佐久間象山 辞世の句

 

 

 

 

 

 

 

「時にあわば 散るもめでたし 桜花」

(辞世の句)

 

 

 

 

佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)

生誕:文化8年2月28日(1811年3月22日)

死没:元治元年7月11日(1864年8月12日)

 

江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。

 

松代藩士の佐久間一学の嫡男として生まれる。初め儒学を、のちに蘭学を学ぶ。藩主真田幸貫の命で30代前半から西洋兵学を学び、特に砲術に通じる。西洋真伝砲術の私塾の門下には勝海舟、吉田松陰、橋本佐内らがいる。西洋の技術を積極的に導入するよう主張、殖産興業にも尽力するが、元治元年(1864)京都で尊王攘夷派に暗殺される。享年54。

 

象山には“大法螺(おおぼら)吹き”とか“山師”といった批判もあった反面、非常に見識のあった人物として知られています。

  

安政元年正月、ペリーが和親条約締結のため二度目に日本に来たとき、象山は横浜で応接所の警護の任にあたっていて、たまたま、ペリーが松代藩の陣屋の前を通り、軍議役として控えていた象山に丁寧に一礼したことがあったという。日本人でペリーから会釈されたのは象山だけだというので、当時、語り草になった。これは象山の風采が堂々としていて、当時の日本人としては異相の人だったことを物語るエピソードがのこっています 

 

 

■東洋道徳 西洋芸術 精粗遺さず 表裏兼該 因りて以って 民物を沢し 国恩に報いん

 

 

(意訳)東洋の精神文化や儒学、西洋の物質文明や科学などの両方を兼ね備えてこそ完全な力となって国力や国民生活を潤おすことが出来る。

 

数々の実績をのこした象山にあって後世に遺した一番の財産は、門下生の育成でした。

 

江戸後期の教育は、師匠と弟子の一対一が基本であり、また内容も門外不出というのが原則でした。そんな中象山は、自ら得た知識を隠すことなく、また身分の差もいとわず優秀な学徒たちを私塾に招き入れます。既に天下に名を知られていた象山先生の下には多くの門下生が集いました。

 

門下には、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、橋本左内、河井継之助、などなど幕末の超ビッグネームが並びます。

ちなみに、勝海舟の「海舟」は象山先生が自分の書斎に手書きの「海舟書屋」という額を飾っていたことに由来するそうで、象山先生は勝海舟の妹を妻に迎えるほど二人は深く交流していたといわれています。

 

門弟の吉田松陰がひらく松下村塾は、象山の開いた私塾をモデルとして運営されており、維新をになった新政府、幕閣、いずれにも弟子、そして孫弟子にあたることがわかります。

 

佐久間象山の五月塾で学んだ著名な門下生

    吉田寅次郎(松陰)・小林虎三郎・勝麟太郎(海舟)・坂本竜馬・橋本左内

    武田斐三郎・河井継之助・山本覚馬・加藤弘之

  五月塾への来訪者 西郷隆盛

  高義亭への来訪者 中岡新太郎

弟子の吉田松陰の松下村塾で学んだ著名な門下生

    伊藤博文・高杉晋作・山縣(半蔵)有朋・久坂玄瑞

 

ちなみに、象山をあやめた犯人の2人は長州藩の藩士品川と、松浦。また蛮行の裏では松陰の弟子である桂小五郎の指図があったと指摘する歴史もいます。親の心、子知らず。日本の宝ともいえる松陰の師を、その弟子たちが命を奪ったのです。

 

品川という、松陰が生んだ鬼子ともいえるテロリストは、佐久間象山という巨人が日本にとってどれだけかけがえのない知性だったか、象山の死がその後の日本にとってどれだけ大きな損失であったのかなど、認識する能力のかけらも持っていなかったのだろう。

 

なお、品川弥二郎は後に内務大臣となり、1891年の日本最初の衆院選挙において警察力を動員して自由民権派を落選させようという大選挙干渉を断行し、25人の死者まで発生させたことでよく知られています

また象山に最初の太刀を浴びせた松浦虎太郎は後に司法官僚となり、最後には大審院判事となっている。長州の元勲たちにしてみれば、汚い仕事をさんざんやらせた松浦などには、高官の位を与えて厚遇せざるを得なかったのだろう。

 

長州閥といわれた維新後の体制では、度々こうした身内に甘い人事をくりかえしていきます

象山先生をあやめ、なおかつ大義のかけらもない、長州閥の不誠実さは、のちに大東亜戦争の暗い影をもたらしていくのでした。

 

 

 

■「海防八策」 

 

ペリー来航の10年前、象山が藩主の幸貫に提出した『海防八策』。

国中の誰もが、徳川200余年の太平の眠りに、安寧とする中、象山だけが感じた危機感をリアルにあらわした建白書です。この思想は、象山の門弟でもあった坂本竜馬の「船中八策」に受け継がれていくことになります。

 

藩主の幸貫が、江戸幕府の老中と海防掛に任じられると、松代藩は、最先端の西洋の兵学を学ぶために象山を大抜擢します。

抜擢後、江川担庵の塾に入門して西洋式砲術を学び、幸貫に「国防には外国船の購入と操船技術の習得が必要」という極めて斬新な『海防八策』を提出することとなりました

 

 『海防八策』

 一、全国に砲台を創り、外国の侵略を防ぐ。

二、銅の輸出を止めて、その銅で大砲を創り、諸藩に与える。

三、頑丈な西洋式の船を製造する。

四、外国との対応で不正のないように監視する。

五、海軍を創設する。

六、誰でも教育を受けられるようにする。

七、信賞必罰をしっかりと行う。

八、能力主義による人材登用の制度を確立する。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■大好評発売中!

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063 

 

 

■著者 幡谷哲太郎(はたやてつたろう)

 

経歴 茨城県水戸市生まれ。日本青年会議所「徳溢れる心醸成会議」に所属中に家訓づくりを始める。 家訓づくりを広める活動を「家訓ニスト」と命名し、全国160カ所以上、7,000人の受講者に対し、家訓づくりのセミナーを開催。セミナー後に、「家訓を作り、家族での唱和を実践した」という家庭の100%が、「家族に変化があった」と回答するなど、大きな変化を与えている。 セミナー開催数、受講者数、WEBアクセス数、いずれも日本一の実績(協会調べ)を誇り、自他ともに認める家訓づくりのスペシャリスト。現在は、明るい豊かな社会の実現のため、家訓ニスト協会(仮)を立ち上げ、ノーベル平和賞受賞をめざし活動を広げている