現・取締役会長大島代次郎)は関東各地に支店を次々と開き、幅広く食材を扱う総合食品業態へと移行させ、時代のニーズに応えました。平成 10(1998)年に私が六代目の社長となり、現在に至っています。

 

信条や社訓について

  三代目が考案した店是「一 客、二 店、三 己」があります。まず第一に、お客様のニーズに対応した商品や的確なサービスを提供することを考え、次に店の繁栄や従業員を大切にし、自分のことは後回しにせよ、という意味があります。

また、大島家の家訓は「勿奢(おごることなかれ)、勿焦(あせることなかれ)、勿欲張(よくばることなかれ)」です。これらが根底に流れているお陰で、バブル経済にも左右されることなく、のれんを守り続けることができたのだと思っています。「当主の仕事というのは、自分の代でのれんを更に輝かせ、次の世代に繋ぐものである」という父の考えも、私にとって大切な教えのひとつです。

 

 

 

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