文楽と日本のシェークスピア・近松門左衛門

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

文楽(ぶんらく)は、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を指す代名詞である。文楽座の始まりは、淡路仮屋の初世植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という演芸小屋を大坂高津橋南詰(大阪府大阪市中央区)に建てて、興行したのが始まりとされる。

 

1955年に文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。また、ユネスコ無形文化遺産保護条約の発効以前の2003年に「傑作の宣言」がなされ「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、無形文化遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年9月の第1回登録で正式に登録された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ辞世 さる程さても その後に

残る桜の 花し匂はば

 

(訳:自分は死んでしまうけど、自分の浄瑠璃本が、世間に認められて支持され続けたら、それで結構。辞世の句なんぞしゃらくさい。)

 

 

近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん)

生誕:承応2年〈1653年〉

死没:享保9年11月22日〈1725年1月6日〉

 

江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。

 

本名は杉森信盛。越前福井出身、俸禄300石の武家の次男。先祖は浅井長政や秀吉に仕えていた。ペンネームは芸能の神を祀る近江・近松寺(ごんしょうじ)にかけ、その寺に入ることができない門前の小僧というシャレっ気から“近松門左衛門”としたと言われている。

 

10代前半に父が何かの理由で失職し浪人になったことから、一家は京都へ出る。若き近松は都で公家に仕えたが、この公家は自分で浄瑠璃を書くほどの愛好者だった。20歳ごろ、その使いとして何度も文楽に通う内に、彼もまた浄瑠璃にハマってしまう。

 

近松門左衛門を、「日本のシェークスピア」。あるいは、日本初の劇作家と評する声も多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■日本のシェークスピア

 

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616) は、英国だけでなく世界的に認められた劇作家、詩人、役者です。

 

今日の英語はシェイクスピアによって高められたという人もいるほど、劇中に使われた慣用句の多くが今も、日常会話に取り入られているほどです。青年時代にロンドンに出て初め俳優、のち座付作者として約三七編の戯曲を創作し、その後、喜劇、悲劇、史劇と、幅広いジャンルにわたって書きあげました。 

 

シェイクスピアの批評は、それだけで学問になるくらい沢山あるが、なかでもバーナード・ショーの批評は辛口でウィットに富んでいてしばしば引用されている。 

代表作は四大悲劇の『オセロ』『ハムレット』『マクベス』『リア王』

 

近松門左衛門は、遠くイングランドと、日本と距離はあったものの、ほぼ同時代を生きた劇作家です。代表作「曽根崎心中」をはじめ、多くの戯曲をのこし、浄瑠璃、歌舞伎の題材として、いまも人気をあつめています。

 

人形浄瑠璃「曽根崎心中」の話のあらましは、こうです。

 遊女のお初と手代の徳兵衛は、深く愛し合う仲でしたが、徳兵衛の主人は妻の姪と結婚させようと、徳兵衛の継母に持参金を渡しました。

曽根崎心中  徳兵衛は、この話を断ったのですが、そうなると持参金を返さねばなりません。その持参金を返すつもりでいたところ、友人の九平次にうまく言いくるめられて、騙し取られてしまうのです。

返す持参金はない。九平次からは罵倒される。男の一分が立たなくなった徳兵衛とお初は、曽根崎の森に死に場所を求めてさまよい、心中するというのものです。

 

お初・徳兵衛の純粋で、ひたむきな心情や抜き差しならぬ葛藤が評判を呼び、興行が始まると、たちまち物すごい人気を呼んで大当たり、そして初演から300年たった今も、人気の演目として上演され続けています。

 

 

■世界に誇る町民文化

 

戦国時代がおわり、徳川家による政治が安定しはじめると、東西の物流が活発化していきます。

そんな中、長く文化を担ってきた、公家や神社仏閣。そして武士階層を追い抜くように町民たちが自分達の生活を彩る様々な文化を生んでいきます。

 

例をあげれば、浮世絵ブームで印刷技術が発達し、本の出版も盛んになります。井原西鶴は、町人の生活をもとに、「浮世草子(うきよぞうし)」とよばれる小説を書きました。松尾芭蕉がよんだ俳諧(はいかい)の句集も人気をよびます。町人文化が最もはなやかだった元禄時代に活躍(かつやく)した松尾芭蕉、井原西鶴、そして近松門左衛門は、“元禄の三大作家”と称(しょう)されました。近松が生きた江戸時代、町人が主役の文化が栄えた時代でした。

 

シェークスピアが遺した戯曲のほとんどが、王侯貴族の華やかな舞台を描いたものでしたが、元禄の三大作家たちは、庶民の生活の中に、作品をみつけていきました。

最新の研究では、江戸時代の町民たちは、当時のどこの都市に暮らす庶民よりも、自由を謳歌し、また文化的にも恵まれた生活を送っていたことが分かっています。

 

その後、明治時代になり、長い鎖国政策などにより、わが国は世界的な産業革命に大きく後れを取りました。 

しかし、明治の富国強兵によって瞬く間に世界に追いつき、経済力でも西欧諸国に肩を並べ、軍事力の面でも清やロシアに勝利するほどの力をつけていきます。それは日本人の勤勉で実直な努力のたまものでもありますが、江戸時代においても、絶対的な学力がきわめて高く、識字率は世界でもっとも高かったことも大きな要因です。

  

江戸時代においては多くの子どもが学校に通い、「読み書きそろばん」と言われる基本的な学力を身につけていました。貧しい町人の子ですら文字が読め、中国や朝鮮はもちろん、イギリスやロシアなどに比べても識字率では大きく上回っていたのです

 

のちの発展をになう「識字率の向上」の裏には、庶民たちが、本を読む習慣。そして、本を読みたいと思わせる素晴らしい戯曲があったことが背景にあったのではないでしょうか?

世界に誇る町民文化という豊かな土壌の上に、近松門左衛門をはじめ多くの天才たちが、その作品の優劣を競いました。

平成の世の中になり、それだけのエレルギーが日本にあるのか? ・・・ちょっと心もとない限りです((+_+))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ■著者 幡谷哲太郎(はたやてつたろう)氏

経歴 茨城県水戸市生まれ。日本青年会議所「徳溢れる心醸成会議」に所属中に家訓づくりを始める。 家訓づくりを広める活動を「家訓ニスト」と命名し、全国160カ所以上、7,000人の受講者に対し、家訓づくりのセミナーを開催。セミナー後に、「家訓を作り、家族での唱和を実践した」という家庭の100%が、「家族に変化があった」と回答するなど、大きな変化を与えている。 セミナー開催数、受講者数、WEBアクセス数、いずれも日本一の実績(協会調べ)を誇り、自他ともに認める家訓づくりのスペシャリスト。現在は、明るい豊かな社会の実現のため、家訓ニスト協会(仮)を立ち上げ、ノーベル平和賞受賞をめざし活動を広げている。