最古の味噌醸造元 まるや八丁味噌

 

 

 

 3つの信念

1、質素にして倹約を第一とする

2、事業の拡大を望まず継続を優先する

3、顧客、従業員との縁と出会いを尊ぶ、

 

 

 

株式会社まるや八丁味噌(まるやはっちょうみそ)は、愛知県岡崎市に本社を置く八丁味噌メーカー。創業が1337年(延元2年)と伝統がある。個人、団体どちらでも工場見学もできる

 

1337年 開祖 弥治右ェ門が現岡崎市八帖町に醸造業を始める。

1560年 桶狭間の合戦にて徳川軍の「戦陣にぎり」と称し、味噌が兵食になったと言われている。

1603年 江戸幕府開府。東海道を通る大名行列・お伊勢参りにより、全国へその名が広まる

 

多くの食品メーカーが近代化をすすめていくなか、まるや八丁では、昔ながらの製造方法にこだわり、高さ約2メートル、直径約2メートルほどある巨大な杉桶に味噌を仕込み、その上に400~500個、約3トンもの石を円錐状に積み上げ、二夏二冬(約2年)寝かせるという伝統製法を頑なに守り続けています。

っていうか、全部、手作業です(*_*) すごい

 

 

■「みそ」とは?

味噌(みそ)は、大豆及び米、麦等の穀物に塩と麹を加えて発酵させて作る、日本の発酵食品である。古くから使用されてきた日本の基本的な調味料の一つでもあり、日本の味「miso」として日本国外にも知られている 

 

主な原料は大豆である。穀物にニホンコウジカビ(黄麹菌)などの麹菌を繁殖させた麹や塩を混ぜ合わせ、発酵させることによって大豆のタンパク質を消化しやすく分解し、旨みの元であるアミノ酸を多量に遊離する。製造に際しては、穀物由来の麹が増えるとデンプンが糖に変わって甘味が増し、大豆が増えるとアミノ酸による旨味が増す。温暖多湿という日本の国土条件の中、職人技により製造する。 

 

穀物の違いや麹の違いで種類が豊富である。地域、種類により赤味噌、白味噌、合わせ味噌(調合味噌)などと区別する。 

 

味噌は、現在の日本料理に欠かせないものの一つとなっている。海外旅行中に、味噌汁を飲みたくなる人がいるなど、日本人の味として親しまれている。スローフードや日本食ブームにより、味噌の良さが改めて見直されている。 

 

味噌は食品として万能であることが江戸時代の本朝食鑑に記載されており、その健康増進効果から味噌汁は「医者殺し」と当時から言われていた

 

 

 ■「みそ」の起源

 

味噌の起源には二つの説がある

 

①中国伝来説 

古代中国の醤を根源とし、遣唐使により中国を経て伝来したとされる説

 

②日本独自説 

日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代からとする説。日本においては縄文時代から製塩が行われ、醤などの塩蔵食品が作られていたと見られる。縄文時代後期から弥生時代にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。

 

現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代である。当時の文献に「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。当時の味噌は、調味料というよりは豆やその他の穀物を塩漬保存した保存食であり、つまんで食べられた。

 

徒然草において、北条時頼と北条宣時が、台所に残っていた味噌だけを肴として酒を酌み交わしたという逸話があるが、そういう時代背景がある。 

 

室町時代になると、各地で味噌が発達した。戦国時代には主に糠が原料とされたが、兵糧(陣中食)として重宝され、加工品の芋がら縄も含め、兵士の貴重な栄養源になっていた。その名残は、朴葉味噌などとしても伝わっている。各地の戦国武将にも味噌作りは大事な経済政策の1つとして見られるようになった。 

  

現在のように調味料として認識されるようになったのは、江戸時代になってからであり、味噌は各地の風土・気候を反映されていて、熟成方法などが異なり全国に多様な味噌をもたらした

 

 

 

 ■社長が語る老舗の歴史

 

(参照:社長の自叙伝.NET 

http://www.ddr38.net/0maruya/0maruya.html

 

 

