任天堂 山内組長の格言

 

 

 

 

 

 

 

『失意泰然、得意冷然』

(運に恵まれない時は、慌てず泰然として構え努力せよ。恵まれたときは、運に感謝し、冷然と努力せよ)

 

 

山内 溥(やまうち ひろし)

生誕:1927年11月7日

死没:2013年9月19日

 

日本の実業家。出生名は山内 博(よみは同じ)。

 

玩具メーカーの任天堂株式会社代表取締役社長(個人商店の山内房治郎商店より数えて第3代、1949年 - 2002年)、同社取締役相談役(2002年 - 2005年)を経て、晩年まで同社の相談役を担った。任天堂を電子ゲームによって世界的な企業に押し上げた中興の祖として活躍した

 

 任天堂を、トランプやボードゲームのメーカーから、世界的なゲームの巨大企業に変身させました。

  

山内氏は、わずか22歳で社長を引き継いだ。任天堂は、山内氏の曽祖父にあたる山内房次郎氏が花札の製造会社として1889年に創業した会社だ。祖父にあたる2代目社長が病に倒れ、父親がいなかったため、山内氏は早稲田大学を中退して任天堂の指揮を取った

  

花札とトランプが下火になり、「脱花札、脱トランプ」を目指し開発部を新設。新製品の開発に力を入れたが、いずれも短命に終わり、オイルショックで倒産の危機に直面した。山内氏はその後、食品やタクシーから「ラブホテル」まで、いくつかの事業に乗り出した。これらの事業のすべてが不採算となって失敗した後、山内氏は任天堂の中心を再びゲーム事業に置くこととし、世界的なヒット商品を生み出すこととなります。

 

1980年大ヒットとなった「ゲームウォッチ」を発売。

そして1983年世界的な商品となる「ファミリーコンピューター」が発売。国内外合わせ6100万台を販売。看板タイトルのスーパーマリオブラザーズも681万本を売り上げ、現在の任天堂の礎を築きました

 

米経済専門誌フォーブスが発表した「日本の富豪」では、総資産78億ドル(現レートで約7670億円)で日本一の富豪とされる成功をおさめました。

 

大成功しても山内は浮かれることはなく、「娯楽の世界は天国か地獄かだ。真ん中のない世界や」。山内は社長に就任して以来、倒産の危機を3度経験した。だから、ファミコンが大ヒットしてからは無借金経営に徹し、売上がゼロになったとしても社員全員が100年間、困らないだけのキャッシュがある・・・と言われるほどの内部留保があると言われています。

 

 

■任天堂とは?

 

任天堂の社名は「運を天に任せる」に由来する。 付言するなら山内は「運を天に任せたりせず、人事を尽くして天命を待つ」人だった。

任天堂の創業は1889(明治22)年、有名な工芸職人だった山内房治郎が京都の平安神宮の近くに「任天堂骨牌」を創立、花札の製造を開始したのが始まり 

 

現在は、ゲーム機ハード、ソフトで総合首位のビデオゲーム、プラットフォームの会社として知られるが創業当初は、花札の製造を行っており、玩具の製造を経て現在に至る。

 

ニンテンドーDSを発売した2004年からは、「ゲーム人口の拡大」を基本戦略としており、幅広い人がプレイできるゲームを開発している。

 

売上高  : 5497億8000万円(連結)

営業利益 : 247億7000万円

純利益  : 481億4300万円

資産    : 1兆3529億4400万円

 従業員数: 5,221名

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■山内組長の任侠?名言

 

任天堂が知らずにバンダイの権利を侵害してしまった際、当時の任天堂社長であった山内溥元氏がバンダイに赴き金額が書かれていない小切手を渡した。

これに対しバンダイ側は「0」と書いて返した。

「商売は人と人との信頼関係で成り立っている」という哲学としてバンダイに今でも残っているという。(朝日新聞コラムより)

  

ゲーム業界のドン、山内溥さんは、業界では、組長と親しまれ、ほんとうに多くの影響を、世界に与えてくれました。

 

