ダニエル井上 家訓「ギムとメイヨ」

 

 

 

 

 イノウエ家 家訓

『ギムとメイヨを忘れるな』

 

祖父から“ギム”と“メイヨ”というふたつの言葉を忘れるなと言われました。人生には果たすべき多くの義務がある。名誉をもってそれらをなし遂げなさい、と教えたかったのでしょう。私は今までこれに従って生きてきました

 

 

ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエ(Daniel Ken"Dan" Inouye)

生誕:1924年9月7日

死没:2012年12月17

 

アメリカ合衆国の政治家。元アメリカ陸軍将校、上院議員、上院仮議長。日本名は井上建(いのうえけん)。

 

1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人であった。2010年6月28日に最古参であったロバート・バード上院議員が死去したことで、上院で最も古参の議員となり、またこれに伴い慣例に沿うかたちで上院仮議長に選出、亡くなるまで同職にあった。上院仮議長は実質名誉職ではあるものの、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものとなる。また第二次世界大戦時はアメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。アメリカ陸軍での最終階級は陸軍大尉。

 

ハワイ大学在学中の1941年12月に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後、ハワイでの医療支援活動に志願、その後アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦う。

 

イタリアにおけるドイツ国防軍との戦いにおいて、1945年4月21日にドイツ軍と交戦中、右腕を負傷し切断、1年8ヶ月に亘って陸軍病院に入院したものの、多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国。日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる。1947年に陸軍大尉として名誉除隊した。右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道をあきらめ、ハワイ大学に復学して政治学を専攻することとなる。

 

■アメリカ大統領継承第3位の栄誉。日系人初の上下両院議員として

 

大学卒業後は政界に進出し、1954年には準州であったハワイ議会の議員に当選した。1959年には民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる。

 

その後、1963年には上院議員となり(同じく第442連隊戦闘団員であったスパーク・マツナガも下院議員に当選する)、戦時補償法の制定などに尽力する傍ら、1973年にはウォータゲート事件と1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長となり注目を浴びる。

  

1980年代に、日米間の貿易摩擦が政治問題化した際には、リチャード・ゲッパートなどと共に、対日批判の急先鋒として立ち回ったが、晩年は日本に対して融和的で、2007年には中華人民共和国や韓国が主張する「慰安婦強制連行説」に立脚するアメリカ合衆国下院決議については、大日本帝国軍人による慰安婦への暴行抑圧は疑いの余地はなく、日本政府の6人の首相と2つの衆議院決議が1994年以来問題を認め謝罪を行ってきたことを尊重するべきであるとして、対日外交の継続性の観点からあらたに謝罪を求めることに反対した

  

2012年12月、ワシントンD.C.郊外のメリーランド州ベセスダにあるジョージ・ワシントン大学附属病院(英語版)に入院し、酸素吸入の処置を受けていたが、合併症のため死去。88歳没。死去の前、「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあ、できたと思う」と述べ、最後の言葉は「アロハ(さようなら)」だった。

 

死去に際して、オバマ大統領は「真の英雄を失った」「彼が示した勇気は万人の尊敬を集めた」との声明を発表したのに続き、パネッタ国防長官、クリントン国務長官、上下両院の軍事委員長らが相次いで功績を称えた。同月20日、遺体を納めた棺がアメリカ合衆国議会議事堂中央にある大広間に安置され、追悼式典が開かれた。大広間に遺体が安置されるのは、エイブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディなど一部大統領や、ごく少数の議員に限られており、イノウエ議員は全体でも32人目、かつアジア系の人物としては初めて大広間に遺体が安置された人物ととなった

 

 日本の野田佳彦首相はイノウエ夫人に書簡を送、藤村修官房長官は「在米日系人社会の結束を強化するなど、日系関係の発展に尽力され、その功績は言葉では言い尽くせない。ご遺族、米国政府、米国民の皆さまに心から哀悼の意を表したい」と弔意を表した。

 

2013年5月24日、アメリカ海軍の新造アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の艦名が「ダニエル・イノウエ(DDG-118)」に決定したと発表された。8月、大統領自由勲章追贈もされています

 

 

■誰よりもアメリカ人らしく。誰よりも日本人らしく。

 

明治32(1899)年に福岡県の小さな村で火事が起こらなかったら、米大統領継承順位3位まで上り詰める日系上院議員の存在はありませんでした。火元とされ弁償費用を稼ぐためハワイに移住したのが、17日に亡くなったダニエル・イノウエ氏の祖父母だったからです。

