鳥井信二郎 サントリー「やってみなはれ」

 

 

 

 

 

 

 

 『やってみなはれ』

 

 

 

 

鳥井 信治郎(とりい しんじろう)

生誕:1879年1月30日

死没:1962年2月20日

 

サントリー(現サントリーホールディングス株式会社)の創業者。

 

グループ会社337社(2015年12月31日現在)

従業員数42,081人(2015年12月31日現在)

連結売上高26,868億円(2015年1月1日~2015年12月31日)

 

 

■「やってみなはれ」精神とは?

 

The greatest risk is standing still. 立ち止まることは最大のリスクである(西洋の格言)
 鳥井信治郎は、明治12年、大阪市東区の米屋の次男として生まれています。 小学校卒業後、商業学校に入学したものの、1~2年で奉公に出ました。 奉公先の小西儀助商店は大手の薬種問屋で漢方薬の他、欧米の薬も輸入し ワインやブランデー、ウイスキーも扱っていた。ここで、洋酒と出会っています。

20歳(明治32年)で鳥井商店を出し独立。
当初は缶詰類を扱うが、奉公先で目にした洋酒の販売を思い立つ。当初は、ワインを輸入し、 瓶詰めにして、販売するが全く売れませんでした。

本場のワインの味が日本人にはなじみがなかった時代です。そこから信治郎の挑戦が始まります。
 調合技術を駆使し、日本人向けの甘い味の葡萄酒を作り出すことに没頭します。

当時はアルコールに色素と香料、甘味料を混ぜただけの粗悪品が葡萄酒と称して、売られていたそうです。信治郎の開発した本格的な葡萄酒は好評をはくし、 意を強くした信治郎はスペイン産ワインをベースに研究、調合を重ね、 明治40年「赤玉ポートワイン」を売り出し、商売は一気に軌道に乗せていきます。

その後、このヒット商品を武器に、鳥井商店は、株式会社寿屋と成長していきます。

また、信治郎は宣伝の天才でもあった。火事の知らせを聞くと商品名を記した行灯を手に、弧度葺きやの文字を染め抜いたはっぴ姿で
消火の手伝いを行い、被災者に見舞金を贈ったという。 新聞広告、雑誌広告にも大きな力を注ぎ日本で初めてヌードポスターを世に出したのも信治郎でした。

 

その後、一世一代の賭けに出る。国産ウイスキーの製造です。 当時スコットランド以外の土地でウイスキー作りが成功した例はどこにもありませんでした。しかも製造設備に莫大な費用を要し、厳守も10年近く寝かせなければ商品になりません。その間の費用はどうするのか、仮に持ちこたえたとしても上質のウイスキーができるとは限らない・・・

寿屋の全役員は反対し、味の素の鈴木会長など食品業界の実力者達もこぞって信治郎の暴挙をいさめた。しかし、信治郎の信念は揺るぎませんでした

創業者鳥井信治郎は、どんな苦境に陥ちこんでも自身とその作品についての確信を捨てず、そして、たたかれてもたたかれてもいきいきとした破天荒の才覚を発揮しつづけた人でした。

 

それを最も端的に伝える言葉として彼がことあるごとに口にした日本語が『やってみなはれ』です。冒険者としてのチャレンジング精神がサントリーのDNAとして創業100年以上経た今もなお、生きている。現状に甘んじることなく、異分野・新しいことへの挑戦を続ける。

ここに、「結果を怖れてやらないこと」を悪とし、「なさざること」を罪と問う社風が今も食品業界のなかで確固たる地位をしめています。

 

会社はその後、昭和38年にサントリーと改名。この名称は、昭和4年に発売され、商品名として定着していた日本初の国産ウィスキー「白札サントリー」の商標を活かしたもので、さかのぼれば、赤玉ワインのラベルに太陽が描かれていたことに由来し、太陽=サンを頭文字に、創業者である鳥井の一字を組み合わせ、「サントリー」と命名したそうです。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥井信治郎のウィスキーづくりへの挑戦には、もう一人の男の存在なくては語れない物語があります。

NHK朝の連続ドラマで描かれることとなった「マツとまっさん」の主人公、竹鶴政孝その人です!

  

■「やってみなはれ」ジャパニーズウィスキーへの挑戦 

 

竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる

 

1929年、鳥井信治郎に招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮。その後、より本格的なスコッチの製造を指向して大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興した。あくまでも品質にこだわり続けた技術者として知られる

 

1962年、イギリスのヒューム外相が来日した際、“一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった”という意味の発言をしたといわれている。もちろんこれは竹鶴に対する賞賛であった。このとき話題に出たノート(竹鶴ノート)はしばらく所在不明であったが、のちに竹鶴が当時所属していた摂津酒造( ※ 1964年10月、宝酒造に吸収合併)関係者の子孫が保存していることが分かり、ニッカウヰスキーに寄贈されています)

  

2014年度後期に放送されたNHK連続テレビ小説『マッサン』の主人公である亀山政春(演 - 玉山鉄二)のモデルとなった人物です

 

 

1923年、大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画。社長の鳥井信治郎がスコットランドに適任者がいないか問い合わせたところ、「わざわざ呼び寄せなくても、日本には竹鶴という適任者がいるはずだ」という回答を得た[25]。鳥井は以前摂津酒造に模造ワイン製造を委託していたことがあり、竹鶴とも数度面会したことがあった。鳥井は竹鶴を年俸四千円という破格の給料で採用した。この年俸は、スコットランドから呼び寄せる技師に払うつもりだった額と同じと言われる。同年6月、竹鶴は寿屋に正式入社しています。

