真珠王 御木本幸吉と二宮尊徳

 

 

 

 

 

  

 

 『海の尊徳になる』

 独自の仕法で全国600もの村々を再興させた二宮尊徳。その事績に感銘を受け、自ら「海の尊徳になる」ことを夢見た男

 

  

 

御木本 幸吉(みきもと こうきち)

生誕:安政5年1月25日(1858年3月10日)

死没: 1954年(昭和29年)9月21日)

 

日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。真珠王とも呼ばれた。

 

鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として誕生した幸吉は、さまざまな商売を経験するなかで志摩の名産だった真珠の魅力に着目しました。当初は真珠貝の増殖、やがて真珠そのものの養殖へと試行錯誤や失敗を繰り返しながら彼は夢の実現に邁進します。それは自分の作った真珠で世界中の女性を美しく飾ることでした。

 

 銀座に店を構え事業を拡大する一方で、幸吉は故郷伊勢志摩に惜しみない愛情をそそいでいます。事あるたびに幸吉は賓客を志摩の自宅や真珠島に招き、真珠の魅力とともに伊勢志摩の美しい景観を広く紹介しました。日本中を公園にしたい、というその願いは戦後伊勢志摩国立公園として実現します。

 

 日本の真珠産業を築いた人物として、そしてさまざまな逸話に見られる個性豊かな人物として、御木本幸吉の生涯はいつまでも語り継がれることでしょう。

 

■世界初!真珠の養殖に成功

 

世界中の女の首を真珠でしめてご覧にいれます。』 

  これは、明治38年、伊勢神宮に行幸された明治天皇に拝謁した御木本幸吉が陛下に申し上げた言葉です。幸吉はこの頃、すでに半円真珠の養殖に成功しており、さらに真円の真珠を求めて研究を重ねていました。真珠養殖の成功をきっかけに、今でこそ、幸吉の言葉どおり真珠は私たちの身近な存在となりましたが、それ以前、真珠を身につけることができたのは、貴族や大金持ちなどごく一部の限られた人々だけでした。

  

(参照:ミキモトHPより) 

http://www.mikimoto.com/jp/about-us/history/index.html 

 

ミキモト創業者の御木本幸吉は1858年(安政5年)1月25日、志摩国鳥羽町に誕生しました。故郷・伊勢志摩の海で天然真珠を採るために乱獲され減少していたアコヤ貝の保護と増殖、さらに真珠の養殖を決意し、相次ぐ赤潮の被害や資金難を乗り越え、1893年(明治26年)7月11日に鳥羽の相島(おじま、現:ミキモト真珠島)にて、世界で初めて半円真珠の養殖に成功しました。

 

それまでの真珠は、天然の真珠母貝から採取されるケシと呼ばれる真珠が大部分であり、採取も不確かなものでしたが、幸吉は母貝であるアコヤ貝そのものの養殖から始め、人為的に真珠をつくり出せるようにしたのです。

その後、1905年(明治38年)には真円真珠の養殖に成功し、黒蝶真珠や白蝶真珠の養殖にも取り組みました。

 

ミキモトパールの名は世界へ 

1899年(明治32年)には、銀座に日本で初めての真珠専門店「御木本真珠店」を開設し、日本における近代宝飾産業の礎を築きました。幸吉は早くから海外にも目を向け、真珠の魅力を多くの人々に伝えるために、1893年(明治26年)のシカゴでのコロンブス万国博覧会を始め、世界各国で開かれる博覧会へ出品しました。また、1913年(大正2年)のロンドン支店開設を皮切りにニューヨーク、パリなど国際的に事業を展開。世界中にミキモトパールを供給し、養殖真珠の代名詞として、また日本の文化としてその名を浸透させました。

 

品質とデザインを追求するミキモトスタイル 

幸吉は日本の伝統的な技術とヨーロッパに伝わる技巧を合わせたオリジナルデザインの開発と装身具技術の発展を目指して、いち早く側近たちをヨーロッパに送り、1907年(明治40年)には日本初の本格的な装身具加工工場「御木本金細工工場」を開設しました。

世界で唯一とも言える、高品質な商品を追求するための生産から販売までの一貫体制はこの時に確立され、以後今日に至るまで、ミキモトのこの姿勢はかたくななまでに受け継がれています。そして、1924年(大正13年)には、確かな技術が認められ宮内省御用達の栄に浴し、宮中御用装身具の一切を謹製する宮廷宝飾店に発展しました。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

■「海の尊徳」が守った二宮尊徳の生家  
御木本幸吉は、旅先である日光にて案内に立った人から「この地域はかつて荒れ放題だったが、二宮尊徳先生のお蔭でこんな開けた土地になった」などの話を聴き、二宮尊徳先生の事跡に触れることになります。以来、「自分は海の尊徳になる」との意気込みを持って真珠養殖事業に邁進されたと言われています。実際、真珠養殖の成功によって得た利益を、伊勢や鳥羽地方の道路やトンネル事業などに寄付するなど、地域社会の発展に大きく貢献されました。
(参照:小田原タウンニュース)
http://www.townnews.co.jp/0607/i/2016/05/14/332188.html

