イギリス王室 「君臨すれど統治せず」

 

  

『君臨すれど統治せず』

(イギリス王室の家訓)

 

ジョージ1世( 1660年5月28日 - 1727年6月11日)

終生、英語が苦手であった王様は国政に興味をもてず議会に権限を丸投げしてしまいます。結果、議会を束ねる長が、国政を司り、国王は信認だけをするスタイルが編み出されました。いまでいう議会制民主義の誕生です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■イギリス王室とは? 

 

イギリス王室とはイギリスの国王とその家族・親族(王族)で構成される集団です。少し意外と思われるかもしれませんが、王族の範囲に関する明確な定義はなく、必要に応じて王族の範囲は広げられます

 

現在のイギリス国王はエリザベス2世です。1952年の女王即位後、半世紀以上にわたり、「国民に親しまれる王室」をめざし、現在も積極的に公務を行っており、また国民からの人気も高く、イギリス国内でも退位せず最後まで女王でいてほしいという声が多く聞かれます。またエリザベス2世はイギリスの国王のみならず、イギリス連邦王国16カ国の君主でもあり、54の加盟国からなるイギリス連邦及びイギリスの王室属領と海外領土の元首でもあります。そしてイングランド国教会の首長でもあります。

 

エリザベス女王の個人財産は5億ドル、所有する不動産価値は100億ドルと言われています。また日本人観光客にも有名なロンドン中心部のリージェントストリートもイギリス王室の所有地で、ストリート沿いの店舗からのテナント料の収入があります。なお、イギリス本国の海岸線の土地55%が王室の所有地であり、風力発電会社に貸し出しをしています。 政府からの王室費52億円が2013年4月から支払われなくても生活に問題が無く、ロンドンの一等地を所有する大家さんとして、国家(議会)からも独立し経済的にも尊厳を守る存在です

 

 

「イギリス王室御用達」と聞くと、とても格式の高いイメージがあるかと思います。もちろん適正な審査を経て選ばれた個人、企業に与えられる称号ですが、バーバリーやハロッズ、ウエッジウッドなどの高級店、高級ブランドのみならず、庶民的なお菓子や日用雑貨にも多く与えられており、現在800の企業と個人に与えられています。またイギリス王室御用達は許可制であり、王族個人それぞれが気に入った製品の生産者に対して、御用達リストに加える旨の申し出がされ、これに応じた生産者が王室御用達を示す紋章をつける権利を得ることになります。なお、御用達リストはそれぞれ5年毎に見直しされ、取り消しされることもあります。日本でイギリス王室御用達として有名なハッロズも実は度々取り消されたり返上したりしています。

 

 

■エリザベス女王のエピソード

1952年に即位して以来116か国を訪問したそうですが、どこの国へ行くにもパスポートを必要としていません。

 

他国へ入国する際にはどんな手続きを踏むかと言うと、女王を名乗るだけでいいそうです。

 

そもそもイギリスのパスポートは、女王の名の下に発給されることから、女王自身がパスポートを持つ理由がないと説明されていました。

 

ある国で入国管理の職員から、パスポートの提示を求められた際、女王はこんな対応をされたそうです・・・

 

職員:「パスポートをお持ちでないのですね。では何らかの身分証明書をお持ちですか?」

女王:→1ペニー硬貨を見せる。(硬貨には女王の肖像が彫られています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■英語の話せない王様が民主主義の原型をつくる!

 

「君臨すれど統治せず」(イギリス王室の伝統)をつくったのがジョージ1世( 1660年5月28日 - 1727年6月11日)です

しかしこの王様、終生、英語が苦手で、おまけに故郷のドイツに帰ったきりイギリスには戻りません。王様の不在に国政は滞り、これを打開する策として、議会を束ねる長が、国政を司り、国王は信認だけをするスタイルが編み出されました。いまでいう議会制民主義の誕生です

 

17世紀、スペイン継承戦争で成果を上げ、フランスのルイ14世の野望を阻止した女王アンでしたが、彼女には跡継ぎがありませんでした。そこでジェームス1世のひ孫でドイツ連邦の一国、ハノーファー公国選帝候のゲオルク・ルートヴィヒ(ゲオルク1世)に白羽の矢をあて国王としてイギリスに招きます。

  

ゲオルク・ルートヴィヒは女王アンの夫の従兄弟でもあったのだが、グレートブリテン王に即位し、ジョージ1世と名乗った。

しかし即位時には、すでに50を超えた高齢であったし、イギリスを留守にすることが多く、殆どドイツにへ戻ってしまいました。

 

■民主主義とは?