 

竹鶴は、製造工場はスコットランドに似た風土の北海道に作るべきだと考えていたが、鳥井は消費地から遠く輸送コストがかかることと、客に直接工場見学させたいという理由で難色を示した。竹鶴は大阪近辺の候補地の中から、良質の水が使え、スコットランドの著名なウイスキーの産地ローゼスの風土に近く、霧が多いという条件から山崎を候補地に推しています。

 

1924年、山崎蒸溜所が竣工し、竹鶴はその初代所長となる。鳥井は最大限、竹鶴の好きなように製造をさせたが、金ばかりがかかって全く製品を出荷しない山崎蒸溜所は出資者らから問題にされ、鳥井はやむなくそれとなく発売を急ぐよう指示。出荷ができるほどに熟成した原酒は最初の年に仕込んだ1年分のみで、ブレンドで複雑な味の調整をすることができないため難色を示した竹鶴だが、それ以上出資者を待たせるわけにもいかないということも承知していたので、出荷に同意する。

 

1929年4月1日、竹鶴が製造した最初のウイスキー『サントリー白札』(現在のサントリーホワイト)が発売。しかし、模造ウイスキーなどを飲みなれた当時の日本人にはあまり受け入れられず(竹鶴が本場同様に入れたピートの独特の臭いが受け入れられず販売は低迷したようです。

 

後続の技師が育ってきたこと、竹鶴が帝王教育を任されていた鳥井の長男・吉太郎に一通りの事を教え終わったこと、最初の約束である10年が経過したことから、竹鶴は寿屋を退社。北海道余市町でウイスキー製造を開始することを決意、その後ニッカウィスキーとして、サントリー、ニッカは、共にジャパニーズウィスキーの魁としてその歩みを続けています。 

 

■日本のウィスキーが世界一に!

 

英ウイスキーガイドブック「ワールド・ウイスキー・バイブル2015」で、サントリーの「山崎シングルモルト・シェリーカスク2013」が初めて世界最高のウイスキーとの評価を受けました。

 

著者のジム・マーリー氏は、2015年の本を出すにあたり、世界中の4700ものウイスキーを吟味し、その中から数百を実際にテイスティングしたという。

 

年々魅力を増す日本産ウイスキー

山崎は「言葉にできないほど天才的」と評価を受け、100点満点中97.5点と歴代最高得点を獲得した。

 

マーリー氏は、山崎について「繊細で大胆な香り、(テイスティングすると)軽くスパイスの余韻が残る」(デイリー・メール)「ナッツの風味、濃厚で、ドライ…ビリヤードの玉のように滑らかな丸みがある」(デイリー・テレグラフ紙)と表現している。

 

スコッチモルト愛好家の会員制組織『ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ』の会員カイ・イバロ氏によると、日本のウイスキーは、年々その強さを増しているという。今回の高評価については、「必然で遅すぎたくらいではないか」としている。また、「多くの人が自国以外に世界中のウイスキーに関心を持つようになってきた」「これは、スコッチウイスキーの最近の成功に関係があるだろう。人々の冒険心や好奇心が高まっている。ほかの国の異なるタイプのウイスキーを試すことで新しい発見をしている」(デイリー・テレグラフ紙)と述べた。

 

 人々のウイスキーへの関心が高まり、より斬新な味と香りを与えてくれる日本産ウイスキーへの評価が高まったとも言えるようだ。

 

スコットランドあっての日本

 デイリー・メール紙は、「日本のウイスキーが世界一になったことは、スコットランドにとって屈辱だ」とタイトルをつけた。同書の12年の歴史の中で、トップ5にスコットランド産のウイスキーが入れなかったのは初めてのことだ。

 

マーリー氏は、山崎ウイスキーの素晴らしさには、スコットランドの酒造メーカーは到底及ばない、としている。また、現在のスコットランドの業界が、新しいことに挑戦する姿勢がないとも嘆いている。

 

一方、デイリー・テレグラフ紙によると、ウイスキーの専門家サム・シモンズ氏は、日本のウイスキーは、気絶するほど素晴らしく、評価に値するが、スコットランドのウイスキーには創意がないと貶すのは馬鹿げている、とマーリー氏の評価を批判している。シモンズ氏は、日本のウイスキーは、強力なヴィジョン、あるいは思い切った革新性により、スコッチウイスキーの最先端に位置しているとマーリー氏は評価しているが、革新という点では、今サントリーがやっていることは、どれもスコットランドが先んじてやってきたことだ。スコットランドという先達があって初めて、山崎の成功があるのだ、と述べている。

 

スコットランドはスコッチウイスキーどころじゃない!?

 サントリー『山崎』の記事には、様々なコメントが寄せられています

 

・この記事を読んでも驚かないね。これ(山崎)は、本当に特別なウイスキーだ。

・日本が、どうやって機械や自動車産業を破壊してきたか忘れちゃいけない。最初はモノマネから始めて、品質改良しリーズナブルな価格を打ち出す。気をつけたほうがいいよ、スコットランド。

・この前は、オーストラリアのウイスキーが第1位に選ばれたよね。スコットランドは、独立運動に時間とエネルギーを消費しすぎてるんじゃないか。国民的な飲み物のことなんか忘れてしまってさ。

・時代だね。70年代に日本の安酒を飲んだけどひどいもんだった。まぁ、その頃でもビールは美味しかったけど。