陸軍大将・乃木希典と日露戦争の意義

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『 武士道とは 身を殺して仁をなすものである。』

 

 

 

乃木 希典(のぎ まれすけ)

生誕:嘉永2年11月11日(1849年12月25日)

死没:1912年(大正元年)9月13日)

 

日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。

 

階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している

 

■昭和天皇の養育係として

 

1908年(明治41年)4月、迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)が学習院に入学すると、乃木は、勤勉と質素を旨としてその教育に努力した。

 

当時、裕仁親王は、赤坂の東宮御所から車で目白の学習院まで通っていたが、乃木は徒歩で通学するようにと指導した。裕仁親王もこれに従い、それ以降どんな天候でも歩いて登校するようになったという。また、後に中曽根康弘が運輸大臣であった時に昭和天皇への内奏で、司馬遼太郎の小説『殉死』に書かれている逸話[注 12]は本当かと尋ねたところ、おおむねその通りであると答えられたという[133]。

 

明治45年(1912年)7月に明治天皇が崩御してから、乃木が殉死するまで3ヶ月ほどの間、裕仁親王は、乃木を「院長閣下」と呼んだ。これは、明治天皇の遺言によるものである。昭和天皇は後に、自身の人格形成に最も影響があった人物として乃木の名を挙げるほどに親しんだ

 

 

■殉死

 

 自決当日の乃木夫妻

  

乃木は、大正元年(1912年)9月10日、裕仁親王、淳宮雍仁親王(後の秩父宮雍仁親王)および光宮宣仁親王(後の高松宮宣仁親王)に対し、山鹿素行の『中朝事実』と三宅観瀾の『中興鑑言』を渡し、熟読するよう述べた。当時11歳の裕仁親王は、乃木の様子がいつもとは異なることに気付き、「閣下はどこかへ行かれるのですか」と聞いたという

 

1.乃木は、1912年(大正元年)9月13日午後7時40分ころ、東京市赤坂区新坂町(現・東京都港区赤坂八丁目)の自邸居室において、明治天皇の御真影の下に正座し、日本軍刀によって、まず、十文字に割腹し、妻・静子が自害する様子を見た後、軍刀の柄を膝下に立て、剣先を前頸部に当てて、気道、食道、総頸動静脈、迷走神経および第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり、即時に絶命した。

2.将軍(乃木)はあらかじめ自刃を覚悟し、12日の夜に『遺言条々』を、13日に他の遺書や辞世などを作成し、心静かに自刃を断行した。

3.夫人(静子)は、将軍が割腹するのとほとんど同時に、護身用の懐剣によって心臓を突き刺してそのままうつ伏せとなり、将軍にやや遅れて絶命した。

 

乃木は、以下の辞世を残した。

 

神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにをろがみまつる

 

うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり

 

また、妻の静子は、

 

出でましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢ふぞかなしき

 

 

■乃木希典の半生とは?

 

乃木希典(のぎまれすけ)は、1849年に生まれ16歳で吉田松陰(よしだ しょういん)心酔し、その師匠である玉木の玉木文之進(たまきぶんのしん)門下に入ります。

 

17歳で長府藩の報国隊に参加し翌年には第2次長州討伐で幕府軍と戦いました。

 

29歳で西南戦争に参加。38歳でドイツへ留学。そして、46歳の時に日清戦争に陸軍少将として参加し、旅順(りょじゅん)攻略に成功します。この旅順という場所が乃木希典(のぎまれすけ)にとっては、切っても切り離せない場所となってきます。

 

日露戦争開戦前、病気を理由に休職していた乃木希典(のぎまれすけ)でありましたが、長州藩の山県有朋(やまがたありとも)と参謀次長の児玉源太郎(こだまげんたろう)により呼び戻され、乃木希典(のぎまれすけ)は、陸軍大将として旅順攻略の為、遼東半島へと向かいます。

 日清戦争時は、あっけなく攻略してみせた旅順。今回も・・・。という期待を背負って乃木希典(のぎまれすけ)は旅順へと向かいましたが、そこはロシアの手によってコンクリート製の強固な要塞へと造りかえられていました。

