豊田喜一郎とトヨタの経営危機

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『一本のピンもその働きは国家につながる』

 

  

 

 

豊田 喜一郎(とよだ きいちろう)

生誕:1894年6月11日 -

死没:1952年3月27日

 

日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。 トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した

 

喜一郎は、トヨタ自動車の生みの親でありながら、父、豊田佐吉の名前に隠れて、佐吉ほど有名ではありません。

 

もちろん、佐吉は日本の繊維産業を立ち上げ、明治維新の富国強兵へのレールを引いた立役者の一人であり、日本の発明王でもあって、その偉大さは言うべくもありません。 しかし、喜一郎は佐吉の後を受けて豊田利三郎、石田退三らと共に豊田織機の発展に貢献しつつも、さらにトヨタ自動車という第二の創業をなし、戦後の日本の繁栄の礎を築いた人物として、その偉大さをもっと評価されるべきなのではないでしょうか? 

 

豊田喜一郎は、浜名湖の西、東海道線鷲津の駅からタクシーで10分程度で行ける豊田佐吉記念館のあたりで、佐吉とたみの長男として1894年に生まれます。

 

発明を志す佐吉は大工の跡継ぎにしたい祖父伊吉との確執で、結婚後まもない妻たみを置いて家を出ます。たみが発明家佐吉の心が理解できず実家に帰った為、喜一郎は祖父母に預けられ、3歳まで祖母えいに育てられます。

 

喜一郎の内に秘めたる情熱はあっても、どこか一歩引いている内向的な性格は、この家庭環境に影響を受けているのでしょう。

 

3歳の時、佐吉は再婚し、喜一郎は一緒に親と住む事になります。豊田佐吉と喜一郎の生家跡を復元しているこの記念館は、今、トヨタグループの新人なら必ず参拝する聖地となっているそうです。

 

 

トヨタは、佐吉の遺訓を基に、豊田綱領を奉じていますが、その綱領には、

 

一.上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし。 

一.研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。 

一.華美を戒め、質実剛健たるべし。 

一.温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。 

一.神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。

 

と、ありますが、喜一郎はその薫陶を受けながら育ちます。

 

伊吉も佐吉も、熱心な日蓮宗の信者であると同時に、二宮尊徳の教えを実践する報徳教の信者でもあり、仏神を敬う心が、喜一郎の精神の基となっています。

 

佐吉は、自動織機の開発で繊維産業を立ち上げましたが、喜一郎には自らが経営で苦労しただけに、事業経営を学ばせようとしました。

 

しかし、喜一郎は、佐吉の発明家の資質を色濃く受け継いだエンジニアの魂でもありました。彼は仙台の第二高等学校甲組工科へ進み、卒業後、東京帝国大学に入学します。

そして、偉大な父・佐吉の跡をつぎ、豊田自動織機の事業を拡大させる一方、自らも創業者として、トヨタ自動車を立ち上げるのです。

「守成」と「創業」。2つの相反する難しいミッションを成し遂げた喜一郎こそ、本当の偉人かもしれません。

 

 

 

■一本のピンもその働きは国家につながる

 

我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本 のあらゆる民族産業が育ちません。それは別にトヨタでなくともいい。けれども現状のままでは、カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行 う)に占領されて自動車工業など芽もないように....日本も同じ道をたどります。引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます

(出典:豊田喜一郎の名言より)

 

 

■トヨタの危機と忠臣蔵

 

破竹の勢いで業績をのばすトヨタ自動車ですが、過去、経営危機に見舞われたことがあったことをご存知でしょうか?

  

戦後の1950年、ドッジ・ライン不況でトヨタが倒産寸前に追い込まれたとき、三井銀(当時は帝国銀行)、東海銀を中心とする銀行団が緊急融資をしました。当時、三井・東海と共に主力銀行の1つだった住友銀行(当時は大阪銀行)は、「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と、にべなくトヨタの緊急融資の要請を断り、さらに貸出金の回収に走り、トヨタとの取引を打ち切った。この交渉での心労がたたり、創業者の豊田喜一郎氏は1952年3月に急逝しています

 

その後、トヨタ自動車は危機をのりこえ見事に復活。

トヨタ銀行とも揶揄される無借金経営や、ケチケチ作戦も、この危機を教訓に歴代の経営者が築いてきたものでした。

 

そしてトヨタの歴代社長は、貸し剥がしを実施した住友銀行の仕打ちを決して忘れなかった事実が露呈します。経営危機から15年後の65年、トヨタは経営危機に瀕していたプリンス自動車の救済を、プリンスのメインバンクである住友銀行の頭取から懇願されました。

 

しかしトヨタの石田退三会長(当時)は

「鍛冶屋の私どもでは不具合でしょうから」と住友の頭取の要請を拒絶しています。

 

トヨタと住友銀との取引が再開するのは、三井銀の後身のさくら銀行と住友銀が合併して三井住友銀行が発足してからです。ただし、取引窓口は旧三井銀出身者に限っていたとも言われています。

 

またこの経営危機では、トヨタを助けた下請けの取引先(支払の猶予を実施くれた先)に対し、いまなお優先的に取引を実施しているとも言われています。

 

三河商人は、恩を忘れず・・・ ただし仇で返した先には、子孫まで許さず・・・・・・・・・・ 怖い((+_+))

心労がたたり、無念の死をとげた喜一郎の敵(かたき)をうつため、全社一丸で住友と対決する 

忠臣蔵みたいストーリーですが、そんな古臭い浪花節が、愛知のトヨタを世界のトヨタへ成長させたと言えそうです。

 

一時期、世界有数の企業に成長したトヨタが、三河(愛知県)の片田舎に本社をもち、下請け先を囲って商いをしていることを「モンロー主義」として、古いビジネスモデルだと批判する論調がありました

しかし歴代のトヨタ社長は、あくまで独自路線をつらぬき、結果、世界一の販売数を誇るメーカーに成長させました

 

東京にたなびく?鼻先の効いた大企業が、バブルだ、リーマンショックだと右往左往する中、トヨタだけは未来を見据え、愛知県豊田市にその居を構えています 

 

豊田佐吉によって、種の撒かれたトヨタグループは、その息子・喜一郎の代となり、さらに隆盛を誇ります

現在、社長をつとめる豊田章男氏は、佐吉のひ孫です。世界有数の企業グループになっても、なお同族経営をやめないモンロー主義は、独特のようであって、その実、22世紀(未来)のグローバルスタンダードなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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