世阿弥「風姿花伝」(家訓)

 

「初心忘れるべからず」 

(世阿弥「風姿花伝」より)

 

 生涯この初心を忘れずにすごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで能には退歩ということがないはずだ。だから、能の行き止まりを見せることなく生涯を終えることを我が観世座流の奥義とし、子々孫々家訓として守るべき秘伝とする。 

 

 

 

 

世阿弥(ぜあみ)

生誕:正平18年/貞治2年(1363年)

死没:嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)

 

日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、家訓である「風姿花伝」をはじめ、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

 

室町時代、世阿弥は美しい・面白い・珍しいことを「花」と呼びました。世阿弥は「住する所なきを、まず花と知るべし」と言ってます。 花を咲かせ続けるには、停滞することなく、変化し続けなければならない・・・ 世阿弥の人生は華々しいものでなく、時の権力者に翻弄される苦難にみちたものでした。しかし、そんな経験をも「芸」の肥やしにし、最期には遺言書である「風姿花伝」にその神髄を書き添えたのでした

 

■世阿弥の生涯

 世阿弥は、南北朝時代の1363年、大和四座の人気スターであった観阿弥の長男として生まれています。

 

11歳の時には、一躍人気役者となり、この時、若き将軍義満に出会い、以後、世阿弥は、彼の寵童として、そば近くに召し使われることになります。当時最高の文化人であった二条良基も世阿弥を贔屓にした一人で、「古今集」などの古典や連歌の知識を授けたといいます。

 

「寵童」という身分について、自らも能を舞った白州正子は、その著書『世阿弥』の中で次のように述べています。

 

「男色は(略)主従・師弟間の愛情の煮詰まったかたちで、初々しい少年に女性的な美しさを求めるというよりは、若さと美の象徴として、男性の理想を求めたようである。僧侶の間では、仏道に入る機縁として、美しい稚児に観音の化身を見たという物語もある。」

  

世阿弥が20歳を少し過ぎた頃、父・観阿弥が旅興行先の駿河で亡くなります。以後、世阿弥は、名実ともに観世座のリーダーとなり、演出・主演を兼ねるシテ役者として一座を束ねていきます。演目でも、父のレパートリーなどの旧作を補綴、編曲するほか、数々の新作も手がけました。

 

将軍・義満に愛された世阿弥でしたが、年月を経るにつれ、この関係も変わっていきます。義満は、晩年、世阿弥のライバルである能役者を寵愛し、その後足利将軍家は世阿弥を遠ざけるようになります

 

失意のなか、後継者にも恵まれず自身の経験から得た芸術論、人生訓の執筆をはじめます。これが現代にも伝わる「風姿花伝」です。

 

そんな中、世阿弥に更なる試練が訪れます。72歳の世阿弥は突然、都からの追放を言い渡され、佐渡に配流されます。ことの理由は、はっきりしていません。 

世阿弥がいつどこで亡くなったのかは全く不明です。観世家の伝承では嘉吉3年(1443年)のこととされており、それによれば享年81歳であったことになります。おそらく佐渡で最期を迎えたのではないかと言われています 

 

 

■能とは?

能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治維新後のことである。

 

能・狂言の歴史は、海外の芸能を源流に汲む「猿楽」が始まりです。遠く、ペルシャからシルクロードを経て、長い旅路の果て、日本にたどり着いた散楽の芸能が、猿楽となりました。そして、さまざまな芸能を飲み込み、幾多の洗練を経て、今の能楽に受け継がれていったのです。

 

これを考えると、もともと、能そのものが、海外の人たちも受け容れやすい、普遍的な性格をもっていたと言えるかもしれません。能の物語にまなざしを向ければ、多様な人間の感情や哲学的な問いを見ることができます。日本の私たちだけではなく、世界のいろいろな民族、国の人たちが見ても、同じように人間の素朴な感情や深い思考に触れることができるでしょう。

 

このように能の国際交流の歴史は古く、安土桃山時代、16世紀ごろにはすでに、来日した宣教師たちが能について記録し、同じ時代の中国でも紹介された記録が残っています。豊臣秀吉をはじめ、戦国武将が能を好み、舞いを実践していた環境のなか、その近くにいた宣教師たちが能に親しむのは自然な流れだったことでしょう。

 

世阿弥が書き記した珠玉のことばには、自らの芸と人の世に対して鋭い洞察が見てとれます。そして、それは時を超えて、現代に生きる我々の心をも打ち、社会を生き抜く知恵を授けてくれるのです。

 

スティーブ・ジョブズも語った『初心』の心 

 

 

最初に思い立ったときの純真な気持ちを表す「初心」。伝説の経営者であったスティーブ・ジョブズ氏は、日本の文化に造詣が深く、アップル社の創設の前には、禅の修行のために、日本行きを熱望したとの逸話も残っています。そんなジョブズは、こんな言葉をのこしています。「仏教には初心という言葉がある。初心を持つのはすばらしいことだ」っと

