本居宣長 「もののあわれ」と辞世の句

 

 

 

 

 

『敷島の 大和心を 人 問わば 朝日に匂ふ 山桜花』

 

 

  

本居 宣長(もとおり のりなが)

生誕:1730年6月21日(享保15年5月7日)

死没:1801年11月5日(享和元年9月29日)

 

江戸時代の国学者・文献学者・医師。

 

江戸時代中期、解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。 

 

28才の時、京都から松坂に帰った宣長は医師を開業し、そのかたわら自宅で『源氏物語』の講義や『日本書紀』の研究に励んだ。27歳の時、『先代旧事本紀』と『古事記』を書店で購入し、賀茂真淵の書に出会って国学の研究に入ることになる。

  

日本固有の情緒「もののあはれ」が文学の本質であると提唱した。

 

■誰も読めなくなっていた「古事記」の解読と再評価に成功!

 

  古事記は、日本最古の歴史書です。その序によれば、712年(和銅5年)に太安萬侶が編纂し、元明天皇に献上されています。

 

 『古事記』は、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものです。一般的に「誦習」は「暗誦」することと考えられています。

 

古事記が成立した当時、日本には「ひらがな」がありませんでした。そのため、古代から口伝えに伝えられてきた物語を、変体漢文という特殊すぎる文体で記しています。

 

日本民族のはじまりを記した古事記。しかし書物の存在は、知られてはいたものの、1000年の間に、変態漢字で書かれた「古事記」は、誰も読めない本となっていました。本居宣長の功績は、誰も読めなくなっていた「古事記」を38歳から69歳にまるまでの30年もの時間をかけ、古代の仮名遣いを解読し、1つ1つ読みといていったことです

 

宣長は、中国からの影響をうけた平安時代以降の文章でなく、日本という国のコアな部分をみつけるために「古事記」という素材に光をあてました。その功績は、「古事記」は誰でも読めるものとしただけでなく、宣長の探究心をも刺激し、結果、日本をかたちづくってきた「もののあわれ」という概念で言い表しました。

 

■「もののあわれ」と「大和心」

 

宣長ほど「日本とは何か」を深く、生涯に亘って探求し続けた学者はいません。 

右から行っても左からいっても、「日本人のアイデンティテイ」を探求しようとするならば、かならずその道中には宣長の実績にぶちあたるはずです。

 

本居宣長という人は、日本固有の情緒「もののあはれ」が文学の本質であると提唱し、やがて「大和心」というアイデンティティを発見します 

 

彼の言う 『もののあはれ』とは、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想です。

 

江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教思想に少なからず影響を受けた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学を軽んじる風潮があるなか、本居宣長は「もののあはれ」を発見し日本人の本質にせまる新しい視点を生み出しました。

 

そんな宣長は自身が到達した境地を、たった31文字の句に託しています。

 

『敷島の 大和心を 人 問わば 朝日に匂ふ 山桜花』 

意訳:「日本の 日本人の心は 何と 人に問われたならば 朝日に匂う 山の桜の花のようなものだ 」

 

う~ん分かったような分からんような(*_*)

しかしこのアンニュイな距離感こそが「もののあわれ」と「やまとこころ」かもしれません。

 

宣長の発見した「大和心」は、同時代の知識人たちに多大な影響をあたえ、とくに幕末の志士たちに多大なる影響を与えた吉田松陰は自作の発句で、度々「大和魂」をうたいあげました。

 

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂 (吉田松陰)

 

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 (吉田松陰)

 

 

いさましい言葉が並んでいますが、家訓二ストの考える「もののあわれ」と「やまとこころ」はもっとダンディーです

 

大和魂(やまとだましい)は、外国と比して日本流であると考えられる精神や知恵・才覚などを指す用語・概念。大和心。和魂。儒教や仏教などが入ってくる以前からの、日本人の本来的なものの考え方や見方を支えている精神です。勇壮なイメージが先行しがちですが、宣長自身は、『人の情の感ずること、恋にまさるはなし。』と言っているあたりが面白い^^

 

家訓二ストの「やまとこころ」とは?

夏目漱石が英語教師をしていた時、生徒が "I love you." を「我君ヲ愛ス」と訳した所、「日本人がそんな台詞口にするか。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ。 それで伝わるものだ」と言ったそうです^^ 

 

宣長のおかげで詠めるようなった「古事記」には日本建国の歴史が詰まっています。

そして、おなじく宣長が発見した「もののあわれ」と「やまとこころ」には日本人の本質があるのではないでしょうか?

 

漢文(中国)の影響をのぞき日本の本質を探そうとした宣長、西欧化が進む現代にあって、宣長は今の日本に何をみるのか?

ラインをつかって「月が綺麗ですね」そんな、セリフをいえる若者がいるならば、案外捨てたもんじゃないのかもしれません(ー_ー)!!

 

■宣長の辞世の句と遺言

 

辞世の句

 

今よりははかなき身と嘆かじよ千代の住み家を求め得つれば

  

山寺は花も紅葉も長月の中々によし心ちらねば

 

山にきて終のすみかを定めきて心にかかる雲も晴れにし

 

遺言書 

 

葬儀は菩提寺である樹敬寺で行うが、なきがらはそちらに送らず、伊勢松坂の中心部から二里ほど離れた山室山に夜中密かに葬れ。墓所は宝樹院と山室山の二ヶ所に設けたい。 私は山室山を真の墓だと思ってはいるが・・・・寛政十二年七月