加藤清正

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『上一人の気持ちは、下万人に通ずる』

 

 

 

加藤清正、かとう・きよまさ)

 

 

安土桃山時代から江戸時代の大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。肥後国熊本藩主。母が大政所(秀吉の母)の遠縁の親戚であったことから、秀吉の部下となり生涯忠義を尽くすこととなった。関ヶ原の戦いでは東軍に組した。築城の名手としても知られ、名護屋城(佐賀県唐津市)、名古屋城、江戸城、熊本城、そのほか多くの築城に携わった

  

 

上一人の気持ちは、下万人に通ずる。

【覚書き:朝鮮出兵の帰路での発言、占領した地域にもう敵はいないのに清正が装備を整えていたのを見た人が、なぜ装備を外し身軽にならないのか問いかけたことに対する答え。自分が旅装を解いて身軽になって進んだ方が楽だが、油断をしてはいつ何が起こるかわからない。上の者が油断していれば、部下も全員油断する。だから自分は旅装を解かないのだという趣旨の発言】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■天下の名城「熊本城」 

4月16日午前1時25分頃に発生した地震で、熊本城の東側にある東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)と北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)が倒壊した。両櫓とも、国の指定重要文化財。 

 

熊本のシンボル、熊本城は、加藤清正(1562~1611)が熊本市中心部の茶臼山丘陵に、1601(慶長6年)から1607年(慶長12年)にかけて築いた城です。力強く優美な外観、壮大な石垣など見所が多く、姫路城(兵庫県)、松本城(長野県)とともに、日本三大名城のひとつとされています。三大名城には別の組み合わせもありますが、熊本城が外れることはありません。

 

茶臼山にはすでに応仁年間(1467~1469年)に千葉城、1496年(明応5年)には隈本城が築かれていました。清正はこれらの古城を取り込む形で壮大な城郭を築き、地名の「隈本」を「熊本」に改めたと伝わっています。

 

清正の築いた城域は98ヘクタールにおよび、標高50mの天守台には大小2つの天守閣があります。3層6階の大天守は籠城戦に備えた部屋割りになっています。2層4階の小天守は大天守より後に増築され、景観を考慮し西にずらして建ち、居住を意識した造りになっています。

 

熊本城には、築城の名手だった清正の知恵があちこちに生かされています。石垣には上に行くほど反り返る「武者返し」と呼ばれる構造が採用されています。籠城戦に備えて「食べられる城」にするため、城内の建物の土壁にはかんぴょうを塗りこめ、畳の床には食用になる里芋の茎を用いたといわれます。また、城内には井戸が120カ所もあったといいます。

 

熊本城を築いた加藤清正は、戦に強く、築城が得意な大名でした。幼いころから豊臣秀吉に仕えて数々の武功を立て、1588年(天正16年)に27歳で肥後北半国の領主となりました。治山治水、新田開発などに力を入れて領民に慕われ、今でも熊本では善政の事跡は「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」とされています。

 

秀吉の死後、1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦では東軍につき、戦後は西軍の小西行長が領していた肥後南半国も加えた54万石の大大名となります。ただ、東軍についてからも清正の豊臣家に対する恩顧の念は強く、本丸御殿の大広間奥の「昭君之間」は、秀吉の遺児、秀頼に危険が迫った際に熊本にかくまうために作ったとされています。

 

しかし、熊本城に秀頼が来ることはありませんでした。清正は1611(慶長16年)に秀吉の遺児秀頼と徳川家康の会見を実現させた直後、50歳で病気のために亡くなります。4年後の大坂夏の陣で豊臣家は滅亡してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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■著者 幡谷哲太郎(はたやてつたろう)氏

経歴 茨城県水戸市生まれ。日本青年会議所「徳溢れる心醸成会議」に所属中に家訓づくりを始める。 家訓づくりを広める活動を「家訓ニスト」と命名し、全国160カ所以上、7,000人の受講者に対し、家訓づくりのセミナーを開催。セミナー後に、「家訓を作り、家族での唱和を実践した」という家庭の100%が、「家族に変化があった」と回答するなど、大きな変化を与えている。

 

セミナー開催数、受講者数、WEBアクセス数、いずれも日本一の実績(協会調べ)を誇り、自他ともに認める家訓づくりのスペシャリスト。現在は、明るい豊かな社会の実現のため、家訓ニスト協会()を立ち上げ、ノーベル平和賞受賞をめざし活動を広げている。