ブータン国王のメッセージと日本との絆

 

 

 

 

 

 

 「人は、経験を糧(かて)にして、強くなることができるのです」

  

 

ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク

生誕:1980年2月21日

 

第5代ブータン国王。学位は政治学修士(オックスフォード大学モードリン・カレッジ)。名誉学位として慶應義塾大学及びタイ王国ランシット大学(タイ語版、英語版)名誉博士号を保有。日本語の表記では「ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク」とする場合がある。ブータンで現行の50・1000ニュルタム紙幣に肖像が使用されている。

 

ブータンで基礎教育を受けた後、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のフィリップス・アカデミー、クッシング・アカデミー(英語版)、ウィートン・カレッジ(英語版)に学び、イギリスのオックスフォード大学のモードリン・カレッジにも留学しており、同大より政治学修士号を取得している。父王と同様にインドへの留学経験もある。そのため、母国語のゾンカ語の他に、英語とヒンディー語が話せる

 

 

 ■福島の子どもたちへのメッセージ

自分の「龍」を育てよう

 

皆さんは、龍を見たことがありますか? 

私はあります。王妃もありますね。 

 

龍は何を食べて大きくなるのかを知っていますか? 

龍は、経験を食べて大きく成長していくのですよ。

  

私たち一人ひとりの中に「人格」という名の龍が存在しているのです。 その龍は、年を取り、経験を食べるほど、強く、大きく、なっていきます。 

人は、経験を糧(かて)にして、強くなることができるのです。

 

そして何よりも大切なことは、自分の龍を鍛えて、きちんとコントロールすることです。 

この「龍」の話を、私がブータンの子どもたちにする時には、同時に、「自分の龍を大切に養いなさい、鍛錬しなさい」 

ということを言っています。

 

わがままを抑えることや、感情をコントロールして生きることが大切なのです。

 

※東日本発災後、福島に慰問に訪れた国王が子ども達との交流のなかで語ったメッセージ

出典 『ワンチュク国王から教わったこと』ぺマ・ギャルポ(著

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■最後の秘境 ブータン王国とは?

 

南アジアの国家。北は中国、東西南はインドと国境を接する。国教は仏教(ドゥク・カギュ派)。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。 

 

  長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国連加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用し、開発独裁につなげた。国連加盟諸国のうち、第二次世界大戦以降、アジア諸国で対外戦争や内戦・動乱を経験していない国はこのブータンと日本の二か国だけである

 

 

GDPでなくGNH(国民総幸福量) 

(参照:ブータン政府観光局)

http://www.travel-to-bhutan.jp/about_bhutan/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E9%87%8F

  

これまで、世界中の経済学者が、幸福になるためには物質的な発展を遂げることが必要だと言ってきました。しかし、ブータンは物質的な成長を積むことが必ずしも幸福と結びつくわけではないと主張し、これまでの説とは別の方法で考えようとしてきました。ブータンは、これまでの概念に対して、その発展の度合いを測るのにGDP(Gross Domestic Product/国内総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness/国民総幸福量)を使っています。 

 

第三代国王のジグミ・ドルジ・ウォンチュック陛下は、発展のゴールは『国民の繁栄と幸福』であるという考えを表しました。1971年にブータンが国連に加盟した際の国王のスピーチでは、『繁栄と幸福』が強調されました。この考えは、第四代国王のジグミ・シンゲ・ウォンチュック陛下がさらに練り上げ、彼は国王に就任した年に『我々の国の方針は、国や国民の為に経済的独立、繁栄、幸福を実現し国をまとめることだ』と語りました。

 

繁栄と幸福、両方が強調されていますが、幸福の方がより大切だとされています。第四代国王は、ブータンにとってはGDPよりもGNHの方が重要だと強調しました。GNHは今や世界中の様々の分野の専門家、学者、政府関連機関によって具体化されてきています。

 

