「まんぷく」のモデル・安藤百福とカップラーメン 

 

 「決断なき上司は無能と思え。社長へ直訴せよ」

(日清マン10則より)

 

安藤 百福(あんどう ももふ)出生名:呉百福

生誕:1910年3月5日

死没: 2007年1月5日

 

 

日清食品創業者。世界で初めてインスタントラーメンを発明し産業化した人物。チキンラーメン、カップヌードルの発明者。台湾生まれ。立命館大学卒。太平洋戦争終結後復員し商売を開始。ある信用組合の理事長になってくれと懇願され就任。その信用組合が倒産し、無限責任のため全財産を清算に充てるはめになり財産を失う。唯一残った自宅の庭に研究所を立てインスタントラーメン開発を開始。以後、世界の食文化を変えた人物。

  

今では、年間総需要が約1000億食の食文化に成長しているインスタントラーメンを発明した安藤百福。平成30年には、NHKの朝ドラ『まんぷく』のモデルとなりその生涯に再び注目をあびています。

 

日清食品

年 商:5160億(2019年)

社員数:1202名

 

 

失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた。

 

安藤百福が、即席麺の開発に成功するのが48歳の時、それまでの人生は波乱万丈なものでした。

 

日本統治下の台湾でうまれ、貿易業で成功し日本にて軍関係の仕事を受注するものの横流しの疑惑をかけられ投獄、終戦後もGHQに脱税の容疑でつかまり投獄。ようやく出てきたとおもったら、信用組合の理事長に推され就任するものの倒産。戦中戦後と、蓄えてきた財産はすべて没収され、失意のなか、かろうじて残った自宅の裏に掘っ建て小屋をたて、開発に専念し生み出したものが、「チキンラーメン」となります

 

百福の言葉

発明や発見には立派な設備や資金はいらない。自分の周囲にいつも好奇の目を向けろ。消費者のニーズや時代を読むヒントは日常生活のいたるところに転がっている。利益とは結果であって、それを目的としてはならない。会社はよい仕事をしたらもうかるのである。もうけ主義とは違う。」

 

その後、チキンラーメンの成功を見て、追随する業者が多く出た時には、当初は特許をたてに厳しい姿勢でいどんでいたものを、一社独占をやめ、日本ラーメン工業協会を設立。メーカー各社に使用許諾を与えて製法特許権を公開・譲渡した。この時安藤は、「日清食品が特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」という有名な言葉を残しました。この特許の開放は、安藤の狙いどおり、即席麺は日本をのみならず世界中のマーケットを席巻することにつながりました。

 

「ラーメンを売るな食文化を売れ!」という安藤の号令どおり、チキンラーメン、カップラーメンは日本発の食文化として今も世界中の人々から愛される商品に成長したのです。

 

百福の言葉です。

私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも新たな挑戦はある。人生に遅すぎるということはない。私の人生は波乱の連続だった。成功の喜びに浸る間もなく、何度も失意の底に突き落とされた。しかし、苦しい時の経験がいざというときに常識を超える力を発揮させてくれた。」

 

 

 

味に国境はない!ニューヨークタイムズにたたえられたその業績 

 

安藤が発明した即席麺は、戦後日本を代表するヒット商品になりました。また「味に国境はない」との言葉どおり、いまや世界中で製造販売されています。食は、その国の文化の源であり、また最も保守的なカテゴリーに分類されます。

 

即席麺の基となったラーメンは、中国うまれ・・・でなく、日本で誕生しています。正確にいえば、中国にあった麺を日本風にアレンジし花開いたと言えるでしょう。そして、即席麺は、台湾うまれの安藤百福さんによって開発されています。中国うまれのラーメンが日本風になり、そして、それを百福の手によって、即席麺となり世界に羽ばたく・・・

 

チキンラーメンの開発物語は、日本の多様性が生んだ1つの奇跡なのかもしれません。

 

平成17年(2005年)データ

857億食・・・・ 一年間に全世界で消費されたインスタントラーメンの数

44ヵ国・地域・・・・ 日本がインスタントラーメンを輸出している国・地域の数。

アジア諸国が全体の半数。

8700万食・・・・ 日本の年間輸出量

 

 

(ニュー―ヨークタイムズ社説より)

