フランダースの犬と辞世の句

 

 

 

 

  

「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ……。

なんだか、とても眠いんだ……、パトラッシュ……」

 

『フランダースの犬』(フランダースのいぬ、英: A Dog of Flanders)は、イギリスの作家ウィーダが19世紀に書いた児童文学であり、美術をテーマとした少年の悲劇として知られる。

 

ストーリーはもともと英語で書かれており、ベルギーではほとんど読まれてない。

原作者の母国イギリスにおいてもほとんど知られていない物語でこの作品が広く読まれて有名なのは日本だけのようです。

 

ちなみには現地にはネロとパトラッシュの銅像が建っており観光地としてにぎわっていますが、それも大挙して泣きにくる日本人にアピールするために建てたそうです(>_<)

 

 

 ■涙腺崩壊 あらためて読む「フランダースの犬」

ネロの唯一の親友は、風車小屋の一人娘である12歳の少女アロア]であったが、アロアの父は家柄の低いネロのことを快く思わず、遠ざけようとする。さらにネロは新しく街から通いはじめたミルク買い取り業者に仕事を奪われた上、風車小屋の火事の放火犯の濡れ衣を着せられ、そしてクリスマスを数日後に控えた日に優しかった祖父を亡くし、楽しいはずのクリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出されることになってしまった・・・

 

クリスマス前日は、街で開かれている絵画コンクールの結果発表日でもあった。倒木に腰掛ける木こりのミシェル老人を白墨で描いた渾身の力作で応募していたネロは、優勝すればきっと皆に認めてもらえるようになるとコンクールに全ての望みを賭けていたが、結果は落選だった。

 

傷心のネロは厳しい吹雪の中、村へ向かう道でパトラッシュが見つけた財布を持ち主の風車小屋に届けるが、それは風車小屋一家の全財産であった。ネロはパトラッシュを一家に託すと再び雪夜の闇の中に飛び出して行ってしまう。財布が見つからずに絶望して帰宅したバース・コジェは今まで行った数々のひどい仕打ちを悔やみ、翌日ネロの身元を引き受けに行くと決心する。さらに翌日には、コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が彼を引き取って養育しようとやって来た。

 

だが、何もかもが手遅れだった。全てを失ったネロは大聖堂へ向かい、パトラッシュもネロを追って風車小屋から大聖堂へ駆けつける。するとこの時、雲間から射した一筋の月光が祭壇画を照らし出し、ネロの念願は果たされると共にネロは神に感謝の祈りを捧げた。かくてクリスマスを迎えた翌朝、アントワープ大聖堂(聖母大聖堂)に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、愛犬を固く抱きしめたまま共に冷たくなっている少年が発見される。

 

貧しい祖父と2人で暮らすネロは、同郷のルーベンスに憧れ、画家への道を夢みていた。しかし、アロアと遊ぶことを禁じられ、おじいさんは亡くなり、放火の疑いをかけられて仕事も失い、住んでいた小屋を追い出され、すべての望みを託した絵のコンクールにも落選。ついには、ルーベンスの絵の前で、愛犬のパトラッシュと共に力尽きる。

 

ネロの最期の言葉は「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ……。なんだか、とても眠いんだ……、パトラッシュ……」というものだった。

 

■日本人しか泣かない? 「フランダースの犬」の秘密とは

 

いざ内容を読んでも、海外だけでなく怒りさえ覚える受け入れがたいストーリーです。

 

その理由についてはネロのキャラクターと言われています。欧米では子供を早い時期から一人前扱いし、自立を促す傾向が強いく15歳になっても運命に翻弄されるだけネロは受け入れがたいとも言われています

 

ヨーロッパ人の感覚ではネロはもう充分に自立すべき、っていうか、セントバーナードは貧乏人が飼う犬ではないと感じるのは僕だけでしょうか(ー_ー)!!

 

地元ベルギーの方たちは ”子供一人を空腹で亡くすような残酷なことを私たちは決してしない” といった批判的な意見さえあり物語が悲劇のまま終わってしうのも欧州の人々には共感が得られなかったようです

 

むごすぎるアニメは「世界名作劇場」のなかで描かれました、当時、テレビにかじりついてみていた家訓二ストですが、かわいそうすぎるストーリーに最終回の描写には記憶がありません。子ども心に物語を封印してしまったのかもしれません(>_<)

 

 

原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」としか映らず、評価されることはなかったようです。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられています。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされており、興味をもった現地の映画監督により、3年をかけて謎の解明を試みられ、資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」であると結論づけられました

  

 

■日本人が『フランダースの犬』に感動するワケは「滅びの美学」?

 

家訓二ストの考える「フランダースの犬」で日本人が泣く理由は、「滅びの美学」だけでなく、「判官びいき」の要素や、そして「至誠天に通ず」といった日本人がもつメンタリティーに根差すものと考えます。

 

とくに、「もののあわれ」の精神が一番近い理由とあげます。

もののあはれとは、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされ、日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想です

 

あまりにかわいそうなネロの悲劇。でも、教会での最期の場面をふりかえってみれば、死にゆくネロは、一片の恨みも、そして後悔もないことが分かります。なおかつ見たくてしょうがなかった「ルーベンスの絵」の前に立つことになり、幸せな気持ちにさえなっています。

 

アニメでは、天にめされたネロとパトラッシュを、たくさんの天使たちが祝福します。

悲劇とは周り(視聴者)がきめること、案外ネロ本人は、幸福なまま決められた運命をいきただけなのかもしれません。

 

グローバルスタンダードと言う言葉が飛び交う現代にあって、「フランダースの犬」で泣かないようなグローバルなら、鎖国して結構(ー_ー)!!

失われつつある「やまとこころ」は、どっこいまだまだ生きています。本当の意味で死ぬということは誰にも忘れられてしまうこと。ネロとパトラッシュは、本国(ヨーロッパ)では受けなかったけれど、日本人の心に永遠に生き続けることでしょう

 

っていうか、ブログを書いてるだけで、涙でそう・・・ (T_T)