花札屋さんを営んでいたにも関わらず、早くからハイテク玩具の成長性に目を付けて、ファミコンという空間を生み出したばかりではなく、マリオブラザーズを筆頭とする世界的ゲーム、世界的キャラクターを生み出してきました。

 

いまのアプリゲームや、多くのデジタル機器は、間違いなく、山内さんの多くの功績の先にできた産物です。

 

 

■「よそと同じではいけない」 山内組長の名言集

 

「ブームに乗ったと思ったら執着しないほうがいい。それはもう売れなくなるという意味だ」

 

「日本だけで受けて、しかもVII、VIII、IXだと言っている会社は駄目である 」

 

「本物そっくりで高精細な映画のようなゲームなんてナンセンス」

 

「いま、最も強いと言われているソニーでさえ、成功と失敗を繰り返しています。明日は失敗するかもしれません」

 

「市場調査?そんなことしてどうするんですか?任天堂が市場を創り出すんですよ。」

 

「世間はよく成功者を手放しで尊敬してしまうが、成功者の言葉ならなんでもかんでも金科玉条のようにあがめるのはおかしい

  

「どうしておもしろいソフトがつくれるのかという問いに対しては、私はいつでも言っているんですが、結局はだれもがわからないんです。実はこうしてつくります、ああしてつくれますという解答が出せるとすると、だれでもそのようにすればできるわけでしてね」

 

「努力したからうまくいった、と言う人がいるのは構わない。でも自分は違う。努力したから成功するとは限らないと思っている。苦労だって経営者ならしていない人などいないから、自分が特に苦労したとは思わない。振り返ると何となくこうなっていた。運が良かっただけだ。」 

 

 

 ■山内氏の秘話

1992年、米国大リーグ球団シアトル・マリナーズが経営危機に瀕し、移転されることも考えられたが、「長い間米国任天堂を置かせてくれたシアトルへの恩返し」として大リーグ球団をシアトルに留めるため、山内がポケットマネー(株式約240億円)でマリナーズ運営会社の株式を購入。大リーグ史上初の非白人オーナーとなっています。

 

 「飛行機が嫌いだから」という理由で、(オーナーでありながら)、マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドに一度も行ったことがないものの、外国人がオーナーを務めることで波風をたてさせない山内氏なりの配慮だと指摘する声もあります

 

マスコミ嫌いだった山内氏は、テレビに出演することもほとんどなく、本を出版することもありませんでした。多くの偉業を成し遂げたにもかかわらず経団連の入会を辞退し、経営者の集まりにも出席することもあまりなかったため、「謎につつまれた」人物として扱われていました。

 

ただし、京都出身の経営者同士では交流があり、京セラの稲盛和夫さんやダイキンの井上和之さん、村田製作所の村田昭さん。ロームの佐藤研一郎さんなどと親しかったといわれています。これらの会社の特徴は、京都に根差した会社でありながら、世界でも有数の技術やイノベーションを担った会社であるという点です。伝統産業のイメージが強い京都ですが、新しいものを取り入れることに積極的な一面もあります。そんな商いに長けた京都のもう1つの潮流を山内氏自身、楽しんでいたのかもしれません。

 

盛者必衰の歴史に彩られた京都に育った山内氏。

周囲のひとから「組長」といわれた豪快な人柄にくわえ、経済評論家やマスコミの小言に一切耳をかたむけない逆張り経営は、なかなかできることではありません。

 

任天堂の社名は「運を天に任せる」から由来しています。

そして山内氏座右の銘は、『失意泰然、得意冷然』。この意味は、運に恵まれない時は、慌てず泰然として構え努力せよ。恵まれたときは、運に感謝し、冷然と努力せよと解釈できます

 

運も実力・・・ 運こそが実力。

山内氏の歩みのなかには、「必然」にも似た「運」をひきよせるたくさんの知恵が詰まっているのではないでしょうか?