 

 日清戦争時の正面突破の戦術を試みるも、ロシア軍の反撃に合い、乃木希典(のぎまれすけ)の率いた軍は約6万人の死傷者を出すことになるのです。この旅順攻撃で乃木希典は2人の息子も亡くしています。結局、この旅順攻略は、乃木の友人である児玉源太郎に指揮権を渡し、児玉は見事に旅順を攻略します。

 

 その後、乃木希典(のぎまれすけ)は、59歳で学習院院長に就任。この時には後の昭和天皇を指導しています。

 

 そして、1912年。64歳の時、明治天皇大葬の日に妻 静子と共に自害し生涯を終えました。享年64歳でした。

 

 

■名言集 

 

口を結べ。 口を開いて居るような人間は心にもしまりがない。

 

勉強忍耐は、才力智徳の種子なり。

 

恥を知れ。道に外れた事をして恥を知らないものは禽獣(きんじゅう)に劣る。

  

決して贅沢するな。贅沢ほど人を馬鹿にするものはない。

  

人に教ゆるに、行を以てし、言を以てせず、事を以てせず。

 

 武士道とは 身を殺して仁をなすものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■コロンブス以来の大事件! 「日露戦争勝利」の意義

 

(参照:日本人の覚醒)

http://kabukachan.exblog.jp/19062401/

 

白人国家 VS 非白人国家」での非白人国家の最初の勝利 

陸の乃木、海の東郷と称えられた2人の英雄の導きにより、日本は大国ロシア相手に奇跡的な大勝利を手に入れました

日露戦争での「日本の勝利」は、その後のアジア諸国にどの様な影響を及ぼしたのでしょうか? この点について考えてみます

 

それまで、欧米列強に浸食されていたアジア・アフリカ諸国は、「自分達がどう転んだ所で、欧米列強には敵(かな)いっこない」と諦(あきら)めていました。そこへ、最近までチョンマゲを結っていた極東の小さな島国が、欧米列強の一大国・ロシアに勝利したと言うビッグ・ニュースが飛び込みます。

 

このニュースによって、日本はアジア・アフリカ諸国の「希望の星」になったと同時に、それまで欧米列強には敵わないと諦めていたアジア・アフリカ諸国に「独立」と言う希望を抱かせたのです。又、日露戦争での「日本の勝利」-そのリーダーである「明治天皇」は、第三世界に強烈なインパクトを残しフィンランドでは、「トーゴー・ビール」が発売され、第三世界に次々と新たなリーダーを輩出させていきました

 

以上の様に、日露戦争における「日本の勝利」は日本と言う一新興国の勝利ではなかったのです。この大戦争における「日本の勝利」によって、欧米列強の植民地化や搾取・圧政に苦しんでいたアジア・アフリカ諸国は日本に感化され、それぞれ「独立」への道(独立闘争)を歩みだしたのです。そう言う意味で、大東亜戦争(太平洋戦争)が「東アジア解放戦争」だったとすれば、日露戦争とは「西アジア・アフリカ解放前哨戦」だったと言えるのです。

 

「コロンブス以来の大事件」

有色人種の国家が最強の白人国家を倒した…事実、日露戦争の敗北から十二年後、ロシアの王朝は革命によって倒れた。これも日本に負けなかったら、事情は変わっていたであろう…という事実であり、世界史の大きな流れからすれば、コロンブス以来の歴史的大事件となりました。

 

コロンブスの新大陸の発見が世界史上の大事件であったことを認めない人はいないはずです。

コロンブス以前の世界史では、それぞれの地域で起きた事件が別の地域に影響を与えるということは、ほとんどなかった。

アレキサンダー大王が現れても、それはアメリカ大陸には関係がないし、また、漢の武帝の即位がアフリカに影響を及ぼすということはなかった。

 

ところが、コロンブス以後、大航海時代がおこり、世界中はひとつになった。ヨーロッパで起きた事件でアジアが動くという時代が始まったのである。この歴史の分水嶺から400年間に、世界史で何が起きたかといえば、白人が有色人種の土地にやってきては、それを植民地にするという時代がはじまります。

これに比べれば、その他の事件、たとえばアメリカの独立戦争(1775~83年)も、同じ文脈にそうことになります。それは小さな出来事に過ぎないのではないでしょうか?