戦後日本の奇跡と呼ばれる代表的商品であるホンダ・シビック、ソニー・ウオークマン、ハローキティーなど没個性的チームによる商品と即席麺を比べるのは簡単だが、"But no"、でも即席麺は違うんだ、モモフク・アンドーは"all by himself"、全て彼一人だけで即席麺を開発して日清食品を世界的巨大企業に発展させたんだと賞賛しています。

 

続けて社説は、会社サイトによれば即席麺は一日に一億人以上の人が食していて、代表的ブランドであるカップヌードルにいたっては2006年には世界中で250億食に達したと紹介していきます。

 

その後お湯を掛けて3分待つだけで食べることができる即席麺のすばらしさをマカロニ缶詰などと比較しながら解説していき、ユーモアたっぷりに欠点もなくはないと続きます。

 

カップの中のかわいらしく微笑ましいそのねじれ麺だが勢い良くすすっちゃうと、汁が跳ねて

"leave dots on your computer screen."、あなたのコンピュータのスクリーンにドットを残す(笑)という不愉快な結果が待っていると警告しています。

 

この社説の結語は安藤さんへの最大級の賛辞で結ばれています。

 

そんな些末なこと(コンピュータのスクリーンにドットを残す(笑)など)は問題じゃないんだ、即席麺は安藤さんに"an eternal place in the pantheon of human progress"、「人類の進歩の殿堂」の不朽の地位を与えたのだと絶賛いたします。

 

最後の一文の創作格言がいい味を出しています 

Teach a man to fish, and you feed him for a lifetime. Give him ramen noodles, and you don’t have to teach him anything.  

魚の取り方を教えよ、さすれば彼を一生を食わせられる。ラーメン・ヌードルを与えよ、さすれば彼に何も教える必要はない。      

日清マン10則

 

日清マン10則=行動指針

1、顧客の満足のために、本物だけを全力で売れ。

2、日清食品のグランドデザインを描け。

3、ブランド・オーナーシップを持て。

4、ファースト・エントリーを誇りとせよ。

5、常にカテゴリーNo.1をめざせ。

6、実感したことを、自分の言葉でしゃべれ。

7、逃げるな。立ち向かえ。

8、不可能に挑戦し、ブレーク・スルーせよ。

9、セクショナリズムと闘え。

10、決断なき上司は無能と思え。社長へ直訴せよ。

  

 

「決断なき上司は無能と思え。社長へ直訴せよ」(日清マン10則より)

 

組織をみれば会社がわかる、ここでは現代を代表する2つの会社の違いすぎるガバナンスを紹介します。

 

ネットで話題 「?」」すぎる組織論

リコール隠しでも問題となった三菱自動車、そのCEOの益子氏は、100年に一度の大変革期を迎えるあたり、新しい人材の登用を望みつつ、いまの若い人たちへの働きかたに苦言を呈しています。

 

たとえば、メールばかりで、職場が機械的で殺風景であると指摘。さらに若い社員が、時に直属上司を飛び越して部長や役員に直談判する点を「秩序が乱れてよくない」断罪しながらも、上下の風通しのよい会社にしたいとの、「?」すぎる見識をしめし、ネットで話題になりました。

 

 

日清食品の過激すぎる組織論

一方、即席麺の大手、日清食品には、「決断なき上司は無能と思え、社長に直訴せよ」との行動指針があり、会社のHPにも掲載されています。戦後、台湾からの移民であった安藤百福によって創業された日清食品は、「チキンラーメン」を発明、その後、チキンラーメンの好評を見て、追随する業者が多く出たときも、1社だけの利益でなく業界の発展を考え、日本ラーメン工業協会を設立し、メーカー各社に使用許諾を与えて製法特許権を公開・譲渡しました。この時安藤は、「日清食品が特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」という有名な言葉を残しています。実際、特許の開放後、安藤の狙いどおり、即席麺は日本をのみならず世界中のマーケットを席巻しました。 

      

本当に直訴した例があるか?気になるところですが、会社の目的や存在意義がビリビリ伝わるメッセージではないでしょうか 

 

ピラミッド型組織は昔は良かったが今は時代遅れ、このままでは日本経済を滅ぼすそもそもピラミッドはお墓。そんなピラミッドの中で働く人は死体も同じ」ピュートルフェリクスグジバチ氏(Google社の人材開発) 

 

会社は社長の写し鏡といわれます。台湾で生まれ、辛酸をなめながらも50をすぎて羽ばたいた安藤百福の生涯は、日清食品の厳しくもユニークな社訓にうつされています。

 

