マレーの虎 山下将軍の遺訓

 

 

 

 

 

 

 山下将軍の辞世の句

「待てしばし勲のこしてゆきし友 あとなしたいて我もゆきなむ」

 

尚、妻に宛てた辞世の句

「満ちて欠け晴れと曇りにかわれどもとわに冴え澄む大空の月」

 

 

山下 奉文(やました ともゆき)

生誕:1885年(明治18年)11月8日 

死没:1946年(昭和21年)2月23日)

 

日本の陸軍軍人。第二次世界大戦当時の陸軍大将である。官位は陸軍大将従三位勲一等功三級

 

 

■マレーの虎とは?

山下奉文はマレー攻略作戦の司令官です。マレーはイギリスの東洋太平洋における拠点で、とくにシンガポールは軍事上の要衝でした。山下将軍は陸路からマレー半島を縦断してシンガポールを攻略すべくコタバルに上陸。わずか二ヶ月という、信じられない速度で英軍を攻略しつつマレーを縦断し、シンガポールを陥落させました。

 

ついた異名が「マレーの虎」

当地のイギリス軍が二線級部隊であったことを勘案しても、歴史上希に見る電撃的な攻略戦でした。

 

マレー作戦で山下の名声は不動のものとなりますが、「次期総理大臣」という風評が広がったため東條英機に疎まれ、本国へ戻る道を閉ざされます。またこれ以上戦功をあげて名声が高まることも望まれなかったため、戦場からはるか後方の満州へと左遷され、戦争末期に至るまで実戦に関わることはありませんでした。

 

しかして一転、戦況が決定的に悪化すると担ぎ出されてフィリピン防衛戦を任されます。しかし、台湾沖航空戦の戦果を過信する大本営に山下の作戦は却下され、無謀なレイテ決戦が決定。絶望的な状況下で敗北することとなります。

敗戦後は、軍事裁判にかけられ、拘留されたフィリピンで絶命しています。

 

不遇の将軍、悲劇の将軍と言えるのではないでしょうか?


 

■植民地支配を打ち破る日本が成し遂げた奇跡

   

インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド国民は、日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。

ジャワハルラール・ネルー(独立後のインド初代首相)

 

戦争終了後 アジアは勿論のこと アフリカなど殆どの植民地が白人の過酷な支配から解放され、次々に 100 を越える植民地が独立の道を歩みましたが、その契機を作ったのは他ならぬ日本であったという歴史の事実、果たした役割の大きさについて、公平に評価しなければなりません。

英国 サッセックス大学の クリストファー ・ ソーン教授は著書 「 太平洋戦争とは何だったのか」において、

 

日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。

帝国主義の衰退が容赦なく早められていったことは、当時は ( 西欧人にとって ) 苦痛に満ちた劇的なものだったが、結局は ヨーロッパに各国にとって利益だと考えられるようになった。

 

と述べ、日本の 大東亜戦争において果たした役割を 評価しています。同様にある

ヨーロッパの歴史家によれば、

 

太平洋戦争は ヨーロッパ人が、アジアで傲慢に振る舞うことができた時代の終りという、アジアの歴史における大変化をもたらした、

とありました。

無知無能、怠惰、貧困、不潔などと白人支配者から蔑まれ、卑しめられた植民地における有色人種の間から、戦後に民族主義が台頭し、白人支配を打破してアジア、アフリカで多数の植民地が独立しましたが、これは太平洋戦争なくしては決して起こり得なかったことです。

 

もし日本が日露戦争に勝利せず、太平洋戦争も戦わなかったとしたならば、アジア、アフリカ地域の民族はいまだに欧米列強の植民地支配で虐げられていたに違いありません。

 

現に日本が戦に敗れると、従来の植民地支配を継続しようとして イギリス、フランス、オランダ軍がアジア地域に舞い戻り、インドネシアからマレー半島、インド、ベトナムに至るまで独立戦争の戦火が長期間絶えなかった、という事実からもそれはうかがえます。

 

イギリスの歴史家によれば、アジア、アフリカ諸国の独立は太平洋戦争により、国によっては 百年も早く訪れたと述べました。さらに日本は一般的な意味では戦争に敗れましたが、アジアの全植民地が欧米諸国による支配から解放され、独立を果たした事実を見るとき、前述の クラウゼビッツの戦争論に従えば、日本は疑うことなくアジア人の「植民地からの解放」という戦争目的を達成した。つまり結果的には戦争に勝ったのだ

 

という見方すらあります。前述の東京裁判の オランダ代表判事を勤めた レーリンクは、著書でつぎの様に述べています。

 

日本は 西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その後四半世紀も経たないうちに、昭和35年に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。

 

参考までに 国連で 植民地主義が 悪 と見なされるようになったのは 、太平洋戦争開戦当時 ( 1941 年 ) 、アジア と アフリカの独立国は日本を含めてわずか5か国しかなく、あとは欧米の植民地でしたが、有色人種国の日本が白人国家に敢然と戦いを挑んだ姿を見て民族主義が台頭し、旧宗主国と独立戦争を戦うことができたからでした。

その結果旧宗主国も戦後の時代の流れに抗しきれず、ほとんどの植民地が独立し、 国連に 百 を超える議席 を得たため、それら新興国の発言力が増大したからでした。


参照:シルバー回顧録より

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genin-2a.htm

 


■山下将軍からの日本人への手紙 

 

第二次世界大戦の廃墟の中から日本が立ち直っていくときの4つの要素を示した。

 

①日本人が倫理的判断に基づいた個人の義務履行。

この倫理観の欠如が、日本が世界からの信用を失ってしまった根本的な原因だと主張した。さらに日本人が間もなく得る自由が、この義務の観念を気づかせるのを難しくさせてしまうかもしれないと予測した。

 

「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」

 

 

②科学教育の振興。

彼は優れた科学が優れた兵器を生み出すことを認めながらも、核戦争の不安材料を恐れ、破壊よりも科学の平和的発展を主張した。

 

「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」

 

③女子の教育。

日本人の女性は、新しい自由と地位を尊び、世界の女性と共に平和の代弁者として団結しなければならないということ。

 

「従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。」

 

④次代の人間教育への母としての責任。

「私のいう教育は幼稚園或は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わるものは無いのであります。母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。子供が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

 

………これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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