本当に悪い人? 田沼意次 家訓

 

 

 

 

 

 

 

 

田沼 意次(たぬま おきつぐ)

生誕:享保4年7月27日(1719年9月11日)

死没:天明8年6月24日(1788年7月27日)

 

数々の幕政改革を手がけ、田沼時代と呼ばれる権勢を握った政治家。悪化する幕府の財政赤字を食い止めるべく、従来の農業主体の政策を一転、商いや工業を主体とした改革をおしすすめた。具体的には、株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、外国との貿易の拡大、印旛沼の干拓に着手する等の政策を実施した。その結果、幕府の財政は改善に向かい、景気もよくなった。

 

しかし、印旛沼運河工事の失敗や大火・浅間山の大噴火などの災害の勃発し、疲弊した農村部に追い打ちをかけるように天明の飢饉と呼ばれる食糧難や疫病が生じた。

意次は対策を打ち出すが挽回に至らず、都市部の治安の悪化、一揆・打ちこわしの激化により不満が高まり、江戸商人への権益を図りすぎたことを理由に贈収賄疑惑を流されるなど、次第に田沼政治への批判が集まっていく。

 

外国との貿易を黒字化させて国内の金保有量を高め、さらには北方においてロシア帝国との貿易も行おうとしていたほか、平賀源内などと親交を持ち、蘭学を手厚く保護し、士農工商の別にとらわれない実力主義に基づく人材登用も試みたが、これらの急激な改革が身分制度や朱子学を重視する保守的な幕府閣僚の反発を買う。

 

その後、意次は蟄居を命じられ、二度目の減封を受ける。所領は打ち壊し、城内に備蓄されていた金穀は没収と徹底的に処罰された。長男の意知は暗殺。他の3人の子供は全て養子に出されていたため、孫の龍助が陸奥1万石に減転封のうえで辛うじて大名としての家督を継ぐことを許された。同じく軽輩から側用人として権力をのぼりつめた柳沢吉保や間部詮房が、辞任のみで処罰は無く家禄も維持し続けたことに比べると最も苛烈な末路となった

その2年後にあたる天明8年(1788年)6月24日、江戸で死去。享年70

 

■本当に悪い人? 田沼時代の再評価へ

 

「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

解説:教科書にのる有名な狂歌です。

「白河の清き」とは、白河藩出身の老中松平定信を暗示した一節で、善政をひいたと言われる一方、庶民にとっては暮らしにくい世の中になったことを皮肉ったものです。

 

 

意次は、江戸時代を代表する?悪徳政治家として教科書にものる悪者です。しかしその悪評は、意次の後をついだ守旧派の陰謀であった可能性がたかく、現代の経済科学者からは当時の政策の正当性が高く評価されています。江戸時代の学問の中心となった儒学(朱子学)では、商人を低くみる悪癖があります。事実、意次以降、盤石を誇った徳川幕藩体制は崩壊の道を歩みます。商人の力を借りて改革をすすめ、貨幣経済を進行させた意次の政治は早すぎた英雄だったのかもしれません

  

失脚の原因となった贈収賄は江戸時代通じての問題で、それ自体も近代以後に比べればかえって少なかったという説も唱えられています。なお、田沼の没後松平定信によって私財のほとんどを没収されたが、そのときには「塵一つでない」といわれるほど財産がなかったとの逸話が残っています。

 

田沼失脚後に老中となった松平定信による寛政の改革が始まり、意次の政策は否定されていきます。定信は庶民の着物の柄まで制限するほどの質素倹約な方針をうちだし、浮世絵や歌舞伎など町民文化は規制の対象となり、良くも悪くも世俗的な田沼意次の政治を懐かしむ声がしめていたそうです。定信の就任当初は前者の歌が流行ったが、やがて改革が厳しすぎるとわかると後者の歌に取って代わられました。

 

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

 

意次の施政は、殖産興業などきわめて正統的で当を得た施政を行っており、ハーバード大学のジョン・ホイットニー・ホールは「Tanuma Okitsugu」において「意次は近代日本の先駆者」と評価しています。

 

 

■なんか似ている意次が活躍した時代の背景

 

意次は、商業を重視した政治家です。

 

江戸時代は農業政策を軸とした経済の仕組みを採用しており、天気の良しあしで国の内情が激変する危ういものでした。また幕府発足時には、盛んにおこなわれていた貿易による利潤も、儒教が浸透するにつれ、お金そのものを卑しいものとみなし、積極的な伸長は試みられませんでした


安定した幕府政治も完璧という訳ではなく、様々な矛盾は当初から内包され、次第に問題化していくことになります。とりわけ幕府財政の危機は、諸国の幕府直轄金山・銀山の枯渇傾向、長崎における海外交易赤字による金銀の流出、明暦の大火・大地震・富士山の噴火などの災害復興事業による出費などから、いち早く訪れていました。


システムができあがると、それを改革するものは、批判の対象となりがちです。米作収入に依存する財政は矛盾を解消できない段階に到達しつつあっても、いざ改革しようとすれば、挑戦者はサポタージュされるものです。