 平成30年度後期のNHK「連続テレビ小説」99作目となる「まんぷく」でモデルとなるのは、今や私たちの生活に欠かせない「インスタントラーメン」を生み出した日清食品の創業者・安藤百福(ももふく)さんとその妻・仁子(まさこ)さん ドラマでは、戦前から高度経済成長時代にかけての大阪を懸命に生き抜く夫婦の物語が描かれます。安藤百福さんの関連資料はあるものの、妻・仁子さんに関しての書物や資料は少なく、夫婦の偉業を軸にしたオリジナルストーリーになるとのこと

 

(参照:武将ジャパン)

 

https://bushoojapan.com/theater/manpuku/2017/12/11/107228?fbclid=IwAR3fNL-39MUffXRmZujqMEtsmcQ7SLwGRT5BQ82rpj3ogQXT5kijo9hcVAk 

 

「人生何が起こるかわからない。カーネル・サンダースだって60過ぎてからフライドチキンを始めたんだ」
そんな台詞をハリウッド映画の中で聞いたことがあります。 

いかにもアメリカっぽい喩えですが、これがもし日本であれば、ピッタリ当てはまるのが安藤百福ではないでしょうか。50才を目前にして、仕事も財産も失う――そこからインスタントラーメンを作り上げ、日本の国民食、いや世界に愛される食品にした男。一言で言えば、それが安藤百福です。 

彼は一体どんな発想で、いかなる工夫をして、インスタントラーメンを世に生み出したのか。NHK朝ドラまんぷくモデルにもなった偉人の生涯を、生い立ちから追ってみたいと思います。

台湾で生まれ育ち、料理が得意な少年に

 

ときは明治43年(1910年)。 当時、日本の領土であった台湾・嘉義庁(現在の嘉義市・かぎし)で百福は誕生しました。百福は、もとの名を「呉百福」と言い、のちに日本へ帰化するのですが、両親は幼い頃に亡くしております。彼は、2人の兄&2人の妹と共に、台南州(現在の台南市)へ移り、織物販売業を営む裕福な祖父母のもとで育てられるのでした。 

祖父は厳しい人でした。マナーや家事の仕方を孫たちにしっかりと仕込み、自分の面倒は自分で見るよう躾けます。彼らの工場には多くの職人たちが出入りをしており、いつも賑やかな環境でした。常に商売と身近な場所で育った百福は、ものづくり、商売に興味を持つ少年に育ちます。そろばんを触って遊ぶこともありました。 

躾どおり幼い頃から掃除、洗濯、調理を学び、自立心も旺盛。高等小学校(現在の中学校)に上がると、誰に言われるまでもなく、自分と妹たちの朝食と弁当を作るようになります。やがて妹二人と祖父母の家を出て暮らしたいと言い出し、許されました。 

そして昭和7年(1932年)、22才になった百福は起業を決意。目を付けたのは、当時まだ珍しかったメリヤスでした。現代では「ニット」と呼ばれる製品です。百福は亡父の残した資金を元手に、台北で「東洋莫大小」(東洋メリヤス)という会社を興します。そしてその翌年の昭和8年(1933年)には、会社の本拠地を日本の大阪へと移すのでした。

  

 

大阪で起業間もなく戦争が始まった

大阪に拠点を映した百福は、様々なアイデアで会社を発展させようとします。そんな最中でも様々なアイデアを考えていた百福ですが、軍用機エンジン部品に手を出したことが、彼の運命を暗転させます。ある日、エンジン部品資材が誰かに盗まれてしまいました。憲兵隊にそのことを通報すると、イキナリ逮捕されてしまったのです。 

「本当は貴様が横流ししたんだろ! 他人に罪をなすりつけるつもりか!」あらぬ罪を押し付けられた百福は留置所で過ごすことになりました。幸い、知人の口添えがあり、拘束は45日間で済みました。が、出所後も、商売どころではありません。大阪は連日の空襲により焼け野原と化していたのです。 

そして昭和20年(1945年)、815日。 疎開先の兵庫県で、百福は玉音放送を聞いたのでした。 

 

 

戦後は、無償で払い下げられた土地で製塩業を始める 

 

