アメリカ軍最強の兵士 日系人部隊442

 

 

 

 

 

  

 

日系部隊442 隊訓

『GO FOR BROKE』

(当たって砕けろ)

 

■日系人部隊とは?

第442連隊戦闘団(英: The 442ndRegimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる

 

■差別との戦い

日米開戦後、アメリカ本土で生活していた日系人たちは、それまでの市民権をはく奪され、強制収容所での生活を余技なくされます。同じ敵国であってもドイツ系、イタリア系移民にはとられなかった措置であり、また辛酸をなめ築き上げてきた財産も事実上没収されてしまいました。

 

自由と平等の国といわれるアメリカにあって、日系人たちへの仕打ちは、不当なものであり、のちにこの処置全体の違法性が認められますが、それは戦後50年もたってのことでした・・・。とくに、アメリカ生まれで、アメリカの教育で育った移民2世達は、敵性外国人のレッテルを貼られて人里はなれた荒野に隔離される生活のなか、どうにかして、日系アメリカ人が「アメリカ人」であることを証明したいとの機運をたかめ、2世を中心とした志願兵をあつめた日系人部隊(442連隊)の結成につなげるのでした。

  

それは、アメリカ生まれの日系人たちによる自由と差別。そして祖国との戦いです。

 

各地の収容施設から多くの若者が志願し、米国政府に国民としての権利を奪われながら、国の為に戦う・・・

その余りにも複雑な心情を別の時代の他人が推し量ることは難しいものです。

 

施設に押し込められた約12万人の日系移民たちの代弁者として、鉄条網の内から戦地へおもむき、そしてその多くが、2度と家族の待つ家に帰ることはなかったのでした・・・

 

 

■GO FOR BROKE(当たって砕けろ)アメリカ史上最大の勲章をもらった勇士たち

  

死傷率とは、派遣された兵士が、死亡もしくは、重傷をおったことを示す数字です。

日系人442部隊の死傷率は、戦死者は約700人、戦死傷率は314%という高率は、この死傷率は、連隊兵士一人当たり、平均3回以上も負傷している計算になります。

 

 「GO FOR BROKE」の合言葉どおり442連隊は、破竹の勢いで数々の武勲をたて、最終的にはアメリカ軍隊始まって以来の最多勲章授受に輝き、現在もその記録は破られていません。

 

しかしそれは高い死傷率に裏打ちされていました。英語では勲章を付ける(飾る)事をDecorate(Decoraion)と言いますが、442連隊が余り勲章を沢山もらうので「クリスマス・ツリー連隊」とあだ名が付いたほどです。つまりデコレーションがいっぱい、と。そしてデコレーションは、一人で二度も三度も負傷してまた前線に復帰した連中が血で贖ったものでした。

 

とくに、北フランスの森林地帯でドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出作戦では、他の部隊が次から次へと失敗し、この戦闘は”Lost BattalionfromTexas”(行方不明のテキサス大隊)としてアメリカ本国では毎日の様に新聞に出て、陸軍は一体何をしているのだ!と批判にさらされていました。

 

当時のルーズベルト大統領はこう着状態を打破するため、日系人442部隊の投入をきめます。そして部隊は期待にこたえドイツ軍を撃破、しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重傷を負うこととなったのです。

 

救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、第442部隊の少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と激怒して掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されている。この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになりました

 

また、テキサス大隊救出作戦後、アメリカ軍の少将が戦闘団を閲兵した際、中隊に18名、中隊には8名しかいないのを見とがめ、少将が「部隊全員を整列させろといったはずだ」と不機嫌に言ったのに対し、連隊長代理のミラー中佐が「目の前に並ぶ兵が全員です。残りは戦死か入院です。」と答えたという話が残っています。その報告を聞いたダールキスト少将はショックの余りスピーチさえ出来なかったといわれています。

   

その後連隊は、イタリア戦線に戻ります。当初、スパイ疑惑や人種差別のために厄介者扱いだった日系部隊でしたが、大戦末期には、アメリカ軍内の信用を勝ち取り、精鋭部隊として最前線に派遣されたのです。

 

「日系部隊が来たからには、1週間で突破できる」現地ではそんな期待の声まで上がるなか、ここでも連合国側の期待にこたえ膠着状態だった難攻不落の砦の一つを僅か30分の奇襲で陥落させたこともあったほどでした。

 

イタリア戦線でも随一の実績をのこし、ローマ解放を実現するものの、部隊はローマに入ることを許可されず、ローマを迂回しての北方への進撃を命じられています。当時のニュース映像には後続の白人部隊が勇ましく進撃する様子だけが記録されました。

 

その後、第442連隊戦闘団はイタリア北方で終戦を迎えています。隷下の第522野戦砲兵大隊は、フランス戦後はドイツ国内へ侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所の解放を行っています。ただし日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはありませんでした。

 

ヨーロッパ戦線の終結から1年が過ぎた1946年夏、ワシントンD.C.で442連隊の表彰式が行われています。

これは大統領が直接迎えた唯一の部隊となる栄誉となりました。整列する日系兵士の前でトルーマンは、こう語りました。

 

