野口英世の言葉

 

 

 

 

 

 

 

 「過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。

なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。」

 

野口 英世(のぐち ひでよ)

生誕:1876年(明治9年)11月9日

死没:1928年(昭和3年)5月21日

 

日本の細菌学者。福島県出身。

 

 

 ■野口英世とは?

日本の細菌学者。黄熱病や梅毒等の研究で知られる。ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、アフリカのガーナにて死去しています。今なおガーナでは、偉人として存在をしられ、日本でもお札の肖像になっています

  

ざっくり野口英世の半生を紹介します

 

①病気の基となるウイルスの発見につとめ、世界中の人から尊敬され、お札にもなった 

②赤ちゃんの時、やけどをし、手に障害をかかえ、いじめられ、不登校になる・・・ 

③母の言葉に奮起し、手の治療をうけ、恩返しのために自分自身が医者になることを誓う

 

偉人にもなる人物は、勉強もスポーツもできるスーパーマンのような幼少期を送っているようない印象がありますが、多くの偉人は、様々なコンプレックスをかかえ、人生と葛藤しています。それは、あなたのそばにいるお子さんと全く同じ環境です。

 

では、普通の子供を「偉人」に成長させたもの。それが「やる気スイッチ」の存在です

野口英世の場合、子供のころにおった手のケガと、お母さんへの恩返しの気持ちが、やる気スイッチの素になっています

 

貧しい環境のなか、いつも愛情を注いでくれた母親と、そんな母親の恩に報いたいという素朴な思いが、世界中で称賛された野口英世の行動力の源になっています。

お母さんは、「自分の不注意で左手を火傷させてしまった」という慙愧の念を持ち続けていました。そのため、「左手の火傷のため、この子は家業(農業)を継ぐことは出来ないのだから、何としても学問で身を立てさせてやらなければならない」と決意し、自らが人の何倍も働くことにより、博士を家事から遠ざけ、勉強に集中させました。

 

家訓づくりの合間に、集まってくれたお子さんを対象に、偉人伝として、野口英世の生涯を紹介したことがあります。集まった子供たちに感想をきくと、こんな答えが返ってきました

 

「野口英世さんの生涯に感動しました。お母さんを楽にさせるために、わたしも勉強してお医者さんになる」 

こんな人になりたい!という素朴な思いが、やる気スイッチをいれる一番の近道です

 

子どもに必要なのは、育児本でなく、手本。

そして、その手本がまっすぐ強くあればあるほど、お子さんの成長もまたまっすぐにのびていきます

 

わが子をお札の肖像にするために? お父さんお母さんの背中をみせていってください

 

野口英世の名言で、こんなメッセージがあります。

過去はかえることはできないが、自分と未来は変えらる

 

最近ではあまり見なくなった「偉人伝」ですが、立派に生きた人物の半生を子ども達に語って聞かせることはすごく大事なことではないでしょうか? 

そして、お手本となる背中は、偉人だけでなく、お父さん、お母さんの背中であってほしいというのが家訓ニストの願いです。お手本となる自分の背中をちょっとだけ意識して、お子さんの成長を健やかに見守っていきましょう^^

 

 

 ■野口英世の業績

 

野口英世の功績とは、様々な病気のもとになる細菌を発見したことです。細菌学の研究者として著名であるが、研究スタイルは膨大な実験から得られるデータ収集を根気強く調べるもの、会津人らしいその作業は驚異的なスピードと正確さをもって行われ、当時のアメリカ医学界では野口を指して「実験マシーン」「日本人は睡眠を取らない」などと揶揄する声もあったという。

 

最初の業績は蛇毒の研究、続いて梅毒の謎を解明し、ノーベル賞候補にもなり、世界でその名をとどろかせることになります。

 

しかし、歳晩期の「黄熱病」の研究では、病原体を発見した(と彼が発表してしまった)が、死後、この業績は否定されます。「黄熱病」の病原体はウィルスだったが、当時は電子顕微鏡がなかったからウィルスを見つけることは不可能だったのが原因です。だから、英世が監修した「黄熱病ワクチン」はアフリカの黄熱病には効果がないものになってしまいました。

そのため、アフリカに黄熱病研究のためにおもむき、本人が黄熱病にかかり、自分の作ったワクチンも効かず亡くなってしまうことになりました。

 

英世の最期の言葉として、「 I don't know (わたしには分からない)」という言葉が伝わっています。

心血を注いだ黄熱病のワクチンの効き目がなかったことに「分からない・・・」と答えた説が有力ですが、家訓ニストの考える最後の言葉の解釈は、「分からない・・・から、実験がしたい、解明をしたい」という研究者の性(さが)から出た言葉なのではないでしょうか?

 

 

■破天荒な私生活ぶりも。。。

    

英雄色を好む・・・との格言がある通り、野口英世の私生活は、放蕩三昧であり、周囲の人に借金を繰り返し、偉人としては?子ども達には見せられない一面も持っていました。

 

とくに、渡米費用を工面するために、結婚詐欺?まがいの手口までつかい、会津の富豪から、結納金を前がり。しかも、アメリカに渡る前に、横浜で豪遊しこの金を散財。そしてしょうこにもなく、再び借金を申し出、才能を信じて金貸しの所へ行き、野口の為に再び留学資金を準備したといわれています

  

その後、婚約者から幾度も婚約履行の催促が来るのに対し、野口からは数年は研究で帰国できないと宣言、その一方で欧州への留学資金を数千円要求するという、なかなかの非道っぷりを発揮しています

 

この後、紹介する名言集がかすむほどのダメ男ぶりですが、ウキペディアや、偉人伝に一切登場しない英世の父親の姿がなぜか脳裡に浮かびます。

彼の業績で多くの命が助かった・・・というのもまた事実。

傑出した人物には、多少の蛮行にも目をつむる・・・そんな大らかさが明治という時代にはありました。・・・婚約詐欺にひかかった女性には気の毒ですが(*_*)

 

 

 ■名言集

 

志を得ざれば再び此の地を踏まず。

  

私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。

 

絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。

 

家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。

 

忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。

  

人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ。

  

誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。

 

過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。

  

この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである。

  

モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人のすぐれた性質であり、たくましい能力でもあるのです。 

 

ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼になしえられる努力が、自分になしえられぬはずがない。

  

人生最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない。

  

人は能力だけでは、この世に立つことはできない。たとえ、立身しても、機械と同様だ。人は能力と共に徳を持つことが必要である。

 

教えに来たのではありません。習いに来たのです。

 

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    凛太朗 (日曜日, 14 4月 2019)

    ください