薄い鉄板を並べ、そこに海水を流し、太陽光で熱して凝縮する製塩。 さらに彼は、漁船二艘で鰯を捕り、干物にして売り出します。 人を幸せにしたいと願う百福は、売れ残りの塩や、塩にのりを加えたふりかけを近隣の人々に配りました。そんな彼を慕い、多くの若者たちが百福の工場に出入りするようになります。

知人に頼まれ、信用金庫の理事長になるのですが、杜撰な経営がたたってあっという間に経営が破綻してしまうのです。昭和32年(1957年)のことでした。残ったのは借家のみ。妻子を抱えて、47才で味わうドン底です。

 

しかし、百福は諦めません。この辛酸をなめた経験をも糧にして、世紀の大発明「チキンラーメン」が誕生するのです。

 「日本人とラーメンの歴史」

ここで、日本におけるラーメンの歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。かん水を用いた中華麺が初めて日本で作られたのは、15世紀とされています。 17世紀には、滅亡した明から亡命してきていた朱舜水が、中華麺を水戸光圀に振る舞ったとされています。

 

しかし、一般的に広まることはありません。 庶民も口にするようになったのは、明治の開国以降です。中国大陸や台湾からの留学生、出稼ぎ労働者たちが、中華料理を広めるようになったのです。 

20世紀に入ると、中華料理店やラーメン店が開業しました。 太平洋戦争の最中に閉店したものの、戦後闇市で復活。百福が見たのはまさにこのラーメンでした。 それだけ日本人の口に支持されていました。 

 

チキンラーメンへの道のり 

そのころ「経済白書」に「もはや戦後ではない」と言われるようになっており、終戦直後の深刻な飢餓は、既に過去のものとなっていました。それでも、だからこそ、ラーメンの需要はあるはずだ。 百福はそう確信しておりました。かといって、ラーメン店や屋台をやろうというのではありません。 あっという間にできる即席ラーメンを作る。 それが百福の考えでした。

百福は裸電球を吊り下げた小屋を自宅そばに作り、自転車で調味料や調理器具を運び込むと、朝の5時からヘトヘトになるまでラーメン作りに没頭しました。そして世界初となる瞬間湯熱乾燥法をうみだし、あの「チキンラーメンが誕生するのです 

   

 

チキンラーメン発売開始 そして大ヒット! 

大阪梅田の百貨店地下に、食品売り場の試食コーナーがありました。昭和33年(1958年)8月、そこにいたのはスーツを着込んだ百福。 テーブルの上には丼と箸、そしてやかんだけ。 丼の中には、誰も目にしたことのない奇妙な糸の塊が入っていました。

 

「お湯をかけてたった二分! ラーメンですよ、是非めしあがってください!」

 

チキンラーメンはあっという間に完売御礼となります。 アメリカの貿易会社でも大好評でした。

 

「食はボーダーレス、国境はない」ラーメンが好きな日本人だけではなく、アメリカ人にも好評であるということに、百福は手応えを感じたのです。この年の12月、「日々清らかに豊かな味を作りたい」という願いのもと、百福は社名を「サンシー殖産」から「日清食品」に変更しました。

 

 

全国区への拡大と類似品との戦い 

19602月、拡大するニーズに応えるべく、日清食品は新工場をオープンさせました。一日10万食を作るこの工場の前には、一刻も早く出荷すべく、トラックがずらり。 しかし、ブームになると問題も出てきます。 

「類似品の横行」です。当時は今ほど特許に厳しくなく、ヒット商品のパチもん・パクリ物が横行するのは当然の状況。 もはや嫌な予感しかしませんが、あるとき日清食品に「チキンラーメンで中毒を起こした!」という訴えが入りました。

しかし、製造過程を調べても、問題はない。 古いものを食べたのか。 そんな風に疑いもしましたが、原因は別のところにありました。中毒を起こした人は、他者の粗悪な模造品を食べていたのです。こうしたコピー品騒動を何とかしようとしても、対策は追いつきません。 果てしなきイタチごっこで消耗するよりは、業界で一致団結してよりよい食品作りを目指したほうがよい。かくして1964年、「社団法人日本ラーメン工業協会」(現日本即席食品工業協会)が設立され、百服は初代理事長となりました。 私たちが現在、様々なメーカーのインスタントラーメンを安心して食べられるのも、こうした百福や業界協力のおかげなのですね。 

1970年代までに、日本では年間35億食のインスタントラーメンが消費されるようになりました。

 

 