   

   

 

 

 

 

 

 

■世界中が熱狂『ポケモンGO』の世界

 

2016年7月6日に米国・オーストラリア・ニュージーランドで配信開始となったスマートフォン用AR(仮想現実)モバイルゲーム。開発・発売元はNiantic,Inc.(ナイアンティック)で、株式会社ポケモン、任天堂株式会社などがパートナーとして参加している。株式会社ポケモンによるゲームソフトシリーズ「ポケットモンスター」の世界観そのままに、スマートフォンのカメラと画面を用い、街や公園などの現実世界を舞台としてポケットモンスターを探し捕まえ戦うなどする体験型ゲームとなっている。同年7月14日までに、すでに販売地域では爆発的人気を得ており、墓地などが敷地内で同ゲームをしないよう要請するなど社会現象化している

 

 

■ポケモンとは?

 

1996年2月27日、ちょうど20年前。任天堂のゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が発売された。以降、『ポケモン』は世界的な巨大コンテンツに成長し、後進にも多大なる影響を与えた。これまで、ポケモン関連ソフトの累計販売数は全世界で2億7700万本以上、他のメディアやグッズを含めると、その市場規模は約4兆6000億円にものぼる。20年を経た今でも人気が衰えず、ユーザーの世代交代にも成功したポケモンのコンテンツ力、そして日本のキャラクタービジネスに与えた影響力を検証していきます。

  

アメリカで日本の文化の侵略とと言われ問題を醸しだしたコンテンツがポケットモンスターです。人気アニメ「サウスパーク」ではパロディにされて日本人が白人を洗脳させるという場面が出てくる程です。 

  

 なぜアメリカで日本の文化の侵略と言われたかというとスーパーマリオ他のコンテンツより日本的な要素がたくさん入っていることが問題でした。その一方で全世界的にヒットしたのも事実で、任天堂とテレビ東京はポケットモンスター一つでハリウッドのヒット作品十五作品に換算される利益を短期間に稼ぎだした言われています。

 

そして2016年には『ポケモンGO』が発売。

その勢いは、いまもとどまるところをしりません。

 

 

「収集・育成・交換・対戦」という画期的なシステムが子どもたちのライフスタイルをも変えた

 

ポケモンが日本のみならず世界中でヒットし続けている理由は、もちろんそれだけではありません。ポケモンの「収集・育成・交換・対戦」というゲームシステムに、その秘密があります。

 

子どもたちの間では、昔からメンコやトレーディングカードなど、ものを交換して遊ぶ文化がありましたが、そのアナログ的な遊びをデジタルに初めて落とし込んだゲームソフトが、ポケモンです。1996年の『ポケットモンスター 赤・緑』発売までは、友人と一緒に家庭用ゲームで遊ぶというと、基本的には勝ち負けを決める"対戦もの"しか選択肢がありませんでした。しかし、ポケモンはコミュニケーションを前提に、ポケモンを収集し、交換し合うという新しいゲームの楽しみかたを可能にしたのです。

 

加えて、『ポケットモンスター 赤・緑』や、昨年発売となった『ポケットモンスター オメガルビー・アルファサファイア』など、ひとつのゲームタイトルで2つのバージョンを同時発売したことも画期的でした。これにより、異なるソフトを持っているユーザー同士が力を合わせてポケモンを全種類集めようという意識になります。ポケモンを最大限楽しむためには、外に出て誰かと交流しなければなりません。ポケモンをきっかけに、昔のように子どもたちが外で集まって遊ぶというライフスタイルの変化も生まれました。ポケモンはいまや、子どもたちにとっての"必須科目"になっていると私は考えています。

 

世界観の作り込みに関しても、こだわりを強く感じます。ひとつひとつのポケモンやキャラクターに、作り手である原作者の愛情がしっかりと込められている。だからこそ、ユーザーが感情移入できて、愛着が湧くんですね。登場するポケモンのラインナップを充実させればさせるほど、見た目や性質といった特徴の細かい設定がおろそかになることも十分に考えられますが、ここまで徹底的にゲームが作り込まれ、コンテンツ全体としてプロデュースされ続けていることは、スゴイの一言です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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