独自の仕法で全国600もの村々を再興させた二宮尊徳。その事績に感銘を受け、自ら「海の尊徳になる」ことを夢見た男がいた。G7サミットが開かれる伊勢志摩出身で「世界の真珠王」こと御木本(みきもと)幸吉です。。

 

 御木本幸吉は、1858(安政5)年、現在の三重県鳥羽市に、うどん屋の長男として生まれた。1878(明治11)年、20歳の時、東京・横浜方面へ視察旅行の際、日光にも立ち寄り、尊徳の手で復興がなった事績に触れて感銘を受け、自ら「海の尊徳になる」の意気込みで真珠の養殖事業にまい進した。尊徳の高弟・福住正兄が記した『二宮翁夜話』を「七回味読した」ほどの熱烈な信奉者となった。

 

養殖真珠を完成させた4年後の1909(明治42)年、幸吉は、尊徳の生誕地が人手に渡り、雑草が生い茂り、土も見えない状態となっていることを知り、私費でその土地を購入することを即断する。敷地面積は259坪。土地購入の支払いは、分割でしていることから、心酔する尊徳への思いが募っての購入であることがわかる。購入した土地の周りには、そこが生誕地であることを示すように石塀を巡らせるなど整備をし、中央報徳会に寄付している。現在、生家の敷地内に建つ顕彰碑は、1915(大正4)年にその中央報徳会が幸吉の業績を知らせるため建立したものだ。

  

1955(昭和30)年、尊徳記念館の完成にあわせ、没後100年祭が行われた際、生家の移築が話題に上った。当時、記念館の建設期成会は、渡辺儀太郎氏の息子・善太郎氏と交渉、生家を譲り受ける。中央報徳会も敷地を小田原市に寄付。5年後の1960年、およそ半世紀前に幸吉が購入した尊徳の生誕地に、遂に生家が移築された。それは幸吉が96年の生涯を閉じた6年後のことだった

 

■二宮尊徳とは?

一般的には、二宮尊徳と聞くと、薪をせおいながら勉強をした銅像のイメージが先行しています。その半生は、小田原を中心に、農村の振興につとめたことが評価され、その後、日本中に出向き、多くの功績をのこしたことも知られています。また『報徳』の心は、日本人の規範意識となっていき、いまなお尊敬をあつめる偉人です。

 

いまや世界第二位の経済大国となった日本という国は、「勤勉」な国民性を世界中で高く評価されています。ではこの「勤勉」さはどこからやってきたのか?という疑問がわきます。古くは縄文、弥生時代から、あるいは武士道がそうさせたとか・・・ この問いに、戦後日本の占領政策をになったGHQのインボーデン少佐は、二宮尊徳の功績であるとの論文を発表しています。いわく「二宮尊徳はアメリカのリンカーンにも比すべき人物である」っと

 

江戸時代の農村振興にとどまらず、日本人のアイデンティティをつくり、なおかつ現代にもおいても、「報徳思想」の信奉者たちによっていまなお社会に豊かさを提供している。それが日本のリンカーン、二宮尊徳という男です。 

 

 

道徳なき経済は犯罪であり実践なき道徳は寝言である

 二宮尊徳は、ただの思想家でなく実践者でもありました。多くの実績はもちろん、書籍や弟子たちによって伝えられる足跡は多くの金言で満たされています

飢饉や幕末の混乱で疲弊した農村を救った尊徳先生。倹約や勤勉の素晴らしさを説く一方、いまの信用組合(銀行)に似た仕組みを導入しお金の流通が人々の暮らしを豊かにしていくことを証明してみせました。

 

そんな尊徳先生の残された金言の1つが

「道徳なき経済は犯罪であり実践なき道徳は寝言である」との一文です

 

先生は、口ばっかりで何もしない学者や坊主を嫌っており、絶えず実践できる道徳を模索していました。

また儒教の教えでは忌み嫌われる「商い」こそが人々の暮らしを豊かにすことを実践で証明しています。

 

現代でも、企業の社会的責任と訳されるCSRが注目される中、200年まえ尊徳先生が説いた企業のモラールはもっと実践的で、もっと気高いものでした。

 

CSRが会社の利益からちょこっと持ち出しをして、花を植えたりする程度のものですが、尊徳先生から連なる「報徳思想」の経営者たちは、本業を通じての社会貢献こそが大事であること、またいいことは黙ってやるから価値とする陰徳の実践者たちを生み出していきました

 

二宮尊徳の「報徳思想」に共感し、いまも実践を続ける経営者(または法人)は次のような名前があげられます

 

・豊田佐吉        豊田自動織機を創業。貧しい大工であった父親の伊吉が尊徳先生の高弟に師事。

・安田善次郎    安田財閥をつくった陰徳の男

・渋沢栄一        日本資本主義の父。500あまりの企業を創業

・松下幸之助    松下電器を創業。PHP出版をたちあげ倫理観の醸成にも苦心

・御木本 幸吉   世界初の真珠の養殖に成功

・稲森和夫        京セラを創業

 

あなたが通った学校にも校庭の隅に薪を背負った二宮金次郎の像があったかもしれません。

尊徳先生の功績は、古い思い出のなかにあるだけでなく、いまも志を受け継いだ多くの商人たちによって日々実践されています。  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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