豊田章一郎と MAID IN JAPAN

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ものの事実は手でつかむことだ。読むだけ、見るだけではわからない。』

 

 

豊田 章一郞(とよだ しょういちろう)

生誕:1925年2月27日

死没:

 

日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長などを歴任。

 

豊田自動織機を発明した佐吉の孫。父は、トヨタ自動車を起業した喜一郎。息子の章男は現在、社長をつとめています。

 

 

地味で真面目な性格を自認し、身長も160cm程度と小柄で、パフォーマンスは苦手なため、目立たない印象を持たれることが多い。また、約束事を大事に考え、「できないことは決して言わない」などとの信条から、口数少なく言葉を選んで要点だけを簡潔に話すような話し方をする。一方、建前論を展開するのが苦手で本音が出てしまうウソの付けない性格とされる。小学校・中学校時代の友人鳥羽欽一郎(早稲田大学名誉教授)は、豊田について、一人で一日中鉄棒を練習していたりするなど、昔から「ど真面目」な性格であったという。温和な性格で、自己主張も弱く、家族ぐるみの付き合いのある石川六郎(元鹿島社長)は、豊田が自分の意見を人に押し付けるようなことをしたのを見たことがなく、他人から厳しい批判を受けて怒ったこともないとする。

 

■豊田章一郎の名言録 

 

設備が同じでも、もっと効率的に作れないのか。それと、腕を磨くことには無限の可能性がある」

注釈:戦後10年が経ってドイツのフォルクスワーゲン社の工場を見学した時、日本との設備の差に驚き、生産技術向上とヒトに力を入れることを決心する。その時の言葉。

 

 

「組織を動かすのは人である。企業のよしあしは、そこで働く人を見ればわかる。組織というものは、それを構成する人たちの運営の仕方によって、生き生きとしてくるし、効率もよくなる。その意味でも、部下とつね日頃からよく接触し、育成に努力してほしい」

  

試練が技術を生む

「自動車は現代文明の結晶であり、これを守り育てていくことが、私たちの使命だ。今や私たちは創業時にも匹敵するような厳しい時代にさしかかっているが、厳しい試練こそ人を鍛え、企業をも鍛えるものだ。これを支えるのが技術の力であり、そして真に新しい技術は、そうした時代にこそ生まれてくる」

 

 

自己変革を怠った企業は消えていく

「過去の成功の上にあぐらをかき、自己変革を怠った企業は、時代のうねりの中に沈んでいく運命にあるといえる。私たちは、自動車という本当に可能性と魅力に満ちた産業に携わっているのであり、従業員の一人ひとりが、意欲にあふれ、その意欲を仕事にストレートにぶつけられる企業風土をつくってほしい」

 

 

3C精神で取り組む

「私は、新生トヨタを3C精神(創造、挑戦、勇気)で何事にも積極的に取り組む若さあふれる企業、困難に挑戦し克服する苦しみや喜びを全員に分かちあえるような企業にしたいと思っております」

 

 

■MAID IN JAPANの花形 自動車産業の黎明期

 

大東亜戦争の敗戦後、GHQは、日本の再軍備を禁止する様々な施策を実施しています。有名なのは、飛行機の製造禁止。その他にも様々な足かせをはめ日本の発展を暗に阻害しました

 

日本中が焼野原となり、国に行く末に暗雲がたちこめるなか、あらゆる工業設備が破壊しつくされてもなお、日本には「心ざし」を胸にいだいた経営者と、それを支える幾多の「日本人」がいたのです。

 

自動車産業は部品数も多く、裾野の広い産業として知られています。

戦前には、軍事品の生産が最優先され、自家用車の開発は微々たるものだったものが、戦後、トヨタをはじめ多くのメーカーが国産大衆車の開発に参入し技術力を磨いていきます。

 

戦後における日本車の本格的な海外輸出は、1949年(昭和24年)12月1日の外国為替及び外国貿易管理法、および輸出貿易管理令を経て、さらに翌1950年(昭和25年)4月の自動車の統制価格の廃止をもって、原材料の調達、生産、販売、値付けに関する一切の規制が取り払われ、自由化がなされるまで待たねばなりませんでした。また、自動車業界側は、1949年4月に「自動車輸出振興会」を設立し、トヨタ社長の豊田喜一郎を会長に据え、輸出再開の準備を進めました。

 

