南方熊楠 最後の言葉

 

 

 最後の言葉

「あぁ・・・天井に紫の花が一面に咲いている・・・医者が来ると花が消えてしまうから、今日は医者を呼ばないでおくれ・・・」

 

 

 

 南方 熊楠(みなかた くまぐす)

生誕:1867年5月18日(慶応3年4月15日) 

死没:1941年(昭和16年)12月29日)

 

日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者。

「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している 

 

生涯定職に就かなかったためにろくに収入が無く、父の遺産や造り酒屋として成功していた弟・常楠の援助に頼りっきりだった

  

小さい時から記憶力に優れた南方熊楠は、アメリカへ行ったころから様々な外国語を習得し、やがて18カ国に通じるとまで言われるようになった キューバ採集旅行中に資金が尽き、ハイチ、ベネズエラ、ジャマイカなどを2か月あまりサーカス団の一員となって生活したこともあった

 

南方熊楠は、明治から昭和の初期という日本が近代化に躍起になっていた時代にあって、18ヶ国語を理解し、博物学、生物学、人類学、宗教学、性愛学、民俗学、エコロジーなどの様々な分野の学問を縦横無尽に往来し、異能を発揮した世界的博物学者です。

 

現在、世界で最も権威のある科学雑誌とされる『ネイチャー』に掲載された論文の数は五十篇。『ネイチャー』に世界で最も多く論文が掲載された研究者が南方熊楠です。熊楠は東洋学の権威として世界に名を馳せました。

 

熊楠はまた日本の変形菌(粘菌)分類学の基礎を固めた生物学者でもあり、柳田国男とともに日本の民俗学を創始した民俗学者でもありました。その膨大な知識から南方熊楠は「歩くエンサイクロペディア(百科事典)」と呼ばれ、柳田国男をして「日本人の可能性の極限」とまで言わしめました。

  

幼少のころは興味のない科目には全く目を向けず散漫な態度を教師に叱られ、大学時代も勉学に打ち込む同級生を傍目に「こんなことで一度だけの命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい」と大学教育に見切りをつけ、生涯、名誉職にはつかない人生をあゆんでいます。

 

大英博物館の図書館で閲覧者に馬鹿にされた熊楠は大勢の前で頭突きを喰らわせ3か月の入館禁止となった。1年後に再度同じ者を殴打したため博物館から追放されたが、学才を惜しむ有力イギリス人たちから嘆願書が出され復職しています。

  

熊楠は自然保護運動における先達としても評価されており。明治政府が神社合祀令を出した際には、神社の鎮守の森が失われることを危惧し反対運動を起こす。これに関しては特に、田辺湾の小島である神島の保護運動に力を注いだ。結果としてこの島は天然記念物に指定され、後に昭和天皇が行幸する地となった。熊楠はこの島の珍しい植物を取り上げて保護を訴えたが、地域の自然を代表する生物群集として島を生態学的に論じたこともあり、その点できわめて先進的であった

 

■宇宙から、菌まで!熊楠の豪快語録

 

「世界に不要のものなし」  

多くの菌類や黴菌は、まことに折角人の骨折って拵えた物を腐らせ悪むべきの甚だしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進もならず。そこを醗酵変化分解融通せしめて、一方に多く新たに発生する物に養分を供給するから実際一日もなくてならぬ物だ。

 

 

「宇宙万有は無尽なり。

ただし人すでに心あり。

 

心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。 

 

宇宙の幾分を化して おのれの心の楽しみとす。

これを智と称することかと思う。」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 画像は、『南方熊楠』(水木しげる著)

 

■昭和天皇との交流

 

現代でも尊敬をあつめる天皇家ですが、昭和初期の時代には、現人神と称えられるほどでした。

この時代、一般の市民が昭和天皇と交流をもたれることはもちろん、遠くから拝見することも、あるいは御声をきくこともない時代に南方熊楠は、ご進講という形で交流をもたれています。

 

これは、ご自身も変形菌学者でもあった若き昭和天皇が熊楠に会いたくてご指名されたものです。

関係者一同が、奇人でしられ無位無官の南方熊楠によるご進講を阻止しようと躍起になるなか、天皇ご自身の強い意向で世紀の面会が実現しました。

 

熊楠自身、 「無位無冠の者を御召鑑に召さるるは先例なきことにて、県知事や衆議員すら供奉鑑に陪乗するも、御召鑑へは小生一人限り召さるるなり」という異例のご進講となった

 

熊楠が保護に努めた田辺湾に浮かぶ神島(かしま)に天皇を迎え、その後、御召艦長門上でご進講。キャラメル箱に収めた変形菌標本110点などを熊楠が進献しています。この標本は、昭和天皇のコレクションとして、終生手元におかれ、ご逝去後も大切に管理されているそうです。

 

ご進講に先立って、昭和天皇は、胸おどる気持ちを次のような御句でしめされました

 

  有難き御世に樗(おうち)の花盛り

 

その後、神島に昭和天皇行幸記念碑を建てることとなり、その記念碑には熊楠が詠んだ歌が刻まれています

 

  一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ

 

そして、大東亜戦争をはさみ、熊楠の死去後、昭和37年(1962年)、昭和天皇は南紀行幸した折に白浜の宿から神島を眺め、33年前に出会った熊楠を追憶し、歌を詠みました。

 

  雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ

  

この昭和天皇の歌は熊楠の歌に対する、時を越えた返歌のようです

いやしくも天皇陛下に献上される品々をキャラメルの箱に収めた熊楠を、昭和天皇は愉快に受けいれられ、終生この出会いを大切にされたことがわかっています。

 

また、田辺湾に浮かぶ神島(かしま)は、昭和天皇の行幸がきっかけに自然保護区に指定され、いまも貴重な動植物を現代に遺しています。昭和初期、戦争に突入しようとする暗い時代に、自然保護などほど遠い時代背景のなか、熊楠という名の「才能」が、昭和天皇へのご進講という奇跡を引き寄せたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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