「ながらスマホ」と二宮金次郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■そこじゃない感が漂う金次郎像の撤去のお話

以前は、どこの小学校にでもあった二宮金次郎の銅像。現在では、「歩きながら本など読んだら危ないじゃないか!」といった話も出てきて、「ながらスマホを助長するだけだ!」との声もあり、銅像を撤去したり、座りながら本を読む二宮金次郎の銅像なども登場しているそうです。もっともな、意見ですが、問題はそこじゃない?っと違和感を覚える人も多いのではないでしょうか たとえば公園や駅前にある芸術的な像はだいたい裸です。服をきろ!という視点でいえば、これも撤去の対象になりえます。クレーム社会の混乱を象徴する事例です。

 

そもそも、なんで全国の学校に、金次郎の銅像があるのか? そして二宮金次郎って勤勉で有名ですが、どんな生涯を送ってきたのかご存知でしょうか 歩きながら本を読むか読まないかの議論の前に、金次郎の遺徳について学ぶ必要がありそうです。

 

■なんで勉強をするのか?答えが見えない現代の教育

子育て中の お母さん、お子さんから「なんで勉強するのか?」と聞かれて困った経験はないでしょうか。予想される返答は「あなたが困るからよ!」とか「いい大学に入るためよ」とかでしょうか?

 

実は子供たちの疑問はもっともなもので、教育の現場では何で勉強をするのか? 明確な答えは教えてくれません

無機質な数字や、意味のわからん暗号や呪文を丸暗記しても忍耐力は身に付きますが教育とはもっと尊いものです。

 

江戸時代の寺子屋では、「論語の素読」に代表される古典のなかに、人として生きる道を指ししました

また明治には義務教育がはじまり、偉人伝などを通じ、人から人を学ぶ教育が施されています

 

勉強するためには「動機」が必要です。そしてこの動機が強いほど、立派な人間になることができます。

「なぜ勉強をするのか」、昔の人は「立派な人」になるためだと答えていたそうです。

では、何をもって立派なのか・・・ この問いに、幡谷は、「人のために生きれる人」という定義をしています。人々を助けるような大発明をする立派な人です。また偉人といわれる偉業を成し遂げられなかった人であっても、魚屋さんでも、サラリーマンでも、ごく普通の主婦であっても、一所懸命に、自分の本分をまもり誰からも後ろ指をさされない人もまた立派な人です。

 

家訓づくりプログラムでは、「自分が幸せになるためにはまず、人を幸せにしなければならない。」という家訓を紹介しています。またある受講者は「ありがとうという。ありがとうと言われる人間になる」との家訓をつくられました

いずれも、「立派な人間」になることを勧める、お子さんの成長に欠かせない大切なメッセージとなるのではないでしょうか?

 

数々の偉業をなした二宮金次郎は、まさに「立派な人」でした。

私利私欲を嫌い、ひとにために尽くすことが、最後には自分のためになるとの信念で、たえず努力をつづけた偉人なのです。「歩きながら本をよむ」ことはいけないことです。しかし、「人ために尽くす」ことはいけないことでしょうか?

 

またいい大学にいく、いい会社に入ることを、子供に求めるお母さん、いい大学に入る理由は、ひとのため、あるいはお母さんへの恩に報いるために頑張る!といったほうが嬉しいはずです^^

 

感謝して、恩に報いるために懸命に生きる。このことを「報恩感謝」といい二宮金次郎が盛んに説いた思想です。

そんな金次郎の偉業を振り返ってみたいと思います

 

 ■知っておきたい二宮金次郎の偉業

二宮金次郎は1787年に現在の神奈川県の農家で生まれます。幼少時に川の氾濫により親の田畑が無くなってしまい一家の生活は困窮します。その後、14歳の時に父親を失い、2年後には母親も死去。兄弟4人は天涯孤独の身の上となります。マキを背負って勉強する金次郎の姿はまさにこの頃の姿を現しています。15歳、今でいう中学三年生が、一家を支えるために、朝早くから夜遅くまで働き、なお立身出世のために勉強に励むことを誰が責められるでしょう? 「ながらスマホ」を嫌い金次郎の銅像を撤去させる現代人の浅はかさをなげくばかりです

 

その後、金次郎は叔父の家で育ちます。

 

二宮金次郎は、夜に勉強するのは油の無駄だと叔父に怒られますが、それならばと自身で植えた菜種からとれる油で火を灯して勉強したといわれています。また、田植え後に落ちている稲を拾い集めて、自分の田に植え米を収穫したという逸話も残っています。

 

その後、二宮金次郎は、小田原藩の家老・服部家に奉公し、その子弟が通う学校にお供するのですが、そこでも金次郎は、中からもれてくる先生の授業に耳を傾け勉強しました。そうして勉強を重ねた二宮金次郎は、奉公先の服部家の財政立て直しを頼まれ、見事成功!その才を認められた二宮金次郎は現在の栃木県各地でも所領の再建などを頼まれ成功させていきます。この二宮金次郎の財政再建の方法は報徳仕法(ほうとくしほう)とよばれ、多くの賛同者が生まれました。

 

報徳とは、経済と道徳の融和をとき、私利私欲に走るのでなく社会に貢献すれば、いずれは自らに還ってくると考えるものです。そして、勤勉さ、とくに「至誠」(一生懸命に生きること)を大事さを説いていました。

 

明治以降、金次郎の精神は道徳の素材として爆発的に普及し、その功績をたたえるために銅像建設も進められたのでした。ただ昭和初期、「報恩」の精神が「報国」(国に報いる)通じるものと、軍国化をすすめた一部の人間に利用されるに至り、大東亜戦争の敗北後、金次郎の偉業をも、軍国化の象徴とされ今に至ります