「諸君は、敵だけではなく差別とも戦い、そして勝った」 っと

  

ただし、命をかけた自由と差別への戦いも、戦後も日系人への人種差別に基づく偏見はなかなか変わりませんでした。部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちも、白人住民から「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といった敵視・蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれたのです。

しかしその後も日系人たちは、抗議や暴動でなく、誠実に市民として生きることで信用を勝ち取り、いつしかアメリカ国内での地位を確固たるものとしていきます。その背景には442連隊が払った「血の犠牲」が、信頼を勝ち取って行ったことは間違いありません

 

 

 ■日系人兵士たちの手紙

 

(出典:ドウス「ブリエラの解放者たち」)

  

御母様、此のまえの御手紙を有がとう御座います。僕は達者で日々をくらして居ますから御安心下さい。御父母様、此の手紙がよめますか。僕は長いあいだ日本語をつかわないので今では頭をしぼりながら此の手紙を書いて居ます。僕もまださいさい日本語で御父母様に御手紙を書きとうはございましたが、なんと言ってもへたな僕ですからどうぞかんにんしてください。

 

御父母様、僕達のことは心配して下さるな。何事にも気をつけますから、どうぞ御安心下さいませ。かならず犬じにはしません。御母様の言ったとおりしぬる事はだれでも出来ます。ほんとうのてがらはよく国のためにつくし、その上、いきてかえるのがてがらです。えんがあれば又僕達兄弟は御父母様のこいしきあいをうける事が出来ますでしょう。ではめでたい日まで。さようなら

 

こいしき登より

 

 

■海を渡った大和魂

  

日本人とはなんでしょう?

日本に暮らす人なのか、民族なのか、はたまた共通の価値観を共有する仲間なのか???

 

海を渡った日系人の歴史に触れると、「日本人とは?」という疑問と、果たして自分は日本人なのか?という疑念にさいなまれます。

 

ドキュメンタリー映画『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』は、従来と異なる新たな視点を掘り起し、この日本人論に1つの結論を示しました

 

大東亜戦争が始まる前。カリフォルニア州の日本語学校に通っていた少年は、東條首相から学校に届いた手紙の内容を知って驚きました。手紙には、こう書かれていたという。

 

「これは君たち2世への手紙である。君たちはアメリカ人である。従って君たちの国に忠誠を誓わなければならない」

▽日米文化会館トウナイ元会長(『442』より)

 

442部隊に所属していた、ダニエル・イノウエ少尉は、はじめての戦闘を迎える前に、仲間の兵士に対して「昨夜寝る前に何を考えたか」聞いて回った。すると全員が同じように答えたという。

 

「家族が不名誉になるようなことはしたくない。恥にならないようにしたい」っと・・・

日系2世の心意気は、同時代の皇軍兵士と少しも変わらないものでした。

 

体格で劣る日系歩兵部隊が強かった理由は、犠牲を覚悟で本隊を勝利に導く、他にない戦術にあったのではないか

…正にサムライ・スピリット。敵味方ともに白人兵は震え上がったに違いありません

 

あなたは不思議に思いませんか?

日系2世の兵士は誰に教わったのでもなく、多くの戦場において、自らの意思で死をも恐れない突撃を繰り返しました。恐らく、危機的な局面で彼らを突き動かしたのものこそが、大和魂だったのではないでしょうか?

 

昨今の風潮では、日本の兵隊さんを「軍国教育」「皇民化教育」の落とし子として鬼子のように扱います。

しかし、日米の比較や、多くの悲劇を生んだ昭和初期の歴史を学ぶことこそ、真の教訓が生まれるものと確信しています。

 

アメリカ市民として生まれ、アメリカの教育で育った日系2世たちが、どうやって崇高なる「大和魂」を身に着けたのでしょうか?

大和魂とは、明治以降のものでも、戦国時代に由来するものでもない。もっと古い民族の地層から湧き出てきた精神です。それは、学校の教科書にのるものでもなく、ただ親から子へ脈々と引き継がれてきた魂なのかもしれません

 

自分がそんな魂をもっているか?はなはだ恥ずかしい限りです

ただし、先の東日本大震災の際には、被災地であっても他をおもんぱかる日本人の姿が世界中に発信され大きな感動をうみました。

日本全体にバチンと入ったあのスイッチこそが、「大和魂」であり、また日系442部隊をうごかした原動力になったのではないでしょうか?

 

さいごに大和魂を唄った吉田松陰の句を紹介させていただきます。

 

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

 

やむにやまれぬ状況になるまで追い込まないよう、また追い込まれないように、平和な時だからこそ出来る努力もあるはずです。

幡谷哲太郎は、おのおの家族の安寧を家訓づくりでサポートするのはもちろん、日米両国の英霊に敬意をはらい悠久の平和を誓います。

 

参照:東アジア黙示録

http://dogma.at.webry.info/201505/article_2.html

 参照:NAVERまとめ 「日系人部隊442」

http://matome.naver.jp/odai/2138937929586359001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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