水木しげる 家訓

 

 

 

 

 

 

 

 

水木しげる家訓

『世間の常識より、父親の常識』

 

 

水木 しげる(みずき しげる)

生誕:1922年3月8日

死没:2015年11月30日

 

日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)

 

鳥取県境港市出身、東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に経営していたアパート「水木荘」から名付けた。1958年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。40歳を超えてから人気作家となった異例の経歴で、その苦労と半生を紹介した「ゲゲゲの女房」は、ベストセラーとなり、NHK朝の連続ドラマ小説としてドラマ化され、人気を博した。

 

幼少時、まかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)に可愛がられ、彼女が語り聞かせた妖怪話の強い影響を受けた。

 

高等小学校卒業を経て、画家を目指して大阪で働きながら学ぶ。やがて1943年、夜間中学3年生在学時に召集され軍人(兵)となった。太平洋戦争下のニューギニア戦線・ラバウル方面に出征、過酷な戦争を体験。同地で爆撃を受け左腕を失う。一方で、原住民のトライ族と親しくなり、数々の妖怪に出会う、戦後はニューブリテン島に残ることも希望したが叶わず、再会を約束して帰国した。

 

復員後、貧窮により画家になるのを諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京。1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビュー。1961年、飯塚布枝と見合い結婚。

 

1963年、代表作『悪魔くん』を貸本の東考社から出版したが、貸本漫画界が下火になったことから、1964年に『ガロ』で商業誌デビュー。1965年に『テレビくん』が講談社児童まんが賞を受賞したほか、貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』といった作品が『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』にそれぞれ掲載され、以降、妖怪を扱った作品により人気作家となった。1966年には『悪魔くん』が水木作品として初めてテレビドラマとして映像化された。最大のヒット作となった『ゲゲゲの鬼太郎』は1968年より5度TVアニメ化されている。1993年、幼少期を過ごした境港市に町おこしとして水木しげるロードが建設され、2003年には水木しげる記念館が開館した。

 

2015年11月30日、永眠。生きる妖怪が、本物の妖怪になったっと、惜しむ声とこれまでの歩みを賛辞する声がちまたに溢れています

 

 

■水木先生の子育て論


妖怪ランキングで上位にくいこむ?水木先生の子育て論も、作風に似て、どこかユーモアにあふれる独特のものです。大人気となった朝の連ドラ『ゲゲゲの女房』でも、子ども達が、寝ることが最高の幸せとの持論に従い、寝坊を推奨する?姿が描かれました。

 

武良家家訓(先生の本名)は、「世間の常識よりも、父親の常識」というもの。

一見、亭主関白にも思わせながら、ユーモアと先生の人生論を背景にした素晴らしい家訓です。

 

そんな先生の子育て論が、著作である『水木しげるの幸福論』では、水木先生の人生観を反映した幸福の7カ条として紹介されています。

 

 

幸福の七カ条

 

第一条

成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

第二条

しないではいられないことをし続けなさい。

第三条

他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

第四条

好きの力を信じる。

第五条

才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

第六条

怠け者になりなさい。

第七条

目に見えない世界を信じる。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■水木先生の壮絶な従軍体験

 

昭和10年代、不幸にして、戦争でしか平和を求められなかった時代に、水木先生は青年期をすごし、同世代の若者と等しく徴兵され厳しい従軍体験をへられています。

 

水木先生の転戦先は、ニューギニア戦線。激戦がつづいた大東亜戦争にあっても、とくに悲劇的な地で多くの時をすごしました。ニューギニアにおける戦いは過酷な自然環境との戦いでもあったといわれています。日本兵の死因の多くは直接の戦闘によるものでなく、マラリア、アメーバ赤痢、デング熱、腸チフスなどの熱帯性の感染症と飢餓による栄養失調と餓死でした。水木先生自身も、仲間の中隊が全滅する悲劇にみまわれた他、自身の左腕を失うことになります。

 

当時、ニューギニア戦線に投入された第18軍将兵は16万名、西部ニューギニアも含めると日本軍は20万名以上が戦いに参加し、そのうち生きて内地の土を踏んだ者は2万名に過ぎなかったと言われています。

 

『総員玉砕せよ! 聖ジョージ岬・哀歌』は、水木しげるの従軍経験をもとに書き上げた自叙伝的作品です。そして、その作品には目をそむけたくなるような数々の悲劇が記録されています。

   

ニューブリテン島での戦争体験がその後の水木作品に影響を与えています。

 

激戦のなか、水木は銃剣とふんどし一丁でジャングルを数日間逃げ惑い、落ち武者狩りをやりすごしつつ、奇跡的に生還した。九死に一生を得て部隊に戻ると仲間達は喜んでくれたが、兵器を捨てて逃げた事を上官にとがめられた。「なぜ死なずに逃げたのか」と不機嫌な態度で詰問され、呆然としていると「死に場所は見つけてやるぞ」と言い捨てられとされています。