 

アメリカが独立しようと、イギリスという国の植民地になろうと、それはあくまで白人同士の内輪もめであって、「世界史」全体からすれば、どちらに転んでもいい話である。インディアンたちにとって、アメリカ大陸の支配者が誰であろうと、白人であるかぎりは状況は変わらない。白人の植民地支配のほうが、ずっと大きな問題だったのである。

 

フランス革命にしたところで、それは白人内部の問題であって、インド人にもシナ人にも、ほとんど影響を与えなかった。また、英仏間の戦争にしろ、当事者には大戦争であっても、世界史の流れから見れば、どうということはない。インドやカナダがイギリス領になるか、フランス領になるかの違いにすぎないのである。

 

日露戦争がなかったら、あるいは日露戦争に日本が負けていたならば、この白人優位の世界史の流れはずっと変わらず、21世紀を迎えようとしている今日でも、世界中は植民地と人種差別に満ちていたであろうということには、豪毛の疑いもない。

 

ところが、日露戦争で日本が勝ったために、コロンブス以来400年ぶりに、世界の歴史の大きな流れが変わったのである。つまり、有色人種が白人の言いなりになりつづけるという時代に終止符が打たれた。それを日本が満天下に示したのであった。

 

そして、時間が経てば経つほど、誰の目にも日露戦争の世界史的意味は大きくなってくるのである。

ふたたび繰り返すが、ここ500年間の世界史の事件で、コロンブスの新大陸発見に匹敵する大事件は、日露戦争における日本の勝利しかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■植民地支配とは?

 

植民地とは、ローマ時代にも見られた占領政策で、とくにコロンブスの新大陸発見以後、西欧列強がこぞってその支配をひろげていきます。初期は搾取型で、金銀財宝を盗んでくることを目的としています。中期には、産業革命によって可能になった工業品を高~く買わせることでお金を吸い上げます。また白人たちは、プランテーションといわれる大型農場を展開するようになり、更に儲けをめざします。農奴となった現地の国々では、教育の機会をうばわれ、自立のための施策は握りつぶされるなか、生かさず殺さずといった、巧妙な植民地経営が100年単位で運営されていくのでした・・・

 

画像は1度でも植民化、あるいは影響下に入った国をぬりつぶした地図です。パープルの西欧諸国が世界中を支配していた状況がよくわかるのではないでしょうか?

 

この時代の象徴的な出来事は、イギリスと清(いまの中国)によるアヘン戦争です。紅茶の原料となるお茶の葉を購入していたイギリスは支払をしたくない故に、アヘンを売りつけることを画策します。怒った中国側が抗議のすえ戦争に突入すると艦隊をおくりつけこれを殲滅、戦いに勝ったイギリスは、香港という植民地を手に入れ、またアヘンの販売を公式に認めさせるに至ります。

 

っていうかメチャメチャ(*_*) 当時、鎖国政策をとっていた日本でしたが、大国と信じていた中国がいとも簡単に翻弄される姿に愕然とし、開国、そして明治維新と、植民地化に対抗することが国是となっていきます。

 

 

 

人気漫画「HUNTER×HUNTAER」で、怪物が無慈悲に人間を殺戮するシーンが登場します。その時、人間はこういいます

 

人間:「助けてください・・・」

怪物:「おまえらは、牛や豚の命を奪う時、その声に耳を傾けることはあるのかい?」っと

 

植民地化された国々では、当たり前のように人権や財産、そして民族のプライドを奪う政策が実行されていきました。

南アメリカでのスペインによる植民地支配は、卑劣を極めるものでした、数億ともいわれる徹底的な搾取と殺戮を基本とし、人口が足りなくなるとアフリカから奴隷を補充するという鬼畜ぶり、のちに殺しすぎるとプランテーションの運営に支障がでることから、生かさず殺さずという施策がとられるようになります。