 弊社の創業は延元二年(1337年)、始祖・弥治右ェ門が現岡崎市八帖町にて醸造業を始めたと伝えられていますが、「八丁味噌」と呼ばれるようになったのは江戸時代からと言われています。原料は大豆と塩のみ。添加物は一切使用しません。それを高さ約2メートル、直径約2メートルほどある巨大な杉桶に仕込み、その上に400~500個、約3トンもの石を円錐状に積み上げ、二夏二冬(約2年)寝かせるという伝統製法を頑なに守り続けています。一般的な味噌に比べると、時間がかかっているんですよ。水分含有量が少なく、独特の濃厚な風味と酸味があるのが特徴です。

 

安藤 670年以上もの歴史があるまるやさんですが、企業がこれほど長く続く秘訣は何なのでしょうか。

 

浅井 旧東海道を挟んで向かい合った「カクキュー」と「まるや」の2社のみによって造られ、お互いが時に協調し、時に切磋琢磨しながらその品質を高めあう努力をしてきたので、長い歴史の中で生き残ってこられたのだと思います。

 

 また、弊社には「家訓」といったものは残っていませんが、3つの信念があります。

1、質素にして倹約を第一とする

2、事業の拡大を望まず継続を優先する

3、顧客、従業員との縁と出会いを尊ぶ、

の3つ。これが秘訣と言えるかもしれませんね。

 

 100年間で50%以上の企業、そして伝統や文化は、何もしなければ、淘汰されてしまうと言われます。それは100 年の中で、例えば戦争があったり、赤味噌しかなかった地域に白味噌が流通してきたり、和食だった朝食に洋食文化が流入してきたり、と状況を激変させるような出来事が起こるから。その中で生き残っていく企業というのは、内にも外にも常に、新しいことにチャレンジしている企業。伝統企業ということに胡坐をかいていては、あっという間に築き上げてきた伝統が崩れてしまいます。

 

安藤 「まるや」さんといえば有機大豆を使った八丁味噌でも有名ですよね。

 

浅井 伝統の製法を守りながらも積極的に新しい挑戦をしていかないといけない中で、特に私が入社当時から、社内の反対にあいながらも力を入れてきたのが「有機」。1980年代、まだ有機という言葉が一般的に認知されておらず、他の企業が目をつけていませんでしたが、弊社では有機栽培の大豆を使った八丁味噌を造り、国内ではなく、オーガニックの関心が高まっていた海外へ全て輸出していました。1987年、アメリカ有機食品認定機関OCIAの認証を取得。ヨーロッパ有機認証機関(ECOCERT)、厳しい食品規律を持つユダヤ教のコーシャ(Kosher)の認証も受けています。その監査も海外からやってくるので大変でしたが、その継続の甲斐あって、日本で有機JASの制度ができた時には、すでに弊社には多くの実績があったんです。現在でも毎年相当量の輸出をしているんですよ。

 

安藤 なぜ有機にこだわるようになったのですか。

 

浅井 24歳の時、ドイツに留学したのですが、その時現地で出会った人達の影響が大きいですね。就職してサラリーマンになり、日々同じ生活の繰り返しでいいのだろうかという、日本で生活することへの閉塞感、世界を見てみたいという欲求に駆られ、憧れであったドイツの地を踏むことに。それを認めてくれた環境、両親には感謝しなければいけませんね。

 

 当時は固定レート、1ドル=360円の時代。物価が高くて生活は苦しかったですが、ドイツの人達の生活も、決して派手なものを好まず、質素倹約、冷静沈着といったイメージだったのがとても印象的でした。高度経済成長期を迎えていた日本と違い、実に淡々とした暮らしぶりだったのです。そして30年後に訪れてみてもほとんど変わらない風景がありました。この普遍的で質素なドイツのスタイルは、私が会社の中で生かしていこうと目標にしているもの。どんどん新製品を作るのではなく、今あるものを生かす、という考え方もそうですね。

 

 有機との出会いは、現地で日本食を普及していこうとしていた人達や、医学を志してドイツに渡り、マクロビオティッを研究していた人にお会いしたことがきっかけでした。特にアカデミックな人ほど、日本食やオーガニックの素晴らしさを認める人が多く、彼らが真剣に討論している姿や、その内容に大変共感を得たのです。今後、日本でも有機栽培やマクロビオティックが注目される時代がきっと来る、そう確信しましたね

 

  

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