小倉昌男 『全員経営』ヤマト運輸の社訓

 

 

 

  

 

ヤマトは我なり

『全員経営』

(ヤマト運輸社訓)

 

 

小倉昌男

生誕:1924年12月13日

死没: 2005年6月30日

 

ヤマト運輸社長・会長。東京帝国大学経済学部卒業後、父が経営する大和運輸へ入社。父の後を引き継ぎ社長に就任する。クロネコヤマトの宅急便により、日本に個人向け荷物宅配サービスを普及させた。運輸省と正面から意見を対立させ勝利するなど数多くの伝説を残した。享年80。

 

売上高

連結:1兆2,823億7,300万円

(2013年3月期)

  

従業員数

連結:177,301名

 

 

■ヤマト運輸(現・ヤマトホールディング)社訓 

 

一、 ヤマトは我なり 

一、 運送行為は委託者の意思の延長と知るべし 

一、 思想を堅実に礼節を重んずべし

 

社訓に込められた基本精神 

 

一、 ヤマトは我なり 

ヤマトグループは、お金や設備以上に、「人」が最大の資本となって成り立っている会社です。社員を単なる「人材」ではなく、会社の財産としての「人財」と考え、何よりも「人を尊重」します。社員一人ひとりの「和」の力、「協力・結束・調和」が、ヤマトグループの企業としての力を生み出します。この「自分自身=ヤマトという意識を持ちなさい」という言葉は、ヤマトグループの全員経営の精神を表しています。

 

 

一、 運送行為は委託者の意思の延長と知るべし 

ヤマトグループは、運送サービスを通して、お客様(委託者)のこころを受け継ぎ、責任と誠意とまごころとをもって、迅速かつ正確に運び、お届けすることを事業の目的のひとつとしています。この言葉は、ヤマトグループの社員一人ひとりが“どうすれば、お客様にもっと満足していただけるか?”という「興味と熱意」を常に持つことの大切さを示しています。

 

 

一、 思想を堅実に礼節を重んずべし 

社会生活に欠くことのできない公共性の高いサービスに従事するヤマトグループの社員は、一人ひとりが、“いかに社会や生活のお役に立てるか?”ということを、常に念頭におかなくてはなりません。そのために、「礼節(礼儀と節度)」を重んじ、社会の一員としてコンプライアンス(法令、企業倫理等の遵守)を実践していきます

 

 (出典:ヤマトホールディングHPより)

 

 

■「全員経営」の真骨頂―東日本大震災でみせた「現場」の判断

 

 創業者であり、宅急便生みの親小倉昌男の父である小倉康臣は、1931年に3か条からなる社訓を制定していました。

「ヤマトは我なり」その一節であるこの条文は「全員経営」を理念として謳ったもので、ヤマト運輸ではこの頃から社員1人ひとりが経営者の立場に立って仕事をするという経営理念を掲げています。

 

「全員経営」の名のとおり、現場の判断を大事にする社風は、いまも受け継がれ、マニュアルがない会社として知られています。

マニュアルがない理由は、臨機応変に、お客のニーズにこたえるため。競争激しい運輸業界にあって、ドライバー一人ひとりが、経営者として責任と決定権をもち、常にお客様に尽くすことを徹底した証拠です。

 

東日本大震災の発災時には、「全員経営」の精神が強くいかされました。 

 

ヤマト運輸も、被災地にあった営業所の多くが瓦礫に埋まり、現地のドライバー達も、自らが被災者として、「津々浦々に荷物を届ける」という企業使命を果たせなくなりました。

 

人間の真の実力は逆境時に現われます。

試練に立ち向かう力を持つ企業こそが、真に強い企業です。そして今回の大震災は、真に強い企業の条件を浮き彫りにしました。それは現場力の強さであり、トップのリーダーシップの明確さです。

  

そこで立ち上がったのが、ヤマト運輸のセールスドライバーたちです。彼らは自発的に自治体に協力を申し出て、物資の行き届かない避難所への配送を請け負いました。当初、ヤマト運輸の本社は、現場の動きを把握していなかったと述べています。震災直後で本社との意思疎通ができないまま、セールスドライバーの有志が独断で行動したことに意義があります。