俗に、享保の改革・寛政の改革・天保の改革をもって「江戸幕府の三大改革」とされるなか、意次がかかわった改革は、「田沼時代」という分類がされます。改革していたのに、仲間にいれてもらえない・・・そのくくりだけでも意次の不遇がわかります。 社会的な矛盾を解消できない段階に到達しつつあっても、いざ改革しようとすれば、挑戦者はサポタージュされるものです。

 

儒教の価値観では、「士農工商」の差別意識があり、物を生み出さず商品を流通させ利潤をえる「商人」は、泥棒と同じ扱いです。

ましてや「士」(侍、中国では仕官)が、お金のあれこれをいうのさえ不純とし、これが経済音痴、そして実体経済のかい離を招いていく原因となりました。

 

何度も採用された倹約令も、マクロ的には消費を冷え込ませただけで悪影響しか遺していません。現代では、政府は金融政策に口をだすものでなく、市場にゆだねることを是としています。


しかし、意次の改革は、教科書の中だけでなく、現代の行政システムにもいかせる教訓がたくさん詰まっています。

昨今、国の借金が1000兆円をこえ、増税が叫ばれています。しかしこの借金を増税で返そうとするのが、財務省の考えで、基本的な構造は、意次の政敵・松平定信と一緒です。一方田沼意次の政策は、民が肥えることで、国が盛り、借金が返せるっとするものです


 また商業を軽んじる「儒教の毒」は、現代の日本にも蔓延する病です。民間にゆだねるべきアクションも、的はずれな指摘をし囲い込む傾向があります。商人が金儲けをして何が悪いのか? 清廉潔白であっても、「白河の水の清き」に魚がすまないように、商人の悪巧み?が、結果的に社会を豊かにしていくことを、いまこそ見直すべきです。


愚者は、経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。

田沼意次の再評価は、教科書の中のお話でなく、今こそ、教訓にすべき貴重な財産なのではないでしょうか?

 


意次の遺書の中には、特に重要な記述がみられます。

(意訳)「いくら借金を重ねていようとも、それを民百姓の年貢の増でまかなおうとするのは筋違いである。このような無慈悲なことは、領民からの信頼を失い、御家の害となり、決してしてはならないことである」 

つまり、借金を増税で返そうとするな、と言っています。 

  

 

 

■田沼意次 家訓

    

失脚後の不遇の生活なかで、意次の遺品は数えるほどしかなかったといわれるなか、田沼家には子孫が代々受け継いできた意次の遺書が存在します。遺書というより家訓という内容で、600石の小姓でありながら、出世に出世を重ね、なんと5万7千石の藩主となり最後には、側用人、老中という(現在でいう首相)にまで上り詰めています。


その半生のなかで得た経験をもとに、遺書として田沼家の掟を書き記したのが、ご紹介する七条の家訓となります。

政敵による言われなき迫害にあいながらも、恨み、つらみをこらえ、德川家への感謝と忠義と、周囲のひとへの気配りを課したすばらしい家訓です。 

 

一・主君に対しては忠誠を誓い、このことは決して忘れ損じてはならない。当家(田沼家)においては特に、九代家重様、十代家治様に多大な御恩を受けているのだから、夢々忘れてはならない。

 

二・親に対する孝行、親族に対する配慮をおろそかにしてはならない。

 

三・同族間ではもちろんのこと、同席の衆、親しい人に対し態度を変えることなく接するように。どんなに身分が低くても、情をかけるところは差別のないようにすること。

 

四・家中の者に対しては、依怙贔屓(えこひいき)がないように気をつけて接すること。使いやすい人、使いにくい人にも、大いに気配りをして、しっかり召し使うこと。

 

五・武芸は怠ることなく心がけ、家中の者にも重々申し付けること。若者には特に精を出させ、大いに励ませるべきこと。ただし、武芸に精を出した上は、その余力で遊芸に励むことは勝手次第で、それを止めだてする必要は毛頭ない。

 

六・権門の衆中には隔意失礼のないように心がけること。公儀(幕府)に関わることはどんなに些細なことでも慎重に行い、諸事入念が肝要である。

 

七・諸家の勝手向(財政)が不調なのはどこも同じようで、好調なるは稀である。不勝手が募ると幕府御用にも支障が置き、軍役も充分に勤まることが出来ず、領地を拝領している意味がない(大名が領地を貰うのは、軍役も兼ねている)。家の経済を守ることはとても大切なことであるので、常に心がけることが肝要である。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■大人気 家訓ブログが本になりました!

 

口コミだけで7,000人以上が共感! “家訓のスペシャリスト”の幡谷哲太郎氏が、初めての書籍『世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方』を発売。本書は、簡単な家訓づくりのコツを教え、それを通じ、家族はもちろん、子供の成長、さらにはお孫さんの代まで、役立てるコツを指南する。

 

目次 : お母さんの悩みを家訓で解決/ 1分で実践できる素敵な習慣―家訓のある家庭の風景/ 身に着けたい正しい習慣/ 究極の育児は夫婦仲で決まる/ 親の背中が一番の教科書/ おばあちゃんの知恵で楽々子育て/ がんばれお父ちゃん/ 大事なことは先祖に学べ!偉人の家訓の勉強会/ 現代に生きる家訓で育った有名人たち/ 創作家訓の紹介―家訓のある風景

 

 

■ご購入はこちら ↓↓↓

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063