 

日本人が、当たり前に使う「初心忘れるべからず」という慣用句。その由来は、室町時代をいきた世阿弥にさかのぼります。芸の道を究めるなかで、たどり着いた真理は、600年以上たった現代でも、色あせることなく、むしろ輝きを増すばかりです。ジョブズも魅了した世阿弥の真理を深堀します。

 

 

参照:Aol.ニュース

https://news.aol.jp/2014/01/03/syoshin/ 

 

 ビジネスの世界で「初心」とは、顧客視点や素人目線になることでしょう。キャリアを積んで管理職やスペシャリストになるにつれ、初心というものを忘れがちになってしまいます。

 

日本では「初心忘るべからず」といった言葉があります。この言葉を最初に使ったのは、室町初期の能楽師、世阿弥だといわれています。しかし、能芸論書『花鏡』のなかで使った初心と現代の初心では少し意味合いが異なると、書籍『仕事に活きる禅の言葉』のなかで指摘されています。

 

日本能楽会会長の野村四郎氏によると、「みなさんは初心というと若かりしころの志を思い浮かべるでしょうが、長い人生はそのときどきに初心があるものです。もちろん老後には老後の初心があります。若いころにくらべて足腰が思うように動かなくなったと思ったなら、まだ動かせるところをそれまで以上に動かして舞えばいい。そのときそのときで自分の才能や可能性をすべて使いきるということが、すなわち初心なのです」とのこと。

 

『花鏡』に残された「初心」とは以下のもの。

 

・是非初心不可忘(是非とも初心忘るべからず)

・時々初心不可忘(時々の初心忘るべからず)

・老後初心不可忘(老後の初心忘るべからず)

 

是非初心不可忘は、現代でも使われる、「修行を始めたころの良いところも悪いところも忘れてはいけない」という意味。時々初心不可忘は、「修行の段階ごとの初心を忘れてはいけない」という意味。そして、老後初心不可忘は、「老いて円熟期に入ったとしても、その時期ごとに初心があるので、その初心を忘れてはいけない」という意味です。

 

スティーブ・ジョブズをはじめ、稲盛和夫氏、イチロー、フィル・ジャクソンなど、禅に惹かれた成功者はたくさんいます。新しい年を迎えるこの時期に、一度自分にとっての"初心"を思い出してみてはいかがでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■「風姿花伝」とは

 

(参照:「THE 能.COM」より)

http://www.the-noh.com/jp/zeami/7stage.html

 

  世阿弥が残した「風姿花伝」を始めとする多くの著作は、演劇や芸術についての考えが述べられたものですが、世阿弥のことばの深さはそれだけではありません。今でいえば、「観世座」という劇団のオーナー兼プロデューサーでもあった世阿弥は、劇団の存続のためにはどうしたらいいかを考え抜きました。

 

それは役者の修行方法から始まり、いかにライバル劇団に勝ち、観客の興味をひくにはどうすべきかなど、後継者に託す具体的なアドバイスを記したものが、彼の伝書です。いわば、芸術のための芸術論というよりは、生存競争の厳しい芸能社会を勝ち抜くための戦術書ともいえるものです。

 

世阿弥は、観客との関係、人気との関係、組織との関係など、すべては「関係的」であり、変化してやまないものと考え、その中でどのように己の芸を全うするか、ということを中心に説いています。

 

「能」を「ビジネス」、「観客」を「マーケット」、「人気」を「評価」として読めば、彼のことばは、競争社会を生きるビジネスパーソンへの提言とも読めるのです。

 

世阿弥の珠玉のことばの中から、代表的なものをご紹介しましょう

 

初心忘るべからず

誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違いました。

世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。

 

女時・男時

世阿弥の時代には、「立合」という形式で、能の競い合いが行われました。立合とは、何人かの役者が同じ日の同じ舞台で、能を上演し、その勝負を競うことです。この勝負に負ければ、評価は下がり、パトロンにも逃げられてしまいます。

立合いは、自身の芸の今後を賭けた大事な勝負の場でした。しかし、勝負の時には、勢いの波があります。世阿弥は、こっちに勢いがあると思える時を「男時」(おどき)、相手に勢いがついてしまっていると思える時を「女時」(めどき)と呼んでいます。

向田邦子の小説集の題名として有名なこのことばは、世阿弥の造語です。

 

世阿弥は、この「男時・女時」の時流は、避けることのできない宿命と捉えていました。「時の間にも、男時・女時とてあるべし。」、「いかにすれども、能によき時あれば、必ず、また、悪きことあり。これ力なき因果なり。」

そして、「信あらば徳あるべし」——信じていれば、必ずいいことがある。と説いています。

 