 

その後ヤマト本社は現場の活動を追認し、同社は「救援物資輸送協力隊」を組織し、全社を上げて物資の輸送に協力する体制を確立しました。ヤマト運輸は全国からの応援を含めて車両200台、人員500人を投入し、各地で支援物資の配送を請け負いました。物資の管理に専門家のノウハウが入ることにより、集積所の作業を大幅に効率化することができました。

 

大規模災害の発災時、「初動」の動きこそが一番大事だと言われています

通常の組織であれば、本社への確認や、縦割り横割りの調整に追われ、1分1秒争う「初動」の動きにストップがかかってしまいます。

ヤマト運輸の現場のドライバー達の英断は、脱マニュアル主義、そして常にお客のニーズに応える「常在戦場」の精神がいきわたっていた証拠です。これは、常日頃より培われた「全員経営」の哲学がもたらした、「用意された奇跡」ではなかったでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ボルトはいなくても荷物は届く?世界一便利な宅急便の世界

 

世界一足の速いウサイン・ボルト。100mを9秒台で走る人類最速の男ですが、ぼくたちの生活には何にも関係ありません。

逆に、100mの記録が伸びない日本人ですが、日本でしかできないサービスやスピードがあることを誇りにしましょう

 

日本が世界に誇るサービス。

それが宅急便です。

 

いばらきで出した荷物が翌日の午前中には九州に届くのって、すごくないですか!?

そして、とれたての日本海の蟹やイカがクール宅急便で次の日には食卓に並ぶのって、ボルトより幸せをもたらしているのではないでしょうか!?

 

宅急便は、日本で磨かれた小口配送のパイオニアです。外国にも小口の輸送サービスはありますが、値段や、スピード、時間の正確さは比べようもなく、海外で仕事をする商社マンに聞いても、宅急便のすごさは群を抜いているといわれています。

 

現在では当たり前のように市民の生活に溶け込んでいる宅配便サービスも、ヤマト急便のオーナー小倉昌男の意地と根性で作り上げた「社会資本」だということを感謝しなくてはなりません。生活に必要な社会資本は、電気、水道、ガスだけではありません。宅急便は、庶民の生活に切っても切り離せない存在であり、私たちの生活を豊かにしてくれています。

 

 

■宅急便の歴史

 

宅急便の誕生前、個人が依頼できる荷物の輸送は郵便局によって独占されていました。

しかも荷物は、6kgまで。6kg以上の荷物は、 鉄道を利用する「チッキ」という制度しかありませんでした。

 

この「チッキ」は面倒なもので、重量だけでは、30kgまで送れる仕組みでしたが、差出人は、最寄の駅まで持参する必要があり、受取人も駅まで取りに行かなければならないという制度でした。なおかつ現在のように一つ一つの荷物を番号管理もしておらず、多くの人が荷物の受取のために貨物基地で待たされていたと言われています

  

宅急便の誕生は、こうした不便さを解消しただけでなく、ビジネスシーンでも、納品、納入の納期を守る切り札として国民に切っても切り離せないサービスをもたらした。「宅急便」を生んだ男、小倉とはどんな男だったのか?ここからは、ヤマト運輸の歩みとともに紹介してきます。

   

 

■東大出のインテリヤクザ? 小倉昌男の武勇伝

 

小倉昌男、ヤマト運輸社長・会長。東京帝国大学経済学部卒業後、父が経営する大和運輸へ入社。父の後を引き継ぎ社長に就任する。クロネコヤマトの宅急便により、日本に個人向け荷物宅配サービスを普及させた。運輸省と正面から意見を対立させ勝利するなど数多くの伝説を残した。享年80。

 

今では当たり前となった宅急便のサービスのほとんどは、小倉社長と運輸省とのバトルによって誕生した歴史があります。

クロネコヤマトは昔からそうした規制や、政府のやり方と戦ってきた「武勇伝」が数多くあります。

  

最初の運輸省との闘いは、昭和61年の8月にまで遡ります。 

 