 しかし、東洋の島国、そして敗戦国がつくる日本車はまったく相手にされませんでした

アメリカに日本車を売り始めた頃は、日本では自動車の所有はステータスでした。普及率も低く、また国内に高速道路もないという環境で、輸出された日本車の多くはハイウェーでの運転に耐え切れず故障、一部で「ウォーターメロン」(意:壊れやすい)と蔑視され、現在のMAID IN JAPANの品質とは雲泥の差の評価であった時代です。

 

見直されたのは、アメリカで環境保護を目的としてマスキー法という厳しい排ガス規制の法律が成立したことでした。

そのマスキー法を最初にクリアしたのが、ホンダのシビックでした。

排ガス規制に対応することは、薄い燃料を効率良く燃やす技術ですので、結果的に燃費もよくなりました。

 

これは日本の品質管理技術がアメリカよりも進んでいたということでは必ずしもなく、アメリカ人と日本人では自動車生産の考え方が違いです。ガソリンが水より安いアメリカでは、GMをはじめとするアメリカのメーカーが技術開発費に投資することに及び腰であったことも幸運でした。

 

70年代のアメリカでは、燃費競争などに投資しなくとも、デザインだけを変えれば車は売れましたし、株主も無駄な研究開発費に投資して配当が少なくなることを嫌ったと言われています。

 

そのためにアメリカ車は、いつの間にか技術で日本車の後塵を拝することになりました。

 

日本車は故障しないと口コミで評判になって売れ始めたときに、GMがとった手段は日本車に負けない自動車を開発することではなく、議会を動かして政治力で日本車を締め出すことでした。

このことがアメリカ国内で報道されることになり、皮肉にもそれまで日本車なんて振り向きもしなかった層を、「日本車はそんなにいいものなのか?」と、日本車に振り向かせる結果となり購買層を広げていくことになるのです。

 

現在、トヨタをはじめ多くの日本車は、経済摩擦をさけるため、北米をはじめ世界中に工場を配置しています

また、従業員の採用や、部品の調達も現地にゆだねる体制をとっていることから、トヨタがアメリカでつくる日本車は、GMがつくるアメ車よりも、アメリカに貢献しているとも言われています。

 

実際、言いがかりにも似たプリウスのブレーキ故障のスキャンダルでは、消費者、とくにアメリカの工場が立地するアメリカの市民によってプリウスの擁護と、トヨタ自動車を守る動きが見られました。消費者をないがしろにし、胡坐をかきつづけたGMをはじめ、ビック3といわれた企業の経営危機が露呈するのは、この数年あとのことです。

 

世界一競争の厳しいアメリカ市場での成功をきっかけに、MAID IN JAPANの代表、日本車は世界のマーケットに受け入れらていきます。時おなじく、SONYの盛田さんが、またパナソニックの松下さんなど、戦争で苦渋をなめた経営者たちが続々と海外市場で成功し日本ブランドは、ウォーターメロン(意:こわれやすい)から、信頼のブランドに成長していったのでした

 

戦争にまけ、その後も数々の嫌がらせが受けながらも、日本の企業は不死鳥のように世界マーケットで勝ち続けています。

石油も鉄も掘れない、日本だからこそ、「ひと」に根差した経営が続けられています

その志は、従業員だけでなく、お客様や、環境によりそう企業に成長させているのかもしれません

 

 

 江戸時代、「黒船」で日本にやってきたアメリカのペリー提督が"技術大国日本"を予言しています。

 

「機構製品および一般実用製品において、日本人はたいした手技を示す。彼らが粗末な道具しか使ってなく、機械を使うことに疎いことを考慮すると、彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば、日本はすぐに最恵国と同じレベルに到達するだろう。文明化した国々がこれまでに積み上げてきたものを手に入れたならば、日本は将来きっと機械製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう」

 

ペリーの予言は、見事に的中し、いまではアメリカで走る車の4割が日本車だと言われています

まさか、ペリー自身も、ちょんまげを結った侍たちの子孫が、アメリカに闘いをいどみ、敗戦に至った後も、自動車の輸出を成功し、アメリカ大陸を走破している姿は想像だにしなかったでしょう

 

これからも、MAID IN JAPANが、世界品質のブランドであるよう豊田家だけでなく、盛田家も、松下家も、幡谷も、佐藤も、小林も。。。

それぞれの場所で汗をながし、輝いていくことを誓います^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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