時節感当

これも、世阿弥の造語です。

ここでいう「時節」とは、能役者が、楽屋から舞台に向かい、幕があがり橋掛かりに出る瞬間を言います。幕がぱっと上がり、役者が見え、観客が役者の声を待ち受けている、その心の高まりをうまく見計らって、絶妙のタイミングで声を出すことを「時節感当」(じせつかんとう)と言ったのです。

これは、タイミングをつかむことの重要性を語ったものです。どんなに正しいことを言っても、タイミングをはずせば人には受け入れられません。商談などの交渉事や、案件を上司に図る時など、「タイミングを逸して失敗した」といった経験は、誰にでもあるものです。タイミングが人の心の動きのことだとすれば、逸したのは、人の心をつかんでいなかったから、ということになるでしょう。

「これ、万人の見心を、シテ一人の眼精へ引き入るる際なり。当日一の大事の際なり。」(万人の目を主役に引きつけることが、何よりも大事だ。その「時節」に当たることが必要なのだ。)

正しいだけではだめで、その正しさを人々に受け入れてもらうタイミングをつかむことが必要なのです。

 

 

家、家にあらず。次ぐをもて家とす

家というものは、ただ続いているだけでは、家を継いだとはいえない。その家の芸をきちんと継承してこそ、家が続くといえるのだ、という意味のことばです。

世阿弥は、「たとえ自分の子であっても、その子に才能がなければ、芸の秘伝を教えてはならない。」といった上で、このことばを続けています。激しい競争社会の中で、「家の芸」を存続させるには、このように厳しい姿勢が必要だったのです。

さまざまな分野で「二世」が闊歩する今日、この世阿弥の言は、もう一度噛み締める必要がありそうです。

 

稽古は強かれ、情識はなかれ

「情識」(じょうしき)とは、傲慢とか慢心といった意味です。

「稽古も舞台も、厳しい態度でつとめ、決して傲慢になってはいけない。」という意味のことばです。世阿弥は、後生に残した著作の中で、繰り返しこのことばを使っています。

「芸能の魅力は、肉体的な若さにあり、一時のもの」という、それまでの社会通念を覆したのが、世阿弥の思想でした。それは、「芸能とは人生をかけて完成するものだ」という考えなのです。

「老骨に残りし花」は、観阿弥の能を見てのことばです。老いて頂上を極めても、それは決して到達点ではなく、常に謙虚な気持ちで、さらに上を目指して稽古することが必要だと、世阿弥は何度も繰り返し語っているのです。

慢心は、人を朽ちさせます。それはどんな時代の、どこの国にも当てはまることなのです。

 

時に用ゆるをもて花と知るべし

物事の良し悪しは、その時に有用なものを良しとし、無益なものを悪しとする、という意味です。世阿弥は、この世を相対関係で考えていました。ここでは、美しさ、魅力、面白さなどさまざまなプラス概念を総合した意味で、「花」ということばを使っています。

 

年々去来の花を忘るべからず

「年々に去り・来る花の原理」とは、幼年時代の初々しさ、一人前を志した頃の技術、熟練した時代の満足感など一段ずつ上ってきた道で自然と身についた技法を全て持つことで、これを忘れてはならない、という意味です。

ある時は、美少年、ある時は壮年の芸というように、多彩な表現を示しながら己の劇を演ずるべきだ、と世阿弥は説いています。入門時から現在の老成期まで芸人は、その一生を自分の中に貯え、芸として表現しなくてはならない。日々の精進が大切なのです。

 

 

秘すれば花

誰も知らない自分の芸の秘密、いわゆる秘伝を持つことを世阿弥は求めました。これをいたずらに使うことは控え、いざという時の技とすれば、相手を圧倒することができるというのです。

現代でも、自分の可能性を広げるための準備として秘する花を持てば、いざという時に世界が広がる可能性があるのです。

 

住する所なきを、まず花と知るべし

「住するところなき」とは、「そこに留まり続けることなく」という意味です。停滞することなく、変化することこそが芸術の中心である、と世阿弥は言っているのです。

 

よき劫の住して、悪き劫になる所を用心すべし

劫とは「功績」の意で、「良いとされてきたことに安住すると、それがむしろ悪い結果になってしまうことに用心せよ」という意味です。このことに、「よくよく用心すべし」と世阿弥は説いています。

世阿弥は、世間の変化の中で、その変化と関わりあっていくのが人間であり、芸術であると考えました。その変化の中で、変化することを恐れず、「住しない」精神を世阿弥は求めたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■大人気・家訓ブログが本になりました!

 

<新刊>口コミだけで7,000人以上が共感!

“家訓のスペシャリスト”の幡谷哲太郎氏が、

初めての書籍『世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方』を発売~叱らない、見守る子育ての極意を教えます~

 

 

■書籍概要

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063