絶え間なき挑戦 次はカップヌードルへ

チキンラーメンで大成功を収めても、走ることを止めない百福。それはアメリカで海外視察の際に見かけた光景でした。 日本と違い現地には丼がないため、紙パックにチキンラーメンを入れて食べていたのを見て思いつくのです。

「最初からパックに入れたインスタントラーメンを作ってみたら、どうだろう?」

  

1966年から温めてきたこのアイデアを、百福はついに着手、ここでも持前のバイタリティーを発揮し、幾多の困難をのりこえ、チキンラーメンの発明につづく大発明「カップラーメン」が誕生したのです。

 

 

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極寒の長野 浅間山荘事件が後押しとなった

 

昭和46年(1971年)、ついにカップヌードルが販売開始されました。しかし、チキンラーメンほど爆発的に火が付きはしません。 そんな苦境を劇的に変えたのが、昭和47年(1972年)2月。 「あさま山荘事件」でした。

 

場所は冬の長野県。 山荘を取り囲む機動隊員たちは、寒さのあまりたちまち凍ってしまう食事に難儀しておりました。 そこで提供されたのが、熱いまま食べられるカップヌードルだったのです。

  

 

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浅間山荘事件でお馴染みの浅間山荘/Wikipediaより引用

 

そしてその姿は、視聴率90パーセントを越えたとされるテレビ中継に乗って全国へ流されました。 日本中が固唾を呑んで事件を見守る中、捜査員がすするカップヌードルにも注目が集まったのです。この事件以降、カップヌードルは爆発的に売れるようになったのでした。

 

「食足りて世は平らか」(食足世平)の精神

 

昭和60年(1985年)、百福は引退し社長の座を息子に譲りました。リタイアライフを悠々自適に……と思いきや、その10年後の平成7年(1995年)、文字通りの激震が関西地方を襲います。

「阪神・淡路大震災」です。

  

 

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阪神淡路大震災直後の阪神高速3号神戸線/写真提供:神戸市

 

真冬の早朝に関西一円を襲った恐怖の天災。全国ネットで放映されるテレビ画面には、あのときと同じく壊滅した市街地、戸惑うばかりの被災者たちが映し出されておりました。 百福の脳裏には、戦後の焼け跡で飢えていた人々の姿が浮かんでいたのです。

 

 

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阪神淡路大震災直後の長田区鷹取商店街周辺/写真提供:神戸市

 

そこで当時85才の百福は、日清食品で救援隊を組織するよう自ら命じます。 

給湯機能つきのキッチンカーとライトバンが、15千食ものインスタント麺を載せて、避難所へ。
交通網が寸断される中、半日かけてインスタントラーメンが届けられます。

 

・平成16年(2004年)の新潟中越地震
・平成23年(2011年)の東日本大震災
・平成28年(2016年)の熊本地震

 

日本列島の巨大地震の多さに思わずゾッとさせられますが、人々が飢えに苦しめられているとき、日清食品はあたたかいインスタント麺を提供し続けてきました。それは戦後の焼け跡でラーメンをすする人々を見て、百福が思った創業理念「食足りて世は平らか」に基づいた行為なのです。

  

いつまでも止むなき挑戦 96才での大往生 

百福の挑戦は、最晩年まで終わりません。17年(2005年)、日清食品が4年の歳月をかけて作り上げた宇宙食「スペース・ラム」が、NASAから正式な認可を受けました。そして国際宇宙ステーション内で野口聡一飛行士が「スペース・ラム」を食べる中継映像が流れるのです。

 

 宇宙空間で食べるための工夫は大変なものでしたが、日清食品はそれをも克服。「人生に遅すぎるということはない」 スペース・ラムでの成功を見て、百福はしみじみとそう言いました。

 

そして平成19年(2007年)、百福は96才で大往生を遂げます。 

死の直前までゴルフをし、健康そのもの。彼を元気溌剌にしていたのは、挑戦を忘れない心を持っていたためか、それとも毎日食べ続けていたチキンラーメンのおかげなのか。それとも両方でしょうか。 

ニューヨークタイムズ紙は彼の死を追悼し「ミスター・ヌードル」と百福を讃えました。多くの人の腹を満たし、幸せにしたいと願い続けた百福の人生。その思いは現在も引き継がれ、日本のみならず世界中の人々が彼の発明したインスタント麺を味わっています。 

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■書籍概要

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063