ハクスブルク家 「家訓」

 

 

 

 

ハクスブルク家「家訓」

『幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ』

 

 

 

 

 

古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国(オーストリア公国)、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系となった。また、後半は形骸化していたとはいえ、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)の皇帝位を中世以来保持し、その解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占したため、ビスマルクによる統一ドイツ帝国から排除されるまで、形式的には全ドイツ人の君主であった。ヨーロッパ随一の名門王家と言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ハクスブルク家「家訓」とは?

 

「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」

の家訓が示すとおり、ハプスブルク家は婚姻によって所領を増やしていきました。画像は繁栄の礎をつくったカール5世時代のハクスブルク家の領地です。もともと小さな領地をもつ地方の豪族にすぎなかった一族が、戦争もせず、そして周りに推挙される形で、あれよあれよと、ヨーロッパ随一の名門の座に上り詰めました

 

現在も、最後の皇帝カール1世の子孫は婚姻によりベルギー、ルクセンブルクの君主位継承権を保持しており、それによって将来一族が君主に返り咲く可能性があるそうです。

 

日本でいうと藤原氏のような点線をたどっていることがわかります^^

ちなみに、中臣鎌足からはじまる一族は、天皇により「藤原」の名を下賜され、中世の日本の政治を担いました。藤は綺麗な花ですが、自立できず、他の木や、藤棚に絡みつくことでその命脈を保つ植物です。

 

ハクスブルク家も、ヨーロッパの歴史にからみつく、大きな藤棚だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリア・テレジア (独: Maria Theresia,)

生誕:1717年5月13日

死没:1780年11月29日

 

神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ボヘミア女王(在位:1740年 - 1741年、1743年 - 1780年)で、ハプスブルク君主国の領袖であり、実質的な「女帝」として知られる。

 

個人的には、当時の王族としては珍しく、初恋の人である夫フランツ・シュテファンとは恋愛結婚で結ばれ、夫婦生活は非常に円満だった。結婚の4日前にフランツにしたためた手紙が現在も残り、未来の夫への情熱的な想いを今に伝える。この手紙はラテン語やフランス語などの様々な言語で書かれ、彼女の教養の深さを窺い知ることができる。フランツは時折他の女性と浮き名を流すことがあったが、政治家として多忙な彼女はそれらをすべて把握した上で目をつむった。また、夫が亡くなると、彼女はそれまで持っていた豪華な衣装や装飾品をすべて女官たちに与えてしまい、以後15年間、自らの死まで喪服だけの生活を送ったと言われる。

 

■幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ

 

政略結婚により領地を増やしていったハクスブルク家にとって、一族の最盛期をになった女王こそが、マリア・テレジアです。家訓にあるとおり、一族をもりたてるため、多忙な政務をこなしながら、フランツとの間に男子5人、女子11人の16人の子供をなしています。彼女の子息のなかには、フランス革命で命を落とすことになるマリー・アントワネットも含まれており、ヨーロッパの歴史をになったビックマザーです^^