吉田茂と最期のユーモア

 

 

 

 

 

  「それは君、人を食っているのさ」

 (大磯の別荘にて、長寿の秘訣を聞かれての回答)

 

 

 

吉田 茂(よしだ しげる)

生誕:1878年(明治11年)9月22日

死没:1967年(昭和42年)10月20日)

 

日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。

  

1878年(明治11年)9月22日、土佐自由党の志士・竹内綱の五男として誕生。生後間もなく、実業家・吉田健三の養子となる。

 

1906年に外務省に入省して以来、戦前は外交官として活躍。1936年(昭和11年)、外務省同期である広田弘毅の内閣組閣時には、外相・書記官長の候補にあがるも陸軍の反対で実現しなかった。

 

終戦直後の1945年9月、東久邇宮内閣の外相に就任、続く幣原内閣でも留任した。翌年5月、自由党の党首に迎えられ、第一次吉田茂内閣を組閣。以来、芦田均・片山哲両内閣を挟んで、5期、通算6年2ヶ月(2616日)にわたって首相を務め、戦後復興に尽力した。51年9月にはサンフランシスコ講和条約とともに日米安保条約に調印している。

  

1967年10月20日死去。死後、戦後初の国葬が行なわれた。

 

■「和製チャーチル」吉田茂の実績とは?

 

※AERA 2014年7月21日号より抜粋 

戦後の日本をつくりあげた政治家たちは、時を超えて多くの名言を残している。日本の戦後政治家の筆頭はやはり、容貌や葉巻の好み、ワンマンぶりで「和製チャーチル」とうたわれた吉田茂だろう。

 

戦後、外相に就任した吉田は、敗戦時の総理鈴木貫太郎に教えを請い、こう言われた。 

「戦争は、勝ちっぷりもよくなくてはいけないが、負けっぷりもよくないといけない」

 

戦後処理から憲法制定、講和独立へ。5次にわたる政権を率いて連合国軍総司令部(GHQ)と対峙した吉田の姿勢は、「立派な負けっぷり」に尽きる。

 

吉田の言葉によれば、「言うべきことは言うが、あとは潔く従う」態度だ。このためGHQ民政局からは煙たがられ、野党からは対米協調を批判された。だが吉田はひるまなかった。

 

「権力に左右されるような政治家は、また別の権力が現れた場合には、意気地なくこれになびくものだ」

 

 戦前は外交官として対華21カ条要求に反対論を唱え、戦時中は和平工作に動いて憲兵隊に監禁された。占領期には阿諛追従(あゆついしょう)を嫌った。講和について何通りもの案を準備させ、責任を一身に背負って、独りで日米安保条約に署名した。

 

 多くの批判を浴びながら、吉田が親しまれたのは、ワンマンでありながら反骨、自信家でありながら自らを笑う諧謔(かいぎゃく)精神を保ったからだろう。

 

 吉田はある時、政府統計をもとに、「餓死者が出るから食糧輸入を」とマッカーサー元帥に迫った。「日本の数字はずさんだ」と責められ、こう返した。

 

「戦前にわが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかったろうし、もし完備していたら、勝っていたかもしれない」

 

 

■吉田茂の名言とユーモア

 

外交官としてイギリス滞在歴のある吉田茂は、ユーモアを忘れない人でした。イギリス人にとって気のきいたユーモアは、紳士淑女のたしなみであり、日本人にとっての敬語をきちんと使えることと同じくらい重要なことだといわれています。 

 

ユーモアというものは、人生において、とても大切なものである。様々な人生のトラブルやストレスが、我々の心を暗くする時、ユーモアのセンス次第で、簡単に気分を変えることができます。嫉妬や駆け引きが横行する政治の世界にあって、吉田茂は持前のユーモアで、時に記者団を煙にまき、また世界の要人たちと良好な人間関係を築いていきました。

 

ものの本によれば、ユーモアとは、Human(ヒューマン:人間)が変化してHumour(ユーモア)になったと言われています。「ユーモア」とjは、単なる滑稽なおかしさではなく、人間そのものなのかもしれません。 

 

以下、ネットで拾った吉田茂のユーモア集を紹介します^^

 

  

「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。

 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」

  【昭和32年2月 防衛大学第1回卒業式 吉田茂総理大臣訓辞】より

 

 

寺内正毅が首相に就任する際、寺内の朝鮮総督時代にその秘書官であった吉田は、直接寺内から総理秘書官就任を要請された。しかし吉田は「秘書官は務まりませんが、総理なら務まります」と返答した。

 

ある日会いたくなかった客人に対して居留守を使った吉田であったが、その客人に居留守がばれた。抗議をする客人に対し、吉田は「本人がいないと言っているのだから、それ以上確かなことはないだろう」と言い訳した。

 

昭和39年の宮中園遊会では、昭和天皇が「大磯はあたたかいだろうね」と吉田に呼びかけた。吉田は「はい、大磯は暖かいのですが、私の懐は寒うございます」と答えてその場を笑わせている

 

米寿をすぎたころ、大磯を訪れたある財界人がそんな吉田に感心して「それにしても先生はご長寿でいらっしゃいますな。なにか健康の秘訣でもあるのですか」と尋ねると、「それはあるよ。だいたい君たちとは食い物が違う」と吉田は答えた。

そういった食べ物があるのならぜひ聞きたいと財界人が身を乗り出すと、「それは君、人を食っているのさ」と吉田はからからと笑った。これが吉田がこの世に残した最後のジョークとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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