昭和61年、小倉は、運輸大臣を相手取り「不作為の違法確認の訴え」を起こしました。監督官庁を相手に行政訴訟に打って出たのです。上から目線で取り仕切る運輸省の役人たちの狼狽ぶりが目に浮かびます。路線延長の申請を5年も放っておいた理由など、裁判所で説明できるわけはないからです。

  

当時、トラック運送事業は「道路運送法」という法律で規制されており、それぞれの道路ごとの免許がなければ営業できませんでした。 つまり関東から関西に荷物を運ぶ際には2つの免許、さらに九州まで運ぶとなると4つ、5つの免許が必要だったのです。

 

小倉昌男氏は『小倉昌男 経営学』のなかでこれを「おかしな規制」と表現しており、特に運輸省の免許付与の基準に問題が隠されており、クロネコヤマトはこの規制によって事業の拡大は難しいものにしていました。最終的に、路線延長の申請を5年も放っておいた運輸省も訴えにビビり、免許を発行、念願の全国展開が実現した瞬間でした。

 

運輸省との闘いはまだ続きます。クロネコヤマトは、宅急便の取扱荷物のサイズをSサイズとMサイズに加えて、さらに小さいPサイズを作り、価格体系を変えて展開しようとしました。しかし運輸省に打診すると、これを拒否。

小倉はこれに大いに憤り、「運輸省は不都合がないかをチェックするだけで、どうしろと指示する権限はないはずである。宅急便の独自運賃を受け付けないというのは、民を馬鹿にしたお上意識の思い上がりだろうとと思ったら、また無性に腹が立ってきた」と述べています。 

 

ここでケンカ上手のインテリヤクザ?小倉は奇策に打って出ます。マスコミを利用し、運輸省を動かそうとしたのです。 

なんと、まだ運輸省の認可が下りていないのにも関わらず「Pサイズの発表と実施時期は6月1日である」と新聞広告で大々的にアピール。おもしろくない運輸省は申請を引き続き無視。

 

そこで、第二弾の広告として「Pサイズの販売は運輸省がまだ認可してくれないため、延期せざるを得ない」という広告を打ったのです。 

官僚さんが得意とする「しらばっくれる作戦」も2回目の広告には、無視することもできます、ヤマト側に世論の支持も集中し、ついにヤマトの申請は認可されました。

 

一口に新聞広告といっても、全国紙では1000万以上の費用がかかります。

一企業の採算、とくに監督官庁である運輸省を敵にまわしても、いいことはなかったはずです。しかし消費者目線にたち、お客さまが求めるサービスを提供するため、小倉は闘いつづけました。

 

クロネコヤマトは日本が誇るべき企業であり、そこには素晴らしいビジョンや企業風土がありました。 

ヤマトには宅急便の生みの親である小倉は、常に「世のため人のため」を唱えていました。こうした「小倉イズム」は基本理念として今も継承されています。 

 

小倉昌男氏は規制との闘いに関して以下のように述べています。

 

「ヤマト運輸は、監督官庁にたてついてよく平気でしたね、と言う人がいる。別に楯突いた気持ちはない。正しいと思うことをしただけである。あえて言うならば、運輸省がヤマト運輸のやることに楯突いたのである。不当な処置を受けたら裁判所に申し出て是正を求めるのは当然で、変わったことをした意識はまったくない」

 

お客様の利便性の向上のため闘いつづけた小倉、そしてヤマト急便は、現在年商1兆円。取扱い荷物の量も1日11個からスタートしたものが、いまでは1億個を超えているそうです。

いまでは、海外展開も進め、世界中のセールスドライバー達が「全員経営」の名のもとに、今日も荷物を運び続けています。

 

ヤマト運輸(現・ヤマトホールディング)社訓

 

一、 ヤマトは我なり 

一、 運送行為は委託者の意思の延長と知るべし 

一、 思想を堅実に礼節を重んずべし

 

小倉なきあとも、成長をつづけるヤマトホールディング。そこには官の妨害にも負けず、庶民の生活を豊かにするために戦い続けた男の歴史がありました。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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書籍概要

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063