 

日本名 井上「建」の由来はそこにあるのだといわれています。

 

桐花大綬章 受章勲章伝達式でのイノウエ議員の挨拶では

「(ハワイ移民の)祖父から“ギム”と“メイヨ”というふたつの言葉を忘れるなと言われました。人生には果たすべき多くの義務がある。名誉をもってそれらをなし遂げなさい、と教えたかったのでしょう。私は今までこれに従って生きてきました」とのスピーチを残されました。これは日本を離れアメリカでの生活をよぎなくされたイノウエ家の家訓だったのではないでしょうか?

 

 大戦中の日系人部隊の英雄でもあったイノウエ氏。人種差別をはね返すには、戦場で勇敢に戦い、アメリカのために血を流すしかない、と彼らは信じたうえでの行動でした。日系人部隊による欧州戦線での武勇伝は語りぐさになっており、イノウエ氏自身も、ドイツ兵に腹と右肘を撃たれて右腕を失いながら、左手で手投げ弾を投げつけて相手を倒したという伝説がのこっています。

  

イノウエ氏の証言では、

「隊員たちは皆、家族に不名誉の名は着せられない、家族が自分を恥じないようにしたい、と言っていました。家族への不名誉はなによりも耐え難かったのです。」と語っています。

 

ダニエルイノウエ氏だけでなく、多くのの日系人は、内と外。差別と敵。様々な矛盾と向き合い葛藤しながらも、あるものは戦場で、あるものは誠実な市民として、アメリカにおいて真の市民権を獲得していくのでした。

 

大戦後、アメリカと日本は、互いに強い結びつきをもち現在にいたっています。

しかしその礎には、日系人たちの人知れぬ戦いがあったことは、アメリカ史だけでなく、日本史のなかでも注目されてもいい出来事ではないでしょうか?

 

■真の日本人らしさとは?海を渡った日本人たちの歴史

 

世界第二位の経済大国となった日本にあって、わずか100年ほど前には、国外に移民を出さなくていけないほど貧しかったことは、想像できません。とくに移民第一世代のアメリカでは、おなじ仕事をしていても、白人の労働者が1日4ドルの報酬をもらうなか立場の弱い日系移民は、わずか30セントの賃金でしかなかったと言われています。夢をかかえ日本をでた移民の多くが貧困と差別のなかでその生涯をおえていったのです。

 

しかし日系移民たちは、苦しい生活のなかでも、地位の向上と生活の安定をめざし、たゆまない努力を重ね、移民の第二世代、第三世代を迎えるころには、現地の社会に受け入れられ、地域にかかせない存在となり現在に至っています。

 

なかでも25万人もの移民を受け入れたブラジルでは、【ジャパネース・ガランチード】(意:約束守る)という表現が生まれるほど現地に受け入れられ、「日本人なら間違いない!」といった絶大な評価があるそうです。またコーヒーなどの単一植物による土壌汚染に悩むプランテーションでも、日系人の発案した多品種を1つの畑でつくる複合式栽培が注目をあつめ、日本人が先祖から受け継いだ多様な価値観や自然を崇拝する心が、様々な場面で活躍をしはじめています。

 

現在、ブラジルでは日系移民の子孫たちは150万人にも膨れ上がっています。実は、日系移民の第一世代は、奴隷制度の廃止にともない人手不足の穴埋めとして利用された世代です。その社会的地位や経済力は、今と比べるべくも術もありません。しかし、ひたむきな努力の結果、いつしか、社会的マイノリティーから、社会から信用される存在へ生長させていきました。

 

日本から渡った第一世代から、2世、3世とへるごとに母国語(日本語)も話せない子孫も増える中、遠い異国の地であっても、躾や戒めを通じ、「日本人らしさ」を受け継いできたと指摘されています。日本人らしさを特徴ずける「勤勉さ」や、「人に迷惑をかけない」っといった素朴な哲学は、日本語から、ポルトガル語、スペイン語、そして英語と受け継がれ、目の色も言葉も違う日系の子孫たちが異国の地で、新しい日本人像をつくっています。

  

日系人の歴史には、日本を離れていたからこそ、大切にした「らしさ」があり、日本に返れないからこそ子どもたちに守らせた「らしさ」が ありました。豊かになった現代の日本にあって、そんな日系移民の歴史から「日本」を学ぶべきなのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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