 

この時期の日本軍の迷走ぶりは常軌を逸したものです。

たとえば、「玉砕」命令の連発。これは、兵士の命を無駄にするばかりが、敵であるアメリカ軍にとっても、好都合な作戦でした。実際、玉砕を禁じゲリラ戦に徹した「硫黄島の戦い」や、「ペリリュー島」の戦いでは、連合国側も苦戦し局地戦にとどまらない戦渦をあげています

 

しかも、支隊本部の総員玉砕報告に反して生存者が出た場合、部隊長は、責任を取って自決するケースもあったと水木先生は、その作品のなかで糾弾しています。

さらに劣悪なのは、漫画の中では流れ弾にあたって戦死したことになっている本部の将校が、実は終戦まで生き残り、本土に帰国していることが、水木先生によって暴露されています。「えらい人は逃げるのはうまい・・・」とのコメントも、壮絶な戦いと、醜い人間模様が、のちの先生の作品に投影されていくのです。

 

天国にいく一番近い島・・・と、揶揄されたニューギニアでしたが、戦争末期には、島の原住民であるトライ族と交流する余裕ができたそうです。他の兵隊の様に威張らない水木を気に入ったトライ族から歓待を受け、水木の側も配給のタバコをお礼に渡すなどしている内に意気投合し、やがて集落の仲間として受け入れられました。軍規違反を承知で理由を付けてトライ族の集落に通い、トライ族の側も水木がマラリアで倒れると食料を持って見舞いに来てくれたそうです。

 

昭和20年8月25日、部隊長から「ポツダム宣言受託」についての訓示を受けた際には、軍内では落胆の声が広がるなか、水木は「生き延びた!」と思い、戦場で死ななかった事に感無量になったと記しています。その後、カゼル岬にあった連合軍の捕虜収容所に収監されて本国送還の順番を待つ間、トライ族から農地を分けるから一緒に暮らさないかと誘われ、永住することを真剣に考えたこともあったものの。大尉から「家族に会ってから決めても遅くないぞ」と助言され、帰国を決意しています。

 

歴史に「もし」はないものの、トライ族の元に戻らなかったおかげで、今、私たちは鬼太郎をはじめ、多くの妖怪と水木作品を楽しむことができます。ただし、水木先生にとっては、それが幸せだったかどうか・・・

鬼太郎のオープニングの歌詞は、そんな楽園にくらすトライ族との生活を思い出し、先生自身が作詞されたものです。

 

ゲゲ~ゲゲゲのゲ~♪

朝は寝床でグーグーグー

楽しいな 楽しいな お化けにゃ 学校も 試験もなんにもない

 

■目に見えない世界を信じる

 

先生自身の人生観を反映した幸せの七カ条の6番目と7番目にはこんな格言がのっています

第六条 怠け者になりなさい。

第七条 目に見えない世界を信じる。

 

水木先生は、ご自身の目で、「マジメ」な兵士が無駄死にしていく様を幾度となく見たことでしょう。怠けもののすゝめは、本質をみぬく慧眼にあふれた教訓です

そして、「目に見えない世界を信じる。」との一説が、幸福論の最後によせられています。

 

世界随一の妖怪研究家でもある水木先生ですが、実はジャングルの中を昼夜を問わず逃げ惑う最中に、ある妖怪に出会ったことを告白されています。その妖怪とは「ぬりかべ」です

 

真っ暗なジャングルをさまよう内に、突然大きな岩のようなものにぶつかり、行く手を遮られたそうです。疲労困憊していたこともあり、水木先生はその場で眠ってしまいます。

何時間かして、明るくなり目が覚めると、大きな岩はどこにもなく、目の前は、海へと落ちる断崖ぜっべきだったそうです・・・

 

「ぬりかべ」に命を助けられたという水木先生。人生を左右する瞬間なんて、紙一重で決まるものです。それが右なのか、左なのか、あるいは崖なのか・・・ 「幸運」と一言でいっても、自分の力で、できることなど、実はほとんどありません。目に見えない世界には、人生を助けてくれる秘密や、妖怪が?たくさんつまっているのでしょう

 

2015年11月30日 水木先生が永眠された旨、報道がされました。

心のどこかで、先生はずっと生きているっと思い込んでいましたが、残念でしかたありません。

 

しかし、生きる妖怪? 水木先生が、ようやく本物の妖怪になることは、先生の本望だったかもしれません

これからは、心置きなくたくさんの妖怪たちに囲まれて第二の人生を歩まれることを祈念します・・・ 合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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