第四代国王は、国家の問題が経済成長だけに特化されることを心配し、ブータンで優先するべきなのはGDPではなくGNHだと決めました。そして、国の発展の度合いをGNHで測ることを提唱しました。彼は、豊かであることが必ずしも幸せではないが、幸せであると段々豊かだと感じるようになる、と言っています。一般的な発展が、経済成長を最終目的として強調するのに対し、GNHの概念は、人間社会の発展とは、物質的な発展と精神的な発展が共存し、互いに補い合って強化していったときに起こるものだ、という考えに基づいています。

 

 更に、GNHのコンセプトにより、国家は発展すると同時に、人生哲学の核として幸福を促進することができるようになりました。政府から見ると、GNHは自給自足や貧富の差の減少を促し、政治を良くし、国民を強くしてきたのです。 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■国会でのワンチョク国王の演説 

 

・「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ日本」

 

・「ブータン国民は、常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を心から分かち合ってきました」

 

・「日本は、当時外国の植民地であったアジアに自信と進むべき道への自覚をもたらし、以降、日本に続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くのアジアの国々に希望を与えてきました」

 

・「日本は、過去においても現代においても、世界のリーダーであり続けます」 

 

・「このグローバル化した世界において日本は、技術と革新の力、勤勉さと献身、強固で伝統的な価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです」  

  

 

 

 

 

    

「この国は貧しい。しかし人それぞれが幸せに思える国になってほしいと願いを込めて、私が持っている農業の知識をブータンの人々に教え続けた28年間は無駄ではなかった」

 

 

西岡 京治(にしおか けいじ)

生誕:1933年〈昭和8年〉2月14日

死没:1992年〈平成4年〉3月21日)

 

海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者、植物学者。ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれる。

 

農業指導により貧しかったブータンは農業王国の道を歩むようになった。ブータンでは西岡は英雄とされている。国王は日本の西岡を尊敬し、民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」を授け、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となった。西岡は平成4年、日本に帰国する前に、敗血症になり、ブータンで死去。ブータン国王は国葬を行われています

 

 

■ダショーと呼ばれた男

ダショーとは英語のベストを意味し、「最高に優れた人」という意味である。これは県知事や最高裁判所の判事クラスしかもらえない称号で、ブータンでは最も栄誉がある顕彰です。

  

当時、ブータンはほぼ鎖国状態にあったが、西岡氏は稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、現地に溶け込んで粘り強く指導を重ね、2年の任期が終了した後もブータンにとどまり指導を続けました。初めは、農業局の役人たちも半信半疑で見守っていたが、西岡氏は「収穫高」という目に見える成果を上げ続けることで、徐々にブータン人に受け入れられ評判になっていきます。やがて、首都ティンプーの西にあるパロ盆地で導入した並木植えによるコメ作りが広く普及し、一気にブータン農業の近代化を推し進めることになりました。

  

西岡氏の貢献は、農法だけにとどまらず、食生活の改善、架橋による流通の促進、地域開発にまで及んでいます。  

西岡の考えは、「身の丈に合った開発」である。いたずらに莫大な費用をかけるのはよくない。自分たちのやれることは極力自分たちの手で行なう。最小の費用で最大の効果。西岡の信念である。

 

たくさんの吊り橋は、籐だと数年毎に架け替えなければならないので、コンクリート製の橋を作るのではなく、耐久性に優れたワイヤーロープを取り寄せつり橋を作ることを提案、費用も安くつくし、地元のつり橋架橋技術も生かされようになります。これで17本のつり橋が新しく作り変えられました。一方、農業用水は塩化ビニール製のパイプや竹を利用しています。合計360本もの水路が完成したという。彼らの手で新たに作られた道路は、全長300キロメートルにも達しているそうです。

 

 西岡が指導を行うようになりシェムガン県に開いた水田は60ヘクタールに及びました。それまで水田は1.2ヘクタールしかなかったので、なんと50倍に拡大したことになります。荒れ果てた未開の地が、毎年3万トンの米がとれ、野菜や果物も収穫できる豊穣の土地に生まれ変わ、生活も安定し、子供たちが学ぶ学校もでき、診療所もできたのです。

 

「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」という「老子」の教えは、まさに西岡のためにある言葉ともいえそうです。

 

日本とブータンの絆を深めた西岡氏の半生と偉業に感服するばかりです。