 

そんな白人さんにとっては天国、そして大多数の有色人種にとっての地獄の時代が約400年間つづいていきます

そして、その理不尽な時代を終わらせる「分水嶺」となったのが「日露戦争」です。分水嶺とは、山の頂で、雨水が異なる水系に分かれる場所のことをさし、転じて、物事の方向性が 決まる分かれ目のたとえです。水の流れは1滴、2滴でも植民地時代を終わらせたた「日露戦争」は、時代をかえる頂だったのです。

 

以下、WEBサイトの投稿から、植民地支配と、日露戦争の意義を改めて検証してみます。

 

(参照:輝きはじめた日本)

http://japan.alowy.com/?p=124

 

今から約百年前のこと、世界は欧米(ヨーロッパやアメリカ)の国々が支配していました。彼らは、主に白色人種(肌の色が白い人種)で、世界中に植民地を持っていました。そして、有色人種(白色人ではない人種)を差別して、奴隷のように扱っていたのです。

 

白色人種のロシアも例外ではありません。1898年、ロシアは満州(中国東北部)を占領しました。次にねらうは、朝鮮半島。そして、その後は、日本です。

 

このまま何もしないでいれば、やがて、ロシアに占領されると思った日本は、1904年2月、ロシアに戦いを挑みました。

これが、日露戦争です。

 

 日露戦争について理解するには、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』を読むことをお勧めします。この当時の日本人全員が、いかに苦労して国のピンチを乗り越えたのかよく伝わってきます。感動します。NHKのドラマにもなりました。しかし、ドラマでは、様々なしばりがあって、作者の言いたいことが伝わりにくく、あまり感動しません。大人になるまでに、是非、原作を読んでみてください。
 

先輩の公野衛教論は、「日本人の必読書だ」と言っていました。わたしも同感です。

さて、この当時の日本は、まだ近代化したばかりで、力の強い国ではありませんでした。ロシアより、ずっと力の弱い国でした。比較すると国のお金も軍隊の力も、ロシアのほうが約十倍も上回っていました。

 

まるで、大人と子供です。

みなさん、日本は、こんな強い相手に戦いを挑んだのです。

無謀だと思いませんか?

世界中の人々が、ロシアの勝利を予測しました。

そして、思いました。

「日本は、戦争に負けてロシアの植民地にされるのか」と。

 

しかし、少ない資源を有効に活用し、智慧を叡智を結集し、奇跡ともいえる勝利を実現したのです。

 

★20世紀に入る頃の白人による植民地支配は、

 次のような状況になっていました。

  

南米大陸 (南アメリカ大陸)

  ポルトガル、スペインが支配

 

北米大陸 (北アメリカ大陸)

  イギリス、フランスが支配

  途中でアメリカが白人国家として独立

 

アフリカ大陸

イギリス、オランダ、フランス、ベルギー、ポルトガル、

スペイン、ドイツ、イタリアが支配

 

オーストラリア大陸

  イギリスが支配

 

中東アジア

  イギリスが支配

 

東南アジア

  インドネシアはオランダが支配

  マレーシアはイギリスが支配

  アメリカはフィリピン、ハワイを支配

  フランスはベトナムを支配

  イギリス、ドイツ、フランスでミクロネシア諸島を支配

 

極東アジア

  イギリス、フランスで中国を分割支配

  ロシアは満州を支配

 

上記の通り、地球上にある陸地は、ほぼ全てを白人が支配した状況になっていて、

最後の最後に残っていたのは、極東の日本と朝鮮半島だけでした。 

 

日本を植民地にすれば、白人による世界支配は完了だったと指摘する声があります。ギリギリのところで踏ん張った日本、そして日露戦争後、植民地は1つも増えていません。そして、圧政に苦しんだ世界の国々は次々と独立を果たしていきます。世界史に分水嶺があるとするならば、1つはコロンブスによる新大陸の発見、そしてその流れを変えたもう1つの峰は、日露戦争の勝利、すなわち有色人種による初めての勝利であったと断言できます