 

民主主義は最低の制度だ、だがそれしかないのも事実だ(イギリスの首相・ウィンストン・チャーチル )

これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。-ウィンストン・チャーチル の演説より

 

国王の独裁による政治が続いていた中世、市民の権利は奪われ、思いつきや根拠のない重税や、戦争が繰り返され、国、とくに市民の倦怠感は半端ないものでした。しかし、イギリスで誕生した「君臨すれども統治せず」という新しい政治形態は、国民の側、そして王族にとっても、幸福な関係をつくっていきます

 

日本の天皇家も、「君臨すれど統治せず」という政治形態を積極的に選んできたことが知られています。

イギリスからさかのぼること約1000年。平安時代には、天皇家が実質的な政治、行政を手放し君臨していたことが分かります

 

英語が話せないジョージ1世の丸投げ体質が、イギリスに首相と内閣をうみ、政治を任せっぱなしたことで、民の声が国政に反映し国力が増します。

その後まもなく、イギリスは産業革命の波になり世界中に植民地をひろげ空前絶後の大帝国をきづくことになるのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■太陽が沈まない国。大英帝国

 

地図は大英帝国の最盛期の世界地図です。世界中に植民地を持っていたことが分かります。

そしてアメリカも元々は植民地であったことを加えると空前絶後の大帝国をきずいていました。

 

大英帝国は、その全盛期には世界史上最大の面積を誇る帝国であり、唯一の超大国とも呼べる地位にありました。その最盛期は、第一次世界大戦終結から第二次世界大戦までの間は、アメリカ合衆国とともに超大国でした。ただし第二次世界大戦後にはイギリスは超大国の地位から陥落し、各植民地が独立してイギリス連邦が発足しています

 

オランダに対しては17世紀後半に3次にわたる英蘭戦争を戦って勝利し、フランスに対しては17世紀後半から19世紀初めにかけてファルツ継承戦争、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争のヨーロッパ・北米の両大陸にまたがる一連の戦争を戦い、七年戦争の結果がアメリカとインドでの植民地獲得競争での勝利を確定的とした。

 

これにより、「太陽の沈まない国」が実現しています

 

ヨーロッパの辺境に位置するイギリスは元来、国力が乏しくまた厳しい風土もあいなって、小さな小さな国でした。

しかし、数千年にわたり森林伐採をつづけ丸裸になった国土にあって、暖をとる石炭の需要が高まり各地で採石がはじまります。そしてイギリスの発明家であるトーマス・ニューコメンは、鉱山の排水の問題を解決するために1712年に、鉱山の排水用として蒸気機関を完成させます。

以後、蒸気機関は、鉱山への利用だけなく、鉄道や織物などあらゆる動力として活用されていきます。

 

イギリスが大きな植民地をもつようになったのは、いちはやく産業革命に成功し、武力でも17世紀の世界三大強国のうちの二つのインド・中国から、膨大な利益を吸い上げることで、世界最強の大英帝国を長期に渡って維持していくことになります。  現在、イギリスの人口は6000万人程度ですが、インド・中国の合計人口は25億以上。 19世紀においてはこれよりはるかに人口が少なかったとはいえ、当時の世界人口の半分ほどを占めるインド・中国の数億の人々に、産業革命によって安価に生産できるようになった物資を売りつけることで、人口2000万人程度のイギリスが、大きな利益を吸い上げていくことになりました

 

アヘン戦争など、今考えてもメチャメチャな戦争をしかけ暴力と恫喝で富をうばい、なおかつ、女王の尊厳はまもり、支配していた国民から尊敬されちゃうっというのがイギリス流の支配の見事さです^^

 

必ずしも暴力だけでなく、文化的に支配を広げていたイギリスの植民地支配には、イギリス王室の持つ、歴史とまたしたたかさを発揮した結果なのではないでしょうか?

 

イギリスが世界に植民地をひろげ、太陽の沈まない帝国をきずいたことで、英語を話す人は、世界の人口の25%。18億人と推計されています。第二次世界大戦後、多くの国が独立を果たした今も、人々は英語を話し、そしてエリザベス女王は尊敬のまなざしを集めています

英語が話せなかった王様ジョージ1世が撒いた民主主義の息吹は、18億人もの英語をはなす人々をつくりだしました

ちなみに、幡谷はジョージ1世と一緒で、英語が苦手です(*_*)