 

しかし教育現場で一種のアンタッチャブルとなった「報恩」の精神は、金次郎を信奉する多くの経営者たちから支持され、トヨタ自動車や、松下電器などの社訓、そして事業そのものを通じ、人々の生活を今も支えています。

 

この後の章では、金次郎の偉業とは別に、金次郎そのものをはぐくんだ江戸時代の教育について考えてみたいと思います。

 

 

■世界一の識字率を誇った江戸時代の教育

江戸時代の日本は鎖国政策をとり外国との交流を厳しく制限していました。西欧諸国で進行していた産業革命に乗り遅れた原因も鎖国のためであり、風変りな「ちょんまげ」といった風俗も相成り、最果ての未開の地という印象をもたれていました。

 

しかしペリー来航以後、多くの外国人を招くようになると、未開の地であるという彼らの印象が間違いだったことに気づきます。それは日本は教育大国であったという事実です。

 

江戸時代の日本では武士階級で100%の識字率。町民でも50%以上。当時のロンドンでの識字率が10%という中、驚愕の教育水準でした。ペリー自身も、江戸では街中にいる女、子供であっても、本を読んで楽しんでいる姿を驚きとともに、本国へ報告しています。

 

「識字率」とは自分の国の言葉を読み、そして書ける能力です。現代の日本では、ほぼ100%の識字率を誇るものの世界では、まだまだ識字率の向上に課題があり、推計で8億もの人々が今なお、読み書きができない状態が続いています。識字率は社会を安定させ、豊かさを担保する根源的な能力です。

 

この圧倒的な教育水準をもたらした立役者は、「寺子屋」という制度です。寺子屋は義務教育ではなく、庶民の手弁当によって支えられ自然発生的に生まれたシステムです。当時の日本は税金を一円も使わず全国津々浦々に「寺子屋」を誕生させ、世界一の教育大国をつくりあげていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■おそるべき「論語の素読」の効果

「寺子屋」で取り入れられた教育方法こそが、「論語の素読(そどく)」です

一時は忘れられた素読の効果について、いま熱い注目が集まっています。茨城県の水戸市では有志によって子供たちに論語の素読をさせる「子ども論語塾」が旧跡・弘道館を舞台に開催されており、関係者の注目を浴びています

  

「素読」とは、江戸時代の学習法のひとつです。朝早く師匠の元に集まり、四書(儒教の代表的な経書『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を皆で読む。意味の解釈をいちいち付け加えることなく、書いてある文字を大きな声で読み上げるシンプルな方法です。時代劇のワンシーンで見た事がある人も多いのではないでしょうか?
 

たくさんのポジティブな効果が期待できる論語の素読は、英語教育よりも必要なものかもしれません

中学校から6年もかけて学ぶ英語の授業だけで英語が身に付くこともなく、塾や留学をへて英語を身に着けても、ほとんどの人は、英語と関係のない人生を歩んでいきます

論語は古典であり、人生の機微をまなぶ一番の教材です。その効果について、老荘思想研究者でベスセラー作家でもある田口佳史氏に伺ったものを引用し紹介させていただきます。  

 

一つ目は、言葉の響きとリズムを反復・復誦することで得られる効果だ。何度も反復して読むことで、いつも自分が使っている言葉とは次元の違う言葉、あるいは、日常の会話とは全く違うジャンルの言葉、つまり、心の言葉、精神の言葉というべきものを幼い魂に刻印しておくという学習効果がある。江戸時代は3歳から15歳くらいまで何年もかけて行ったそうだ。  

 

二つ目は、声に出して読むこと(音読)の効果である。明治時代に入り目読(黙読)という言葉が使われ始めたが、それまでは音読が普通だった。通常、我々は書物を目で追って黙って読むものだと思い込んでいるが、かつてはそうではなく、“耳”で読むものだった。ようするに声に出して読めば、耳が聞くことになる。ようするに、目だけではなく、耳を使って読むことが書物の読み方だったというわけだ。  「聡明と」いう言葉があるが、「聡」は「よく聞くこと」を意味する。そして「明」は「よく読み、よく見ること」を指す。つまり、聡明な人間を育てるために素読はよい訓練にもなったというわけである。  

 

三つ目の効果としては、例えば、性格、あるいは天性、天分、または環境の違う子どもたちが同じ空間で一緒に読んでいく中で、お互い違いを超越した、人間の魂の響きのようなものを毎日感じることができるようになることだ。「人間にはいろいろな違いがあるけれど、それを乗り越えるができる」という素晴らしさ、すごさというものを子どもが体得するようになる。このことが、違いというものを恐れない人間になるきっかけとなっていく。今、まさにグローリゼーション、ダイバシティーということが叫ばれている状況の中で、必要とされている精神を育むことができる。  

 

最後に、言葉を共有することの効果についても挙げておきたい。同郷の者が出会うと方言によってすぐに打ち解けることができるものだ。同じように、素読を体験した者同士が、幼い頃に読んだ『論語』や『孟子』の一節などを唱えることによって、心の交流ができるようになる。互いの知識を確認し合ったり、共鳴・共感性を発揮し合うことで濃密な関係を築いていくことができるようになる。  

 

以上が田口氏の挙げる「素読」の効果。ぜひ、みなさんも素読を!と言ってみたところで、「四書」と聞いて少々ハードルが高いと思ってしまった方が多いかもしれない。でも大丈夫。「地域の偉人伝や賢人伝を、みんなで読んでも素読の効果がある」と田口氏。また、子供向けにアレンジした「論語」も書店で入手できる。夏休みの宿題の読書感想文に頭を悩ませている子供たちと一緒に「素読」をしてみてはいかがだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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